2012年03月18日 (日) | Edit |
標題はまんま権丈先生のパクリです。あらかじめお詫び申し上げます。

政策に密着した研究、そうした問題意識それ自体は悪いことではないと思うが、いつの頃からか、研究者が研究したら、それがすぐに政策に使えるものと勘違いする風潮が生まれてきているように――最近の、いわゆる自称経済学者さんたちの論をみていたりすると、そうした風潮が広まっているように思える次第。
(略)
医療行為の効果は将来にわたって出てくるわけだから、その際、将来の価値を現在価値に割り引くための割引率をどう設定するかという難問をはじめ――ある1人の患者に対して、ある手術の実施は、低い割引率だと容認され、高い割引率だと容認しないと判断されたりもする――、同じ医療行為でも、患者の年齢をどのように考慮するべきかという問や、次のようないくつもの問に答えを出さなければ、政策には使えないのである。
(略)
これは、第一に研究者養成段階での教育の問題がかなり大きいだろうと思う。そして、前向きにまじめに研究してみましたけど、結果は芳しくありませんでした、ということを許容するゆとりがこの社会からなくなってきていることも原因なのだろうと思っている。分かりきったことをやる研究など、形容矛盾であって、研究成果というものは不確実に決
まっていて、当然、ハズレがでることもあるし、むしろハズレの方が普通だろう。もう少し、研究と政策の間にあるはずの長い距離を自覚して、研究者というものは、政策提言には慎重であっていいと思うのだが――さてさて。。。

勿凝学問 380研究と政策の間にあるはずの長い距離の自覚と無自覚(2012 年 3 月 17 日慶應義塾大学 商学部教授 権丈善一)」(注:PDFファイルです)
※ 以下、太字下線強調は引用者による。


参考資料も必読です。

この専門家の市場支配力を牽制できるのは同等の情報をもつ専門家しかいないわけだから、専門家のマネジメントにはピア・レビュー(peer-review)という同僚審査が最も効く。しかし、ピア・レビューがないところでは、専門家は、消費者に対して圧倒的な市場支配力を乱用して、実のところ、やろうと思えばなんだってできる。だから、専門家には、強い倫理規制が要求されているのだし、その職業倫理が、教育システムのなかで伝承されていくということが、ある程度社会的に期待されている訳だ。

勿凝学問 25 混合診療論議を題材とした政治経済学っぽい遊び PartⅡ(2004年12月5日脱稿 慶應義塾大学商学部教授 権丈 善一)


権丈先生のこれらの議論では、拙ブログで「学術知」と「実務知」の対立という言葉で表現していた内容が的確に指摘されていまして(念のため、そう個人的に思っているだけで権丈先生も同じことを考えていらっしゃるという趣旨ではありません)、さすが実務屋には書けない専門家ならではの筆致です。学術知しかない者と実務知しかない者がお互いに批判し合ったところで、それは「ピア・レビュー(peer-review)という同僚審査」を経ないという点でただの場外乱闘でしかありません。特に、権丈先生が指摘されるように、「この専門家の市場支配力を牽制できるのは同等の情報をもつ専門家しかいない」状況では、専門家が論争の相手とすべきなのは専門家であって、決して政策の制度化や執行を担当する実務家ではないはずですが、ネットでの議論を見ていると、専門家が実務家の政策を批判し、それを専門家ではない(権丈先生の言葉を借りれば)「消費者」が支持するという不思議な光景が散見されます。

さらに悩ましいのが、批判された実務家のうち、消費者の支持がなければ職を維持することができない政治家は、消費者の批判に応える形で実務を実行しようとします。しかし、実務というのは批判されたからといってすぐには変えられない(インフルエンス活動による効用が低い)から実務なのであって、消費者の批判に応えるためだけの実務なんてものには政策実現性(フィージビリティ)がそもそも担保されてはいません。となれば、実務家のうち政策を制度化して執行しなければならない公務員は、実務の実効性を確保するために、フィージビリティのない実務については「それは実効性がありません」と知らせなければならない(実務的な取扱いでフィージビリティが確保されればもちろん不要です。為念)のですが、そんな公務員は「消費者の批判に応えられない既得権益」として糾弾されてしまい、世の中には専門家や政治家によってフィージビリティのない政策が喧伝されていくことになるわけです。

権丈先生の議論が他の経済学者に比べて信頼できるのは、そうした実務上のフィージビリティに対する配慮が専門知の領域でも必須であるという点を常に意識されているからだと考えております。同様の信頼感は、経済学の理論と現実問題の折り合いについて「われわれの租税制度に含まれている外見上の不平等の多くは、うまく定義されているように見える概念を租税法に必要とされる正確な言葉に直すことの本来的困難さの結果にすぎないのである」と指摘してしまうスティグリッツにも感じますし、以下のような認識をお持ちの大屋先生にも(細かい制度認識については異論がないわけではないにしても、少なくとも議論の前提となる学術に対する姿勢については)信頼感を感じるところです。

竹端氏の「何かを変える、と決めたのなら、「変えないための100の言い訳」を繰り出すよりも、「変えるための1つの方法論」を徹底的に考えるべきではないか。」というフレーズは極めて印象的であって、そうだよなと思う人は多かろうと思うのだが、他方「あるべき姿」として提示されたのがたとえば「そらをじゆうにとびたいな」だったとすればドラえもんでない我々としては「できねえよ」としか回答のしようはないわけである
(略)
しかし制度全体をガラガラポンしますというのは別の言い方をすれば現にある程度の人数が獲得している権利なり利益なりを剥奪しますということなのであって、いやまあ全体を考えればもちろんそうした方がいいのかもしれないわけだが当事者は不満を覚えるだろうし現実には訴訟起こすよね。一定条件を満たした場合に認められていた加算をやめます(本体は変わりありません)という程度でも違憲訴訟起こされるというのは生活保護の母子家庭加算廃止の際に示されたわけであるし、そもそも自立支援法違憲訴訟自体がそういう話である。念のために言えばどちらが規範的に正しいかということはここでは前提していなくて、問題提起した側の主張が正しい可能性も十分にあると言っておくが、しかし重要なのは「あるべき姿」の議論として何が正しいかという問題とは別に要するに当事者が不満なら訴訟に付き合わされるんだよと、そういうことであろう

あるべき姿とその実現(2012年2月21日 01:19)」(おおやにき

別の言い方をすると、いやこれが極めて冷酷に響くだろうことは承知の上でしかしそういうところを改善してがんばる方向に行ってくれたほうがいいと思っているから書くのだが、政治的決断があったところで喜んで帰っちゃったところでもう負けなんだよね。しかも厚労省側が「「政治セクター」の判断を全く反故にするような工作を、総合福祉部会の最初からとり続けてきた」と認識していたのであれば(その認識が正しいかはさておいて)、それに対抗して「あるべき姿」を現実化するための努力を続けるべきだったんじゃないかという話。もちろん法令の文言を起こすようなことは専門の官僚でないと難しいということもあるのだが、そのもとになる改正要綱や制度設計の絵図面のレベルではがんばったのだろうか。骨格提言に対応する「厚生労働省案」がひどいというなら、その代わりになるべき制度整備案はまとめたのかな

私の感覚では、官僚をはじめとする「役所のひと」が重視しているのは何よりも現実化可能性と説明可能性であり、言い換えれば「本当にそれはできるのか」ということと、「政治家とかマスコミとかにツッコまれたときに納得させられるか」ということである。

