--年--月--日 (--) | Edit |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


2012年08月20日 (月) | Edit |
「人災」という言葉には以前から違和感を感じていたのですが、以前の自己レスで取り上げた林『大災害の経済学』の冒頭で、国連から委託を受けて災害データベースを運営している「災害疫学研究所」(CRED)の災害の定義がありまして、

このCREDが採用している災害の定義は、「甚大な被害と、破壊と、人間の苦難をもたらす状況あるいは事象で、予測されておらず、しばしば突然襲ってきて、地域社会の対応能力を上回り、全国的又は国際的支援が必要とされるようなもの」となっている。
 具体的にはCREDが災害データベースに収録する事象の基準は、次のうちいずれか一つの条件を満たすものだ。

  • 報告された死者が10人以上
  • 報告された被災者が100人以上
  • 緊急事態が宣言された
  • 国際的支援が要請された
 この定義では、災害の原因を問うていないことに注意しておこう。どのような原因によるにせよ、被害の程度が大きく、被災地域だけでは対処できないような事象はすべて「災害」としてデータベースに採録される。
 CREDは災害を大きく二つのカテゴリーに分けている。一つは「自然災害」、もう一つは「技術的災害」とCREDが呼んでいる大事故等である。2011年3・11以降の福島県の原子力発電所事故は、発災時に直接の死者こそ出さなかったものの、避難者が12万人を超える可能性もあるため、技術的災害に分類されることになる。
pp.33-35

大災害の経済学 (PHP新書)大災害の経済学 (PHP新書)
(2011/08/12)
林 敏彦

商品詳細を見る

ということだそうで、災害の原因を問うのではなく、被害の程度によって災害かどうかを判断するのが国連のデータベースの考え方となっているようです。

で、たまたまWikipediaで「災害」を検索してみたら、

概要 [編集]


「災害」という用語は多くの場合、自然現象に起因する自然災害(天災)を指すが、人為的な原因による事故(人災)も災害に含むことがある。一般的には人災のうち、被害や社会的影響が大きく、救助や復旧に際して通常の事故よりも大きな困難が伴うような事態を災害と呼ぶが、「事故」と「災害」の使い分けは明確ではない部分がある。また、場面によっても定義が異なる。
「人災」はもともと「天災」に対して作られた言葉であるが、多くの自然災害においては、被害の直接的な原因が自然現象であっても、人為的な要因によって被害が大きく左右されることが多い。このため、災害の被害を軽減する方法が安全工学として研究されている。
1993年に採択された「ウィーン宣言及び行動計画」の第1部、第23節においては、難民の支援についての記述に続いて、自然災害と人的災害について言及し、国際連合憲章と国際人道法の原則に従って、被災者に人道支援を行うことの重要性を強調している。

(中略)

事故・人災の例 [編集]
  • 戦争(戦災)
  • テロ
  • 暴動
  • 犯罪被害(強奪、放火、暴力など)
  • 日常における不慮の事故(交通事故、列車事故、飛行機事故、海難事故、水難事故、遭難、製品欠陥に伴う製品事故、食品事故、医療事故)
  • 爆発、毒物拡散、大気汚染、水質汚染、土壌汚染、騒音、振動、悪臭、地盤沈下
  • 社会的被害(報道被害、風評被害、取り付け騒ぎ)

「災害」(Wikipedia)

という記載がありました。地震とか台風とか洪水という自然現象は至るところで発生しますが、人がいる場所で発生し、そこでの人的被害や人工物への被害が甚大になったときに災害になるわけです。つまり、そもそも人がいないところとか人の手が加わっていないところで地震や台風が発生しても災害にはならないわけで、すべての災害が人為的な営みを前提としている点において「人災」ということができるでしょう。

