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2013年07月07日 (日) | Edit |
「人手」はストックできません。本エントリのタイトルでほぼ言い尽くしているのですが、なかなか理解されないようですので、例示しておきます。

復興事業の用地交渉、熟練の職員が不足 自治体が募集(2013/6/25 3:00日本経済新聞 電子版)

 東日本大震災の復興事業が本格化するなか、集団移転や土地区画整理の用地取得を担う職員が不足し、被災自治体が頭を悩ませている。地権者らとの交渉には知識と経験が不可欠だが、他自治体から今以上の応援派遣を期待するのは難しい。職員を臨時募集してもなかなか人材は集まらず、「復興の遅れにつながりかねない」と危惧する声も出ている。

参院選が公示されてからというもの、「公務員人件費を削減すべき」「復興予算が被災地で使われないのは流用だ」という主張が毎日テレビや選挙カーで繰り広げられているわけですが、それらの事業の実施にお金が必要なことは事実としても、その事業を実施するのは生身の人間です。その実施に携わる生身の人間を削減したのが「民意」であり「官僚主導ではない政治主導」であって、それに疑問を呈することなく荷担してきたマスコミの中で、特に積極的に助長してきた日経新聞に「復興の遅れにつながりかねない」と危惧する声を紹介されても何の説得力もないのですが。

人材をモジュール化するというのは、標準的な処理方法が確立されいて、多くの事業体で共通化できる業務とかで可能なものであって、公務員が実施する事業ってのは、そこそこ標準的な処理方法は確立されているものの、「多くの事業体で共通化できる業務」ではありません。となると、同じ業界内部で人員をやりくりするしかなくなるわけですが、公務員人件費の削減で役所業界の人員は減少する一方ですから、未曾有の災害の復旧・復興事業が通常業務にプラスされた中で、そのやりくりはとっくの昔に限界に達しています。

というような制約の中では、被災地の現場での予算執行に限界があって、その間にも日本全体の経済が停滞しないようにするためには、被災地以外でも財政支出したり雇用を確保する必要があるわけですが、それをやると「復興予算の流用ガー」と叩かれてしまいます。いったいどうしろと。

さらにいえば、標準的な業務の標準的な処理方法は確立されていますが、町が丸ごとなくなるような災害による非常時の業務の標準的な処理方法なんてのはないわけで、やりくりした人員がそれをこなせるというものでもありません。もちろん、その人材を育成して業務の戦力としている他の役所からすれば、自分の役所の人材に投資した経費が他の役所の業務に充てられているわけで、それだけでも大きな損失です。日ごろ「地方分権で自主財源を拡充すべき」とか「地域主権で自治体に裁量を与えるべきだ」と唱えていらっしゃるチホーブンケン教の皆様にとっては、由々しき事態ですね。自主財源で、自治体の裁量で投資したリソース(人材)を他の自治体に取られるわけですから。

ただし、人材をリソースとして扱う議論は、そもそも「人手」をストックできないという現実にうまく対処できるものでありません。人材をリソースとして扱い、モジュール化する議論の延長線上では、引用した日経新聞の記事にあるように「職員を臨時募集してもなかなか人材は集まらず」という事態に陥らざるを得ません。臨時募集してそれに応じるような方々が、「町が丸ごとなくなるような災害による非常時の業務」をこなせると考えるほうが楽観的すぎるというべきでしょう。

まあ結局は、臨時募集して採用した職員に対しても、通常の職員に対するのと同様に研修を実施してOJTの中で業務の進め方を習得してもらい、庁内や地元の関係者とも円滑な関係を築き…という育成プロセスを踏む必要はあって、類似の業務経験者ならその量が幾分軽減されるという効果はあります。しかし、「臨時募集で即戦力を求める」というのは、その初期投資をほかの誰かがやっているという前提で、その初期投資の見返りを無償で引き渡せと要求していることにほかなりません。チホーブンケン教の皆様に限らず、時価総額ガーとか投資効果ガーとかおっしゃる方にとっては、それは看過できない問題だろうと思います。