続・あるべき姿とその実現(前)(2012年2月28日 23:44)」(おおやにき

若者世代の雇用を拡大したり技能を養成したりする施策にカネを使うと、いやうまく行けばの話ではあるが経済が膨らんで納税額も増えて障害者に使うための予算も出てくる可能性がある。それに対し、障害者の待遇は改善されたが若者世代が不正規雇用・単純労働のまま行き詰まるとそのうち納税額もギリギリ下がって財政破綻して結局改善されたはずの制度も維持できなくなるおそれがある。それでもなお障害者なのか、と問う人を説得する根拠というのが必要であり、それには「現に苦しんでいる」というだけでは不十分である。

福祉関係の方には、まあ現に非常に苦しんでいる人に直面しているからという事情はあるのだろうが、このあたりの問題をすっとばしてとにかく当該対象領域は極めて優先順位の高いもので救済すべき人を多く抱えているということを前提にしてしまう人が散見され、しかしそれでは、特に分配のパイが縮小している状況において(つまり財源の行き先に皆がセンシティブになっている状況で)理解のない「正常人」の群れには勝てないんじゃないかなあと思う。だって結局そっちの方が圧倒的に大多数なんだからさ

政治家の自尊心をくすぐるための「メッセージ」とやらではなくて、理想を実現するための制度構想と・その導入が社会的に承認されるための正当化根拠の構築という地道な作業が、障害者が本当は必要としているものではないかと思うわけではあります。

続・あるべき姿とその実現(後)(2012年2月29日 23:50)」(おおやにき


引用だらけで恐縮なのですが、政府を通じた再分配を制度化するというのはことほど左様に難儀な作業であって、だれかがりーだーしっぷをはっきすればかいけつする問題なんかではないわけです。こうした多方面との調整に必要なのが客観的な政策実現性であり、それを遂行するだけの知的・体力的タフネスさであり、それこそが官僚とかの公務員に要求されるものでもあります。大屋先生はそれをご自身でも体験済みだからこその説得力なのだろうと思います。

気がついたら長々と引用だらけになってしまいましたので、ここまできたらついでに先日公表された湯浅誠氏の内閣府参与辞任のお知らせからも引用しておきます。なお、拙ブログでは湯浅誠氏には評価できるところできないところがあると認識しておりまして、もちろん一部には賛同できない記述もありますが、今回公表された湯浅氏の認識は大変まっとうなものと考えております。と思ったら、権丈先生ご自身が「2月のアメニティフォーラム初日夕食の時には、僕は、僕の本をかなり読みこなしてくれていた湯浅さんから、僕の政治との距離の置き方をはじめとして、いろいろと質問を受けていた次第」だったそうですから、拙ブログと同じような認識を持つのも宜なるかな。その権丈先生も引用されている部分を含みますが、

税と財政の規模について


(略)
混合診療の全面解禁については、アメリカの民間保険会社などが長らく主張しており、日本の財界もそれに呼応しています。国会議員の中にも、それを主張する人は少なくありません。よって「その連中が悪い」と言われることがありますが、だとしたら「そうならないように、医療費の負担と給付を増やそう」と主張しないと、筋が通りません。混合診療全面解禁は反対だが、医療費負担も反対というのでは、現実は私費負担割合が増えていく方向に進まざるを得ません。両方に反対していれば病気になる人が減る、というのでないかぎり、実際にかかる経費は変わらないからです。
そのため、混合診療全面解禁も反対だが、医療費負担増も反対だというとき、人々の矛先は「どこか(自分ではない)他のところにお金があるはずだ」というところに向かいます。それが企業だったり(法人税)、富裕層だったり(所得税・資産課税)、消費税だったり、政府(特別会計など)だったり、主張する人の意向によって矛先はまちまちです。現在のところ、多くの人たちが合致できる最大公約数が「政府に隠れたムダ金があるはずだ」という点にありますから、「まずは政府が身を削れ」という行革路線が強くなり、それを主張する分には、国会議員もマスコミも、あまり批判にさらされず安心、という状態になっています。


● 政府との関係、社会運動の立ち位置について


(略)
 私がこの2年間で発見したのは、官僚の中にも、私と同じような方向性を目指しながら働きかけを行っている人たちがたくさんいる、ということでした。その人たちはテレビや新聞で原則論をぶったりはしません。錯綜する利害関係の中で説明・説得・調整・妥協を繰り返しています。決定権をもたない組織の一員として、言いたいことを声高に言うことなく、しかし結論が「言いたいこと」になるべく近づくように奮闘しています。ところが、外側の私たちは、そうした内部の奮闘の結果として最後に出てきた結論が情報に接する最初になるので、そこから評価が始まり、交渉が始まります。批判の矛先が奮闘した当の本人に向くこともしばしばです。
 Aという担当者がいて、ある事柄をなんとかしたいと発案し、提起する。課内から局、局から省、省から政府と持ち上がる過程でさまざまな修正が入り、結論としての政策が出来上がる。しかし、もともと同じ方向性の主張を掲げていた人たちが、その結論を原則的な立場から頭ごなしに批判し、説明者でもある担当者をなじる。この過程が何度となく繰り返されていけば、少なくとも私だったらだんだんと気持ちが萎えていきます

【お知らせ】内閣府参与辞任について(19:30改訂、確定版)(2012年3月7日水曜日)」(湯浅誠からのお知らせ


というのは、湯浅氏が内閣府という霞ヶ関の意思決定システムの一部に入り込んだからこそ見えた光景でしょう。権丈先生も大屋先生も、こうした光景を目の当たりにして(少なくともそうした意思決定システムがあるという事実を踏まえて)政策論を考察しているからこその信頼感なのだと思います。ところが、上記で湯浅氏が指摘している通り、同じ霞ヶ関の中にも原理主義を貫く官僚というのは一定数いるもので、そのような方々が「カイカク派知事」とか「脱藩官僚」になってフィージビリティのない空疎な原則論をマスコミでぶつわけです。あるいは、財務省や日銀の実務家が国際標準の経済学も理解していないと批判する割に、学会で専門家同士で議論するのでも、国際的なジャーナルにアクセプトされる論文を書くのでもなく(私が知らないだけかもしれませんので、そのときはこの部分は削除します)、一般の素人やアイドルに専門知を振りかざしながら「消費者に対して圧倒的な市場支配力を乱用して」いく専門家もいらっしゃいます。

このような方々が少し黙っていてくれるだけで利害調整も少しは楽になるのですが、そんなことはお構いなしにご自身のシンパを増やすことに専念されるわけですから、利害調整に要する時間も人手も増えていっているように感じます(その手間を省くことが独裁なのですが、それすら一部では望まれているようで油断はできません)。まあ、黙っていてほしい方の典型例が、放射性物質の危険性について闇雲に恐怖心を煽り、いらぬ風評被害を引き起こしてがれき処理を遅らせ、風評被害対策とかがれき処理議連なんていうムダな行政経費をかけさせている一部の論者とか、破綻するはずもない年金制度に対する不安を喧伝して政権を奪取した現政権とかそのブレーンの経済学者なわけですが。
スポンサーサイト


コメント
この記事へのコメント
学者は、西欧近代が作り出した学問体系を積み上げるという、アカデミズムとしての大切な仕事がある。ただ、これは、かなり大変なことであり、皆、途中で、単なる実感主義の評論家になってしまうあたりに、日本の知識人の弱さがあるんだろう。
「百科全書派」といわれるような知の巨人は、林達夫あたりであろうが、百科事典の編集に没頭し、戦後はほとんど沈黙をたもってしまった。
日本の経済学者、とくに、リフレ派と称する方々は、自分の意見が、世界標準ということであれば、その見解を、少しは、英語で査読付きのジャーナルなどで論文を発表してほしいものだ。自信満々なのだから、日本の長期不況を打開するという、その卓見は、ノーベル賞ものとなるはずなのではないか。
2012/03/20(火) 16:09:25 | URL | yunusu2011 #-[ 編集]
ご無沙汰しております。

一つお伺いしたいのですが、マシナリさんは、おおやにき氏と同様、政治的プロセスの中で開催が決定して実施された部会の、120ページ程度の報告書となった「骨格提言」に対し、4ページの「厚生労働省案」をぶつけた厚生労働省の行為が、「そらを自由に飛びたいな」という願望に対する「現実化可能性と説明可能性を重視」した行動と理解されているわけでしょうか?