私が感じていた違和感というのは、「人災だ」といった瞬間に「自然現象は仕方がないとしても、人災は事前に防ぐことができたはずだ。担当機関とか担当者の怠慢が原因というのは許せない」という論理展開につながってしまうことです。上記の通り、そもそも人がいないところで発生したものでない限り、人的・物的被害が発生するすべての自然現象は人災となります。そうである以上、不可避の自然現象によって甚大な人的・物的被害が発生すれば、定義によりそれは避けることのできない人災だったのであり、この場合「人災の発生は事前に防ぐことができる」という命題は成り立たないことになります。

しかし、一方では確かに「事前に発生を防ぐことができる」人災というのも存在します。端的にいえば、上記のWikipediaで「事故・人災の例」として挙げられている「社会的被害(報道被害、風評被害、取り付け騒ぎ)」でして、報道被害とか風評被害というのは、その多くが「危機を煽って冷静な判断を奪っている何者かが、マスコミやネット界隈には数多く徘徊している」ことによってもたらされる「人災」です。特に原発事故に関しては、自然現象によって引き起こされた不可避の「人災」に乗じて、「既得権益(とレッテルを貼られた対象)へのヘイトスピーチと陰謀論」が数多く語られていますが、それによる「人災」こそ事前に防ぐことができたはずですし、不可避の「人災」の被害を事後的に最小限に抑えるためには事後的にも防がなければならないものでした。しかし、津波被害とか原発事故を「人災だ」といって犯人捜しをしている方に限って、このタイプの「人災」を引き起こしがちなところでして、不可避である「人災」の適切な防止・減災措置を講じることも、防ぐことのできる「人災」による報道被害や風評被害を防ぐことも、なかなか進みそうにありません。

ところが、同じWikipediaの「自然災害」の項を見てみると、自然現象による人災の因果関係が逆転しているような記述になっています。

自然災害は、人為的な原因による災害(「人災」)に対して、天災とも呼ばれる。しかし実際に「天災」と呼ばれているものは、社会の脆弱性など人為的な原因により人的被害が拡大されている側面が大きいため、「天災」という呼び方は適切なものではない。地震は自然現象だが、脆い建物が崩れたり救援の手が届かなかったりすることによって地震災害は拡大する。自然現象である干ばつは、社会の不平等や政府の失策により、都市や軍隊には食物が確保される一方で農村の貧しい人々に食物が行き届かなくなることで、飢饉という災害へと拡大する。干ばつのため食糧不足にさらされる人たちに食物や雇用を供給する政策が、民主主義のインセンティブによって実行に移されきちんと機能する場合、飢饉という災害は発生しないが、貧しい人々の声を聴く必要のない権威主義的体制や無政府状態では、干ばつは容易に飢饉へと拡大する[6]。

「自然災害」(Wikipedia)

とのことですが、まず人為的な居住とか農業とか工場とかの生産拠点が形成されていて、そこで原因を問わず甚大な人的・物的被害が引き起こされるのが「災害」であるというのがCREDの定義でした。つまり、人為的な営みを前提として甚大な人的・物的被害が発生するからこそ「災害」と呼ばれるのであり、それは自然現象による不可避の「人災」だったわけで、「人為的な原因により人的被害が拡大されている」かどうかは、少なくともCREDの定義上は考慮されていませんし、そのことが災害への対応に影響を与えることもないはずです。しかし、「人災」とさえいってしまえば、災害への対応はそっちのけで犯人捜しとその犯人(とおぼしき対象)へのバッシングに興じるのが現状なわけです。

さらに引用部分の最後では、アマルティア・センの説明を引用しているのですが、「民主主義のインセンティブによって実行に移されきちんと機能する」ことが、たとえば現在の日本で可能かといえば甚だ疑問ですね。沿岸部で「津波被害が発生しないような都市計画を立案し、積極的な公共事業でそれを実行していく」ということができないために発生した被害もありますし、原発事故を防ぐために必要な工事費を電気代に上乗せすることができないために発生した被害もあるはずです。むしろ、別の意味で「民主主義のインセンティブによって実行に移され」たために発生した「人災」もあるというのが現実ではないでしょうか。

