2007年01月05日 (金) | Edit |
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。このような片端のブログではありますが誰ともなくご挨拶申し上げます。

年末年始のシーズンというのは、一年を振り返ったり一年を展望したりと、割合と大きな話をしがちなシチュエーションが多いもので、テレビなんかを見ていてもおなじみの田原総一郎の討論番組とか、いいたいことをいう番組がたくさん流れておりました。その中で気になったことというのが今日のお題。

まず年末特番では、スピリチュアルな方々が戦後日本の問題点をいろいろと指摘されていた番組がありました。毎度正確な発言内容までは覚えてないんですが、曰く、
「戦後の日本はあまりに貧しくて、食べることばかりを優先して文化をすべて破壊してしまった」
というようなことをおっしゃっていたかと思うと、
「経済成長のために生活がどんどん便利になってしまって、感性が麻痺してしまっている」
ということもおっしゃっていたわけです。

う~んと、貧しいときには文化が破壊され、経済的に豊かなときには感性が麻痺するというのであれば、どのような経済状態ならば人間は「豊かな」生活が送れるのでしょうか?
といっても言い掛かりをつけようというのでは全然なくて、ある個人の状態に注目するなら、貧すれば鈍するよりは豊かであれば感性を磨くという選択肢が与えられるわけだから、経済成長の方が望ましいと思うんだが、スピリチュアルな世界ではそんなことはないんだろうかという素朴な疑問を持ったということ。

社会の発展の仕方が国それぞれで違うということは、それぞれの発展の仕方がこの世に存在する必要があるってことなんだろうか? お隣の独裁国家やちょうど年末に執行があった独裁者などもその存在には理由があるんだろうか? そもそも経済学的には経済成長がなければ豊かな生活を享受できないということは自明なことになっているのに、それすらスピリチュアルな世界では否定されてしまうというのでしょうか?
まあ、あくまで和服の男性が「便利さの代償」という文脈で話していたので経済成長そのものを否定する趣旨ではないと思うんだが、天草四郎の生まれ変わりの方があまりに経済成長を悪玉にするのでちょっと気になったということでした。

気になったことはもう一つあって、青色発光ダイオードで有名な中村さんが、教育改革は個性の尊重が重要なので大学入試を廃止すべきと主張されていました。大学入試にいろいろな問題があることは確かにおっしゃるとおりだけど、その大学の後に控えるのが就職なわけで、そっちを変えないとその趣旨は貫徹しないことになる。ところが、就職において学歴を重視するのは情報の非対称性に起因するシグナリングの機能を学歴が果たしているからであって、制度がどうのこうのというより、世の中はそういうもんだと割り切ることが現実的な気もします。さっきのテレビでの中村さんの主張は、「社会人になっても大学で勉強できるように、ウルトラクイズみたいな大学入試がなくても大学に入学できるようにすべき」ということと理解したけど、少子化の進展で生き残りをかける大学はだいぶ前から社会人の取り込みに必死なわけで、その点だけでいうならある程度は実現してるし。
といっても、中村さんはもっと大局的に成果が評価される社会というのを志向されているんでしょうから、結果的にそうなるなら手段は問わないという立場なんでしょう。

科学的に偉大な発明をされた方であっても教育問題とか経済に精通しているとは限らないはずですが、こうやって年の初めに断言されてしまうとなんとなくそういう気になってしまうものですなあ。気をつけよっと。
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