また、「現実化可能性と説明可能性」を重視しているならば、このような混乱が生じているのはなぜでしょうかか?
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20120306/1331044148

ここらへんについて、「空を自由に飛びたいな」VS「現実化可能性と説明可能性」などという単純化された二項対立的解釈でいかほどのことが理解できるでしょうか?

別に私は厚生労働省を責めたいわけでも民主党を責めたいわけでもありませんが、ここでのマシナリさんやおおやにき氏の理解、そしてそれを肯定的にみる権丈氏の理解は、果たして今後行われるであろうこの一連の現象の(権丈氏お好みの)「社会科学的分析・解釈」に耐えうるものですか?

私もこの部会をきちんとフォローしてないのであまりえらそうなことはいえませんが、「骨格提言」だけみても、そんな極端な「ガラガラポン」でも必ずしも「巨額の財源」が必要とされる夢物語ではないでしょう。それに対してあの4ページの厚生労働省案なわけです。

これはもっと慎重に、深く考えるべき現象・問題で、それこそ、「専門家」が、たいした実証的根拠もなしに、適当に出来合いの官僚制の概念や解釈やら「タケコプター」やら自分の体験のアナロジーやらで面白おかしく下調べもせずに「考察」してみせても、日本が現在直面している政治と官僚と利害団体とそこからでてくる政策アウトプットの状況を適切に理解できるとは思いませんが、どうでしょう?
2012/03/29(木) 03:55:17 | URL | dojin #0sMGOP1I[ 編集]
もう一つ、「実務上のフィージビリティ」とマシナリさんはおっしゃいますが、地方公務員の視点からの「実務」とは異なる「実務」の視点もあることを忘れていませんか?また、(地方)公務員の視点からみれば「フィージブル」であると思われていることが、もっと異なる「現場」からみたらまったくフィージブルでない場合も多々あるでしょう。

何が「回っている」ように見えて、何が「回ってない」ように見えるか、という事柄自体も、立場が違えばけっこう違うわけです。そこを(地方)公務員の立場から、「フィージビリティがどうのこうの」というのでは、それは言い訳というか、ただ「お前にとってはフィージブルでよかったな」という話に終わりがちです。

もちろん、私はマシナリさんブログの愛読者ですし、このエントリがいわんとするところもわかっているつもりですし、イデオロギー的原則論ニクシというのもよくよくわかるんですが、本エントリのタケコプターVSフィージビリティ重視の現実的官僚という理解はやや乱暴かな、と思います。


さらにもう一つ。私も権丈氏をとても尊敬している一人ですが、学術研究を止め、ピアレビューを経ない一般人向けの言説のみに特化しているという点で、

「ピア・レビューがないところでは、専門家は、消費者に対して圧倒的な市場支配力を乱用して、実のところ、やろうと思えばなんだってできる」

というのは権丈氏の言説そのものへの批判となる言説ですね。
2012/03/29(木) 04:10:49 | URL | dojin #0sMGOP1I[ 編集]
ちなみに、大屋さんが「空を自由にとびたいな」と揶揄する「骨格」http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/sougoufukusi/dl/110905.pdf
には、「財政」という言葉が45箇所登場し、

「制度を実質化させていくためには財政面の裏打ちが絶対的な条件となります。現在の国・地方の財政状況はきわめて深刻であるため、障障害者福祉予算を確保するためには、給付・負担の透明性、納得性、優先順位を明らかにしながら、財源確保について広く国民からの共感を得ることは不可欠」(p4)

「本来であれば、障害者総合福祉法についての骨格提言にあたり、あわせて財政面の積算(予算規模の推計)を行なうべきかも知れない。しかし、そのためには基礎的なデータが余りにも不足している」(p87)

「日本の障害者福祉予算の水準は、OECD諸国に比して極めて低水準であり、尐なくともこれをOECD加盟国の平均値並みの水準に引き上げることが求められるが、その際、支出・給付面と国民負担率等の負担面を合わせて総合的に検討を行うべき」(p88)

「支援ガイドラインに基づく協議調整モデルにおける費用につき、全国に先駆けて、平成15年度支援費制度の時点でガイドライン(*)に基づく支給決定方式を採用した二つの自治体(A市、B市。この内、A市は重症心身障害児者の地域生活モデルをガイドラインに組み込んでいる)の予算措置から見ても、支援ガイドラインに基づく協議調整による支給決定は、財政的にも実現可能であ
る。」(p90)

などの文言が入っています。それに対して、厚生労働省案はこれです。

http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/sougoufukusi/2012/02/dl/0208-2a01_00.pdf

政治的立場は抜きにして、普通に考えれば、これは非常に興味そそられるネタであり、大屋氏の「タケコプタVS現実化可能性と説明可能性」という認識ではいかに不十分かは一目瞭然ではないでしょうか。対案だせうんぬんの次元ではないように思います。
2012/03/29(木) 06:50:30 | URL | dojin #0sMGOP1I[ 編集]
ふだんはコメントしないのですが、dojinさまのていねいなコメントに触発されまして。なかなかコメントされる方もいらっしゃらないでしょうから。
部会提言を拝見しましたが、このレベルではやはり「たけこぷたー」としか言いようがないのでは。ここから法案まではものすごく距離があります。たとえば、技術的には(おおや先生が書かれているように)もっとも制度設計が難しい他の制度との調整を、「調整が必要である」で済ませているところがいくつもありますよね。当然地方自治体とかとの調整も済んでないでしょう。あとは、「権利」と書けとかあちことにありますが、これがどういう「権利」なのか、も詰まっていないですよね。(この辺はおおや先生の専門でしょうが。)これは、将来裁判で国が負けたりして、納税者のお金を使わざるを得なくなるかもしれないので、当然慎重になります。
これを法案化するためには、多大な人員と時間が必要でしょう。20人ぐらいのタコ部屋を作って、2年ぐらいかかるかな。大臣、副大臣、政務官とかも含めて、幹部の時間と労力も相当割くことになります。
それを済ませて、そのうえで主計局との調整が必要ですよね。少なくともこの関係の予算措置を医療や年金よりも優先度の高い案件として、厚生労働省として要求する覚悟はいります。
ようは、厚生労働省として、中期的に、大臣以下幹部の労力の面でも、予算配分の面でも、職員の配置の面でも、もっとも優先度の高いプロジェクトとして取り組む覚悟を決めないと、現時点ではとても約束できないわけです。
2012/03/29(木) 09:36:59 | URL | 通りすがりの元中央官庁職員 #-[ 編集]
従いまして、厚生省職員の怠慢をせめても始まらない。どうやれば、本件の政治的重要性を高められるか、あるいはより低い労力で本件が進められるようにするか(この点がおおや先生がおっしゃっていたことかと思いますが)、ということを考えていただかないと、なかなか建設的な議論にならないという点に、たぶん政府職員側もくやしさを感じているのではないかと思いまして。
2012/03/29(木) 09:39:50 | URL | 通りすがりの元中央官庁職員 #-[ 編集]
通りすがりの元中央官庁職員さん、ありがとうございます。基本的にはおっしゃるとおりと思います。ただ、「そらをじゆうに飛びたいな、はい、たけこぷたー」(以下、便宜上タケコプターとしますw)は現在のテクノロジーでは誰にも設計図は書けないのに大して(飛ぶどころか、頭の皮がもげるそうです)、「骨格」案はそういうシロモノではないわけです。

