2013年05月19日 (日) | Edit |
最近ついった方面を見る機会が増えてまして、それとなくフォローしていたリフレ政策支持界隈の方々の会話に対する違和感をメモ。

その前に、『Voice 平成25年6月号』で飯田先生のコラムが掲載されているので、その引用から。

 今回の日本銀行の決定、さらにはそれを可能にした安倍政権の経済政策における作為の契機は明確である。成功すれば安倍首相、日銀新執行部の功績であるし、失敗すれば彼らとそれを強く推奨した言論人の責任である。
(略)
 日本の政策形成においては少数の例外を除き、作為の契機は希薄であることが通常であった。また、政策をめぐる議論にあたっても、その裏にたしかに存在する目標と意図をできるかぎり明瞭にしたままでの主張が好まれる傾向にある。十数年にわたる金融政策論争のなかでリフレ派、新日銀の金融政策への批判として繰り返されてきた「不自然」であり、「人為的な操作」であり、「極端な方法」だという指摘を想起すると、これら批判者の思考を支えている核が理解できるだろう。
 為替・株価傾向の大転換にはじまり、景況感の全地域での改善、賃金上昇といった成果を見てなお、アベノミクス、黒田日銀は強い批判にさらされ続けている。筆者自身はもう少し褒められてもよいのではないかと思うが、それもそのはずだ。黒田日銀への批判は、その内容に対する専門的な批判である以前に「作為の契機を伴う政策の実行」という日本の伝統に反する行動様式への批判なのだから。
飯田泰之「「リフレは不自然」論の裏にあるもの」p.33

Voice (ボイス) 2013年 06月号 [雑誌]Voice (ボイス) 2013年 06月号 [雑誌]
(2013/05/10)
不明

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※ 以下、強調は引用者による。

リフレーション政策が人為的であることをもって「作為の契機」だというなら、すべての政策は程度の差こそあれ「作為の契機」だと思うのですが。むしろ、「日本の伝統に反する行動様式」を「作為の契機」とかいって称揚してしまうと、日本的リベサヨが好む「清貧思想」とは逆の方面から「コーゾーカイカク」とか「チホーブンケン」とかに根拠を与えてしまうのではないかと懸念されるところです。うーむ、飯田先生のおっしゃることは私にはなかなか理解できないことが多いようです。

で、別のTogetterで見かけた議論ですが、同じ左派思考をお持ち(のはず)のお二人がリフレ派を巡って議論されていて、私がリフレ派と呼ばれる一部の方々の議論に感じる違和感が凝縮された内容でした。

リフレ派に批判的な人をみな一緒くたにして「デフレ派」と呼んだのはリフレ派の皆様じゃないですか。RT @shinichiroinaba: @Hideo_Ogura 先生、「デフレ派」なんですか? リフレ派を批判するのはありうる立場だとは思いますが、デフレ派を公言されるとは……
Hideo_Ogura 2013-05-06 01:35:46

@Hideo_Ogura 違うと思いますし、そもそもどうでもいいことだとおみますよ。先生はデフレの継続が望ましいと思っているんですか? そうでなければ「デフレ派」ではないはずです。
shinichiroinaba 2013-05-06 01:39:05

@Hideo_Ogura デフレがよくないと思っていて、なおかつ貨幣経済は存続させなければならないと思っているならば、人は最広義における「リフレ派」たらざるを得ません。問題はその手段であり、いわゆる「リフレ派」は単なる金融緩和に加えてインフレ期待醸成を必須と主張します。
shinichiroinaba 2013-05-06 01:41:10

@Hideo_Ogura それに対する批判はありうるかもしれませんが、デフレを否定して貨幣経済の存続にもコミットしつつ、かつマイルドインレフも拒絶する、では選択肢なしです。
shinichiroinaba 2013-05-06 01:41:59

そしてそれは、(未だ実現していない)低所得者層へのプラスの効果が生じるか否かは、リフレ政策の成功云々とは余り関係がないという意識の表れですよね。RT @shinichiroinaba: @Hideo_Ogura 違うと思いますし、そもそもどうでもいいことだとおみますよ。
Hideo_Ogura 2013-05-06 01:43:15


小倉秀夫氏と稲葉振一郎氏とのやりとり 2013年5月5日~5月6日

おそらく稲葉先生の思考の中では、「デフレがよくないと思っていて、なおかつ貨幣経済は存続させなければならないと思っているならば、人は最広義における「リフレ派」たらざるを得ません」という以上、その「最広義」から外れる批判は「デフレ派」認定しなければならないということになるのではないかと思われます。まあ、リフレ派の定義なんぞないのでしょうし、もともと「リフレ派」という思想集団でも派閥でもないというのが「リフレ派」と呼ばれる一部の方々の主張ですから、稲葉先生が「最広義のリフレ派」を持ち出すことも当然の主張なのでしょう。しかし、「最広義のリフレ派」という以上は、その中にはいろいろな思想背景や政策指向を持つ方が含まれることも容認すべきであって、「人は最広義における「リフレ派」たらざるを得ません」とまでいうなら、小倉弁護士も「リフレ派」認定してあげればいいのにと思わないでもありません。

というか、毎度の飯田先生の引用になりますが、

次にリフレ派についてですが,世にリフレ派と呼ばれる人の共通点は「安定的なインフレによる景況の維持が必要だ」のみで,ミクロ的な経済政策については人それぞれです.

