2011年11月08日 (火) | Edit |
当地は着々と冬が近づいておりまして、空には白鳥が飛来するようになりました。まだ雪は降っていませんが、朝晩の冷え込みがだいぶ堪えるようになってきています。震災当日から当地の被災地ではしばらく雪が降り続いたことを考えると、震災当時の気温がかなり低かったことが改めて思い起こされます。例年の3月中ごろの三陸海岸といえば、天気がよければぽかぽか陽気になるくらいに暖かい土地柄なんですが、今年の3月は暖冬続きの近年では珍しく寒かったわけです。

というように、いくら温暖といわれる三陸海岸であっても、急造された仮設住宅では寒さ対策が十分ではないため、外壁に断熱材を付け足したり窓を二重サッシにしたりという追加工事がなければ、寒さに凍えながら冬を過ごさなければならなくなります。しかし、チホーブンケンやらチーキシュケンやらがもてはやされるこのご時世では、そうした冬の寒さ対策までもが地域の判断で行われることとなってしまいます。

 もっとも、災害救助法に基づく支援措置は今回初めて盛り込まれたものではなかった。すでに厚労省は6月21日の通知でも暑さ寒さ対策の実施を促している。岩手県や福島県はこの前後の時期から、すでに対策に着手していた。その反面で、宮城県が大きく出遅れたのはなぜか。

 岩手県や福島県では、仮設住宅の建設だけでなく、その後の追加工事に関しても県が主体的に対応した。これに対し宮城県は仮設住宅の設置者でありながら、その後の管理とともに増改築についても地元の市町に委ねた

 ところが、地震や津波の被害が大きく、職員確保すらままならなかった市町側では住民に対して、「原則として新たな追加工事はしない。住民側で増改築することも禁止する」という姿勢で臨んだ。そのうえで、雨漏りなど最低限の補修工事しか行わなかった。県と市町の役割分担もあいまいだった。

仮設住宅の住環境格差、寒さ対策を怠った宮城県、実施ゼロ%が並ぶ理由(2) - 11/10/27 | 12:18」(東洋経済オンライン
※ 以下、強調は引用者による。

すばらしき地方分権の裏側では、宮城県は被災した地元市町村に仮設住宅の寒さ対策を押しつけることが可能になってしまいます。この記事では、国は対応していたにもかかわらず県の判断で地元市町村に事務が押しつけられたというニュアンスで書かれていますが、もちろん、国の側でも「地元自治体から要望がなければ何もしない」という姿勢であったわけで、宮城県に対して文句を言える立場ではないと思うのですが。

そうした国、県の姿勢によって被災地の現場はどうなっているかというと、

 こうした実態は、行政の機能低下によるところが大きい。津波の被害が大きかった石巻市では、市の職員の多くも被災。震災前からの行政改革で職員数も大きく減っており、住民への対応が困難になっている。市の担当者は「苦情処理に追われ、現地訪問もままならない」と打ち明ける。県による手助けも不十分だ。

 石巻市では仮設住宅への入居を抽選に委ねたため、被災住民が市内各地の住宅にばらばらに入居。コミュニティ形成を阻んでいる。岩手県の宮古市が抽選を行わずにすべての被災住民を地区単位で近隣の仮設住宅に入居させたのとは対照的だ。

 自治体の取り組み格差はすでに被災地の住民生活に大きな影響を及ぼしている

仮設住宅の住環境格差、寒さ対策を怠った宮城県、実施ゼロ%が並ぶ理由(4) - 11/10/27 | 12:18」(東洋経済オンライン

という事態に陥っているわけです。チホーブンケン教の方々は「自治体の政策が失敗したら、選挙で首長と議員が落選するから、民意に従って政策は成功に導かれる」というような絵空事を真顔でおっしゃいますが、選挙というのはそう都合よく行われるものではなくせいぜい4年に1回しか行われませんし、こうした非常事態が発生したからといっておいそれと選挙ができるわけでもありません。そもそもコロコロと変わる「民意」なるものが直接政策に反映されることは、制度の予測可能性を著しく低下させて住民の行動規範を失わせるだけではなく、住民のインフルエンス行動にインセンティブを与えて利益誘導型の政治を奨励することになります。

極端な話、選挙に当選した翌日に、選良の方々が失敗することが目に見えている政策を打ち出して実際に失敗しても、4年後の選挙を待たなければその選良の方々を交代させることはできません。リコールだってそんな簡単な手続きではありませんし、リコールとその後の選挙に要する経費や労力を考えれば政策を失敗するたびにリコールする余裕もないはずです。そんなリコールと選挙に費やす経費と労力があれば、少しでも目の前の問題解決に取り組みたいというのは、多くの公務員が考えていることではないかと思います。さらにいえば、リコール運動なんてものが実際に行われると住民同士の見解を二分することになって、地元に深刻な対立を残してしまうこともままあるわけで、そうしたリスクも考慮すべきでしょう。

