2012年07月16日 (月) | Edit |
三連休でしたが、今年度の補正予算やら来年度の当初予算の準備でフルには休めないところでして、国レベルで決まった予算編成というのはそうやって具体的な現場レベルの事業に落とし込まれて、実際に民間に支出してはじめて「財政政策」の一部になるわけですね。という作業を年がら年中やっている実務屋としては、リフレ派と呼ばれる方々の議論がやっとここまでたどりつくのかもしれないなあという一縷の望みを感じさせるエントリがありました。

・・・ものすごく単純化すると1兆円公共工事は0.7兆円の民間工事の減少を招くということ.マクロの景気に与える影響は1/4強にすぎないということになる.財政政策が効かないのはコレが原因かもしれない.だってそもそも「影響関係が建設土木業界の中」だけで閉じちゃってるんだもん
 なぜこんな不思議なことになるんだろう・・・ちなみに反対の影響,「民間の工事が増えると公共工事が減る」という影響関係は観察されない(有意ではないがむしろ公共工事は増える).一番考えやすい要因は建設土木業界の供給能力が限られており,公的な事業でそのリソースを使うと,民間事業が供給能力の点で不可能となるという解釈だ.供給制約による文字通りのクラウディングインというわけ.
(略)
 このようなクラウディング・アウトが財政政策の効果低下の主因だとすると,2つの全く異なる政策インプリケーションが提示されることになる.

  • 近年海外で再注目されている「これまでは効かなかったけど,流動性制約流動性の罠の下ではちゃんと効く」という研究は日本には当てはまらない.だって,効かないのは「日本型財政政策」だから
  • 「財政政策」そのものが効かなくなっているんじゃなくて,建設・土木による財政出動が効かなくなっているだけ!ちゃんと供給余力があるところに支出すれば効くかもしれない
 どっちが政策論としてリーズナブルなんだろう.これには追加的な分析が必要なところ.財政支出の中身を変えるというのが可能かどうかがポイントになる.もっとも,業界内で閉じてしまわないちゃんとした公共事業になったとたんにがっちりMF効果が出ちゃうって可能性も否定できないですが.

■[economics]マンデル・フレミング効果ではないかもしれない(2012-07-15)」(こら!たまには研究しろ!!
※ 以下、強調は引用者による。

まあ、マクロ経済学を専門とされる飯田先生にとっては「財政政策の影響関係が建設土木業界の中で閉じちゃってる」ことは不思議なことかもしれませんが、財政政策って公共事業のことじゃないんですよ。24年度の一般会計歳出に占める割合が一番大きいのが「社会保障」の29.2%でして、これに地方交付税と国債費を合わせて7割を占めていますが、公共事業なんて5.1%にすぎません。
平成24年度一般会計予算(平成24年4月5日成立)の概要
平成24年度一般会計予算(平成24年4月5日成立)の概要」(財務省

ついでに、24年度6月までの一般会計歳出と特別会計の重複分を除いた一般会計・特別会計の主要経費別純計の総額228.8兆円のうち、社会保障関係費75.8兆円、国債費84.7兆円、地方交付税交付金等19.9兆円を合わせた180.4兆円で、8割近くを占めています。
日本の財政関係資料平成24年度予算補足資料(3.09MB)p.38」(財務省

「財政政策でバラマキ」とかいって「財政政策なんか効果ない」とおっしゃる方には「財政政策=公共事業」と思いこんでいる方が散見されますし、リフレ派と呼ばれる方々もその例外ではない*1ように思います。しかし、公共事業を増やすような「財政政策」が効果ないことは昨今の予算に占めるシェアの低さを考えれば不思議ではありませんし、公共事業に必要となる鉱石や鉄鋼などの資材、重機などの機材、機材オペレーターや工事監督などの人材に供給制約があることも不思議なことではないと思うのですが、新古典派を基礎とするマクロ経済学がご専門の飯田先生には不思議なことと写るようです。