構造改革ってなあに?(2006年9月17日 (日))」コメント欄 投稿 YS | 2006年9月18日 (月) 14時59分(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳))
(注:ご本人が「投稿 Yasuyuki-Iida | 2006年9月18日 (月) 15時16分」で報告されているとおりYS氏は飯田泰之先生です)

「リフレ派」は唯一リフレーション政策への支持のみを共有するもの(飯田先生はリフレーション政策そのものも「モデレート」なものから「強力」なものまでいろいろあるとおっしゃっているので、その「リフレーション政策への支持のみを共有する」ということの内実も不明なところですが)であって、それ以外のミクロな政策は人それぞれと言い張るのであれば、リフレ派の中で意見が対立することも十分想定されることでしょうし、それを内包しながら共闘するのが「リフレ派が派閥ではない」という主張の裏付けになるはずです。

ところが、リフレ派と呼ばれる一部の方々がとった行動はそうではありませんでしたね。彼らがとった行動は、日銀や財務省の陰謀論を振りかざし、リフレーション政策以外のミクロ政策に対するものを含めて、リフレ派に対する批判を「反リフレ派」「デフレ派」と認定して罵詈雑言を浴びせかけ、専門家ではない方に対しては「御用一般人」とレッテルを貼って「リフレ派が絶対正しい」運動を展開することでした。百歩譲って「リフレーション政策が正しい」運動が展開されたのであれば、その政策の実現を推進することは少なくとも経済学的には可能だったのかもしれませんが、「リフレ派」に対する批判をことごとく退けて、「リフレ派が絶対正しい」運動を展開するのでは、「リフレ派」という派閥に賛同する方の支持しか得られなくなるのも自明の理といえるでしょう。

確かにアベノミクスで為替相場が円安に振れて株価も上昇しましたが、それは金融緩和政策をとった結果として十分に予想された事象であって、この点はリフレ派だろうがそれ以外だろうが(稲葉先生の定義によれば資本主義社会にはリフレ派しかいなさそうですが)異論はないはずです。問題は、景気回復が雇用や生活の改善、つまり、単に失業率が下がって有効求人倍率が上がるだけではなく、労働分配率が上昇して賃金原資が増加し、就労している特に中低所得層の労働者の賃金水準が向上して、その一方で税収増による社会保障の現物給付の拡充により格差の是正が進み、必要原則による社会全体の消費性向が向上することによって、さらに企業業績が上向き、失業率が下がって…という好循環がもたらされるかどうかであって、それが金融政策だけで達成できるものではないということは、リフレ派と呼ばれる一部の方々も認めていたと記憶しています。

私はリフレーション政策によってもたらされた流動性を適切に分配するため、所得再分配政策を同時に行うべきであり、賃金水準の向上と働き方の改善のためには集団的労使関係の再構築が不可欠であると申し上げているところで、だからこそ拙ブログでは、リフレ派と呼ばれる一部の方々に対して、たとえば飯田先生の再分配政策に対して疑問を呈しています。その飯田先生が小倉弁護士に対してtweetされていますが、

小倉弁護士からの問いに対して、挙げられている政策が租税政策しかないのは貨幣経済を分析対象とするマクロ経済学ではやむを得ないのかもしれませんが、雇用や生活の改善を実現するための再分配政策としては不十分といわざるを得ないと考えます。飯田先生の「作為の契機論」の話でいえば、戦後粛々と進められた減税政策こそが作為の契機の不在であって、作為の契機が必要なのは再分配するための原資をいかに調達するかという増税政策ではないかと考えるのですが、経済学では死加重とか乗数効果とか持ち出されて否定されるんでしょうね。「格差は問題だ、貧困問題は深刻だと言うくらいで、所得分配のあり方が大きく動くほど、世の中は甘くない」という権丈先生の言葉が、改めて重く感じられます。

まあマクロ経済学がご専門の飯田先生がミクロ政策、特に再分配政策に言及されるのは、リフレ派と呼ばれる一部の方々の政策提言に対する評価の観点からも、控えられた方がいいのではないかと僭越ながら感じます。その他のリフレ派と呼ばれる一部の方々の提言されるミクロ政策に比べればまだましとはいえそうですが、リフレ派と呼ばれる一部の方々がそのレベルの政策提言しかできないなら、ミクロ政策に関しては下手なことをいわないのが得策ではないかと愚考する次第です。

ところが、リフレ派と呼ばれる一部の方々は上記の通り、リフレーション政策以外のミクロ政策に対する批判もすべて「反リフレ派」「デフレ派」としてバッシングしてきましたので、今更後に引けなくなってしまっているように見受けます。

ついでに書いておくと、「リフレ政策に関係のないものまでぜんぶしょわせる」なんてのも半ばこういう「運動」家の責任だろう。 その「運動」の中でなんやかんやと理由をつけて人々が不満に思う事、生活のつらさの具体的な事象を「全部日銀の間違った政策のせいだ」と扇動し続けてきたわけで、 当然その裏返しとして「やっと「正しい」金融政策が取られたんだからそれらは全て改善するんだよね?」となるのは致し方ない所である。 

まあ運動として考えれば日銀が目標としてきた「長期的な経済の安定」はもとより「経済の回復」や「物価の安定」が達成されるかどうか、つまりリフレ政策が成功するかどうか、すらどうでもよく、リフレが採用されるかどうかだけが重要だったというのは分からなくもない。現実には田中氏が「所詮、日銀か財務省のすじでの人が総裁になれば、アベノミクスが完全に終わるか、あるいはせいぜい中途半端なものに終わるだけ」と毛嫌いしていた黒田新総裁によって異次元緩和が発動され、リフレ「運動」はその目的を「完遂」したわけである。

リフレ「運動」についての雑感(2013-04-10)」(カンタンな答 - 難しい問題には常に簡単な、しかし間違った答が存在する

田中氏の言説が矛盾に満ちあふれているのは、「リフレ派」による政策上の見境のない敵味方認定の結末でしかないでしょうし、それ自体を今更批判しても詮無いことではありますが、abz2010さんの上記エントリで引用されているブログのこの言葉には(ブログ全体の趣旨に賛同するわけではないものの)全面的に賛同するところです。

こういう邪魔者どもがいるから、デフレ脱却の政策実現は遠かったんだろうな、ということが実感できましたわ。
だって、心底、信じたくなくなるもんね。
日銀じゃなくても、聞き入れたくなくなるわ。
このような連中が言う意見でなかったら、もっと早くに信じてもらえたかもしれない、ということです。

足を引っ張るのは止めてくれ、というのは、こっちのセリフなんだよ。
日銀の仕事を邪魔しないでくれ。迷惑だ。

「りふれは」田中秀臣の醜悪(2013年04月07日 18時34分52秒)」(いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」



(念のため)
小倉弁護士の主張については、私も経済学的な議論をもう少し勉強してもいいだろうとは思います。というか、「労働組合や日本労働弁護団といった左派陣営が会社に対して無理筋なことばかり主張するので、それがかえって労働者自身をも苦しめている」と考えている立場ですので、そういう労働弁護団などの左派陣営の姿勢こそが、デフレや日本型雇用慣行の深化の一因だろうという批判にはおおむね同意します。しかし、だからといって左派陣営による「リフレ派」批判がすべて的外れというべきではないでしょう。マクロ政策でとんちんかんな批判であっても、「リフレ派」の専門外であるミクロな政策では重要な指摘であることは十分にあり得ることであって、その点でもリフレ派と呼ばれる一部の方々の姿勢には大きな問題があると考えます。
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コメント
この記事へのコメント
労働分配率が高まればいいって
ご冗談でしょう。労働分配率が高い時期というのは不景気な時です。特に失業者が増えるとともに、そのことで労働が買い手市場になり特別なスキルのない低所得者に厳しい状況です。安定した職に元々ついていた人には有利でしょうが。しかも、高い労働分配率と不景気の間にある相関関係はおそらく因果関係によるものです。
2013/05/19(日) 22:04:41 | URL | MT #40pSUC8M[ 編集]
> MTさん

確かに本エントリだけご覧いただくとそのような理解をされてしまうかと思いますが、拙ブログでも以前、

> 少なくとも経済学による実証分析によれば、不況まっただ中の1999年に労働分配率が高くなって、その後2007年までの景気の拡大期に労働分配率が低下したことに何も不思議なことはありませんので、それに対する批判は因果関係を取り違えているんではないかと

「日本亡国(一部興国)論(2008年12月18日 (木))」
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-262.html


と書いておりまして、ご指摘の点は十分に承知しているつもりです。

その上で、賃金水準を労使交渉により決定するコレクティブバーゲニングの仕組みについては、

> 「株主とそれに対抗する労働組合というステイクホルダー」に対峙する経営者という三者の関係について、株主の立場から指摘されているように思います。結局のところ、経営悪化時におけるリスク配分とは、最終的なリスクを負いながら経営にあたる経営者が、自らの企業が稼いだ利益剰余金を株主と労働組合という相対立するステイクホルダー間でどのように配分するかという問題に行き当たる

「株主と経営者と労働者(2009年06月05日 (金))」
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-311.html


と考えておりますので、集団的労使関係の再構築を通じて労働分配率を向上させることが重要だろうと考えております。

なお、景気と労働分配率の関係についての拙ブログのスタンスは、

「誰が賃上げをするのか?(2013年03月25日 (月))」
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-551.html


のコメント欄などもご笑覧いただければと思います。
2013/05/19(日) 22:29:09 | URL | マシナリ #-[ 編集]
集団的労使関係の再構築を通じて労働分配率を向上させてしまえば、労使関係の枠外にいる失業者は苦しくなり、結局はそれが(強くなったとはいえ)相対的に労使関係の弱いところから低所得者を苦しめる形に波及するでしょうね。
2013/05/20(月) 01:49:35 | URL | MT #40pSUC8M[ 編集]
失業があり且つ時間外労働が減っている中で賃金を上げるのは、集団的労使関係の再構築を通じようが通じまいが、失業者にとっては苦しみが増すだけです。仮に労使関係に参画できて雇われた場合の賃金が上昇するよう約束できた場合でさえ「雇われない」とされる確率が高まる分、一部に苦しみが集中します。

さらに悪い事に、時間外労働が減っている中で賃金を上げるのは、失業者でなくても時間外労働が減って所得が落ち込む可能性が高いです。実際、近年の所得の落ち込みは時間当たり賃金の下落ではなく時間外労働の減少による部分が大きいですから。
2013/05/20(月) 01:59:51 | URL | MT #40pSUC8M[ 編集]
> MTさん

いろいろな前提を混ぜ込んだ議論となっているようですが、いったん整理させていただくと、労使交渉による賃金引き上げのデメリットを強調する考え方はインサイダー・アウトサイダー仮説と呼ばれているものですね。

ちょっと古いですが、樋口先生の教科書から引用すると、

> 効率賃金仮説が、説明の力点を企業の合理性に置いているのに対して、インサイダー・アウトサイダー仮説ではむしろ、内部労働者の行動に力点を置く。説明の内容は効率賃金仮説と類似するところが多いが、ここでは労働組合の存在が強意識されている。
> 労働組合はその国全体の労働者の代表ではなく、あくまで組合員の利益を代表する存在に過ぎず、一国全体の雇用量の増加よりも、組合員である内部労働者の雇用確保と賃金引き上げを優先させる。とくに採用費用や教育訓練費用が大きな企業では、内部労働者は団結すれば、独占的供給力を持ちやすく、よほど大きなショックがないかぎり、外部市場の影響を拒絶することができる。さらに企業が低賃金で働いてもよいとする外部労働者と内部労働者を入れ替えようとすると、内部労働者は企業に対し敵対的な行動を取るために、労使紛争などが発生し、企業にとっても損失は大きくなる。その結果、内部労働者と外部労働者の壁が厚くなり、外部労働者の大量失業と内部労働者の高賃金が共存することになる。
>
> 樋口美雄『労働経済学』1996、東洋経済新報社、p.295

で、その直後に樋口先生はこう続けます。

> この理論には、現在、ヨーロッパ諸国をはじめ多くの先進国の抱えている問題が色濃く反映されている。他方、アメリカの労働組合は、労働需要の低下に際して、従来、レイ・オフ(一時帰休)制度による雇用削減には強い抵抗を示さず、むしろ労働者の賃金維持を優先させてきたといわれる。しかし最近では、アメリカの労働組合も賃金交渉には柔軟な態度で臨み、雇用保障を重視する傾向が強まっている。他方、わが国の労働組合は、従来から雇用保障を優先させてきたといわれる。はたしてこうした変化や違いはどこから生まれてくるのだろうか。制度の存在を与件としたこれまでの研究では、こうした問題に解答を与えることはできない。最近の研究では、こうした制度自身が環境の変化に応じて、どのように変わっていくのかを研究対象として扱うようになってきており、多くの成果が上げられている。
>
> 樋口『同』pp.295-296

では、「制度自身が環境の変化に応じてどのように変わっていくのか」という点については、hamachan先生にご登場願いましょう。

> 戦後1947年に制定された労働基準法は、一気のILO基準の1日8時間・1週間48時間労働を規定しましたが、戦前との落差が大きすぎることもあり、「8時間制を画一的に強制することを避け、賃金計算等に関し8時間制の原則を維持しつつも、労働者が自覚して求めない限りなお時間外労働を認める」こととしました。具体的には、過半数組合または過半数代表者との書面協定(三六協定)さえ締結すれば、事実上青天井で時間外労働が認められることとされました。この結果、日本の法定労働時間は工場法時代にはあった物理的時間規制としての性格が希薄化し、そこから残業代の割増がつく賃金計算上の基準時間に過ぎないという風に見られるようになっていきます。(略)
>
> ②労働時間規制の空洞化
>  このような労働時間規制の下では、時間外労働は例外的なものではなく、あるのが当然とみなされます。そうすると三六協定の意味合いも変わってきます。戦後の労使関係をめぐる諸事案には、労働時間規制の本来の意義を没却するような事案が多いのです。時間外労働が当たり前という状況下では、(法の趣旨からは例外のはずの)三六協定をあえて締結しないことが異常事態となり、それゆえ労働組合の争議戦術として効果的となります。
>
> 濱口桂一郎『日本の雇用』2011、日本経済新聞社、pp.125-126

