2013年07月07日 (日) | Edit |
拙ブログは週に1回更新する程度で基本は不定期なのですが、畑農先生に拙ブログを取り上げていただいておりました。そのエントリの冒頭では、畑農先生がブログを更新しない理由として3点を挙げていらっしゃって、いずれも同感するところが多いです。その3点目で「第3に見返りが少ない。ブログに対する反応はそれほど大きな規模ではないし、交流もインタラクティブではない」とおっしゃっていまして、拙ブログも取り上げていただいていたにもかかわらず、こちらも1週間近く反応が遅れてしまいました。まあブログだからインタラクティブでないというより、Twitterだろうとメールだろうと私の反応は遅いので、ツールの特性以前の問題かもしれません。

実は、拙ブログが直接取り上げられているというよりは、uncorrelatedさんによる「ある地方公務員のあるマクロ経済分析(途中)への誤解」についての解説という趣のエントリでして、私も勉強になりました。ありがとうございました。

 上記のブログ記事は、財政政策として社会保障が重要だと主張するmachineryさんによる「財政政策という実務」への反論として書かれた。しかし、この反論は部分的に正しいが、全面的に正しいわけではない。社会保障のすべてが移転というわけではなく、およそ半分程度は政府支出G(または民間消費C)に含まれるからだ。量的に言えば、半分正しくて、半分正しくない。
(略)
 国民経済計算において、「2.1(1)現金による社会保障給付」はたしかに移転だ。しかし、「3.1 現物社会移転」はエクセルファイル内「年度(4)a」を見ると、

4.1(1)個別消費支出(3.1)

として一般政府の最終消費支出に含まれることがわかる。いわゆる政府消費の一部だ(注)。社会保障給付費のうち約半分は政府支出G(または民間消費C:注)に含まれるのだ。理由は直感的にも明らかだろう。年金給付は財・サービスの購入を伴わないが、医療・介護給付は財・サービスの購入を伴っているからだ。

注:
現物社会移転(個別消費支出)は、現実最終消費と呼ばれる概念では家計の現実最終消費に含まれる。Y=C+I+GのCに当たる。最終消費支出と現実最終消費の違いについてはこちら。なお、68SNAでは現物社会移転(個別消費支出)は、移転的支出として家計の最終消費支出に含まれていた。「93SNAへの移行のポイント」(平成12年10月)の24ページを参照。

社会保障は移転か?(2013年7月 1日 (月))」(もう一度よく考え直してみてよ。

飯田先生がおっしゃるようなライフハック的「経済学の思考の型」を批判しておきながらではありますが、こうして統計データの意味を解説していただけると、経済学的なデータ処理の考え方を垣間見ることができて参考になります。

畑農先生のエントリで留意していただきたい点は、「社会保障は半分が移転で半分が政府支出」というデータ上の事実が指摘されているのみで、それ以上のつっこんだ議論はありません。あくまで個人的な推測ですが、このことは、「社会保障は半分が移転で半分が政府支出」ということの是非そのものについては経済学的なデータの処理の観点以外からの議論が必要だと、畑農先生が認識されていることの表れではないかと考えます。私の考える(実証的・規範的な意味での)「経済学の思考の型」も、畑農先生のこの認識に近いものです。

以下は畑農先生の議論とは全く関係のない話ですが、現実のさまざまな問題について、主観的に問題がない部分をいったん外してモデルを単純化するという作業を行うためには、取捨選択するデータやそのデータの持つ意味についての配慮が必要であって、その点については別途考慮するという留保が必要不可欠ではないかと思います。その点では、甚だ僭越ながら、飯田先生のライフハック的「経済学の思考の型」は半分正しいものの、もう半分の必要な部分が欠けているといえるのかもしれません。「リフレ派的政策論」の問題点も、

「大きな正論」としては全くその通りなのですが、個別の分野ではその「大きな正論」に包まれた信条の違いが浮き出てきて、それについて個別に批判すると、また「大きな正論」で反論されるというのが一部のリフレ派と呼ばれる方々の議論の特徴ではないかと思います。

「大きな正論」以外でバラバラという点では、リフレ派は派閥や思想集団ではないというのはその通りなのでしょう。しかし、リフレ派に見られる上記のような議論は、中道の労組役員さんがおっしゃるような「反労働者」的な議論を止めることができないばかりか、「大きな正論」で包むことでむしろそれに根拠を与えてしまっているのが現状ではないかと思います。

2013/06/22(土) 10:26:04 | URL | マシナリ #-[ 編集]


という形で、マクロ経済学的なモデルから外れてしまう社会保障や労働政策のような「新古典派経済学に基礎をおくマクロ・ミクロ経済学では扱いにくい」政策について、「マクロ政策が正しければミクロはどんな政策でもよい」と思考停止してしまいがちな点にあるのではないかと愚考する次第です。
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