いやもちろん、飯田先生も社会保障費が日本の財政の中でも大きな割合を占めていることはご存じなのでしょうし、「財政支出の中身を変えるというのが可能かどうかがポイント」というのもその通りだと思いますけれども、新古典派を基礎とするマクロ経済学がご専門の飯田先生にとっては、社会保障にかかる保険料や現物給付はあくまで経済に対する桎梏であって、それが「財政政策」であるという認識をお持ちでないのかもしれません。拙ブログでよく引用するマスグレイブの財政政策3機能論でも「経済の安定」と「資源の効率的な配分」と「所得の公平な再分配」は別に扱われていそうですが、これらは政府による経済活動をそれぞれの側面から捉えたものというべきで、同じ政府活動がさまざまな経済的効果を持つと考えるべきではないかと思います。

たとえば、飯田先生が「財政政策=公共事業」と考えているかは別として、公共事業の多寡によって財政政策の効果を計るというのは、それがいわゆる「日本型雇用慣行」のもとである時期まで企業を通じた社会保障がそれなりに機能していて、特に地方では建設業に従事することによってしか生活保障を得ることができなかった実態に即したものであれば、それなりに意味のある研究だったのだろうと思います。しかし、周知の通り地方では公共事業の削減により建設業に従事しても生活保障が得られない状況となり、「日本型雇用慣行」の傘から漏れる非正規雇用が増加(こちらのエントリのコメント欄)し、その結果として、公共事業という財政政策による「経済の安定」と「資源の効率的な配分」と「所得の公平な再分配」が期待できなくなったというのが現在の状況なのではないでしょうか。

でまあ、上記リンク先の通り、現在の一般会計歳出で最もシェアが大きいのは社会保障ですので、これをいかに経済に望ましい影響を与えるように再分配するかというのが財政政策の肝であって、同時に財政政策を通じた経済政策を論じることになるものと個人的には理解しております。たとえば、権丈先生はこれを「積極的社会保障政策という景気対策――社会保障重視派こそが一番の成長重視派に決まってるだろう」とおっしゃっているのだろうと思いますし、次の文章が私が一部のリフレ派と呼ばれる方々と距離を置く決定的なきっかけともなりました。

 もっとも、この国の需要構造の大転換のために、生産要素の移動は生じる。社会保険料や税の負担が高くなって、奢侈品の消費は控えられるであろうが、負担増の部分は、すべて社会保障の現物給付に使われるのであるから、奢侈品の減少分の生活必需品は増加して、そこに新たな雇用が生まれる。そして労働の移動が生じる際のさまざまな摩擦には、社会保障というセイフティネットでできる限り対応する。
 また、社会保障の現物給付は、所得と関わりなく、高所得者であれ低所得者であれ、ほぼ同じ額が給付されるので、いかなる財源で調達しようとも、受給額から負担額を引いたネットでみれば、低所得者であるほどネットの受益者になる。つまり限界消費性向の低い(限界貯蓄性向が高い)高所得者から限界消費性向が高い(限界貯蓄性向が低い)低所得者に所得が再分配されるのであるから、積極的社会保障政策は、社会全体の消費性向を高めることになり、この国の難問である需要不足の緩和に大きく貢献する
 そうした一国の体質改善を図りましょうというのが、積極的社会保障政策であり、これは、景気対策であり、成長政策なのである。

 ところが、世間をながめてみると、構造改革とか上げ潮なんとかという不思議な呪文のもとに、自助努力とか生活自己責任の原則などと言っては、国民にガマンを強いるのが、成長政策と考えている人がやまほどいるようなのである。しかしながら、この国を成長させたいのであれば、採るべき政策は、まったく逆。互助・共助と生活の社会的責任の強化である。構造改革の名の下に、社会保障を抑制しては国民の不安を煽り、彼らの消費を萎縮させておいて、内需主導の成長など起こるはずがない。せいぜい、外需という神頼みの成長くらいしかできそうにない。

勿凝学問172 積極的社会保障政策という景気対策――社会保障重視派こそが一番の成長重視派に決まってるだろう 2008年9月5日(注:pdfファイルです)」(仕事のページ

リンク先のファイルには、この後で正統的なケインズ経済学についても述べられているので、「本来のケインズ主義」について疑念をお持ちの方にもご一読をおすすめします。

個人的な理解ですが、社会保障である医療や福祉、介護、保育、教育などはすべて対人サービスであって、それを現物支給するによって雇用を増やすということは、公共サービスの現場にいる者として実感するところでもあります。雇用を増やすということは、その分だけ所得を得る人が増えるわけでして、さらに賃金アップでその待遇を改善することによって所得を増やすことが可能です。つまりは、現物給付による社会保障の拡充が生活保障を与えて将来不安を軽減し、貯蓄から消費への転換を促すとともに、三面等価の原則によりその消費のむかう側や現物給付を担う側にとっても所得を増加させるという両側面から、国民所得を増やす効果が期待できるということではないかと。ついでにいえば、三面等価の原則は付加価値というフローにあてはまるものであって、それをストックである国債によって賄うべきものではないことはいうまでもないでしょう。

まあ私の個人的な理解はともかく、「フロー財源である税金による財源調達→財政政策としての社会保障の拡充による消費および所得の増加→経済成長」という循環は、別にリフレーション政策と対立するものではないと思いますが、こうした財政政策に対する見解がリフレ派と呼ばれる論者によってバラバラすぎて、中には公然と財政政策を批判する方(職業訓練などの積極的社会保障政策はもちろん、人件費という政府支出も批判の的ですね)もいらっしゃるために、拙ブログでは「構造改革の名の下に、社会保障を抑制しては国民の不安を煽り、彼らの消費を萎縮させ」るような一部のリフレ派と呼ばれる方々を批判させていただいているところです。

ついでにいえば、そうした構造改革云々以前の問題として実務的に実現不可能な絵空事をおっしゃる方々も批判させていただいておりまして、一部のリフレ派と呼ばれる方々がそこに重なることも多いのですが、hamachan先生のエントリのコメント欄経由で、この方も実務面で通用しなさそうなことをよくおっしゃいますね。

 私は消費税撤廃論者でありまして、東大の八田達夫先生の感化を受けました。消費税の最適税率はゼロだと信じておりますし、学術的裏付けも可能だと考えています。
 こういう議論をすると、弱者には後から分配すればいいんだという議論をする方が、かなりの比率でいます。この中にもおそらく、とりあえず消費の時にいったん5%でみんなに納めさせて構わないじゃないか、その段階で今までごかましていた自営業者達が払わされるんだからいい気味じゃないか、と思われる方がいらっしゃるかもしれません。その上で、そこから今度は、本当に豊かか弱者かという何らかの基準を決めて、弱者にはもう一回分けてあげて、高額所得者からは別の形でもうちょっと負担をしてもらうというやり方だってあるだろうとお思いの方があるかもしれません。
 しかし、それは成り立たないのです。なぜならば、所得捕捉が困難だからこそ消費税シフトという議論が出て来たわけです。したがって、クロヨン、トーゴーサンを是正するために、徴税員を増やして所得捕捉の検査を充実させることなどによって、事業者を問わず個人を問わず、個々の稼いでいる所得をきっちりと把握しようという課税当局の努力は、これ以上はやらないということが、消費税シフトの前提だったわけです。
 消費税シフトとは、即ち、誰が弱者であるかを見極めることを、やめてしまうということです。しかし、弱者が誰かわからなくなるような制度設計をした後で弱者に再分配をするというのは、言語の論理矛盾です。
 究極のところ、弱者には強者から何らかの形で余分に再分配が必要だという価値規範を認めるのであれば、所得ないしは消費の総量といった、豊かさの指標を個人ごとに把握し、それを課税ベースにするという営みは、政府部門にとって必須となります。

政策研究大学院大学教授 福井 秀夫「固定資産課税の存在意義を考える」財団法人 資産評価システム研究センター

所得の捕捉率を上げることが根源的に困難であることは実務上その通りですが、だからといって所得再分配ができないというのも、これまた福井先生らしい極論ですね。医療や福祉、介護、保育などの現物給付はなりすまし(mimic)が通用しないからこそ、必要原則に応じた給付が可能となります。たとえば、障害もない30代の方が「私は65歳を超えているから介護保険で面倒見てくれ」といっても給付を受けることはまずありませんし、同じ方の親が「うちの子はまだ5歳だから保育園で面倒見てくれ」といっても給付を受けることはないでしょう*2。むしろ、実態としてそのような給付が必要であれば、それに応じて給付することが社会保障の観点からは望ましいでしょう。それは決して「不正受給」ではありません。
その点では、福井先生がおっしゃる「所得ないしは消費の総量といった、豊かさの指標を個人ごとに把握し、それを課税ベースにするという営みは、政府部門にとって必須」というのは異論はありませんが、だからといって「消費税の最適税率はゼロだと信じておりますし、学術的裏付けも可能」という主張と二者択一であるかのようなことをいわれてしまうと、福井先生も元は実務を担当していただろうに「専門知」にまみれて現実が見えなくなってしまったのかなあと、自戒を込めて実務をおろそかにしてはいけないという気になりますね。




*1 一部のリフレ派と呼ばれる方々のお一人が、「一時的な財政政策と恒久的な財政政策の違い」について説明されていましたが、この先生が認めている「恒久的な財政政策」の例が、スティグリッツのいう政府通貨発行策とバーナンキのいう期国債買いオペの増額だそうでして、浅学な私にはどちらも「金融政策」ではないかと思われるところでして、まあ、経済学のご専門の先生のいうことが「正しい」に違いありませんから、私が間違っているのでしょう。とはいっても、実務屋からすればそこで調達した財源をどう使うのかが「財政政策」でして、やっぱり「財政政策という政府による財政支出の使い道には無頓着かつ陰謀論な方」という印象はぬぐえませんね。
*2 生活保護では確かに一部不正受給がありますが、むしろ問題となっているのは水際作戦による潜在的な生活保護の捕捉率の低さですし、規模を考えると個人事業主の所得のクロヨンとかトーゴーサンといわれる捕捉率の低さに比べれば、財源調達よりも財政支出の方が貧弱というべきではないかと。
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コメント
この記事へのコメント
「りふれは」を構成する高学歴ど高所得者層の方達が、批判する消費税増税とは低学歴で低所得者層にとっては再分配の恩恵に与れるかどうかが可否なのですね。
「りふれはの良心」が再分配を否定する宣言を読み上げては修復不可能な溝を感じました。
HALTANさんでさえ社会保障を通じた再分配程度は是認すると思っていたのに、「りふれは」の全面否認に解脱を決意してのは存念です。
2012/07/16(月) 21:38:50 | URL | hahnela03 #DgdRcaA.[ 編集]
気持ちは分かるんですが
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/shakaihoshou/dl/05.pdf

権丈先生は社会保障を抑制とおっしゃってますが、実際には上記URLにあるように、2000年の78.1兆円から、2012年の109.5兆円まで、この10年強で30兆円/年もの「財政政策」の増加が行われています。

※年金は所得再分配であって財政政策でないので除いても、20兆円弱/年の増加です

それで大した効果が出ていない(と思われる)のに、更に拡大すれば効果が出るというのは、どの程度信憑性があるんだろうと、個人的には疑問なんですが、如何でしょうか?
2012/07/17(火) 11:44:02 | URL | charleyMan #JRF4jLPA[ 編集]
>財政政策に対する見解がリフレ派と呼ばれる論者によってバラバラすぎて

バラバラなのは当然ですよ。米欄含めこれだけ多数の経済学者同士がやり合っているんですから。リフレ派が金融政策で学界の見解をまとめられないのがどうのこうのとぶつぶつ言っている人は、その話はそっくりそのまま財政政策にも跳ね返りますよ。できるものならとっとと財政政策の見解をまとめればいいんじゃない。だいたい実務実務って、橋下の現場を知らないやつは引っ込んでろと何が違うのやら。

米経済学者、財政出動賛成派と懐疑派の面々(自分用メモ)
http://hongokucho.exblog.jp/11753073/
2012/07/17(火) 12:29:55 | URL | t #-[ 編集]
考えられる原因としては
①日本では政府による再分配後に子供の貧困率が上がることに象徴されるように、社会保障が消費性向が高い層(低所得者)から低い層(高所得者)への逆再分配として機能することが少なくないため、再分配による乗数効果の増加が少ない

②増税を行わずに国債の発行により社会保障費の増加を行っているため、国民からその持続可能性について疑問を持たれており、社会保障費の増加分が、国民の貯蓄にまわる分が多く、乗数効果が下がっている

