2013年01月15日 (火) | Edit |
というわけで、「自助努力しないと支援しない」という矛盾を歴史的経緯から考えるための材料として、新氏の『商店街はなぜ滅びるのか』が参考になります。といいながら、帯の文句に『中島岳志氏絶賛!」とか「上野千鶴子氏推薦!」とデカデカ書いてありまして、読む前にそれなりの覚悟が必要でしたが、実際本書は新古典派経済学や(旧来の)社会学に対する痛烈な批判から始まります。まあその辺は華麗にスルーして、本書の問題意識が第1章に述べられています。

 近年、「雇用の流動化」がよく取り上げられる。だからだろうか、かつて存在していた日本社会の安定は、「日本型雇用慣行」(長期雇用、新卒一括採用、年功賃金など)に支えられた「雇用の安定」からのみ捉えられてきた。
 だが、こうした見方こそが大きな問題である。戦後日本社会の政治的・経済的安定は「雇用の安定」だけで実現したわけではなかった。戦後日本は、商店街の経営主をはじめとした、豊かな自営業によっても支えられていた。つまり、「自営業の安定」という、「雇用の安定」とは別の安定がしっかりと存在していたのである。とくに本書で注目したいのは都市型自営業の安定である。
pp.18-19

 わたしは、「自営業の安定」をそのまま元に戻すというよりも、雇用と自営の中間形態である協同組合や社会的企業を中心に商店街を再構築することを考えているが、そのためにもこれまでの商店街のあり方について検討しなければならない。だからこそ、商店街の歴史をひもとこうというわけである。
p.45

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)
(2012/05/17)
新 雅史

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日本社会の安定が「雇用の安定」のみから捉えられていたというのは、冒頭でやり玉に挙げられている新古典派経済学や旧来の社会学への批判なら理解できなくもありませんが、拙ブログでも取り上げさせていただいている海老原さんも自営業の大幅な減少が雇用の不安定化につながっていると指摘されているところでして、やや一面的に過ぎると思います。拙ブログでも1年ほど前に「失業問題に対して雇用対策を講じるというのは一側面からの見方であって、その地域においてどうやって生活していくかというトータルな視点が必要となっている」と指摘しておりまして、「その地域においてどうやって生活していくかというトータルな視点」が被災地の復興を考える際に不可欠である以上、自営業を含めた生業の確保が復興のポイントとなっています。おそらく新先生もこの点を指摘されているのだろうと思いますが、勢い余ってアカデミズムに対する批判まで混ぜ込んでしまった印象です。

それはともかく、新氏は本書で「中間的形態である協同組合や社会的企業を中心に商店街を再構築することを考えている」とのことですが、これってまさに前述したようなグループ補助金という制度の趣旨に重なっていますね。hahnela03さんが指摘されるように、これを法律の面から制度的に規定しているものが中小企業組合法や中小企業団体法となるわけですが、本書によるとこの法律が制定されるまでの経緯は、どこかで見たような左派と右派の入り組んだ意思決定過程があったようです。

本書からごく乱暴にまとめると、当初は零細農業者を救済するための産業組合法が1900年に制定され、これが一定の成功を収めたことから中産階級による協同組合が設立されましたが、当時の協同組合は購買組合として設立されたものであって、現在のように供給側ではなく需要側の組合でした。その当時は、中小商業者が不当に価格を騰貴させて物価が高くなっているという点に問題意識があり、個人ではなく集団で購買することにより中小商業者に対抗することがその目的であって、当初は中小商業者が有利な立場にあったわけです。

こうした不満に対応するために一部では公設市場が設立されたりしましたが、それを商機とするビジネスが登場するもので、関東大震災を期に大衆化した百貨店がそこに参入します。このため中小商業者は一転して弱者となり、強者たる百貨店からの保護を政府に求めるようになります。そこに商学者が提唱して政府が取り入れたのが、地域としてのまとまりを構築するとともに、中小商業者を横の百貨店として共同組合化する「商店街」という考え方だったとのことです。さらに、戦時体制下で酒屋や米屋に免許を与えることによって「地元商店街」が国の制度として構築され、戦後はこれが既得権として継承されていることになります。

戦時体制下で権限を与えられた側が戦後になるとそれを守りに入るというのは、まるで産業報国会からポツダム労働組合への流れと同じような流れがあったわけですね。となると、戦後は労働組合と同じく、戦時体制下で与えられた既得権を守ることが商店街の至上命令となるわけですが、当時その利害を代表したのが日本社会党で、百貨店の出店や営業時間を規制する「新百貨店法」を提出して成立させます。この動きからすると、少なくとも日本社会党にとって、戦後間もない時期までは社会の安定は「雇用の安定」と「自営業の安定」によると認識されていたのではないかと思われます。この後、この勢いに乗って中小企業のカルテルを一定程度認める中小企業団体法が制定されることになりますが、日本社会党の迷走ぶりにその政策の位置づけの難しさが表れています。そのときの経緯を長くなりますが引用すると、