そのような日本型雇用システムにおける時間外労働は、残業代を得て賃金の足しにするために正社員が従事しなければならないものでしたので、それが時間外労働によって雇用調整しながら雇用を維持するというインサイダー・アウトサイダ理論に近い事象となって現れているわけです。つまり、MTさんが集団的労使交渉による賃金引き上げを、外部労働者の失業につながると批判するのであれば、時間外労働が恒常化している現状も同様に批判しなければ筋が通らなくなります。さらにいえば、それが過労死などの原因となる長時間労働を正社員に強いる仕組みとしても機能しているわけで、それを与件として議論することはもはやできない状況といえるでしょう。

というわけですので、集団的労使関係の再構築によって目指すべきものは、インサイダーのための単なる賃上げだけではなく、時間外労働を規制してアウトサイダーのためにワークシェアすることなのではないかと考えております。

再びhamachan先生にご登場いただくと、

> ⑤長時間労働の雇用システム的要因
>  以上のような労働時間の無限定さの背景にあるのは、職務限定のないメンバーシップ契約という日本型雇用システムの本質です。Ⅰ章で「実際に労働者が従事するのは個別の職務です」と述べましたが、欧米の職場のように個々人に排他的な形で職務が割り振られているわけではなく、ここの部署の業務全体が人によって責任の濃淡をつけながらも職場集団全体に帰属しているというのがむしろ普通です。「自分の仕事」と「他人の仕事」が明確に区別されていないのです。そのため、同僚の作業がまだ終わっていないのに、自分の作業が終わったからさっさと仕事を終えて帰る、という行動様式を取ることが難しく、結果的に職場集団の全員が仕事を終えるまでみんなで残業することが多くなります。正社員の辞書に「それは私の仕事ではない」という言葉はないのです。年休の取得が難しいのも、同じメカニズムが働いているでしょう。
>
> 濱口『同』pp.131-133

という現状を改善すべく、日本でもいろいろな取組が検討されているのですが、

> 現在までのところ、日本の労働時間法政策は依然として残業代の割増率にばかり関心を集中し、実労働時間規制は政策課題に挙がっていません。2006年のホワイトカラー・エグゼンプションをめぐる誤解に満ちた騒動が悪影響を与えている面もあります。賃金問題を切り離して物理的労働時間をどう規制するかという議論ができない状態になっているのです。
>  しかしながら、労働組合の要求の中には、まだ細々とした動きに過ぎませんが、実質労働時間規制を目指す動きも見え始めています。(略)
> もっとも、EU労働時間指令では休息時間の最低基準が1日11時間とされており、これらの水準ではまだまだ大きな格差があります。労働時間は無制限がデフォルトという発想から脱却するのは、なかなか難しいのかも知れません。
>
> 濱口『同』pp.236-237

という状況でして、だからといって時間外労働をデフォルトとして、それが減るから賃金が下がるという議論は、これからの雇用システムとしてふさわしいものとはいえないものと考えます。
2013/05/20(月) 22:58:53 | URL | マシナリ #-[ 編集]
jura03さんに取り上げていただいておりました。

扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part121
http://d.hatena.ne.jp/jura03/20130519/p1

> このメモを「ネット○○派」によほど入れようかとよほど思ったくらいなんだが、リフレ派のみならず、他のネット上の徒党はたいていこれだ、ということは言っておきたい。

ネトウヨがわかりやすい例かもしれませんが、誰を敵と認定するかで派閥が形成されてしまうのではないかと思います。ネトウヨといっても、たとえば共産主義国を敵視するパターンや国内のサヨクを敵視するパターンやらがあって、それぞれが独自の思想を持っていても、傍から見れば「ネトウヨ」とくくられてしまうのと同様に、日銀がデフレを画策しているとか、財務省が財政再建を目論んでいるという陰謀論にあっさりと荷担することで、傍から見れば「リフレ派」とくくられてしまっても仕方がないでしょう。

問題は、当事者の方々がそうした図式を自ら形成しておきながら、それに対する批判を「リフレ派は派閥ではない」というそれ自体はもっともな理屈でかわそうとして、その図式にはまっているご自身の立場を(意識的に)自覚していない点にあるのではないかと。