③社会保障支出自体の乗数効果がそもそも低い

④社会保障支出増加は効果があった(乗数効果>1)が、デフレや民間部門の不景気による経済衰退の影響の方が大きかったので、効果が出てないように見えるだけ

あたりでしょうか。①や②は、消費税増税とその財源を使っての(年金以外の)社会保障の拡充を行うことで改善できるので、今後5年くらい要注目といったところでしょうか。
2012/07/17(火) 12:56:38 | URL | charleyMan #JRF4jLPA[ 編集]
根本的な問題
個人的に日本の社会制度の非常に大きな問題だと思っているのが、税制にせよ社会保障にせよ、アッパーミドルあたりの所得層が優遇されすぎていて、その一方でロウアーミドル以下が冷遇されすぎているんですよね。

私がそうなんですが、年収1000万円くらいあっても、社会保険料と税金を足しても250万前後しか負担がなくて(それでも負担感は大きいですけど)、一方で年収300万円だと70万円弱の負担と、税金及び社会保険料の負担率がほとんど違いがないという。

このあたりは、子供を養う費用を企業が支払う年功賃金に依存してきたという歴史的な経緯があってなことだとは思うのですが、まあ無茶ですよね。

北欧に限らずフランスなどを含めて、ヨーロッパの比較的うまく回っている国の社会制度をみると、ロウアーミドル層あたりをモデルにして制度をつくっているのに対して、日本はhamachan先生がよく言われる「みんなエリート」もそうですが、全員がアッパーミドル層である(になる)ことを前提とした制度になっていて、そこに綻びの原因があるのかなと。
2012/07/17(火) 13:15:00 | URL | charleyMan #JRF4jLPA[ 編集]
> tさん

拙ブログでは、リフレ派が意見をまとめるべきということは申しておりません。私も緩やかにリフレーション政策を支持する立場ではありますが「リフレ派」ではありませんし。

私が問題だと思うのは、「リフレ派」という称号(?)さえ得られれば、金融政策以外の労働・雇用政策や社会保障や公的サービスの人件費という政府支出の中身を問わず攻撃しても批判されない現状です。リフレ派と呼ばれる方々がそれ以外の政策についてバラバラで結構ですし、それが自然な姿だとも思いますが、だからこそ、私は緩やかにリフレーション政策を支持する者として、それ以外の政策で「構造改革の名の下に、社会保障を抑制しては国民の不安を煽り、彼らの消費を萎縮させ」るような一部のリフレ派の方々を批判させていただいているところです。

なお、
> だいたい実務実務って、橋下の現場を知らないやつは引っ込んでろと何が違うのやら。
この違いがわからない方が多いからこその現状なのだろうと思いますよ。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-435.html
2012/07/19(木) 08:25:00 | URL | マシナリ #-[ 編集]
> charleyManさん

大変興味深い議論だと思います。日本の場合、企業を通じた社会保障が強化されてきた歴史的経緯がありますので、その方向転換には相当の労力が必要(というかかなり難しい)とは思いますが、粘り強く議論を続けなければならない問題だと考えております。私も別エントリで考えてみたいと思います(いつになるかわりませんが・・・)
2012/07/19(木) 08:33:08 | URL | マシナリ #-[ 編集]
UNCORRELATEDさんからトラバをいただいておりました。

「ある地方公務員のあるマクロ経済分析(途中)への誤解」
http://www.anlyznews.com/2012/07/blog-post_17.html

まあ、(途中)とのことですので、このエントリで私の誤解すべてをご指摘いただいているわけではないのかもしれませんが、

> 地方公務員の方の主張が分からないでもないけど、論点としては飯田氏とは大きく逸れている。

というご指摘はその通りですね。私が本エントリで飯田先生のエントリを取り上げたのは、

> リフレ派と呼ばれる方々の議論がやっとここまでたどりつくのかもしれないなあという一縷の望みを感じ
たからであって、飯田先生の分析そのものについてその是非を論じる意図はありませんでした。むしろ、飯田先生の分析についてはどのような結果が出るのか大変興味深いところですし、その結果によってUNCORRELATEDさんが脚注で指摘されている

> *4この暫定的な話から言うと、財政政策は効かないから、貧困者ケアは社会保障でと言う議論は可能かも知れないけど、そこまで解釈するほど分析が進んでいるわけでもない。

という点について分析が進むきっかけになればいいなという希望を述べたものでして、拙ブログは一部のリフレ派と呼ばれる方々のマクロ経済分析で議論する姿勢には批判的ですが、マクロ経済分析がこうしたミクロの総体としての実態に即て十分に分析されることが望ましいと考えております。