 中小企業団体法によって中小企業の権益が急速に強くなるため、主婦連・日本生活協同組合連合会(日生協)は反対の声をあげた。中小企業の保護は物価上昇につながると考えたからである。この法律への反対運動は多様な層を巻き込み、最終的には、全国規模での消費者団体である消費者団体連絡会の設立につながった。
 中小企業団体法の是非は戦後知識人・世論を巻き込み、大きな社会問題となった。最終的には、日本労働組合総評議会(総評)をはじめとした労働組合陣営もこの問題に乗り出し、保守と革新の対立という様相を呈することになった。
 さらに、同法案が職業選択の自由をも奪うものであるとして、全国消費者団体連絡会が、東京地裁に憲法違反で訴えるという動きまであった(「消費者保護法つくれ」『朝日新聞』1957年10月30日)。
 だた、中小企業の問題は根が深かった。中小企業層は各政党にとって敵に回したくない有力な集票層だった。だからといって、主婦たちを中心とした消費者運動を否定することも選挙に悪影響を及ぼすし、貯蓄を活用した製造業育成やインフラ整備も進まなくなる。このように複雑に利害関係が絡むなかで、法案審議は難航を極めた。
 とりわけ混乱したのが日本社会党であった。日本社会党は当初中小企業団体法に賛成だったが、経済団体連合会、日本百貨店協会などの大企業団体、主婦連などの消費者団体、総評や新産別(全国産業別労働組合連合会)など労働組合の中央組織からの強い圧力もあって、その後反対に回った。結局、日本社会党は自民党に譲歩を迫りつつも、中小企業団体法に賛成することになった(1957年に成立)。

新『同』pp.110-112

労働者の政党であったはずの日本社会党が、労働組合のみならず経済団体連合会や日本百貨店協会などの大企業団体からの圧力を受け、さらに貯蓄を奨励する主婦連からの圧力まで受けるというカオスぶりが日本の政党政治の複雑さを示しているのかもしれません。この後さらに、1962年に商店街振興組合法が施行されて、商店街に対して補助金の交付をはじめとする手厚い保護が制度化されるわけですが、その後の時代の推移はスーパーマーケット、郊外の大規模店舗、商店街の中のコンビニの急増と進展していき、「地域のまとまりを持つ横の百貨店」として構築された商店街が衰退していくこととなります。となれば、中小商業者を中心とする商店街はさらなる「弱者」として保護を求めるようになり、新自由主義的な勢力からは既得権益として批判される側になっていったというのが、新氏の分析となります。

本書ではこのほかにも跡継ぎ問題など商店街の抱える問題が分析され、このような状況を踏まえて、新氏は、商店街(とそれを構成する中小商業者)が自らを「弱者」として保護を求めるのではなく、商店街が独自に有する機能に特化するような取組を進めるべきであって、そのために「中間的形態である協同組合や社会的企業を中心に商店街を再構築することを考えている」とおっしゃっているのだろうと思います。私もその方向性についてはおおむね賛同するところですが、ではそれを実際に進めるための制度が、果たしてグループ補助金なのかというのは大いに疑問が残るところですね。理念があろうと、それを実現するための補助金があろうと、それを使う側にとっては「書いて出せばだれでももらえる補助金」であって、跡継ぎのための資産として商店街が残っていくという運用がされかねないわけですから。

という点では、社会の安定が本当に「雇用の安定」と「自営業の安定」という「両翼の安定」(p.26)によって支えられていたのかという点に立ち返って、むしろその「両翼の安定」こそが本書で厳しく批判されている「日本型福祉社会論」(自民党1979年)を生み出したのではないかという点を吟味する必要があると思います。本書で新氏は、

 そのなかで、官僚組織・圧力団体・族議員の三者が強固に結びついた「鉄の三角形」が変容する。自民党の支持層はこれまでの保守(自営業層)と新しい保守(都市勤労者)に分裂し、後者が勢力を伸ばす。それが次に見る「日本型福祉社会論」と「企業中心主義」の主張へと帰結する。

*日本型福祉社会論

 日本の高度成長をささえたのは企業につとめる(男性)都市勤労者たちである−こうした企業中心の日本社会イメージがオイルショックをきっかけとして強まる。そして、そのイメージをもとに都市勤労者家族を前提とした公共政策の方針がつくられたという点で、自由民主党による1979(昭和54)年の「日本型福祉社会論」がきわめて重要である。日本型福祉社会論とは、オイルショック後の西ヨーロッパ社会−とくにイギリス−を反面教師とした福祉構想のことである。

新『同』p.146

とおっしゃるわけですが、因果関係が逆ではないかと思います。確かに政策を議論する中ではそうしたストーリーが語られているのだろうと思いますが、制度を変えれば社会が変わるという全体主義的な想定はあまり現実的とは言えないでしょう。むしろ、職務中心の労働市場を構築できなかった政府がそう簡単に「日本型福祉社会」なんか作れるわけもなく、強制的な戦時統制下の企業組織を基にして、戦後の労働者による労働運動とかそれに対抗する使用者の生産性向上運動などのせめぎ合いの中で、双方が合意できる労務管理の手法として日本型雇用慣行が形成されたというべきではないかと。そこにあったのは、戦前からの財閥系の大企業はもちろんのこと、戦争前後は「自営業の安定」を担っていたはずの戦後の大企業だったわけです。そして、国民負担率の低いこの国で所得再分配を行おうとしても、その日本型雇用慣行を基にしなければ現実の政策として所得再分配が機能しなかったというのが実態ではないかと思います。

商店街や自営業の安定を図るためには、そうした日本型福祉国家を形作った自営業たる企業を通じた所得再分配をどう位置づけるのかという問いに回答を与える必要があると考えます。その回答は、グループ補助金を増額することの意味を問い直し、被災地の復興がどのような形を目指すのかという問いにも方向性を示すことになるはずです。
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コメント
この記事へのコメント
> 世辞体制下で与えられた権限が

> 戦時体制
に修正しました。その他も文言整理しました。
ご指摘いただいた方ありがとうございました。
2013/01/17(木) 00:51:51 | URL | マシナリ #-[ 編集]
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