2012年01月22日 (日) | Edit |
ちょっとしたゴタゴタに巻き込まれて更新がはかどりませんでしたが、だいぶ前の非国民通信さんのエントリを拝見して考えたことをメモ。あらかじめお断りしておきますが、私は非国民通信さんのご指摘には大方の部分でその通りだろうと考えていますが、消費税についてのみの議論であればその通りだとしても、所得税などの直接税や国際課税についての議論もなければバランスのとれた議論とならないのではないかということで、自分用にまとめたものです。

1.税の複雑化

公共経済学の租税論では一律のランプサム税(人頭税)がもっとも効率のよい税制となりますが、稼得能力や応益性を反映しないので垂直的公平、水平的公平を満たすために各種の控除制度で各個人の「状況」を勘案する必要があります。その点から言えば、「市場や公共サービスという社会を利用した額」を課税ベースとする付加価値税(Value Added Tax)であれば、各個人がその必要に応じて社会を利用した度合いをその個人が購入した付加価値で測って、これに一律の税率を貸すことで応益性についての公平性を担保できます。ただし、この議論を進めていくと、購入した都度その付加価値に課税するよりも、年収から貯蓄を引いた額を消費(C=I-S)と定義し、年に一回の所得調査と貯蓄調査を行い、その差額に課税するフラットタックスという議論になります。しかし、フラットタックスの利点は、キャピタルゲインとか利息収入とか贈与といった個別の所得に対する課税を一本化できることから、究極的に簡素な課税方式という点にあるわけですが、そもそも「年収(所得)」と「消費」をいつからいつまでで区切るか、どのようにしてその個人に帰属した財産から測るかという技術的な難問だ立ちはだかります。

だったら最初から金銭所得に課税すればいいじゃないかという議論になるわけで、結局のところ、消費税と所得税は長期的には同等の課税方式であって、所得税はその都度の収入に課せられるので、老後に消費したいと考えている人にとっては不利な課税方式ということになります。ここでまた議論が振り出しに戻って、一律のランプサム税では個々人の状況を反映できないので、所得からその個々人の状況によって回避できない経費(医療や介護、保育、教育など)に要する経費を控除するということになって、現行の所得税はそういう構造になっているわけです。しかし、所得税そのものにも累進制が導入されているため、この控除と累進制の問題が複雑化していきます。現行の日本の所得税は、どちらかというと累進制は低いものの、所得税の課税最低限が高く、低い税率が適用される所得が低く、所得控除の項目が多いため、実態として大多数の勤労所得家計は最低限の所得税しか負担していません。

こうした現状を踏まえると、社会を利用した額に応じてその都度課税する消費税には一定の「簡素性」があると思います。

2.滞納を防ぐ

所得税には上記の通り所得を把握することの困難性というより、そもそも所得をどう定義するかということとその金銭的な評価をどう行うかという難問があります。滞納というのもその所得がそもそも把握できない中で、明確に定義できた税額に対しての滞納となりますので、各種税目において滞納の発生する率が同じと仮定すれば、徴税当局が公表する滞納額は課税額が明確になっている額が大きくなればなるほど大きくなります。滞納額が大きいからといって課税方法に穴があるというより、むしろ課税額が確定している額が大きいと理解することも可能です。逆に言えば、滞納額が小さいということはそもそも課税額がはっきりしないという側面もあると思います。現行の消費税はインボイス方式を導入していないため益税問題が指摘されていますが、インボイス方式の導入の前提となるのはマニフェスト(支払い明細書)の整備ですから、税制だけの問題ではなく流通などの商慣行の面でも同時に改善すべき点がありそうです。

3.負担者が曖昧

完全競争的な市場では、課税方式による帰着の問題は生じませんが、消費税のような従量税が購入者の支払う価格に転嫁されるか生産者の生産量が減少するかという点については、需要曲線と供給曲線の傾き(価格弾力性)によってその負担割合が変わるというのが経済学の議論です。もちろん、これは現実の独占的だったり寡占的だったりする市場では変わるわけで、特に後者の寡占的市場における転嫁については経済学では定説はないようです。

