2012年10月26日 (金) | Edit |
とある巨大自治体の首長の辞任で第3極の極って極右のことだったのかというオチがついたところですが、地方自治体の議会というのは6月、9月、12月、3月と年度内に4回開催されることになっていて、こちらでも先日9月議会が終わったところでして、まあ、いつものとおり日本共産党の方々には辟易とさせられました。一部の方には拙ブログが左翼系に見えているらしいのですが、何度も繰り返しているとおり、私は左派的な思想に懐疑的な立場をとっており(むしろカイカク派を揶揄することが多いので保守を自認しています)、その理由は、左派的な方々(やカイカク派の方々)が移行プロセスや最終目標に至る手続きというコストを全く考慮していないように見受けられる点にあります。といいながら、左派的な思想は否定しないでおきたいという意識もありまして、その点が拙ブログがサヨク扱いされる原因なのかもしれません。

それはともかく、サヨクといえば日本共産党といっていいと思うのですが、私とは179度くらい考え方が違う方々ですし、私も普段は街頭で公的セクターに対して威勢のいいバッシングを繰り広げているくらいの印象しかありませんし、もしかすると一般の方もそういう認識ではないでしょうか。しかし、役所にいると日本共産党の方々というのはある種の「お得意様」でもありまして、「とある地方公務員が日本共産党について書いた」という増田を読んで同感することしきりです。

共産党の議員が生保の窓口に来るというと、何か高圧的なイメージを持つ人もいるかもしれませんが、むしろ逆でお手数をおかけしてすみません、といった感じでやってきます。
日本共産党の議員は、元々福祉現場で働いていた経験のある人も多いので、福祉現場の苦労がわかるのかもしれません
また、日本共産党はおばちゃん議員も多いので、気楽な感じで話せることも多く、生活保護受給者の世話を焼いているおばちゃんって感じです
私は役所に入る前は、日本共産党=左翼=ヤバい人みたいなイメージしかなかったのですが、福祉に関われば関わるほど日本共産党の福祉における役割は大きいと感じるようになりました。
ケースワーカー、民生委員だけでは対応できない地域の特殊な問題も、共産党の議員、もしくは共産党関係者が間に入ることで解決した事例もあります。
※逆に保守系の議員は、横柄な人が多いです。やはり、地方議員といえど地域に対して一定の影響力をもっていますので、農業団体、建設業、医師、自営業、商工などなど、あらゆる方面でやはり保守系議員の影響力があります。
地方はやはり、保守系議員の力が圧倒的に強いので職員も神経を使う相手です。ただ、保守系の議員といっても、別に熱狂的な自民党議員というわけでなく、農家のおっちゃんだったけど青年活動していた成り行きで自民党会派に入ったというケースが多いです。
なので、根が地方のおっちゃんなので理屈よりも情とかお付き合いとか理屈じゃないところで落とし所を探るらしいです。(ベテラン職員はこれが本当に上手い。)
逆に若手保守議員は、尖閣問題とか憲法改正とか異常に関心が強いので、ちょっと怖いです。まぁ、元々代議士秘書していた人が多いからかもしれませんが、、、

■とある地方公務員が日本共産党について書いた(2012-10-15)街頭演説
※ 以下、強調は引用者による。

この増田では、別のセクションで「日本共産党は先述の通り医療機関として医療生協、中小企業、零細企業組合として民主商工会、その他にも多くの組織と連携している」とまでしか触れられていませんが、日本共産党議員の有力な候補者供給組織が全労連ですね。全労連傘下の産別組合では、医労連や福祉保育労など医療福祉分野の組合が活発に活動していますし、公的セクターでは国公労連・自治労連などをはじめ、建交労やJMIUなど民間でも活発に活動している組合があります。日本共産党にはそうした現場の叩き上げから組織として擁立された議員も少なからずいて、積極的に役所の窓口にいらっしゃるのはそうした現場で叩き上げてきた方々も多いので、役所の窓口で対応してもそれほど日本共産党に怖いイメージを持たずに済んでいるのでしょう。

