2012年11月25日 (日) | Edit |
というわけで、実際の仕事の現場ではモチベーションが上がらないといわれるルーチンワークの方がよりクリティカルな役割を果たしていることと、それを無視したモチベーションアップ至上主義がブラック企業の存在を許している状況について前回、前々回と確認してきたところでして、では「ブラック企業の存在を許さない状況」とは何かを考える上で、その名も今野『ブラック企業』が大変参考になります。

とはいいうものの、実は本書で今野さんは慎重に「ブラック企業」の定義を避けながら論を進めます。その理由を説明した部分を引用させていただくと、

 本書では、ここまでブラック企業に明確な「定義」を与えることを、あえて避けてきた。ブラック企業に定義を与えることは、想像以上に難しい作業だからだ。多くの書籍では、ブラック企業問題を「違法な企業」の問題としてとらえている。だが、もし単に違法な企業をブラック企業と呼ぶならば、それは昔から日本に存在することになる。いうまでもなく日本では従来から「サービス残業」に象徴される違法行為が後を絶たない。「労働法は道路交通法と同じくらい守られない」とも言われてきた。「違法行為」だけでブラック企業を定義しようとすると、「昔から日本企業はブラック企業だ」という結論にしかならないのである。
 だから、一般的なブラック企業の説明は、実は「ブラック企業問題」の本質的側面を見落としている。「使い捨て」がどうして発生し、どうして抑止できないのか。こうした社会構造こそが問題の本質なのであって、違法行為をしている「悪い企業」をいくら個別にあげつらっても、問題の核心は見えてこない。
p.180

ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)
(2012/11/19)
今野 晴貴

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※ 以下、強調は引用者による。

正直なところ、この記述が出てくるまでは、本書で取り上げられている「ブラック企業」の事例は「ブラック企業」として問題にすべき職場の姿のごく一部でしかないのではと思いながら読んでいました。というのも、本書の前半では、新卒を正社員志向とか上昇志向により選別し、そのモチベーションを利用しながら摩耗するまで使い捨てていく企業の例が取り上げられているのですが、本書でも言及があるように「過労死」は新卒から間もない若年層だけの問題ではなく、もともと働き盛りと言われる中間管理職の問題でもあったはずだからです。「ブラックな働き方」の問題が若年者問題として取り上げられて初めて、その「ブラックぶり」が社会的な問題として認知されたとも言えそうです。

この点では、海老原さんが上野千鶴子先生との対談の中で、「私の友人の新聞記者の女性たちも、「女性かわいそう論」を書くと、デスクにはねられるというんです。「若者かわいそう論」にすり替えることで、ジェンダー問題を正面から考えさせない大きな「しかけ」になっている、と。」とおっしゃっているのと同じ構図があるように思います。つまりは、もともと過労死を招くようなブラックな働き方が「昔から日本はブラック企業だ」という認識のもとに問題視されなかった状況があって、そこには日本独自の不当労働行為法理に由来する労労対立により機能不全に陥った労使関係の実態が背景としてあり、その機能不全が若年者層に直接影響が出るようになってやっと社会的な問題として注目されるようになったのではないでしょうか。その意味では、今野さんが本書で、

 繰り返し述べてきたように、日本型雇用は長期雇用と年功賃金が付与される代わりに、きわめて強い経営の人事権が確保される。しかも、長期雇用は経営にとってもOJT(On the Job Training)で技術水準を引き上げるうえで役立ち、年功賃金は若者の長期勤続の意欲と企業への忠誠心を養う上で最適であった。若者にとっても、以前よりも安心して働くことができ、モチベーションも増大した。
 しかし、いまの日本の企業別組合には、日本型雇用を守らせるだけの力がない。組織率の低下によって、新興企業ではまったく日本型雇用の「合意」は崩されてしまった。その上、老舗大企業では、正社員の日本型雇用を「守る」ために、日本型雇用の合意の外側に、大量の非正規雇用を生み出すことを許してしまった。こうして、日本型雇用を守る企業別組合の権威は失墜の一途をたどっている。

今野『同上』pp.188-189

というのは、その前に引用した部分もそうですが、やや因果関係が入り組んでいるのではないかと思います。日本の労働組合は、戦時体制下の賃金保障や解雇制限を背景とし、生産管理を行いうる産業報国会を前身として戦後成立させられたものだったために、賃金や待遇に関する規範的な労働協約を締結する能力や意思がそもそも不足していたものと思われます。この辺りの経緯をhamachan先生の『日本の雇用と労働法』から引用すると、

 ここで、日本型雇用システムにおける労働協約の役割を見ておきましょう。日本の古典的労働法制は、労働条件規制について、労働法令が労働協約に優越し、労働協約が就業規則に優越し、就業規則が個別労働契約に優越する、というヒエラルキーを規定しています。これは本来、労働協約が企業を超えて労働条件を規制することを前提に、企業レベルの就業規則に対する優越性を定めたものですが、現実の労働協約はほとんどすべて企業レベルで締結されたものであるならば、両者の規制対象はほとんど重なってしまいます
(略)
しかし、組合組織が企業別であるため産別協約はほとんど不可能で、しかも企業別の具体的な労働条件は就業規則で定めるという慣行はそのまま残ったため、日本の労働協約は依然として労働条件(規範的部分)よりも組合活動などに関する規定(債務的部分)が中心であり続けています。
pp.160-161

日本の雇用と労働法 (日経文庫)日本の雇用と労働法 (日経文庫)
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という状況だったわけで、日本の集団的労使関係の中で明示的に日本型雇用慣行についての合意があったというよりは、労働組合との労使交渉による労働協約では決められない規範部分は、高度経済成長期の人材不足などに対応する必要もあって、使用者側が労働者に一見有利な日本型雇用慣行として形成したというのが実態に近いのではないかと推測するところです。そして労働者に一見有利な雇用慣行であるためには、その労働者の期待を法益として保護すべく、就業規則の不利益変更法理とか解雇権乱用法理とか整理解雇の4要件とかの判例法理が形成されなければならず、一方で長期的に労働者の期待を損なわないよう職能資格給制をとらざるを得なかったのだろうと思います。

つまりは、日本の労働組合はその団結権を人権そのものであるとして社会権とは理解していないために、その社会権を行使して守るべきものを見失っている、とまでいうのは大雑把すぎるかもしれませんが、まあ労働組合が本来の機能を果たしていないという現状は変わりありませんね。そして、労働者に一見有利なようにその期待を保護していた日本型雇用慣行は、期待に対する保護を外してしまえば会社の都合によって従業員をいくらでも使い勝手の良い人材に仕立て上げることが可能な仕組みでもあります。それがバブル崩壊後の護送船団方式や事前規制に対する批判を追い風としながら、成果主義とか雇用の不安定化によるモチベーションアップという意匠をまとって、労働者に見返りのない滅私奉公を強いる仕組みとして機能しているともいえそうです。

という観点からすると、今野さんが

 政府や社会がブラック企業問題で後れをとっている最大の要因は、現状に対する認識が誤っているからだ。本書の冒頭で示したように、政府や学者の基本的な思考枠組みは、「若者の意識の変化」で雇用問題を捉えるという傾向にある。若年非正規雇用や失業の問題を「フリーター」や「ニート」問題へと矮小化してきたことがその現れである。そして、ブラック企業問題に対しても、彼らは同じように「若者の意識」さえ改善させれば、解決する問題だと考えている。
(略)
 これらの問題は、日本型雇用の「いいとこどり」を財界も総じて狙っているということである。「新しいモデル」といいながら、日本型雇用そのものを否定はしないし、これまでの悪弊であるサービス残業は合法化しようとする。もしまったく新しいモデルをつくるというのなら、雇用保障や年功賃金と引き換えの強大な「人事権」や、これを通じた違法行為の横行への取り締りをも視野に入れる必要がある。しかし、新しい「モデル」の核心は残業代の不払いや日本型雇用の補完物である非正規雇用の増大なのである。

今野『同上』p.220

とおっしゃるのは、気持ちはわからないではないですが、あまりに政府や財界の能力を過大評価しすぎだろうと思います。政府や財界が何を言おうが、企業レベルの日本的雇用慣行は経済動向や社会情勢の変化に応じて自らその矛先を変えるのであって、いま起きているブラック企業問題もその現れとして考えるべきではないかと思います。上記のような日本特有の労使関係の歴史からいえば、ブラック企業問題は決して若者だけの問題ではなく、むしろこれまで日本の男性正社員が日本型雇用慣行の中で直面してきた問題でもあって、「若者かわいそう論」にはとどまらない射程を持つ議論が必要となる問題だろうと思います。

もちろん、その議論の過程で、早急に手をつけるべきところから手をつけるために、労働基準監督官を増員して取り締まりを強化することも重要ですし、社会保障の仕組みとして各種の社会保険や職業訓練を拡充することも必要です。その先には、現場の労使が少なくとも自分の職場の規範については自主的に交渉して策定する仕組みの構築が必要だろうということで、今野さんが「労使関係の再生こそが、ブラック企業を規制し、新しいモデルをつくる鍵となる(pp.238-239)」とおっしゃる点は、その方向性に大きく同意する次第です。

でまあ、被災地の労働環境がブラック化していることについてはまたの機会に書ければと思うのですが、本書の最後の部分で興味深かったのが、弁護士や社会保険労務士などの「ブラック士業」についての記述です。

企業側の無限定の命令は若者にとって、生活の見通しがたたない状態を生み出しているが、これは企業にとってもデメリットが大きい。若者の不信感が増大し、離職が増えれば、離職に伴う係争費用、採用費用、育成費用の増大が深刻になってくる。いま現在は「使い捨て」で利益を上げていても、長期的には負担がのしかかってくるはずだ。
 この状態で利益を得ることができるのは、国内の市場を無視した一部のグローバル企業と、労使が争うことで漁夫の利を得ようとする悪徳な弁護士だけである。悪徳弁護士は、ルール不在であるが故の商売を行っているが、社会悪というほかない。これによってますます社会的な費用がかさみ、日本の生産性や国際競争力は地に落ちていくことだろう

今野『同上』p.234

ブラック企業が社会的な負担にただ乗りしていることは、私も以前「本当のブラック会社ってのはおそらくこういう構図をわかっていて、従業員を酷使して使い捨てしようと、その従業員は泣き寝入りするか役所のお世話になってしまうと踏んで、自分の懐は痛まないと高をくくっているような会社をいうのではないかと思います」というようなことを書いていましたが、さらにそれをビジネスチャンスとして企業に売り込むブラック士業もいるわけです。経営法曹会議などはまともですが、そうした経営法務などには関心もないブラック士業によってブラック企業のフリーライドが止まらないのであれば、まずはその原因となった弁護士の濫造を招いた司法改革も反省しなければならないでしょう。そして、次の総選挙の台風の目とされているのが「「投票行動」を一種の契約と見なして「大阪市民(以前は大阪府民でしたが)というクライアントからの白紙の委任契約に基づき、現行法令の枠内の真っ黒の一歩手前のグレーゾーンまで、そのクライアントの意向の実現を要求している」弁護士だというのも、日本にブラック企業がはびこる理由を如実に示しているように思いますね。
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