少なくとも私は、現代社会の資源制約と財政制約と照らし合わせながら、妥協と調整の上で、この「骨格」を検討することができるものと思っています。

実際、この4ページ厚生労働省案のあとのすったもんだの後の総合支援法にも、そういう側面がないわけではないでしょう。これは一定の調整の上で、法律案になってるわけですから。

http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/soumu/houritu/dl/180-29.pdf

政策構想と法律の技術的な調整の間の距離があることを持ってして「タケコプター」なら、法律の素人が練る政策構想はほぼ全てタケコプターになります。ならば、この世の法律の専門家で構築者たる官僚以外はみんなタケコプターしかつくれません。

そもそも大屋氏の論は、「骨格」が現在の資源制約下では物理的に無理、というタケコプター批判と「いろんな難しいチョーセーが法律には必要なんだからもっと細かく練り上げなければ無理」というタケコピター批判が混在しているわけですが、前者は「それほんと?経済や財政の専門家ではないのにそこまでわかるの?」と言えますし、後者は「それは厚生労働省案がたった4ページの案である理由の説明にはならない」と思います。

いずれにせよ、本件について私が重要だと思うのは、「タケコプター」VS「ふぃーじぶる重視の官僚」などと面白おかしく語って竹端氏をdisることではなく、部会の構想に対する厚生労働省案が、どのような政治的・財政的制約下のもとで、どういう内在的な動機の下で、あのようなものになったのか、という「普通の」分析でしょう。

そういう話をせずにタケコプターdisりをするのは、厚生労働省をめぐる政治・財政的状況の正確な理解に興味があるというよりも、とりあえずプロセスや中身やよく知らないけど(橋下やチホーブンケン論と同じく)タケコプターっぽかったからdisってみた、ということではないでしょうか。





2012/03/29(木) 10:32:14 | URL | dojin #0sMGOP1I[ 編集]
そもそも、政治家でも官僚でもない、他に本業があって忙しい利害関係者や学者の集まりにすぎない、しかも一部会にすぎない福祉部会に、制度設計や法律案の細部、地方自治体や主計局との調整、世論への広報etc.を求めるなど、狂気の沙汰でしょう。

120ページの報告書では不十分、という批判はありえるとは思いますが、それ以上の調整がまったくできずに4ページの対案がでてくるというのは、部会だけの問題ではなく、政治や官僚組織も含めた根の深い問題で、それに対して、「タケコプターつくってないでもっとがんばれオマエラ」といってるわけで、何かしら恨みでもあるのか、と思ってしまいます。

マシナリさんや私が尊敬する(ここではちょっと批判しましたが)権丈氏だって、社会保障国民会議ではシミュレーションを官僚にやらせているわけだし、別に法律書けるわけでもないんです。

まぁマシナリさんや権丈さんは民主党ニクシorショボシ、空疎な改革論ニクシっていう思いが強いので(これはみんなそうでしょうがw)わからないでもないですが、以上述べたように「骨格」に対するタケコプター批判はお門違いかなと思いますし、「多方面との調整に必要なのが客観的な政策実現性であり、それを遂行するだけの知的・体力的タフネスさであり、それこそが官僚とかの公務員に要求されるもの」といったところで当初でてきた4ページの厚生労働省案を「説明」したことにはならないわけです。

もちろんいろんな腹案あっての厚生労働省案とは思いますが、だとすれば、その「腹のうち」を明々と説明し、「竹端さんは部会でもまれながら、そんなこともわかってなかったのか」というのが説得力のある批判でしょう。
2012/03/29(木) 10:53:30 | URL | dojin #0sMGOP1I[ 編集]
初めて書き込みをさせて頂きます、ぽんと申します。
1点、無知ゆえに分からぬことがございまして...ご質問をさせて下さい。

ピアレビューとして、同等の知的レベルを持った者しか政策批判が出来ないのだとしたら、そもそも国を動かす根本である選挙と言う制度が間違っているということになるのでしょうか?
政治家や消費者は、長い長い時間をかけて政策を練ってくれる非常に少数の有能な専門家を待ち望むことしか出来ないのでしょうか?

少しでもカオスな日本政治の現状を良くするには、どこからどう国民は、政治家は、学者は着手していくべきなのかとモヤモヤしました。
2012/03/29(木) 17:49:40 | URL | ぽん #sSHoJftA[ 編集]
再コメントはしないつもりでいたのですが。

Dojinさま

このあたり、先般の湯浅さんのブログへの反応にもありましたが、アウトサイダーとして原理原則論を言い続けるのか、インサイダーとして調整に汗をかくのか、戦略論としては双方に理があるかと思います。ただ、ITの進歩によって情報格差が減り、低成長下において調整の余地が狭まり、「政治主導」によりプロセスの手間がますますかかる中において、これまでインサイダーとしての業務を担ってきた中央省庁の職員のリソースが課題に対してますます足りなくなっている、すなわち、アウトサイダーが「そらを自由にとびたいな」と言っていれば、そのうちインサイダーが「はい、たけこぷたー」と一定程度皆が満足する解答を出してくれる可能性がどんどん低下している、ことは認識していただければ。(この点、権丈先生の最近のエントリーにもあったと思います。)そのうえで、目的を達成するために、アウトサイダーに徹するのか、インサイダーの「一味」となるのか、どちらがより良いかをご判断していただければと思います。

あと、「腹のうちを」明々と説明すべきとおっしゃっても、皆様に文句を言われないような説明ぶりを考え、政務三役にも説明して、党要路にも了解をいただいて、というだけで、気の遠くなるような時間と労力がかかると思います。

それと、「厚生労働省」とおっしゃったとき、どうも、いわゆる意思決定主体として役人をイメージされているような気がするのですが、トップにはきちんと政治家がいるわけで、かつ、このご時世、そのあたりにきちんと相談し、その判断をいただいたうえで、やっているはずだとは思います。

ぽんさま

権丈先生のお話は、専門家としての心構えの話だと思いまして、「同等の知的レベルを持った者しか政策批判ができない」ということではないと思います。ただ、多くの国政上の問題で、そんなに複雑なものはないと思います。むしろ、こういうことをやればすべてが解決する手があるはずだ、という思い入れなしに、何が問題か、それはどうして問題か、どういう解決策が考えられるか、というのを一人一人がきちんと考えてみる、といったことしかないかと思います。(そのためには、専門家やマスコミが十分な情報提供をする必要もあるのですけどね。)
2012/03/30(金) 09:16:53 | URL | 通りすがりの元中央官庁職員 #-[ 編集]
ご返事ありがとうございます。

>アウトサイダーが「そらを自由にとびたいな」と言っていれば、そのうちインサイダーが「はい、たけこぷたー」と一定程度皆が満足する解答を出してくれる可能性がどんどん低下している

そのような「可能性」は(少なくとも障がい者福祉の領域については)昔から成立していませんし、最終的な「総合支援法」だって、政治家や官僚や様々なアクターの駆け引きの末にでてきたものですよね。

要は、竹端氏のシノドス文章を、そういう「駆け引き」ネタの一部として、現在の民主党政権の政治や官僚制度、およびその下での政策決定過程を理解するための材料として位置づけるか、「アウトサイダーの活動家もどきの学者のたわごと」として二項対立の一方に位置づけてナイーブに批判するか、ということです。
2012/03/31(土) 11:37:54 | URL | dojin #0sMGOP1I[ 編集]
ただ、