ところが、そうした方々の印象とは真逆に、日本共産党の街頭演説や議会質問における公的セクター攻撃の激烈さはハンパないですし、その点では「第3極」ともてはやされる方々にも引けを取っていません。というより、公的セクターに対する攻撃に関しては日本共産党の方が元祖であって、そうしたアジを繰り広げるのも現場叩き上げの組織議員ではなく、大学の民○上がりの生粋の共産党員だったりします。上記増田の引用部分でも「逆に若手保守議員は、尖閣問題とか憲法改正とか異常に関心が強いので、ちょっと怖い」とありますが、若手議員や(かつては現場をくぐらずに当選した「若手議員」だった)大学の民○上がりの生粋の日本共産党議員に通じるのは、そうした実務経験の欠如に由来するナイーブな理屈っぽさです。まあ、そもそも政治家になるような方々には、世間との接点を一般の会社勤めのような地道な社会経験ではなく××政経塾とかNPOなどでの活動に求めたり、という方が多いんでしょうが、それが世間知らずな理想論だったり、実務の伴わない絵空事だったからこその政権交代後の現状なんじゃないでしょうかねえといういつもの愚痴になりますが。

その点で印象的だったのが、少し前に読んだ松尾先生の『新しい左翼入門』です。

国家規模の大変革はリスクの責任がとれない

 とりわけて深刻なのは、革命で国家権力を握って全体的に世の中を変えようという路線です。武装蜂起だろうが議会を通じてだろうが、全面国有の青写真だろうが資本主義に毛の生えたような青写真だろうが同じです。うまくいくかどうかは所詮不確実なビジョンなのです。しかしこの場合一旦失敗したときの被害は、全国規模の膨大なものになります。そんな失敗をしてもリーダーが責任をとろうったって、せいぜい辞めるだけです。いや失脚して銃殺されるかもしれませんが(笑)、たとえそうだとしても、損害を受けた人々が補償を受けるわけではありません。たとえ国庫から補償を受けたとしても、影響が広大すぎて、結局はその補償は国民一般の負担になってしまいます。
 (略)
 その意味で、現状打破のためには公的規模でリスクのあることでもあえて断行すべしとする橋下さんの「独裁」論理には、ハイエクの「社会主義」批判がそのままあてはまると思います。かつて青春時代に革命でプロレタリア独裁権力を樹立することを夢見て闘争した人々が、その後歳を重ねてすっかり「転向」したつもりで、やれ「小泉だ」「石原だ」「橋下だ」と、強そうな政治家を見つけては「改革」の期待をよせているのでは、捨てるべきでないものを捨てて、本当に反省するべきところはちっとも変わっていないと言えるでしょう。
pp.217-218

新しい左翼入門―相克の運動史は超えられるか (講談社現代新書)新しい左翼入門―相克の運動史は超えられるか (講談社現代新書)
(2012/07/18)
松尾 匡

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いやまあ、見事に現状を言い表していると思うのですが、その松尾先生がその直後でこんなことも書いています。

 逆に言えば、形式的に資本主義企業や行政機関だったとしても、市民参加を進めて、地域の自主事業経済の一環となることはできることになります。少なからぬ代表的な労働者自主管理企業が、形式的には株式会社や有限会社の形を取っています。利用者の声を汲み取りながら、地域に必要な事業で貢献するコミュニティビジネスも盛んになっています。「社会的責任投資」のように、株式投資を通じて、大企業をコントロールする取組みもなされています。もちろん、労働組合運動もまた、経営が労働者や利用者の声を汲み取り、社会的に価値のあるやりがい仕事をさせるために果たす役割は大きいでしょう。
『同』p.222

ええと、それはなんてアナルコキャピタリズムなんでしょう? いやもちろん、松尾先生は「銑次の道」としてその行き過ぎを諫めているのですが、ここで描かれている「市民参加」からは政府の存在が消えてしまっています。それこそが「「小泉だ」「石原だ」「橋下だ」と、強そうな政治家を見つけては「改革」の期待をよせている」方々の格好の培養器となっているのですが。
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