となると、考慮すべきは「人材をある特定の事業体で囲い込む」ということの是非ではないかと思います。こういうことを書くと「雇用の流動化ガー」な方に肩入れしていると思われそうですが、「極度に高度化した業務を少数精鋭の組織の中で満遍なく分担する」というモデルを是とするか、「極度に高度化した業務は一部の少数精鋭の人材に担わせて、それ以外の標準的な業務は入れ替わりが可能な人材に担わせる」というモデルを是とするかという選択が必要となるでしょう。前者が日本型の正社員を前提としたモデルで、後者が欧米型のモデルということもできそうでして、野川忍先生が「social」という言葉の概念についてつぶやいたtweetが、どちらを選択するかを考える際の参考になります。

theophil21@theophil21

socialとは(1)日本語では、「社会的」と訳されるこの単語の意味は、実際のところ何なのか。ヨーロッパの各国では、まだまだ「社会党」や「社会民主党」が強いが、なぜなのか。おそらく、日本では「個より社会が大切ということではないか」と思っている人も多いだろうが、そいう意味ではない。
posted at 17:48:17

theophil21@theophil21

socialとは(2)たとえばドイツでは、日本の就業規則記載事項は、「社会的事項」として労使の共同決定によることとなっているが、「労働時間の構成」や「賃金の支払い方」がなぜ「社会的」なのか。また他方では、事業所で支払われる付加給付を「社会的給付」というがなぜなのか。
posted at 17:50:15

theophil21@theophil21

socialとは(3)socialという概念を理解できるかどうかがヨーロッパ社会を理解するための試金石だと力説しておられたのは、東大でフランス法を講じられていた故山口俊夫先生だが、欧州におけるsocialの意義の大きさを知ると、確かにそうだとつくづく思う。
posted at 17:53:26

theophil21@theophil21

socialとは(4)一方では、弱い立場にある者に手を差し伸べるという趣旨があり、他方では、集団に適用される規範という意味がある。この両者を包括する理念は何か。それは「共同体の維持」ということである。もちろん、個人の自由が重視されないという意味ではない。
posted at 17:56:32

theophil21@theophil21

socialとは(5)しかし、個人の自由の発揮は共同体の維持と調和しなければならないと、大陸ヨーロッパの多くの国は考えている。つまり、共同体の構成メンバーは連帯して共通の規範を守るべきであり、メンバーの中に苦境に立たされる者がいれば協力して支えなければならない。
posted at 17:59:24

theophil21@theophil21

socialとは(6)思い切って図式化すれば、自由民主主義と社会民主主義とは力点の置きどころを異にするのであり、「個人の自由を侵害しない範囲で弱い者も助ける」のか、「弱い立場の者が切り捨てられない範囲で個人の自由が発揮されるべき」なのかの相違ということも可能であろう。
posted at 18:01:57

theophil21@theophil21

socialとは(7)「社会的」という漠然とした概念には、このように積極的な理念がこめられている。かつてEUが発足したとき、スローガンの一つは「ソーシャル・ヨーロッパ」であった。それが欧州の理念的基盤であることは間違いない。日本はそこから何を学べるのか。丁寧な検討が必要であろう。
posted at 18:05:34

2013年06月29日(土)http://twilog.org/theophil21


「共同体の構成メンバーは連帯して共通の規範を守るべきであり、メンバーの中に苦境に立たされる者がいれば協力して支えなければならない」というsocialな考え方を理解できるか、「効率的な現金給付」で事足りるとする経済学的な議論の問題点を理解できるかというのが、労働政策に裏付けされた現物給付による社会保障や再分配を議論する上で、問われているのではないかと思います。その上で、「人手」がストックできないという現実をどう考えるべきかについては、太田啓之さんの『年金50問50答』から的確なたとえ話を引用させていただきます。

クマゴロー (略)お金っていうのは金魚すくいの網のようなものなんだよ。生活にとって本当に大事なものは金魚(生産物)で、網(お金)はそれを獲得するための手段に過ぎない。現役世代が社会全体のメンバーを養うのに十分な量の金魚を作り出せている時には、十分な大きさの網を持っていれば必要な数の金魚をすくうことができる。でも、必要な量の金魚をつくり出せなくなってしまうと、いくら大きな網を持っていても十分な数の金魚はすくえない。水槽の中の金魚の数自体が減ってしまうわけだからね。年金を積立方式にしてお金をいっぱいためておけば、いくら少子化が進んでも老後はだいじょうぶ、なんて考え方は幻想に過ぎないのさ。
ヒヨコ 私たちはモノがいっぱいあって、「お金があれば何でも買える」という生活に慣れ過ぎているから、お金さえあれば安心と思っている。でも、日本全体の「ものやサービスをつくりだす力」が衰えてしまうと、いくら老後のためにお金を貯めておいても安心できない、ということね。
p.182

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ヒヨコの最後の台詞の「日本全体の「ものやサービスをつくりだす力」が衰えてしまうと、いくら老後のためにお金を貯めておいても安心できない」という部分を、「日本全体の「ものやサービスをつくりだす力」が衰えてしまうと、いくら復興予算をつけても実施できない」と言い換えてみれば、問題の所在は明らかだろうと思います。
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