まあ、こういう批判そのものが彼らに届くことはないでしょうから、徒労感だけが募りますが。
2013/05/23(木) 22:48:09 | URL | マシナリ #-[ 編集]
ドラめもんさんにも取り上げていただいておりました。

http://www.h5.dion.ne.jp/~bond7743/doramemon1305.html#130521

> マシナリさんの最新エントリーですがその中で紹介されている関連記事なども含めまして中々興味深いので勝手に人のふんどしでござる。毎度すいませんです。

こちらこそいつも参考にさせていただいておりまして、昨日(5/22)の冒頭のコメントも大きく頷きながら拝見しておりました。

> 昨日は某経済新聞本紙のコラム「大機小機」で筆名カトーさんが大勝利宣言をしていたのが話題になっていたようで、変な死亡フラグ立てるなしとか思った訳なのですが、それはそれとしまして大勝利宣言をするのは物価上昇と共に雇用者所得が上昇して、雇用が拡大する中で経済が前向きに拡大していって財政も好転していくとかそういう状況になってから大勝利宣言をすべきものであって、株が単に急角度で上昇したからウハウハとか何なんですかねそらまあ金融業者はこの相場でウハウハですからそれはアリガタヤですけれども、それを以て政策の勝利宣言って・・・・・・

まあ、本エントリで引用した方も「祝勝会」を開催されていましたが、あの界隈の方々にとっての「勝利」というのが誰得なのかというのは、なかなか興味深いですねえ(棒)
2013/05/23(木) 22:56:18 | URL | マシナリ #-[ 編集]
本当はこっちにコメントしようと思ってたんです(笑)

リフレ派が派閥や思想集団ではないと、リフレ派は言いますが、リフレ派自身がかなり党派性を持った行動をとっています。

リフレ界隈で私が危惧しているのは、彼らが「弱者にも配慮のある」と思わせる行動と取っていることです。概して彼らは労働者の報酬や権利には冷淡極まりないにもかかわらず、労働を介さない貧困には温情主義なんですよ。ベーシックインカムとか負の所得税とか。

なぜか。普通の道徳や常識では、労働は尊いものであり、それゆえ労働者に厳しい人は無職にはもっと厳しいはずでした。例えば、片山さつきは、「働いている人が苦しんでいるのに、なぜ働かない者が税金で食ってるのか」というようなことを言ってるわけです。片山さつきはどう見ても労働者の味方ではないですが、理屈は通っているし、私も働いている人と働いていない人の逆転解消は当然と思います。

しかし、リフレ派をはじめとする「労働者の保護はもう止めてBIにしようよ」派は、筋が通らないような弱者保護を主張している。

リフレ派に限らず、城繁幸という反労組のコンサルが異様なほど生活保護擁護に走ったり、ライブドア元役員の小飼弾がベーシックインカムを唱えたりと、とにかく怪しい動きを見せています。

私は、これらの動きは結局のところ、「反労働者」運動であると思っています。労働の価値を否定し、労働者を「乞食(失礼!)」の地位まで落とすことで資本の力を高める。労働の神聖性が認められないゆえに、権利擁護としての労働運動は崩壊します。

生保問題で城繁幸を表彰した団体は本当に罪が重い。

彼ら「弱者にも配慮のあると見せかけている」労働規制廃止派が、消費税を憎悪しながら賃金労働者に厳しく経営者に優しい所得税増税を連呼していることも、非正規や派遣を慮る振りをした「反労働者」派であることを表しているのではないでしょうか。(累進強化=高所得者バッシングを叫べば弱者の味方だーっていう発想が古すぎて呆れる)

2013/06/21(金) 19:35:13 | URL | 中道の労組役員 #-[ 編集]
> 中道の労組役員さん

> 本当はこっちにコメントしようと思ってたんです(笑)

なるほどそうでしたか。いろいろコメントいただいた中にはよく理解できない部分もありますが、

> リフレ界隈で私が危惧しているのは、彼らが「弱者にも配慮のある」と思わせる行動と取っていることです。概して彼らは労働者の報酬や権利には冷淡極まりないにもかかわらず、労働を介さない貧困には温情主義なんですよ。ベーシックインカムとか負の所得税とか。

と指摘されるように、一部のリフレ派と呼ばれる方々にその傾向があるのは私も同意します。しかし、リフレ派と呼ばれる方々に対してその点を批判をしても、「社会的弱者や低所得者層にも恩恵があるのだからリフレーション政策が必要だ」という正論しか返ってきませんね。

「大きな正論」としては全くその通りなのですが、個別の分野ではその「大きな正論」に包まれた信条の違いが浮き出てきて、それについて個別に批判すると、また「大きな正論」で反論されるというのが一部のリフレ派と呼ばれる方々の議論の特徴ではないかと思います。

「大きな正論」以外でバラバラという点では、リフレ派は派閥や思想集団ではないというのはその通りなのでしょう。しかし、リフレ派に見られる上記のような議論は、中道の労組役員さんがおっしゃるような「反労働者」的な議論を止めることができないばかりか、「大きな正論」で包むことでむしろそれに根拠を与えてしまっているのが現状ではないかと思います。

拙ブログで言えば、

> まあ、男性正社員が家計を支えているうちは社会保障なんぞ構う必要がないほど生活が保障されるというのが、日本型雇用慣行が有する世界的に特筆すべき優位性ではありますし、それが「男性正社員」と「労働者」を同一の概念でくくることを難しくしている側面はあるのでしょう。
> (略)
> こうした問題意識を持つ者としては、医療や介護などの現場での現物支給を中心とした社会保障制度を拡充することによって、直接的には現物支給を担う雇用を創出し、間接的には企業の負担を減らして*1企業の雇用を増やすという方策を検討することはあながち無意味ではないと思うのですが、一部のリフレ派の「金融緩和一筋・再分配はインフレ税で」な方々には、こうした方策は特に「無駄が多くてけしからん」政府を経由する分だけ邪道に映るようです。

「「労働者」とは何者か(2011年07月03日 (日))」
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-456.html

とか、そのエントリでリンクした

> 往々にして還元される方々は少数派の低所得層であることが多い一方で、還元されない(と思われる)方々の多くは中高所得者であるということではないかと思います。つまり、増税で確保された財源がなければ所得再分配を受けることができない(と思われる)ほどには低所得でない方々からすれば、そりゃ確かに増税は景気後退だと思えるでしょうし、それが多数派になれば、マクロ経済で見ても景気後退が現実化してしまうかもしれません。そして、その方々が多数である以上は、増税によって低所得者層に再分配するなんてことは不況下でやってはいけないことになってしまうわけです。
「新閣僚のあざとさ(2010年09月22日 (水))」
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-420.html

というような「男性正社員」に特有の議論が「リフレ派的」であるところは何も変わっていないと感じますね。
2013/06/22(土) 10:26:04 | URL | マシナリ #-[ 編集]
> 往々にして還元される方々は少数派の低所得層であることが多い一方で、還元されない(と思われる)方々の多くは中高所得者であるということではないかと思います。

中所得正社員の利益を代表している(と自称している)者なので、非常に興味深い話です。中所得者が、自らの不利益と低所得者の利益に大反対するのは当然ではないでしょうか。私だって「中所得者から増税して、低所得者に配る」という政策には、断固反対しています。
再分配の議論は対立点を明らかにするのが良いと思ってます。「領土問題は無い」というのは「相手にしない」ということで、それが外国なら問題ないのかもしれませんが、国民のあるグループに対して「相手にしない」のは許されない。だからある種の財政学者が、「収入のある人から税金をいっぱい取って低所得者に(サービスでも現金でも)ばらまけば国全体がよくなってみんな得をする」という不誠実な論を苦々しく感じています。小野さんとか神野さんみたいに「増税しても損害は無いよ」というのは「利害問題はない」=「損害を受ける奴は相手にしない」論なので中間層にとって酷い話ではないですか。

「問題は無い」というのは必ず「得をする方」なのであり、「損をする方」からすれば「問題がある」と批判するのが当然。一部財政学者の利害・問題点を切り捨てる理論は「誰も損せず、誰もが得する(飯田や萩野は高所得者叩きもやってるからともかく)」リフレ派と表裏一体、財政学者に反論すら許されず自分が得た収入を取られる中所得者がリフレワールドに逃げ込んだとしても私は批判するに忍びない

では、再分配は無理なのか。中所得者以上の人と低所得者・貧困層は必ず対立する運命なのか。
そうではないと思います。

消費税でやればいいんです。というか「消費税で再分配する」という具体的方法が重要では?
「消費税では再分配できない」とか「むしろ逆再分配だ」というのは悪質なプロパガンダです。一率課税ですら再分配機能はあります。逆に再分配は累進課税でなきゃならない理由は無いと思います。困っている人を支えることに、成功者を引き摺り下ろすことを付随させる必要はないしね。

自分がサラリーマンだからというバイアスもあるけど、もうこの期に及んで所得を税源とする必要はないと考える。広く浅く払ってみんなで支え合えばよいのです。所得を税源にするのは、不透明・非効率・不公平と思っている。イデオロギーに囚われるべきじゃない
自分自身が「相手にしない」は良くないと言ってきたので共産党系だろうと社民党だろうと意見を交換するのだが、「自分(の支持層からは)一円も払いたくない」という話ならこれ以上先に進まないじゃないか。

消費税は必要悪じゃなくて善だと思っている。ほとんどそういう話が出てこないし増税する側も報道する側も諦めているんでしょう。危険な状況だと思いますよ

我慢できずに書きました。とにかく誰かに言いたかったのです。私を含む消費税信者の伝え方が悪いのでしょう。理解されないのは苦しい。ブログ汚してしまいすみません。
2013/06/22(土) 13:19:39 | URL | 中道の労組役員 #-[ 編集]
> 中道の労組役員さん