こうした政治的な過程を考慮に入れれば、自然現象による不可避の「人災」と事前に防ぐことのできる「人災」を厳密に分けることは、それほど簡単なことではありません。特に、深刻な利害調整を伴う制度設計は、かなりの程度純粋な人為的行為ではありますが、だからといって「制度設計に不備があるのは人災だ」とか「政策が○○学の理論から外れているのは人災だ」というのは、神でもない人間の社会が民主主義の建前の下で行う政策決定とか制度設計に対する批判としては、あまりにナイーブだろうと思います。

もちろん、「人災」といえばわかりやすいですから、それを前面に押し出したい事情の方もいらっしゃいます。

それぞれの総括を整理すると、民間は「官邸の危機管理が場当たり的で泥縄」、東電は「想定外の津波が原因」、国会は「明らかに人災」、そして今度の政府は「さまざまな問題点の複合」となる。
みの「人災というのがわかりやすい」
杉尾秀哉(TBSテレビ報道局解説・専門記者室長)「言葉がはっきりしてる。国会は政治的立場が鮮明。これに対して、他はいろいろ配慮が感じられ、論点がはっきりしなくなる」

出揃った福島原発事故の調査報告―「政府」「民間」「東電」「国会」どれが信用できるか?(2012/7/24 15:01)」(J-CAST テレビウォッチ

これを「人災」といわずして…
スポンサーサイト


コメント
この記事へのコメント
「人災」と主張している国会の報告書が英語版では、日本の国民性(「島国根性」)に原因をとっているのが批判されているが、「人災」というのでは、国際的にわからないと考えたからなのかもしれないと、このブログを読んで感じた次第。

翻訳家の加藤祐子氏の記事が参考になった。

http://dictionary.goo.ne.jp/study/newsword/wednesday/20120711-01-1.html
2012/08/20(月) 06:42:47 | URL | yunusu2011 #-[ 編集]
飢餓の例からも、先進国日本においても開発経済学の考え方(理想論でなくトレードオフが存在する)に立ち戻らなければ、ならないと、今次災害を通して、身にしみた者が多ければ良いのですが、、現状は厳しく。。
2012/08/21(火) 23:34:49 | URL | - #-[ 編集]
> yunusu2011さん

> 「人災」というのでは、国際的にわからないと考えたからなのかもしれない

「誰かに責任を負わせるために人災とする」というのは、実は防災の観点からすると思考停止してしまう危険性があるからだろうと思います。この点については、はてブでいただいたコメントですが、

> unamu_s 災害
> 「人災」という言葉が誰かを叩くために使われている印象を持っています。その考えを延長すると「ちゃんと対策を施せば災害は絶対発生しない」すなわち「安全神話」に行きついてしまうようにも感じています。2012/08/21
http://b.hatena.ne.jp/unamu_s/20120821#bookmark-107154570

「人災だから責任があるヤツらを罰し、想定外を儲けない対策を講じれば人災は起きない」=「安全神話」という理屈は、人災を含む災害が絶えない国際情勢の中では受け入れられないのではないかと。
2012/08/25(土) 23:10:09 | URL | マシナリ #-[ 編集]
何度目かのデジャヴですが、HNとIPアドレスを変えてでも、ご指摘のこととは関係のないことを書いている拙ブログに同じコメントをくり返されるご努力には感嘆しております。

ところで、「所謂新自由主義者」というHNを使いながら、

> 共産主義にしないと不可能ですね、こんな腐った制度は。
> 2012/08/24(金) 15:53:48 | URL | 所謂新自由主義者 #-[ 編集]

とおっしゃる方が、別エントリへのコメントでは、

> 寄生虫は一掃されねばならない。
> 2012/08/24(金) 16:02:51 | URL | 所謂新自由主義者 #-[ 編集]
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-525.html#comment881

と、スターリンか毛沢東かポル・ポトかと見まごうようなことをおっしゃるところを拝見すると、「新自由主義者」への巧妙なステマではないかと、これもまた感嘆する次第です。
2012/08/25(土) 23:31:04 | URL | マシナリ #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。