2012年01月09日 (月) | Edit |
世の中では今日が成人式でした。寒冷地である当地では、雪深い1月ではなく8月に成人式を行う市町村が多いのですが、被災地である沿岸地域はそれほど雪が多くないこともあって、昨日成人式を行ったところが多いようです。報道を見ていると、被災地だけではなくそのほかの市町村でも式の中で黙とうしたところも多かったとのことで、東日本大震災が風化しつつある中でこうした節目に被災地に思いをはせることが重要だろうと思います。

実質的な今年初エントリで、このタイミングで取り上げるのも気が引けるところですが、がれきの受け入れを表明した市長に対して脅迫まがいの反対運動が行われた武雄市の成人式では、市長からこんな発言があったとのこと。

「被災地現状見てきて」 成人式で武雄市長 (asahi.com 2012年01月04日)

武雄市、多久市、有田町で3日、一足先に成人式があり、振り袖やスーツ姿の新成人が、家族や恩師らからお祝いを受けた。県教委社会教育・文化財課によると、今年の新成人は9477人。2009年から4年連続で1万人割れで、1966年の調査開始以来、2010年(9265人)に次いで2番目に少なかった。
 武雄市文化会館での成人式には、934人の新成人のうち約530人が参加。式の実行委員長で大学生の井上華奈さん(20)が「3・11では多くの命が奪われた。被災地の若い人たちは悲しみや困難に負けることなく前を向き、一生懸命です。この現実を大きく受け止めたい。大人の仲間入りをするにあたり、勇気や希望を持って一歩ずつ進み、社会に貢献できる人間になりましょう」とあいさつ、会場から拍手を受けた。
 祝辞を述べた樋渡啓祐市長は、「3月11日以降、日本は絆にあふれている。でも、私ががれき受け入れの意向を表明した途端、多くの反対の声が届けられた。中には脅迫もあった。こんな大人に、君たちはなって欲しくない。君たちは復旧・復興の大きな担い手だ。現地に出向いて現状を見てきてほしい」とも訴えた。
 新成人を代表して、今月24日に二十歳になる武雄市武内町のネイリスト吉岡恵さん(19)が「東日本大震災をきっかけに、絆の大切さを知りました。大人の仲間入りをした私たちは人と人との絆を持ち続けていきたい。ここまで育ててくれた親や先生、地域の人たちに感謝します」とあいさつ。式後には記念撮影があり、仲間たちとの久しぶりの再会を喜びあっていた。

※ 以下、強調は引用者による。

武雄市長の発言を見る限り、市長本人は苦情や脅迫に唯々諾々と従ったわけではなさそうですが、「民主主義の学校」といわれる地方自治体では、民意に反した時点で選挙に勝てる見込みがなくなるわけですから、選良としての嗅覚が民意に従うという判断を導いたのかもしれません。

これまでは、こうした記事をチホーブンケン教とか揶揄しながら取り上げてきたのですが、実を言えばこうした取り上げ方に無力感を感じています。反原発運動の盛り上がりとかそれに荷担する形でまき散らされるヘイトスピーチは後を絶たないものの、かといってそれが必ずしも悪意によって引き起こされているわけではないことは、拙ブログでも指摘してきたところです。つまり、それぞれの立場で利害関係がある(と思い込んでいる)方々がいらっしゃり、それを表現する方法がヘイトスピーチだったりボランティアだったり反原発運動だったりするわけで、人によってその表現に巧拙があること自体は当然のことでしょう。私がブログという手段を用いて表現していること自体も、そうした「活動的」な方々からすれば「口先だけの机上論だろ」といわれそうですし。まあそれはともかく、一方では実務上どんなに無理筋であっても「既得権益を打破する」とか「権力者の陰謀を暴く」という威勢のいいカイカク派への郷愁が途絶えることはありません。

拙ブログではこれまで集団的労使関係の再構築の重要性を飽きもしないで指摘し続けているわけですが、その理由は、少なくとも職場内の日常生活の中で立場の異なる方々と連帯しながら、同時に立場の異なる方々と利害調整するというプロセスを各個人が直接経験するということで、こうしたカイカク派への郷愁を断ち切るよすがとすることができるのではないかと考えているからです。集団的労使関係については、労組法・労調法という法令はもちろん、これまでの労使関係の中で慣行上のルールも確立されており、主張を表現する手法のレベルをある程度担保することができます(ただし、戦後の労使関係を巡る法の運用がそのルールを歪めてしまったことは事実ですし、慣行上のルールの改善は必要です。為念)。対立する主張を持つ相手とであっても、話し合いを尽くすことによって自分の境遇を自らが変えることが可能であるという経験がなければ、自らが稼得した所得を他人へ配分するという公的な所得再分配政策についての合意を得て、その結果として各家計の所得が公的セクターを通じて消費や投資に回されて流動性供給が増加し、マクロの経済成長がもたらされるという事態にいたることはないだろうと考えます。

いうまでもないことですが、公的セクターを通じた所得の再分配という難儀な作業とそれによる経済成長は、職場レベルから一国レベルまでの利害調整の先にしか達成されません。そうである以上、いきなり政府レベルの利害調整に委ねるよりは、自らが直接関係する労使関係においてどうやって生活保障を確保するかということについて立場の違いを乗り越えて議論しながら地道に合意を取り付けていくことが、遠回りであっても着実な方法だと思います。その点こそが、省庁代表制によって利害関係が表に出てこない日本と、労使関係において取り決められた事項が政策に直接反映される(ネオ・)コーポラティズムが定着している北欧との違いであり、それが結果として社会保障の財源調達についての社会的合意の違いとなって現れているものと思われます。

ちょっと脱線してしまいましたが、話を武雄市長の発言に戻せば、私も自戒を込めて、主張の違う相手や自身の主張に異議を差し挟む相手に対して脅迫まがいの反対意見を述べてしまうような大人にはなるべきではないと思います。もちろん、目的のためには手段を選ばないような大人や、自身の主張の通りに進まない現実を陰謀論に落とし込んでしまうような大人にもなるべきではありません。立場の違いを乗り越えて話し合いをし、自分の利害関係と相反する利害関係を持つ相手との利害調整に主体的に参画できる大人が増えてほしいと切に願う次第です。
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