2011年10月01日 (土) | Edit |
というわけで、hamachan先生のところでフライング気味にコメントしましたが、海老原さんから新著『仕事をしたつもり』をご恵投いただきました。いつもながら場末のブログを気に掛けていただきありがとうございます。

仕事をしたつもり (星海社新書)仕事をしたつもり (星海社新書)
(2011/09/22)
海老原 嗣生

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hamachan先生のところでコメントしたとおり、本書の結論部分では「安全策」と「奇策」が対比されていて、それぞれに思い当たる節があって考えさせられたのですが、それは本書をお手にとってご確認いただくとして、個人的にツボだったのが「すぐに「みんなで考えよう」と言い出すバカ上司」という部分です。本書では過去の成功体験が本末転倒な「仕事」を作りだしていくというスタンスで論が進められていくのですが、ここでも、以前の日本の組織は上意下達で風通しが悪かっただけに「みんなで考えよう」ということは革新的で効果的な試みだったのが、すでに「みんなで考える」ことが当たり前になっている組織では効果が無いと指摘されています。

 ただ、その成功体験がいつしか鉄則となり、連綿と同じことがくり返されたら・・・。いったい、どうなるでしょうか?
・アイディアなんてそんなにあるわけじゃないから、みんなネタ枯れを起こしている。
・みんなで考えることを強要されるため、自由度がなくなり、かえって閉塞感が高まる。
 このような悪循環が生まれた状態で、「みんなで考えた案」を実行すれば、うまくいかないのは目に見えています
 で、失敗すると、「みんなで考えたことだから、しょうがないじゃないか」となる。
 やっていることは前任者と同じなのですが、今度は「みんなに責任転嫁する卑怯な上司だ」と受け止められかねません。

目的の消失が、このタイプの「仕事をしたつもり」のはじまり

 どうして同じ「みんなで考える」が、こんなにも大きな差を生むのでしょうか?
 前者は、上意下達の風土を壊し、現場にたまった意見を集約する、という明確な目的があり、そのための手段として「みんなで考える」を利用しています。
 対して、後者には目的がないのです。強いて言えば、「みんなで考える」こと自体が目的となってしまっています。でも、みんなで考えたからといって、必ずしも成功はついてきません
 つまり、目的と手段の履き違え。まさに本末転倒です。

海老原『同』pp.110-111
※ 以下、太字強調は原文。太字下線強調は引用者による。


みんなでいいアイデアを出しましょう、というのは政策でもなんでもありません」というのは山形さんの名言ではありますが、政策レベルとはいわずとも、こうした組織レベルのミクロな世界でも「みんなで考える」というのは手段であって目的ではないわけです。結局は、「みんなで考える」という手段が有効な場合とそうでない場合があって、それぞれに応じて使い分けるという至極当たり前のことが、「みんなで考える」ことによる成功体験と、前向きなオーラがまとわりついているその言葉自体に惑わされてしまって、顧みられなくなるのだろうと思います。

ちょっと分野は違うのですが、以前読んだ会計の本でも同じように上司の勘違いが悲劇を生むことが題材とされていました。営業スタイルの違う課長同士がケンカしているのを上司である部長が諫めるというシーンですが、

俺は上司としての一番重要な仕事は、実践的な経験を通じて部下に営業テクニックを教えることだと思っている。それで、売上を伸ばす喜びを知れば、部下のモチベーションは上がるし、それについれて給料も増やすことができるはずだ。さらには、礼儀や常識を指導することで、人として大きく成長する手助けをすることも、上司の役目ではないのかな。今の二人のやっていることは、決して人の上に立つ人間としての模範となる行動じゃない・・・俺の言っている意味がわかるだろ?」
「・・・はい」
「今回の一件に関しては、始末書はいらん。すべて、俺の心の中にしまっておく。だから二人とも、今回のケンカのことは笑って水に流して、明日から大人の付き合いで、この第一営業部を支えていってくれよ」
 大塚がそう言うと、二人は「どうもすみませんでした」と言って、それぞれ帰り支度をして、オフィスから出て行った。二人のうしろ姿を見送ると、大塚は「ふぅー」と大きなため息をついて、背もたれに前身をあずけて、どっかりといすに座った。
週末にでも、あいつらと一回飲みに行って、仲直りの場を設けてやるか
 上司としてのひと仕事に納得したのか、ネクタイを緩めると、手をつけていなかった残業に取りかかり始めた。
pp.215-216


会計天国会計天国
(2009/04/21)
竹内 謙礼 青木 寿幸

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引用した部分だけではわかりにくいかもしれませんが、リベートを厚くした薄利多売の営業を得意とする課長と、地道な企画提案を得意とする課長がそれぞれのやり方に不満を持ってケンカし、それを仲裁した部長が実態を把握しようともせず「大人の付き合い」といって仲直りさせたつもりになり、一人悦に入っているという場面です。ここでも、この部長は部下であるそれぞれの課長の異なる意見に対して、「みんなそれぞれに考えているのだから、それでいいんじゃないの」と物わかりのいい顔をしているだけで、それぞれの営業スタイルが実際にどのような利益を上げているかを探ろうとしていません。この部長に対して主人公の経営コンサルタントが「あれは典型的なダメ上司だな」と指摘して物語は展開していくのですが、こうした「物わかりのいい顔」で部下の信頼を得ようというのも「みんなで考える」という手段を目的と履き違えた上司がよくやることですね。

海老原さんの新著に話を戻すと、同じように「みんなが考える」と誰も反論できないことの典型的なものとして、テレビ番組専用のウェブサイトが指摘されています。

「右へ倣え」発生のメカニズム

 なぜこんな無駄が、平気で日々生み出され続けているのか?
 こうした番組サイトを作ることが「普通」になってしまった今となっては、単に「それがあたりまえだから」「習慣だから」としか、制作している責任者も答えることができないのではないでしょうか
 テレビ局では、すでに番組の制作スタッフに加えて、専用のウェブサイトを作るスタッフが用意され、「番組を作る=サイトも作る」という仕組みができあがっています。
 こうなると、無駄を無駄だと疑う余地がありません。
 意味や効用など、考えるまでもないといえるでしょう。

海老原『同』pp.137-138


地方自治体でも「広報が弱い」とか「情報発信がへたくそだ」という指摘が多く寄せられるので、その対応について「みんなで考える」と、手っ取り早い対応として「ホームページを充実させて更新もきちんとしていこう」という提案がすぐに出てきます。しかし、そもそも自治体のホームページを見る人なんてどれだけいるのでしょうか。地道にアクセス数を稼ぐのは日常的に必要な手続を説明したページで、たまにマスコミで取り上げられた問題があるとその部署のアクセスが急激に伸びる程度で、普段から自治体のホームページをチェックしている人なんてほとんどいないはずです。

まあ、ロクな情報が載っていないからチェックしないんであって、役に立つ情報があれば見るぞという方もいらっしゃるでしょうが、役所で「役に立つ情報」というのは結婚とか引越とか事業を立ち上げたとか一大イベントでもない限りそれほどないわけです。それでも「我が課のホームページをリニューアルすればアクセス数が上がって住民が喜ぶはずだ」とかいう意見があれば誰も反論できず、「仕事をしたつもり」のウェブサイトがどんどん増えていくという悪循環が生まれているように思います。まあ、それがなかなかなくなるものではないということは海老原さんも指摘されているところで、折り合いをつけながら「仕事をしたふり」をしていくのが現実的なところなのかもしれません。
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