でまあ、こうした形で市町村や県に対して不満が募ってくると、コストも時間もかかるリコールという正式な手続きに訴えるよりも、市町村や県の職員にクレームをつけるのが手っ取り早いストレス解消法となります。ここで不思議な現象が起きるのですが、被災地の公務員に対して「国民の税金で復興させてもらってるくせに感謝の気持ちがないんだよ!」とか「支援してもらっているうちにそれが当たり前だと思ってんだろ!」などと怒鳴りつける方を最近目にする機会が増えてきたのですが、こうおっしゃるのは被災地支援にいらっしゃっている他県などの外部の方なんですね。チホーブンケンとかチーキシュケンというのは、地元の住民が主体的に行うものかと思っていたんですが、他の地域に住んでいる方ですらも、支援に入った地域でのお金の使い方とか支援方法が気にくわないとクレームをつけるというのはなかなか興味深い現象です。

おそらくは、チーキシュケンの行き過ぎた結末として、その地域に貢献している立場にあればその地域の行政や市民活動に口を出すことができるという考え方があるのかもしれません。「地域のことは地域が決める」ということを突き詰めていけば「地域のために支援してやってるんだから俺の話を聞け」「地域のために支援している俺が「主権者」だ」ということも可能になるというところでしょうか。さらにいえば、このような「支援してやってる」という感覚が広がっていくと、拙ブログでも懸念していたような「そもそも過疎地域なのに税金を投入することが無駄だ」という意見に同調する方が増えてくることも考えられます。

実を言えば、こうしたクレームには対処しにくいことこの上ありません。ご本人は確かに活発な支援活動をされていますし、そのことに感謝している地元住民も多いために、このようなことをいわれてしまうと言いなりにならざるをえない面があります。それもまたチホーブンケンということであれば、「地域のことは地域で決める」というときの「地域」ってのは何なんだろうという疑問がつきませんね。
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コメント
この記事へのコメント
日本は、国、府県、市町村が、みな総合行政機関で、ちょっとずつ同一の仕事をやっているのが、実態。
学者はきれいな言葉で、融合形態などというようだが、結局、責任の所在がはっきりしない。
このブログを拝見させていただくと、最近は、労働政策についても、府県はもちろんのこと、基礎的自治体ががんばりだすなど、ますます、責任の所在があいまい化して、混迷しているのではないかと感じる。
地方分権が進んでいるとちまたでいわれる、欧州ではいまだにある、「機関委任事務」という制度も、勢いで廃止して、このていたらく。高らかに成果とされているが・・。
もう一度、「事業仕訳け」をして、国、府県、市町村の仕事の分担を切り分けることが必要なのは、どうみても、明らか。
でも、国会、マスコミ、総務省、自治体をみていても、そのような現実を直視する立場の人は、皆無に等しい。
日本の歴史にまったく存在しない、道州制の夢が声高に語られるのみ。
まったく、残念なこと。片山前総務大臣にも失望した。やはり、「県知事」(藩主、お殿様)でしかなかった。
2011/11/08(火) 08:24:10 | URL | yunusu2011 #-[ 編集]
> yunusu2011さん

> 日本は、国、府県、市町村が、みな総合行政機関で、ちょっとずつ同一の仕事をやっているのが、実態。

貝塚啓明先生によると、これは日本だけで見られる現象ではなさそうでして、むしろアメリカではより「二重行政」的だと指摘されています。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-103.html

私自身も二重行政の解消は原理的に不可能だと考えておりますので、「みな総合行政機関で、ちょっとずつ同一の仕事をやっている」という実態はむしろ通常の姿だろうと考えています。その点では、機関委任事務を廃したことはyunusu2011さんご指摘の通り「成果」などともてはやされるものではなく、国、都道府県、市町村と各階層において遂行される行政事務の分離を招いたことにより、どの行政機関にも属さない「空白地帯」を作り出しているものと考えています。

道州制もyunusu2011さんご指摘の通り実現することのない夢物語というべきですね。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-94.html

県知事というか、地方自治体の首長が絶対に「改革倒れ」しない理由も行政機能のありもしない夢物語を語る点にあるわけでして、彼らは行政組織をいじりさえすればカイカク派という看板を掲げ続けられます。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-265.html

まあ、そもそも地方分権なんてただの手段であって、それによって何を実現しようとするのかという点こそが議論されなければならないのに、それが華麗にスルーされる状況に失望するほかないわけですが。
2011/11/08(火) 22:44:24 | URL | マシナリ #-[ 編集]
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