>アウトサイダーが「そらを自由にとびたいな」と言っていれば、そのうちインサイダーが「はい、たけこぷたー」と一定程度皆が満足する解答を出してくれる可能性

ただ、こういう「余地」が昔のほうがあって、今のほうが厳しいというのはおっしゃるとおりかもしれませんね。

そういう意味では、竹端氏のシノドス文章がそういう予算・政策決定過程の「変質」に無自覚なのではないかという批判はあり得ますね。

ただ竹端氏の文章は(マジメな大屋さんは学者がそういうことを行うことを認めないかもしれませんが)まだ対象がホカホカしている最中(つまり予算・政策決定過程の最中)の、一方のアクター側からの政治的メッセージと私は最初から理解してましたので、それに対するおおやさんやマシナリさんの「タケコプター原理主義」批判は少し明後日の方向を向いていたような気がしたので。

でも、個人的にはなんとなくこの話の落としどころがついてきたように思います。おおやさん、マシナリさん、通りすがりの元中央官庁職員、みなさんお忙しいところ、どうもありがとうございました。
2012/03/31(土) 11:56:44 | URL | dojin #0sMGOP1I[ 編集]
> 皆様

エントリをアップした当の本人が不在にしておりまして大変失礼いたしました。とても活発なコメントのやりとりがあったようで、エントリをアップした者として少しは世の中の役に立てたのかなと望外の喜びです。

エントリをアップしたままほったらかしになっていたのは、年度末の業務多忙によりなかなか時間がとれず・・・というのが言い訳なってしまうのですが、実を言えば、このエントリで言いたかった愚痴の大半はこのことで説明できてしまいます。ということで、dojinさんは収束モードに入ってしまわれたようですが、補足としてコメントいたします。

このエントリを書いた動機は、利害関係が複雑化・精緻化しているにも関わらず、その利害調整やら現場の執行やらを担っている我々公務員のリソースは減らされていく一方なわけで、目の前の利害関係すら十分に調整できないのに、そのぎりぎりのリソースで行う利害調整そのものを批判されてしまうと、仕事が進まなくなってしまうというところにあります(ですので、障害者総合福祉法そのものについてのフィージビリティを問題として取り上げる意図は、実はそれほどありませんでした)。

特に当地のように東日本大震災で大きな被害が発生した地域では、その復旧・復興事業が膨大な事務量になっていますが、かといって内陸部は通常通りの生活が営まれているわけで、単純に仕事が純増しています。にもかかわらず、マニフェストという空想の世界で作られたものに掲げられた人員削減は粛々と進められています。その限られた人的・金銭的・時間的リソースしかもたない公務員として、同じような境遇にある厚労省の官僚が利害調整に当たり、国家予算全体の中で共有されるリソースを獲得するために各関係方面に説明やら交渉を繰り返し、しかも「もう待てない」という声に応えようと半年で骨子案として案をまとめて結果を示したところで、その利害調整の過程を踏まえて「これだけの手勢でよくやった」などと褒め称えられることがあるはずもなく、「ゼロ回答ふざけんな」と目の前で散々批判されれば「これ以上できねえよ」といいたくもなるよなあ、と勝手に厚労省の中の人の気持ちを慮ってみたというところです。

ただ、私も障害を持つ家族を扶養する者として、制度のユーザーの立場からすれば、障害者自立支援法から障害者総合福祉法への移行がそれほどインパクトのあることとは思われないのも事実です。「実務」という言葉はもう少し定義をはっきりさせなければならないとは思いますが、ここでは手続による正当性・公平性の確保(法律でいうデュー・プロセス・オブ・ローに近いものを想定しております)というくらいの意味合いで考えると、自立支援法違憲訴訟での基本合意を基に自立支援法の廃止を確約するべきと主張される方もいらっしゃるようですが、それこそ実務ではあまり意味のない議論です。

12/02/08 障がい者制度改革推進会議総合福祉部会(第19回)議事録
http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/sougoufukusi/txt/120208-01.txt
部会終了後に委員から提出された意見
http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/sougoufukusi/2012/02/txt/0208-11c01_00.txt

障害者支援制度のユーザーにとっては、その制度を利用する際の手続が、簡便で誰でもアクセスできるという利便性のほかに、インフルエンス活動やら裁定行為ができないだけの頑健なものとなっていることが重要であって、それが廃止なのか名称変更なのかなんてのは二の次です。上記URLの障がい者制度改革推進会議総合福祉部会の各委員の発言を見ていても、そうした理解をされている委員は少なからずいるようですし、そもそも同じ障害者といっても障害の態様は千差万別であって、法律廃止とかパラダイムシフトによってかえって状況が悪化する場合も想定される中で、マニフェストとか基本合意に掲げられた「自立支援法廃止」にこだわる実益もそれほど大きくはないのではないかと、限られた自分の経験では思うところです。

したがって、私の考えるところでは、dojinさんが

> そもそも大屋氏の論は、「骨格」が現在の資源制約下では物理的に無理、というタケコプター批判と「いろんな難しいチョーセーが法律には必要なんだからもっと細かく練り上げなければ無理」というタケコピター批判が混在している
> 2012/03/29(木) 10:32:14 | URL | dojin #0sMGOP1I[ 編集]

と指摘されることと、大屋先生が

> 私は自分がドラえもんではないと知っているので「できねえよ」と答えるに至ったが、竹端氏はいや人間の力でもできると答えてもよいし、ドラえもんはいるよと答えてもよい。しかし結局出てきたのは制度改正がいかに必要であり重要かという反論で、現実化可能性についての応答がなされなかったということは、結局竹端氏はこの二つの次元の違いを理解ないし認識していなかったのではないかという私の疑念をさらに強化するものであった。
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000850.html

とおっしゃることでいえば、大屋先生の見解を支持するところでして、dojinさんのご指摘は竹端氏と同じ誤解をされているように見えてしまいます。

つまりは、実現できるか否かという評価は利害調整の中でどのような合意が可能かについての利害関係者間の見立てによって変わるものであって、竹端氏が「骨格提言はタケコプターなんかじゃなく、リソースを有する諸々の関係者との利害調整により実現が可能なものだ」と認識されているなら、粛々とそう主張すればよいはずです。

大屋先生が指摘しているのは、そもそも竹端氏には政策の実現可能性の決定的な要素である利害関係者の合意可能性(つまりそれが説明可能性です)についての認識が欠けていて、「骨格提言はタケコプターなんかじゃなく、現実に必要だから実現しなければならないものだ」という主張しかしていない点にあるのではないかと思います。あくまで個人的な推測ではありますが、必要な政策は世の中にごまんとあるのに、障害者福祉の関係者が当事者として必要と主張したところで、他の利害関係者は合意しないだろうという見立てが大屋先生と私に共通の認識となっていて、それが竹端氏とdojinさんの見立てとは異なっていることがこの論争(?)の根っこにあるのではないかと考える次第です。
2012/04/01(日) 01:02:45 | URL | マシナリ #-[ 編集]
大変お忙しいところ、ご丁寧なご返事ありがとうございます。

そういうことならばよくわかります。というか、「そらを自由に飛びたいな」VS「官僚は現実化可能性と説明可能性を重視」などというミスリィーディングな二項対立に乗らずに、「『骨格』の出来栄えはさておき、厚生労働省官僚(および空疎なマニフェストを掲げた民主党)の現在のリソースでは、厚生労働省の4ページの案が限界である可能性が高い」と最初からはっきり書き、その根拠を挙げて頂ければよかったと思います。