消費税率の引き上げについては、所得再分配はもちろんのこと、社会保障サービス(医療・福祉、教育・保育)の財源として重要なのですが、クルーグマンも指摘するとおり、中間層への課税は不可欠であって、そのためにも中間層が増えるような経済政策が必要だと考えます。

「マクロからミクロへのナローパス(2010年05月05日 (水))」2010/07/29(木) 01:07:15 | URL | マシナリ #-[ 編集]
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-391.html#comment243

また、増税に関するクルーグマン、スティグリッツの教科書上の記述について、別エントリをアップしましたのでご覧いただければ幸いです。
2013/06/22(土) 19:11:04 | URL | マシナリ #-[ 編集]
>再分配はインフレ税で」な方々には、こうした方策は特に「無駄が多くてけしからん」政府を経由する分だけ邪道に映るようです。

「無駄が多い」というのは本質的な問題ではないと思います。本質は現物サービスを通した再分配の程度問題で、これは無駄が多いとか少ないとかいうことではなく、現物サービスを通した負担増と再分配拡大は、個人の経済的自由度と家庭の自由度を奪うことです。これを私は危惧しています。もちろん程度問題ですが。

個人が貯金もできないほど絞られ、政府のサービスに100%依存し、家庭ではフルタイムの共働きを強制されるという管理国家は恐ろしいように感じます。現物サービスによる再分配の問題は、無駄が多いということではなく、国民の自由を認めないことです。そういう国は普通のサラリーマンでも収入の半分くらい持ってかれる国では働いても豊かになれないし、努力が報われないです。ワークフェアなのに、かといって努力や能力が報われるわけじゃない。恐ろしい制度じゃないですか??

朝日新聞に、北欧は女性が働ける国なのではなく、女性が働くことを強制されているのであり、働かないと食えないうえに重税を課されて手元に残らない、日本の福祉国家論は無邪気すぎる、というスウェーデンに住んでいる女性からの投稿が載ってましたが、私も完全に同意で、国民の生活を補完して豊かにするはずの行政サービスが、国民に残酷な労働と重税を強制し、家庭機能のアウトソージングを強いて家族を崩壊させ、努力が報われるという向上心を奪って低位での平等を押し付けているとすれば、本末転倒ではないでしょうか。

だから中間層が増税を拒否するのは、陰謀論に汚染されているとか、誤解とか偏狭さではなく、増税再分配プランが中間層に有害だから、です。無駄とか非効率は後付の理由で、理論的にも本能的にも有害なプランを拒否するのは当然です。

「「無駄」批判の空中戦によって負担増がはばまれている」、という世界観は中間層の損害を無視する上で都合が良いのですが、むしろ無駄批判に甘えて、階層の対立、利害の対立など無いかのように振る舞うほうが、空中戦なのだと思います。

> 往々にして還元される方々は少数派の低所得層であることが多い一方で、還元されない(と思われる)方々の多くは中高所得者であるということではないかと思います。

自分たちが損をすることに対して、拒否することは、当然です。
だから、喧嘩する。
のではなく、三方一両損の道を考えるべき。

先に、福祉国家を批判しましたが、程度問題と「負担の方法」によって様々だと思うんです。

政府が大きいとか小さいとか論じてもあまり重要ではないなと。大きい政府でも負担が公平なら(そして過度でないなら)問題ないじゃないかと思います。

大きな政府でも、フランスの歳入構造は、素晴らしい。大きさではなく、中身が重要なんだ。
だから、「政府規模を大きくするから、お前らが払えよ」と言われれば、断固「拒否」します。
一方で、「みんなで広くフラットに払いましょう」と言われれば、喜んで払いますよ。喜んで払うと言っているのに、「俺は一円も払わんけど行政サービスは拡充しろ」という方が少なからず居るようです。悲しく、憤りを感じます。

「中間層増税の同意が得られない!」と困惑している人々には「何を今さら」と思います。高所得者が何ら根拠のない累進課税を負担してきたのは、彼らが少数で弱かったからにすぎません。いじめるターゲットの人数が増えれば、抵抗の波が大きくなるのは当たり前、それが分からず右往左往している人は、実は「負担を強いている」自覚がゼロなんじゃないか。

だから、もう誰かをいじめたり搾取するのはやめて、みんなで負担しましょうよ、と思うのです。消費税で。
2013/06/23(日) 14:28:02 | URL | 中道の労組役員 #-[ 編集]
> 中道の労組役員さん

こちらもコメントが多岐にわたっていますが、結論が消費税率引き上げに賛同するということであれば、私も概ね同意いたします。
2013/06/24(月) 00:39:55 | URL | マシナリ #-[ 編集]
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