なお、マクロ経済分析そのものではありませんが、
作間逸雄『SNAがわかる経済統計学 (有斐閣アルマ)』
http://www.amazon.co.jp/dp/464112194X/
によると、93SNAでは伝統的国民勘定や産業連関構造を含む「中枢体系」のほかに「サテライト勘定」というのがあるそうで、

> 社会保障の負担と給付の問題は,一国全体では相殺されますが,個人の営みとしてみるとプラスとマイナスが表裏一体となっているのです。そうした仕組みをどう設計するかということは,人々の営みに直接影響を及ぼす大きな問題なのです。(p.271)

として、

> 93SNAでは,消費概念の二元化が行われました。当該サービスの費用を誰が負担したかという点から考察した「最終消費支出」概念とともに,当該サービスによる便益を享受したのは誰かという側面に注目した「現実最終消費」概念が登場しました。(p.273)

という分析が進んでいるようです。

とはいっても、本書でも

> しかしながら,昨今「少子高齢化社会」の到来を目前に控えて,(中略)「分配」をめぐって,さまざまな経済的・社会的問題が提起されており,このような問題に対して政府は「公平な負担」と「公平な享受」をめぐってきめ細かな制度設計を行う必要があるでしょう。ところが,そのための基礎資料がSNA統計(『国民経済計算年報』)から得られるかというと,答は「ノン」なのです。(p.274)

とされていますね。

なお、本書は2003年発行なのでデータが古いのですが、飯田先生が「財政政策が効かなくなった」のではないかと考えている1990年代についてサテライト勘定で分析したところ、次のような結果が得られているそうです。

> まず,15歳以下の子供がいると思われる29歳以下,30〜39歳家計は,医療費,保育園料補助,教科書の無料配布等の現物移転が目立つのに対し,60〜69歳は現金による社会給付が大きくなっていることを指摘したいと思います。その結果,皮肉なことに粗貯蓄(固定資本減耗を含む)が29歳以下,60〜69歳で大きくなっています。「ダブルポケット・チルドレン」(親からも祖父母からもこづかいをもらう子供)という言葉が象徴するように,豊かな老後を過ごす高齢者が「孫への支出をいとわない」といった記事が結構新聞をにぎわしていますが,あながち間違ってはいないのかもしれません。こうした(公的年金が収入の大きな部分を占めるはずの)高齢者家計の意外な豊かさは,日本だけのことではなく,多くの福祉国家に共通する現象です。(pp.281-282)

本書では、この点についてエスピン・アンデルセン『福祉国家の可能性』を参照するよう促していまして、私の誤解はともかく、「福祉国家に共通する現象」として分析が進むことを期待しております。
2012/07/26(木) 00:33:44 | URL | マシナリ #-[ 編集]
「(一つのエントリで)語るべきすべての事を語っていない」というのは有限の文字数で記される言説すべてに適用できる批判なので万能にして無意味.

社会保障給付が景気対策になるよの話は『脱貧困の経済学』(飯田・雨宮)と『ゼロから学ぶ』をはじめほとんどすべての僕の本で一番重視しているところなので指摘はちょっと心外.

あと,データ分析についても誤解がある.

データでの分析は「いままで行われてきた政策を評価する」ことはできても(そのままの形では)「いままでやられたことのない政策の評価」はできないんだ.

政府消費と社会保障はほとんどトレンド(線形トレンドではないよ)にしたがった推移をしており,見せかけ上の相関を除く処理を行うと系統的な動きがない.「景気対策として使われたことがない」「だから今回タイプの分析では取り扱わ(え)ない」

フィスカル・ポリシー(裁量的景気対策の財政的手法)といえば日本の場合これまでは公共事業か減税のことであり,そのうち前者は効かないよという話.

あと,政府紙幣や買いオペはさんざん「それは財政政策だ」といわれて
2012/07/27(金) 09:01:38 | URL | 飯田泰之 #-[ 編集]
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とある地方公務員の方が「財政政策という実務」と言うエントリーで、駒沢大学の飯田泰之氏のブログの内容を批判しているが、幾つか誤解があるようだ。
2012/07/17(火) 13:18:56 | ニュースの社会科学的な裏側