そうすれば無用な混乱なく、議論は次のステージに行けます。

マシナリさんのコメントに従えば、問題は「障害者総合福祉法そのものについてのフィージビリティ」ではなく(むしろそれは不問)、それに対する現在の厚生労働省のマンパワー的な応答可能性にあるということになります。

そうだとすると、論理的には、どんなに現代日本の資源制約的・財政の予算制約に現実的な案であっても(「骨格」が必ずしもそうだとはいいません)、利害調整担当の厚生労働省マンパワーが1人だけもしくは0人だけならば、どんな案も「タケコプター」との批判を食らうことになります。

そういう行き違いを避けるためには、議論において、1.「骨格」がどの程度、現代日本のマクロ的な資源・予算制約下(官僚のマンパワー増大余地なども含む)で実現可能かどうかの検討と2.「骨格」がどの程度、現在の民主党政権や官僚マンパワーの制約下で実現可能かどうかの検討を分けて考える必要があるということです。

1の観点にせよ2の観点から、竹端氏の「規範的」議論を「実証的」観点から「非現実的」と批判することは十分に可能だとは思いますし、それは私もぜひより詳しくお聞きしたいです。ただし大屋氏やマシナリ氏のエントリはそういうふうには読めませんでした。

例えば私も、1の観点からしても、現代の日本の予算制約や経済状況において、障害程度区分を廃止・緩和することは国庫負担基準を廃止するという「骨格」の主要提言は、仔細な検討をしたわけではないですが、支援費制度の廃止などの過去の経緯などを考えると、直感的にはすぐに実現することは困難と思っています。

ただ「規範的」にはこのような方向性を支持しているので、その実現のためには経済状況の改善や増税などにより、こういう方向性に近づくべき努力をすべきだし、パーフェクトではなくてもそれは可能だと思っています。従って、竹端氏の論をタケコプター批判するのは1の観点からは誤っていると思っています。

一方、2のような観点についてどのくらい私が考えていたかというと、それは確かに抜け落ちていたでしょう。従って、政治的あるいは官僚マンパワー的制約から、厚生労働省は4ページの骨格案を出す以外に道はなかった、と説得力をもって示されれば、素直に、「ああ、それは確かにそうだな」と受け入れるまでです。

なので、大屋氏の問題提起についての次の議論のステージは(もちろん、ここでやるというわけではないですよ)、マシナリさんの

『その限られた人的・金銭的・時間的リソースしかもたない公務員として、同じような境遇にある厚労省の官僚が利害調整に当たり、国家予算全体の中で共有されるリソースを獲得するために各関係方面に説明やら交渉を繰り返し、しかも「もう待てない」という声に応えようと半年で骨子案として案をまとめて結果を示したところで、その利害調整の過程を踏まえて「これだけの手勢でよくやった」などと褒め称えられることがあるはずもなく、「ゼロ回答ふざけんな」と目の前で散々批判されれば「これ以上できねえよ」といいたくもなるよなあ、と勝手に厚労省の中の人の気持ちを慮ってみたというところです。 』

というマシナリさんの現実認識の事実的妥当性ということになります。これについては私はなんのデータも証拠も持ち合わせていないので、何もいえることはありません。

(ただ個人的には、竹端氏や部会側にまで「官僚マンパワー不足を慮れ、でないとタケコプターだ」というのはお門違いと思います。それこそお互い利害関係の対立やマンパワー不足の中で部会・政治家・官僚がぶつかり合っているわけで、マンパワーがなくてより仔細な制度設計案や法律案が作れない部会側も事情は同じで、同じ役人としてマシナリさんが「厚労省の中の人の気持ちを慮ってみ」るのはかまいませんが、それならば同じように部会側の資源制約も慮ってください、という話になってしまいます。

あと、大屋氏は竹端氏を同じ「学者」目線で見られているようですが、私は部会委員という時点で「大学教員の名を借りた運動家」と見ています。シノドス論考も、論文ではなくて政治活動文章と理解しています。)

2012/04/01(日) 10:41:19 | URL | dojin #0sMGOP1I[ 編集]
> dojinさん

再度コメントいただきありがとうございます。
私の言葉足らずのために誤解を招いてしまい大変申し訳ございませんでした。

私はエントリ本文に書いたとおり

> (細かい制度認識については異論がないわけではないにしても、少なくとも議論の前提となる学術に対する姿勢については)信頼感を感じるところです

と考えておりまして、大屋先生のご指摘全部に同意しているものではありませんので、dojinさんが、

> 「そらを自由に飛びたいな」VS「官僚は現実化可能性と説明可能性を重視」などというミスリィーディングな二項対立に乗らずに、「『骨格』の出来栄えはさておき、厚生労働省官僚(および空疎なマニフェストを掲げた民主党)の現在のリソースでは、厚生労働省の4ページの案が限界である可能性が高い」と最初からはっきり書き、その根拠を挙げて頂ければよかったと思います。
2012/04/01(日) 10:41:19 | URL | dojin #0sMGOP1I[ 編集]

指摘されるほど大屋先生の構図に乗ったつもりはありませんでしたが、引用が長く、私の言葉足らずのために意図が通じなかったことについてはお詫び申し上げます。

文章力がないもので再度お答えすることでさらなる誤解を生んでしまう可能性も懸念されますが、せっかくいただいたコメントですので私の問題意識をまとめさせていただきます。

まず、私の現状認識を確認させていただくと、当エントリで書いたとおり
> 実務家のうち政策を制度化して執行しなければならない公務員は、実務の実効性を確保するために、フィージビリティのない実務については「それは実効性がありません」と知らせなければならない(実務的な取扱いでフィージビリティが確保されればもちろん不要です。為念)のですが、そんな公務員は「消費者の批判に応えられない既得権益」として糾弾されてしまい、世の中には専門家や政治家によってフィージビリティのない政策が喧伝されていくことになるわけです。

という形で、実務面での政策の実現可能性が意識されずに制度が議論されてしまう状況では、その実現可能性を担保しなければならない自分の仕事が回らなくなる公務員がその理由を述べたり、可能な範囲での代案を示そうものなら、「できない理由を並べる抵抗勢力」とか「前例踏襲の既得権益」と批判される現状があります。

この現状を大前提としてできるだけ提言に沿って対応するとすれば、リソースを奪い合う各方面の利害関係者との調整や、その制度を活用して裁定行為を行おうとする部外者を排除するための制度設計が必要となるわけで、

> こうした多方面との調整に必要なのが客観的な政策実現性であり、それを遂行するだけの知的・体力的タフネスさであり、それこそが官僚とかの公務員に要求されるもの

となるわけです。

この辺が言葉足らずでしたが、「多方面との調整に必要なのが客観的な政策実現性であり、それを遂行するだけの知的・体力的タフネスさ」というのは、単純に少数精鋭とか迅速な対応なんてことではとうてい実行できない作業でして、時間やマンパワーを要するものとなります。しかし、前回のコメントに書いたとおり、

> 利害関係が複雑化・精緻化しているにも関わらず、その利害調整やら現場の執行やらを担っている我々公務員のリソースは減らされていく一方なわけで、目の前の利害関係すら十分に調整できないのに、そのぎりぎりのリソースで行う利害調整そのものを批判されてしまうと、仕事が進まなくなってしまう

というのもまた現実でして、さらに

> このような方々が少し黙っていてくれるだけで利害調整も少しは楽になるのですが、そんなことはお構いなしにご自身のシンパを増やすことに専念されるわけですから、利害調整に要する時間も人手も増えていっているように感じ