4.国際課税

輸出企業が輸出品の原材料について仕入れ控除を受けるとその分が益税となるという指摘もありますが、当然のことながら法人が支払う税金は消費税だけではありませんし、輸出先の国の法人が自らに課せられる税金を転嫁するためには輸入品(日本から見れば輸出品)の価格を引き下げることもあり得るわけで、日本企業が「そちらは輸出の時に非課税なんだからその分まけてよ」といわれることもあるのではないでしょうか。というより、そうした租税輸出が貿易障壁とかダンピングになっているという点についてはすでに議論し尽くされているわけで、付加価値税に限らず法人税などの国際課税の二重取りや租税輸出については、国際的な交渉が進められているところです。
国際課税に関する論点整理 (PDF形式:245KB)

5.逆進性の評価

社会を利用した額に応じて課せられるものが消費税と考えると、逆進性についての議論は、一面では消費税に常につきまとう議論ではありますが、社会を利用する額についての考え方によっても変わってくるものと思います。つまり、社会を利用する額の対象となるものが、そもそも回避できるものだったり奢侈品だったりすればそれを購入しなければいいということになりますが、市場で供給されるものであってその購入を回避できない食料品などの生活必需品はそうもいきません。それを現金で解決しようとすれば必需品に対する軽減税率となりますが、それでもなお医療、介護、保育、教育といった対人サービスによって供給される現物給付は市場の失敗により過小供給となり、結局お金のない人は利用できないことになります。給付付き税額控除はあくまで労働供給を喚起するためのアクティベーションとして実施されるものであって、低所得者に必要な対人サービスまでを保障するものではありません。その財源として社会を利用した額に応じて課せられる消費税を充てることによって、低所得者の社会を利用する権利を保障するとともに対人サービスに要する人件費を確保するということ自体は、それほど理屈の通らない議論ではないと思うわけです。
まあ、消費税を多く払う人=多く社会を利用する人であれば、消費税の税率アップが限界消費性向の高い人から限界消費性向の低い人への所得再分配となるかという点は微妙かもしれませんが、その財源が現物給付に当てられれば少なくとも現物給付を担う方々への労働需要を喚起しますので、それが内需となって社会全体の消費性向を向上させる効果は期待できると考えます。

6.最後は価値判断

上記の議論はスティグリッツ『公共経済学 下』を私なりに解釈した議論ではありますが、ご存じの通りスティグリッツは経済効率性についてのワシントンコンセンサス的理解に対して厳しく批判している論者ですので、この議論もその影響を多分に受けていると思います。そのスティグリッツは、本書の中で「公正についての議論に対して経済学者の貢献できること」としてこう述べています。

 経済学者(または哲学者)は、公正を判断するための適切なベースの選択に関する基本的問題を解決してこなかったけれども、いえることはまだ多くある。たとえば、どのような税金であれ、その総効果を述べることができるということは重要であり、これらは、各個人が直接支払っている税金の量によって簡単に述べることはほとんどできない。(略)したがって、われわれの租税制度に含まれている外見上の不平等の多くは、うまく定義されているように見える概念を租税法に必要とされる正確な言葉に直すことの本来的困難さの結果にすぎないのである。
 他の場合には、税法のなかのいろいろ異なった条項やその条項の変化がさまざまなグループにどのような結果を与えるかを注意深く考慮することによって、なぜ、あるグループは一連の条項が不公平であると主張し、他のグループはそのような条項の変更を不公平であると主張するのか、について何らかの洞察を得ることができる。われわれは、「公正」という言葉があるグループの私利追求を隠ぺいするための言葉として用いられる場合と、個人の主張には何か合理的な倫理的または哲学的な考えがある場合とを区別することができるのである。
p.619

スティグリッツ 公共経済学〈下〉租税・地方財政・マクロ財政政策スティグリッツ 公共経済学〈下〉租税・地方財政・マクロ財政政策
(2004/01)
ジョセフ・E. スティグリッツ

商品詳細を見る
※ 強調は引用者による。

前回エントリのコメント欄でも指摘しましたが、経済学が価値判断に中立的であるというのはその実証的な分析手法についてのみであって、その結果については規範的に議論しなければなりません。むしろ、増税に対する忌避の隠れ蓑としてリフレーション政策を支持しているのか、リフレーション政策によって流動性供給を確保して、その流動性が適切に再分配されるべきと考えているのかを区別することも、経済学の重要な貢献ではないかと思うところです。
このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーサイト


コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック