--年--月--日 (--) | Edit |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


2012年04月09日 (月) | Edit |
前々回エントリではdojinさんと大変有意義な議論をさせていただきまして、本文も長いですがコメント欄もかなりの長さになりました。その中で「私はマシナリさんの言説や情報発信を(ニッポンのジレンマ的議論の何倍も)信頼しております」とのお言葉をいただいたからというわけではないのですが、第2弾となった「ニッポンのジレンマ」の録画を流し見してみました。

まあ、あまり時間をかけて取り上げるべき内容だったかはよく分かりませんが、今回から参加された與那覇潤先生の歴史的な経緯を踏まえた指摘が議論の拡散を抑えていたようで、第1弾よりは出演者の底の浅さ・深さが浮き彫りになったように思います。

與那覇先生のさすが歴史学者だなと思う指摘をメモしておくと(今回は巻き戻していないのでうろ覚えですが)

  • 日本特有の民主主義の限界は江戸時代の限界そのままである。
  • 現代の政治家は貴族院の子孫ではなく一揆の子孫であって、国が間違ったことやろうとしたときにそれを止めることに特化している。
  • 現在の国会は拒否権を持つアクターが多すぎる。議員は地方に基盤を持っているので国政で何かを決めるということができないし、二院制で衆議院が優先するといいながら実際は参議院で野党に過半数を握られると決められなくなる。
  • (自分の一票が何かを決めるというのは、ある程度裕福でなければ感覚として理解できないという飯田先生の指摘に対して)ブルジョワ民主主義に対するプロレタリアート革命の必要性が語られたのが20世紀であって、21世紀の今になってそのことがまだ議論されていることに絶望を感じる。

といったところでして、まあそうだよなあというところですね。

とはいいながら、その與那覇先生ですら、「正社員という働き方や解雇規制をなくして雇用を流動化することが必要だ」(うろ覚えなので要旨はこんな感じだったと思いますが正確には違うかもしれません)という素人丸出しの労働観を披瀝されていたわけで、まあ建設的な議論が期待できないのは第1弾と変わりないのかなという印象です。

ただ、最後に各出演者に「これから民主主義を変えていくために必要なことは?」と一言ずつ求める場面があって、萱野稔人先生が「実務感覚」と答えられていたことが意外でした。まさか拙ブログをご覧いただいているとは思いませんが、「実務のない新世代」ばかりの出演者の中で、そのことを指摘したのが経済学者でも社会学者でもフリーランスのライターでも投資家でも紛争予防のスペシャリストでもなく、実務からもっともかけ離れている(と思われていそうな)哲学者だったというのが今回のオチでしょうか。

(追記)
オチには続きがあったようで、hamachan先生のところでほかの哲学者の方のツイートが取り上げられていました。

レベルの低い「民意」をすくい取られた大衆が、しかし自分の専門分野について「とはいえ、こいつはおかしいんじゃないか」と感じるその違和感をきちんと言語化するのが、言葉を商売道具にして生計を立てている連中の最低限の義務だろうに。
それすらも放棄するというのは、つまるところ、そういう専門分野、つまり「各論」を持たない哀れな哲学者という種族の末路と言うべきか。
ポピュリズムの反対はエリート主義ではない。大衆の中の「各論」を語れる専門家的部分をうまく組織して、俗情溢れる低劣な「総論」を抑えるようにすることこそが、今日の高度大衆社会に唯一可能な道筋のはずだ。

各論なき総論哲学者の末路(2012年4月 9日 (月))」(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)


なるほど、大衆と呼ばれる普通の人が持っている実務とか趣味の世界の専門性が「各論」を形成していて、むしろ専門家と呼ばれる人が持っている実務抜きの専門性が「総論」を形成していると考えると、私のようにわざわざ「実務知」とか「学術知」なんてカテゴライズすることなく議論ができますね。

そういえば、拙ブログでも「職業的なスキルを身につけたときには、誰でも「仕事について自分のスキルが上がって、仕事について一家言もてるようになった」ことに気がつくのではないかと思います。そのとき、他の職業人についても同じことが起きていていると想定するのが自然なはず。しかし、それは職業特殊なものであることが多いので、簡単には互いにそのスキルをわかち合えないどころか、そういう想定さえされないことになってしまいます」なんてことを書いていたのを思い出しました。

まあ、もしかすると、実務感覚で自分の専門となる「各論」の形成を呼びかけていた萱野先生はそうした経験を通じてその必要性を認識されているのかもしれませんが、「各論」を「各論」として考えることが利害調整の重要な要素でして、それを等閑視する専門家というのは決して哲学者に限らないような気もするところです。
スポンサーサイト


コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
前々回エントリではdojinさんと大変有意義な議論をさせていただきまして、本文も長いですがコメント欄もとのお言葉をいただいたからというわけではないのですが、第2弾となった「ニッポンのジレンマ」の録画を流し見してみました。まあ、あまり時間をかけて取り上げるべき...
2012/04/09(月) 00:45:53 | まとめwoネタ速suru
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。