るという状況になっているというのが私の現状認識です。

という現状認識を持っている者としては、dojinさんが

> 要は、竹端氏のシノドス文章を、そういう「駆け引き」ネタの一部として、現在の民主党政権の政治や官僚制度、およびその下での政策決定過程を理解するための材料として位置づけるか、「アウトサイダーの活動家もどきの学者のたわごと」として二項対立の一方に位置づけてナイーブに批判するか、ということです。
2012/03/31(土) 11:37:54 | URL | dojin #0sMGOP1I[ 編集]

と指摘される点については、両方の観点からの議論が可能と考えておりますし、実際、私は両方について「それでは制度設計は難しいだろう」と指摘しているつもりです。

というか、審議会に限らず一般の方から電話で受け付ける苦情とか提言というのは、役所にとって「「駆け引き」のネタ」という話などではなく、それ自体が仕事なわけでして、どんな性格のものでも同じように対応しなければならないという現実があります。つまり、「アウトサイダーの活動家もどきの学者のたわごと」とか「一般の電話苦情」だから役所は相手にしなくていいなんてことはなく(dojinさんがそう主張しているという趣旨ではありません。為念)、すべてを「「駆け引き」のネタ」として分け隔てなく同様に対応しなければ、またぞろ「できない理由を並べる抵抗勢力」とか「前例踏襲の既得権益」と批判されることが目に見えているわけで、行政として現有の人員と時間の中で可能な対応について、 限りある人員と時間の中でできる限りの客観的な政策実現性の範囲内に納めなければなりません。

そうした役所の仕事の仕方を踏まえれば、与党根回しの具体的なロジについては通りすがりの元中央官庁職員さんのコメントが参考になりますが、少なくとも政府が設置した部会の提言に対して「ゼロ回答」するほど、厚労省が「「駆け引き」のネタ」としてないがしろにしたとは思いませんが、まあこうしたインサイドの話を根拠にしてもアウトサイドの方にはなかなか理解されないこととは思います。ちなみに、dojinさんが指摘される「マシナリさんの現実認識の事実的妥当性」については、私も客観的なデータを持ち合わせているわけで張りませんが、厚労省社会・援護局の通知が例年にも増して遅れているというウワサが聞こえてきているところでして、内情はよくわかりませんが、慢性的な人員不足の厚労省ならさもありなんと思います。

それはともかく、そうした仕事をしている者とすれば、大屋先生が「できねえよ」と指摘されたことに「よくぞいってくれた」という思いがあるのは事実です。理念として異論の出ない、または実現すべき姿として申し分のない制度を提言するということと、そのためのリソースを確保することが同時に成り立つとは限らない以上、そこには必ずギャップが生じます。

その意味では、dojinさんが

> 1.「骨格」がどの程度、現代日本のマクロ的な資源・予算制約下(官僚のマンパワー増大余地なども含む)で実現可能かどうかの検討と2.「骨格」がどの程度、現在の民主党政権や官僚マンパワーの制約下で実現可能かどうかの検討を分けて考える必要があるということです

という点には、理屈としてはそうだと思いますが、やはり制度設計の観点からは同意しかねます。現代日本のマクロ的な資源・予算制約下の実現可能性を高めるためのリソースを確保することと、マンパワーの制約下で実現可能性を高めるためのリソースを確保することは独立しているわけではなく、2のマンパワーを動員して効果的かつ精緻な制度設計を行い、その確実な執行体制を担う人材を確保することができれば、1のマクロ的な資源・予算制約までも改善することができる可能性も否定できません。私の理解では、権丈先生はこのマンパワーの確保による再分配制度の実効性確保が経済成長につながる経路を説明されていると思います。法案を作れば制度が変わるものではなく、その制度を確実に執行できる体制とその裏付けとなる財源まで確保しなければならないわけでして、それを調達できなかった厚労省に批判の矛先を向けるのは、公務員の人件費とか定数削減に血まなこになっている最近の政治状況を考えるとあまりスジのいい話ではないだろうと思います。言うまでもなく「民間に任せればいい」として官製ワープアを量産するわけにもいきませんし、提言があるから何らかの制度設計ができるというのは早急にすぎる議論ではないかと思うところです。

さらにいえば、愚痴の大半はこのリソースが限られていることで説明できますが、説明できない残りの部分については、前回コメントで書いたとおり「その制度を利用する際の手続が、簡便で誰でもアクセスできるという利便性のほかに、インフルエンス活動やら裁定行為ができないだけの頑健なものとなっていることが重要」でして、それが色の付いた予算を執行するための手続き上の「説明可能性」を担保するものとなります。たとえば、dojinさんが例示されたlessorさんのエントリで「手続きのための手続きにしかならない」と批判される煩雑な手続というのは、「これだけきちんと確認したから、分配されたリソースはきちんと目的通りに使っていますよ」とか「制度の対象とならないのに利用しようとする不正な連中はきちんと排除していますよ」という証拠を残すことで、そうした他の利害関係者に対する説明可能性を個別に担保しているわけです。

制度設計した後もそうした手続面での説明可能性が求められるわけで、行政経費がコスト高になるのもやむを得ない側面があるのですが、こうしたことはあまり意識されていないことも提言と制度設計の距離を示しているものと考えます。

なお、権丈先生に対するピアレビューについては、私はお答えする立場にはないのですが、個人的には、ホームページを拝見するかぎり社会保障を専門とする経済学者のピアレビューを経ていると考えています。もちろん、当エントリの議論はあくまで私の文責となりますので、引用の趣旨がそぐわないようでしたら修正いたします。
2012/04/01(日) 22:44:18 | URL | マシナリ #-[ 編集]
長いご返事、ありがとうございました。とても勉強になります。

だいぶ議論がすっきりしたように思います。

要は、「(非現実的)理想主義VS現実主義」というよりも、「『骨格』がどの程度現実的なのか理想主義的かどうかはともかく、現行の厚労官僚のマンパワーや調整能力(およびそれに対する政治家のフォロー)では『骨格』に応答するのは不可能(なのではないか)」ということがポイントですね。

このシンプルな共通認識に到達できれば、あとはこの「厚労官僚のマンパワーや調整能力(およびそれに対する政治家のフォロー)の限界」の原因を"実証的に"問題化していく必要があるということですね。

「タケコプター」居酒屋談義とは異なる生産的な議論の方向だと思います。

以上に尽きるとは思いますが、以下はヨタ話です。

>「これだけきちんと確認したから、分配されたリソースはきちんと目的通りに使っていますよ」とか「制度の対象とならないのに利用しようとする不正な連中はきちんと排除していますよ」という証拠を残すことで、そうした他の利害関係者に対する説明可能性を個別に担保しているわけです。

これはウェーバー的な意味での(日本の)「官僚制度」(公的組織に限らず私企業などの民間組織も含めて)の極めて非効率的な部分ですよね。各種手続きに必要な提出物や証明書が多すぎ、そこに使う労力が多すぎる、というのは日本で働くほぼ全ての人の悩みだと思います。

個人的な経験ですが、私もスウェーデンに来て、それなりの行政サービスや社会保障サービスを利用してきましたが、(外国人にもかかわらず)各種手続き・契約の簡素さは驚くばかりです。

例えば、日本では出生関係の手続きや保育所の申請などでいろいろと書類が必要で市役所にいかなければなりませんが、

(保育の申請にはこんなに多くの書類が必要。。。)
http://www.kosodate.mitaka.ne.jp/download/

スウェーデンでは出生関係は病院から税務署に自動で行われますし、保育所の申請・決定通知は全てオンラインです。

(例えばストックホルムはこんな感じです)
http://www.stockholm.se/ForskolaSkola/forskola/ko-till-forskolan/

