2013年05月04日 (土) | Edit |
積ん読の処理という経済活動には全く貢献しないGWを過ごしているわけですが、それにつれて更新頻度も上がってしまいます。というわけで、すなふきんさんが

と推薦されていたので片岡『アベノミクスのゆくえ』を拝読しました。確かに本書では、「3×3のフレームワーク」により各政策分野に目配せをしてバランスのとれた議論を進めようという意図が感じられて、金融政策「のみ」を重視している「ように見える」リフレ派と呼ばれる一部の方々の著作よりもお薦めできると思います。しかし、そうしたバランス感覚に重きを置こうとする姿勢が、かえってリフレ派と呼ばれる一部の方々の議論のアンバランスさを浮き出させているように感じます。

そのバランス感覚については、たとえば「はじめに」で、

 しかし悲観論が現実化して困るのは、予言めいた口ぶりで悲観論を語るアジテーターではなく、日々の暮らしを営む我々国民です。とすれば、悲観論が現実化してしまう事態をなんとか打破する必要があるのではないでしょうか。悲観論を脱して、少しでも物事が好転する方法を積極的に考える必要がある。だから今こそ、特に経済政策を考えるときには、「これができるんだ」とポジティブに考え、特定の人々だけを豊かにするのではなく、日本全体をより豊かにするために何をすべきか、現在の流れを活かしながらよりより方向へと進めるためには何をすべきか、を考えていくことが必要なのです。
p.21

アベノミクスのゆくえ 現在・過去・未来の視点から考える (光文社新書)アベノミクスのゆくえ 現在・過去・未来の視点から考える (光文社新書)
(2013/04/17)
片岡 剛士

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※ 以下、強調は引用者による。

とされていて、強調した部分については全面的に賛同するところでして、安易な陰謀論に偏った悲観的な「亡国論」を堂々と披露される方々にも是非ご一読いただきたい文章ではあります。その上で、本書は岩田・飯田『経済政策ゼミナール』に従って「経済安定化政策」「成長政策」「所得再分配政策」を「3つの政策手段」と位置づけるわけですが、拙ブログで引用しているところからすれば、マスグレイブの財政政策3機能論を岩田・飯田流にアレンジしたものと思われます。

そのようなスタンスにたつ本書では、アベノミクスを「3つの政策手段から所得再分配政策を除いた、経済成長に力点を置いた政策」(p.183)としながら、「野党がアベノミクスに明確に反対すべきは、適切な所得再分配政策を行うという視点が欠けている」(p.333)と所得再分配政策については矛先を野党に向けてしまっています。うーむ、アベノミクスを論じるのであれば、野党に責任を押しつけるのではなく与党としての所得再分配政策そのものを論じる必要があると思うのですが。

上記のリンク先(「いままでやられたことのない政策」の分析)では、飯田先生から直接いただいたリプライに対して、さらに恥の上塗りをしているところですが、本書でもマイナンバーの導入で所得を捕捉して給付付き税額控除などの給付政策を行うことが提言されていて、頭を抱えてしまいます。マイナンバー制というのは、現状で捕捉できている納税者の情報を結合するものであって、それによって捕捉率が劇的に向上するというものではありません。そもそも、給付付き税額控除というのも所得再分配が目的ではなく、給付を受ける方の勤労意欲をそがないでアクティベーションを計るための政策と位置づけるべきものだろうと思います。一部のリフレ派と呼ばれる方々が好んで引用される「ティンバーゲンの定理」とか「マンデルの定理」によるのであれば、給付されているから所得再分配政策だというのが筋違いであり、所得再分配を現物給付するための供給側の処遇改善による安定供給が急務であることは上記のリンク先(「いままでやられたことのない政策」の分析)でも指摘させていただいております。

さらにいえば、「経済安定化政策」「成長政策」「所得再分配政策」というのは確かに経済的な分析には有用な機能分けかもしれませんが、実務上は同一の事業にそれぞれ不可分の要素として入り込んでいるのが現実です。ある事業について「これは成長政策ではあるが所得再分配政策ではない」とかいちいち腑分けできるものではありません。となると、ある事業が「成長を通じた所得再分配」となることがあり得るでしょうし、逆に「所得再分配を通じた成長」となることも十分にあり得る話だろうと考えます。というか、それが権丈先生から受け売りして拙ブログで飽きもせず指摘している再分配論でもあります。

まあ私のような門前の小僧がぐだぐだ書くより、権丈先生ご自身の解説をご高覧いただくのが吉かと思います。
社会保障と係わる経済学の系譜序説」『三田商学研究』2012年12月
社会保障と係わる経済学の系譜(1)」『三田商学研究』2013年2月
前者のp.73(pdfでは17ページ目)にあるこの記述が、リフレ派と呼ばれる一部の方々の再分配論が的を射ない理由を示しているのではないかと思います。

 図表4をみれば、ノードハウスとの共著になった第12版以降もなお、サムエルソンたちは、自分たちの経済学が近代主流派経済学の中にあると考えていたようである。そうした経済学説史観に基づいて、現代の経済理論、経済思想、それに強く依拠した形で展開される社会保障を論じることは難しい

社会保障と係わる経済学の系譜序説」『三田商学研究』2012年12月

リフレ派と呼ばれる一部の方々が上記のような筋違いの所得再分配政策を提言したり、「社会福祉とか社会保障って経済学の理論にうまく組み込めない」っていうのも当然なのかもしれません。

(付記)
ついでながら、片岡本では、1997年の消費税率引き上げの際に先行して減税が行われていることが述べられていて、この点でもいわゆるリフレ派による著作とは一線を画しています。しかし、その消費税引き上げの際に社会保障給付の増額が行われていたことは触れられていなかったり、そもそもの国民負担率の国際比較など財源論がほとんど考慮されていません。誰に再分配するかと同時に、再分配するための財源をどこからどのようにして調達するかこそが所得再分配政策の肝であって、その点でも本書のバランスがイマイチであることが目立つように思います。
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