2013年03月11日 (月) | Edit |
震災から2年が経過しました。この一週間ほどはテレビでもいろいろな特番が組まれていたり、被災地からの中継も数多くあったようです。「あったようです」というのは、仕事が山積みでほとんどテレビを見るヒマがないので、新聞のテレビ欄で見たり職場で会った方々から「こんなことやっていたよ」と教えてもらう状態だからです。で、今日も仕事から帰って番組表を見てみると、NHKでこんな番組があるようです。

NHKスペシャル 東日本大震災「故郷を取り戻すために~3年目への課題~」
2013年3月11日(月)午後10時00分~10時58分

東日本大震災の発生から2年。この間、津波で甚大な被害を受けた東北の沿岸各地では、がれきの撤去が一段落し、町ごとの「復興基本計画」が出そろった。現在、この基本計画に沿って、住民の高台移転と沿岸部の再整備が急ピッチで進められようとしている。ところが、莫大な国費も投じて動き出した各地の復興事業が、いくつもの壁にぶつかり暗礁に乗り上げている。番組はその現実を、①想定外の人口の流失や企業誘致失敗によって生まれようとしている膨大な「事業空白地帯」、②被災者同士による「住民合意」の膠着状態、③膨大な復興業務による「自治体職員の疲弊」という三つの視点から浮き彫りにし、課題解決の道筋を探していく。

①の「企業誘致失敗」というのが具体的にどのようなことを指すのか分かりませんが、震災前のエントリで「労働法規を遵守することは企業の競争力が下がることにつながりますので、「地域主権改革によって地域間競争を促進してムダを排除する」というスローガンの裏側では、そのような労働条件の切り下げが行われる可能性が高い」と書いたとおり、企業誘致して雇用が創出されたところで、労働環境が改善されることはほとんどありません。

実際、沿岸の被災地では水産加工業での人手不足が問題となっているのですが、地元企業では賃金アップなどの待遇改善を図るところもあるものの、誘致企業では「震災前は最低賃金でも人手が確保できたのに、震災後は建設業や緊急雇用で相場より高い賃金の仕事が増えてしまって、最低賃金では応募がなくなった」と公然と言ってのけるところもあります。結局、誘致企業にとって最低賃金の低い被災地の労働者というのは、「ほかに仕事がないから最低賃金まで買い叩ける」労働者でしかなく、それを超える待遇を求めようものなら、「そんなカネは払えない」といわれてしまうのが実情です。NHKスペシャルで取り上げる「企業誘致失敗」はおそらく、単純に「具体的な土地の利用が決まらないために企業誘致が進まない」ということではないかと思いますが、では実際に企業誘致することが「成功」といえるのかは微妙なところです。

②の「被災者同士による「住民合意」の膠着状態」という点については、震災から2週間の時点で「権利関係もまっさらにできるとお考えなのかもしれませんが、それは非現実的です。権利をそのままにして建物を復旧するよりも、移転させて住居を提供するという補償のほうが高くつく可能性もある」書いたとおりですが、住民それぞれの権利がべったり張り付いた土地の利用について、そう簡単に合意形成できるはずがありません。建前論はともかく、現実の事業として実行するためには、「「悲しくない行き違い」の所在をお互いの立場の中で相互に探り合い、できるだけ少ない遺恨を残しながら進めるしかないのではないかと考えるところです。この国では、その間に入って悪役に仕立て上げられながらその遺恨を背負い込むのも行政の大事な仕事ですし」という割り切りが必要と考えます。

で、その遺恨を背負い込む行政の職員については、拙ブログで散々繰り返しているとおり公務員不足が足かせになっていて、まさに「③膨大な復興業務による「自治体職員の疲弊」」という状態です。「いままでラクしてたんだからいいざまだ」という公務員嫌いな方にも少し考えていただければと思うのですが、自治体職員をいくら疲弊させたところで、被災地の復興は進むどころか停滞するばかりです。政治改革に翻弄された公務員を悪玉に仕立て上げるような番組とか、自治体職員の仕事の現場を疲弊させるような番組を作ってきたNHKが、どの口でそれを言うかというところもありますが、どんな「課題解決の道筋を探していく」内容になっているのか録画してみようとは思います。

こうして、節目に「あの日を忘れない」という特番が組まれること自体の意義は否定しませんが、実務屋の端くれとしては「人は忘れるもの」という視点から山口先生が指摘されていることが重要だと思います。

これこそ、今まさに起きつつある「忘れる」の現場だ。いつか起きるかもしれない大災害への備えと、日々の暮らしが天秤にかけられ、そして後者をとった人々に共感が示された。「忘れる」をもたらすのは、人々の身勝手でも政府の怠慢でもなく、このような、それぞれに汲むべきところのある意見や利害の衝突だ「正義の敵は悪ではなくまた別の正義」などとよくいうが、それと少し似ている。

上記のニュースの例で、衝突を回避する方法はないではない。行政がいったん再建された店舗や住宅の所有者に対して充分な補償をし、移転先での生活再建にも万全の対策をとることで、問題の多くの部分は解決できる。報道の方々はおそらくそう主張したいのだろう。しかしここには、そのコストを負担するのは最終的には国民だという視点が抜けている

1つの事例に対応すれば、他の事例でも同じ基準を適用しなければならない。行政が計画をまとめるまで自らの生活再建を犠牲にして待った人々とのバランスはどうなるのか。東日本大震災での被害の規模からいって、また今後発生するであろう大災害を考えればなおさら、単に政府が金を出せばいい、ですむ話ではない。いわゆる「ディープ・ポケット」がディープなのは、それが私たち全員の財布に直結しているからだ。必要なコストを負担するのはいいとして、それが野放図に拡大してもいいと思う人はいないだろう。これらもまた「汲むべき意見」だ。

個別事例について判断を下すことが目的ではないから、一般論に戻る。「忘れる」ことがいいとか悪いとかいっているわけではない。「忘れる」こと自体は私たち人間が生来持っている性質なのであって、それ自体に善悪はない。「忘れる」ことで、人間は貴重な教訓を生かせないこともあれば、よりバランスのとれた考えに至ることもある。考えるべきなのは「忘れる」を前提とすること、言い換えれば、「忘れる」という人間の性質をいかに生かすかということと、忘れると実害のあることについては制度化するなど忘れてもいいしくみを作ることだ。

「よりよく忘れる」ということ(March 10, 2013)」(H-Yamaguchi.net
※ 強調は引用者による。

自治体職員が疲弊しているのは、こうした「それぞれに汲むべきところのある意見や利害の衝突」の現場です。職員自体が少ない自治体にいくら予算をつけたところで(補償額が青天井ならともかく)、職員が直面する利害調整の現場が劇的に改善するわけではありません。「被災地の復興が進まない」という表層的なものいいではなく、お互いが我こそは正義だといいながら主張される利害を調整することで何とか制度が機能しているという実務の現実を、被災地の現実から共通認識として共有する必要があるのではないかと思います。忘れてはならないのは、そうした実務が現実を動かしているという事実ではないかと思うところです。
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