パーソナルナンバーの存在、各種手続きの全オンライン化、銀行とのオンラインレベルでの連携などが寄与しているとは思いますが、これはぜひ誰かに体系的に研究していただきたいです。してるのかもしれませんが。。。

>ピアレビュー

通常ピアレビューとは、このような意味で使われます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BB%E8%AA%AD

2012/04/04(水) 09:42:23 | URL | dojin #0sMGOP1I[ 編集]
> dojinさん

こちらこそいったん収束しかけたところで議論にお付き合いいただきありがとうございました。気をつけてはおりますが、元々が言葉足らずなものですので、今後とも生暖かくご笑覧いただけると幸いです。

まあ、タケコプターという例えのインパクトが大きかったことが議論の拡散を招いた要因かもしれませんが、実際にはタケコプターという例えがそのまま当てはまる事例というのも事欠きませんし、その点では大屋先生のご指摘を「居酒屋談義」とまで切って捨ててしまうことはできないだろうと個人的には感じるところです。

それはともかく、政策の実現可能性は単に制度やその根拠となる法律を立案する一省庁が担えるものではなく、共通のリソースの割り当てを主張する他の利害関係者との調整の結果に負うものであることを、少しでもご理解いただけると本エントリを書いた甲斐もあるのかなと。

なお、

> これはウェーバー的な意味での(日本の)「官僚制度」(公的組織に限らず私企業などの民間組織も含めて)の極めて非効率的な部分ですよね。各種手続きに必要な提出物や証明書が多すぎ、そこに使う労力が多すぎる、というのは日本で働くほぼ全ての人の悩みだと思います。

とご指摘される点については、浅学なもので「ウェーバー的な意味での「官僚制度」の非効率な部分」かどうかはよくわかりませんが、私自身の狭い経験の中では、司法による紛争の事後解決がきわめて高コストであることの裏返しとして、事前規制が精緻に準備されていることの現れと理解しております。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-498.html

事後的に訴訟に持ち込むことそのものが高コストであることと、上記の通り他の利害関係者に対する説明可能性を含め、訴訟を提起された行政の側にとっても事後的に高コストになることが予見される以上は、あらかじめ証拠を揃えておくインセンティブは少なくとも行政にとってはありまくりだろうと思います。十分な証拠も集めずにヘタな書類を残していたら会計検査院とオンブズマンの方々がいらっしゃいますからね。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-376.html
2012/04/05(木) 08:17:22 | URL | マシナリ #-[ 編集]
ご返事ありがとうございます。

>、政策の実現可能性は単に制度やその根拠となる法律を立案する一省庁が担えるものではなく、共通のリソースの割り当てを主張する他の利害関係者との調整の結果に負うものである

これはそもそもの竹端さんのシノドス論考でも当然踏まえられていることですよね。竹端氏は厚生労働省ではなくて部会を立ち上げた民主党に「調整せよ!」と訴えているわけですから。もちろん民主党がもっと広い全体的な調整をきちんとやらなかったことを部会の利害関係者の「認識不足」「運動不足」と批判することもできますけど、そこまでするのであれば、どんな運動の失敗も「根回しが足りない」運動家の能力不足が悪い、という自己責任論になってしまいます。

今回の議論の到達点はそこではなく、今回ここで明確に提示された「(政治家フォローの有無含めた)厚生労働省マンパワー不足仮説」の妥当性がどの程度あるか、その一点です。これは「タケコプターVS現実主義的官僚」とは異なり、実証的に検証できる優れた仮説であり、ある程度白黒つけられる見通しがあります。

今回の顛末については、そのうち、関係者から情報収集してみたいと思います。現在も少しは耳に入っていますが、勝手にリークするわけにもいかないので、いずれにせよきちんと「社会科学的に」検証できるのは、数年後になるでしょうけど。

>事前規制・事後規制

いろいろとご教授頂きありがとうございます。勉強になります。ぜひ行政学者の方には、このへんの日本・北欧比較をやって頂きたいものですね。スウェーデンが訴訟社会なのかどうかはしりませんが、とにかく契約や行政手続きが簡素なのはなぜなのか、興味があるところです。経済学者の「机上の空論」事後規制論を抑制する意味もありますし。

私はマシナリさんの言説や情報発信を(ニッポンのジレンマ的議論の何倍も)信頼しておりますし、今後ともいろいろと地方官僚の立場からの情報発信からいろいろ学ばせて頂ければとおもいます。いろいろと失礼な物言いもありましたが、今後ともよろしくです。
2012/04/06(金) 17:15:44 | URL | dojin #0sMGOP1I[ 編集]
> dojinさん

たびたびコメントありがとうございます。引用していただいたコメントはdojinさんだけに向けたものではないつもりでしたが、言葉足らずでした。申し訳ございません。

正直なところ、普段各方面からのあれやこれやの原則論とか思い入れとか横やりに晒されて、それに対応することを仕事をしている身からすると、「「(政治家フォローの有無含めた)厚生労働省マンパワー不足仮説」の妥当性がどの程度あるか、その一点」に問題が集約されてしまうことには少なからず違和感があるのですが、研究者であるdojinさんの立場からすれば、そうした問題の切り分けこそが肝なのだろうと思います。

なお、竹端氏が

> 「あるべき姿」という「大局観」を見据えて、「現実」との落差のなかから「問題点」をえぐり出し、改善に向けた枠組みや方向性を官僚に提示し、実現に向けて動き出す。そのような政治主導こそ、いま、まさに求められている課題ではないだろうか。
http://synodos.livedoor.biz/archives/1898730.html

とおっしゃる前提として、

> これは、どう読んでも、上記の骨格提言に対する「ゼロ回答」であり、何も変えるつもりはない、という宣言でもあった。そして、以下は私の邪推かもしれないが、厚労省はこの半年間、したたかに上記の内容を国会議員に説明して廻り、「骨格提言のような壮大な内容は予算がないから無理だ」「野党も納得して法改正に協力するためには厚労省案しかない」と吹き込んでいたのかもしれない。

との記述があったので、竹端氏の認識としては、dojinさんのおっしゃる「民主党がもっと広い全体的な調整をきちんとやらなかったこと」よりも、陰謀論的に「厚労省がゼロ回答したのではないか」という批判に重きを置いていて、「そんな厚労省官僚の横暴を許すな」と主張しているように読めてしまいましたが、私の読み違いだったということなのでしょう。

ただ、dojinさんのおっしゃる

> どんな運動の失敗も「根回しが足りない」運動家の能力不足が悪い、という自己責任論になってしまいます。

というのは、何をもって運動家というかにもよりますが、ある制度を必要としてその成立を目指して活動したいと考えている人を指すと考えれば、ある意味そのとおりだろうと思います。根回しがなくて成立する制度というのものは私の狭い社会人経験ではあまり思いつかないところでして、何らかの調整不足や根回しの漏れが原因といえるのではないかと思います。

かといって、じゃあ国民すべてが運動家にならないとダメなのかといえばもちろんそういう趣旨ではなく、運動家までいかないまでも自らの職場で集団的労使関係を再構築して、職場の構成員の意見が反映される環境を地道に作り上げていくことが一つの方策ではないかというのが拙ブログの主張の一つです。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-478.html

もしかすると、根回しがなくても成立すると考えられているのが、中央銀行という専門機関さえ実行すれば実現すると考えられている金融政策であって、それが一部の「リフレ派」と呼ばれる方々の利害調整を等閑視した主張にそれなりのもっともらしさを与えてしまい、運動家なんぞする暇も気力はないけど現在の政策に不満のある層の支持を得ていると理解することも可能かもしれませんね。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-433.html#668
2012/04/07(土) 12:22:40 | URL | マシナリ #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック