2011年09月26日 (月) | Edit |
前回エントリで批判的に取り上げた海老原さんの著書ですが、もちろん本書の全体的な流れについては賛同するところが多く、特に厚労省の政策に的外れだったり使い勝手の悪いものが多いという点にも同意するところです。

前回エントリを補足しておくと、本書で批判の対象となっているのは「行政(特に厚労省)」なのですが、ここ数年の厚労大臣、というか舛添要一氏と長妻昭氏のお二人が政治主導的に進めた政策が多いのではないかというのが私の印象です。麻生政権時にリーマン・ショックに対応した緊急雇用対策とか民主党政権下の派遣法改正法案を巡るゴタゴタがその典型でして、海老原さんが本書で批判されているのは主に自公連立による麻生政権下、すなわち舛添厚労大臣のときの政策なわけで、その点について言及があれば少し違う展開になったように思います。

ということで、今回の著書の中の賛同できる部分で印象に残ったのが、「そこそこ」というキーワードです。

 そこそこの習熟度合いで、そこそこ横移動ができる、という転職市場をきれいに整えるべきだろう。前述の「個人営業」などはその典型だし、法人営業でも固定商品のパッケージセールスは比較的習熟が少なく、営業力という人間力一本で横移動が可能だ。事務なども、ある程度の判断・処理業務までは、業界特性や企業風土と関係なく、横移動ができる。エンジニアでも、プログラマーやCADオペレーターなどは同様だろう。要は、かなり固定的な仕事であり、しかも、組織の末端か、もしくは個人で行う仕事というのは、企業に拘束されず、腕一本で生きていける可能性が高い
 ただし、事例で引いた外資生保のフルコミッション営業などを除けば、賃金は「そこそこ」レベルで終わる。そして、若年時も熟年時も仕事の深みはあまり変わらず、部下やチームを持たないため、成長した実感は湧かない。こんなマイナス要素をトレードオフで、自由に生きていく、という人生を手に入れることは可能だろう。
pp.108-109

就職、絶望期―「若者はかわいそう」論の失敗 (扶桑社新書 99)就職、絶望期―「若者はかわいそう」論の失敗 (扶桑社新書 99)
(2011/09/01)
海老原 嗣生

商品詳細を見る

※ 以下、強調は引用者による。


「正社員枠に押し込める」ことを目的としたキャリア教育に顕著ですが、正社員になって過労死ぎりぎりまで働くか、そうでなければ「そこそこ」はおろか、生活保護より低い最低賃金ぎりぎりの待遇の非正規しかないような二極化した労働市場を前提とした議論では、なかなかこういう話は出てきません。

私の周りの男性の友人にも何人かいるのですが、これといったスキルもなくすでに中年にさしかかっているのに職を転々としている人がいます。彼らは、見た目がそこそこでや話術もそこそこできるので簡単な個人営業ができたりするんですね。そういう人を正社員で長期的に雇用しようという会社はなかなかないんですが、逆にいえば、短期的な営業力を必要とする会社では積極的に採用されたりします。全国展開している会社が支店を出そうとしてたり、営業先がアレで雇っても雇っても辞めてしまうとか、転職を繰り返す人はなぜかそういうところを見つけてすんなり就職してしまうわけです。

このほか、転職エージェントを通じて一本釣りで転職していく人もいますし、実をいえば、二極化されているといいながらも転職市場はそれなりに機能しているといえそうです。ただし、海老原さんもご指摘のとおり転職市場は非正規の待遇に限りなく近いわけで、とても「そこそこの待遇」といえるものではない仕事もごろごろしています。そうではない仕組みを労働市場だけではなく会社の中にも作っていく必要があるわけで、「転職市場をきれいに整えるべき」と指摘はそうした趣旨を含んでいるのだろうと思います。

その一方で、正社員の方も成果主義だのフラット化だのというスローガンの下で、賃金カットやリストラのリスクが高まっているわけで、必ずしも安泰というわけではありません。ここで、経済学方面からみれば、そうしたリスクが高まれば正社員の魅力が下がって労働供給(応募者)が減るから、リスクプレミアムを含んで賃金がアップするという意見もありそうです。

ところが、ここにも「正社員枠に押し込める」というキャリア教育の影響が現れていると思うのですが、たとえば大学を出たからには正社員でなければ世間体が悪いというような意識を埋め込まれてしまった学生や求職者は、仕事や待遇の中身よりも正社員という枠に魅力を感じてしまいます。その結果、リスクの高まった正社員(いわゆるブラック企業の正社員も含まれます)で、しかも決して高いとはいえない賃金であっても応募者は減りませんし、その会社にリスクの高い正社員として採用されてしまえば、あとは雇用保障のある正社員と同様に「会社と会社の顧客に対する責任」を一身に背負って過労死ぎりぎりまで働くことになってしまいます。

そこで、本書で海老原さんは「“そこそこ”の働き方を制度化せよ」(p.250以下)として職務や地域を限定した職を増やすことを提言されています。古くは日経連(現経団連)が提唱した「雇用ボートフォリオ」とかhamachan先生の主張される「ジョブ型社員」にも通じる提言だと思いますので、議論は収斂していくのだろうと思いますが、個人的にはhamachan先生の指摘される視点が重要だと考えています。

 正社員のワークライフバランスの回復と非正規労働者の低い賃金・労働条件の改善とは、とりわけ男性社員に当然の前提として課されている過重な拘束をいかに見直していくかという問題の楯の側面でもあるのです。その将来像として、今までの女性正社員の働き方を男女労働者共通のデフォルトルールとし、本人が希望して初めてそこから個別にオプトアウトできる仕組みとすることで、次章で見る非正規労働者との均等待遇問題に新たな視野が開けてくるように思われます。
p.48

新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書)新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書)
(2009/07/22)
濱口 桂一郎

商品詳細を見る

まあ、今それをやろうとすると「一般職に、男ですよ」ということを言われてしまうわけで、男性正社員は幹部候補生でなければけしからんという「建前」が男性のみならず女性の過重労働をも正当化してしまいます。「そこそこの働き方」が実現するためには、「幹部候補生でなくてもいい」という「本音」で採用された女性だけが「一般職」にふさわしいという人事のルールを180度変えなければならないのだろうと思います。

その意味では、女性がもっと「こんな働き方はおかしい」という声を上げることが重要だと思うのですが、男性社員が幹部候補生として大きな顔をしている限り「そんなことを言う方がおかしい」と言われてしまうわけでして、何とも難しいジレンマですね。。。
このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーサイト


コメント
この記事へのコメント
いつもご書評、ありがとうございます。
最後の「そこそこの働き方」が、濱口先生へのオマージュになっていること、見抜かれてしまいましたね。さすが!

雇用能力開発機構の件、こちらは、現場の方々と話した経験があるのですが、実に良く働いていらっしゃることは痛感しておりました。また、私も中小企業経営者のため、各種助成金でもお世話になっており、この部分で親切な対応や、その後に随時情報を送ってくれたことなど、頭の下がる思いは多々あり。そうした意味で、決して、天下りの巣窟の悪い役所とは感じていないというところ、まずは書かせていただきます。
ところが、中央官庁の予算策定と現場にはどうしてもズレがあるような・・・。見ばえの良い骨太方針を掲げて、がさっと予算をとってしまう的なイメージがあり、現場の人のサービス充実に役立っていないような・・・。矢継ぎ早に予算案を作るために、お手盛り策を重ねてしまうのか、もしくは、予算が単なる人件費や物品購入に関しては付けづらいためなのでしょうか。そこを書きたかったのに、私もご指摘の通り、世間受けの良い「天下り予算づけ」に寄り過ぎました。本書はそうした部分が下品だと感じております。
既卒3年施策、無駄と書き連ねましたが、この施策自体が若年にだいぶ認知されたため、「新卒無業だけど、ハローワーク行こうかな」という人が増えているのは、大変Goodだと思っています。
2011/09/26(月) 07:58:46 | URL | 海老原嗣生 #-[ 編集]
> 海老原さん

わざわざご本人からコメントいただきありがとうございます。

雇用・能力開発機構の仕事の実際については、私よりも海老原さんの方がお詳しいと思います。その点は私の方も断定的に書いてしまったかもしれません。失礼いたしました。

中央官庁の予算策定の現場では、どうしても対財務省の資料作成に手間取られて、現場での使い勝手までは十分に検討されていないように感じることは私もあります。結局は、政治主導かつ関係団体のメンツを保ちながら制度の枠内で予算を確保しなければならないわけで、その点は中央官庁にもジレンマがあるのだろうと思います。

自民党政権下では、国会に法案を提出するためにまず党内の総務会や政調において全会一致で了承されなければならず、いわゆる「与党根回し」が中央官庁の重要な仕事でした。その与党根回しの過程で、自民党の支持団体などの多様な意見が集約されていったわけですが、現政権はそのような「与党根回し」そのものを否定した政権運営を掲げて、結局は行き詰まったのだと思います。

実は、自公政権末期のリーマン・ショックに対応した現在の緊急雇用対策の当時から、そのような「政治主導」が予算策定に影響していたのですが、当の労働組合が支持母体であるはずの民主党が政権についたにも関わらずまともな雇用・労働政策を打ち出せないのは、「政治主導」の限界を如実に示しているのではないかと思うところです。

もちろん、「官僚主導」であれば効果的な予算策定に結びつくというわけでは必ずしもありませんが、少なくとも「パフォーマンス」的な政策は抑えられたのではないかと。

ただ、このような政策策定を論じようとすると「天下り」批判と折り合いをつけなければならなくなり、新書ではそこまで丁寧に論じることは難しいのだろうと思います。政策提言を行う本書のような筋の通った議論は、もう少し落ち着いた新書で読みたかったような気がします。本書で指摘されている論点はとても重要ですので、その点が残念ですね。

また、民間の就活サイトでの職探しももちろんチャンネルとして重要ですが、「新卒無業だけど、ハローワーク行こうかな」という若者が増えたことで、ハローワークで受けることのできる助成金やサービスについて知る機会が増えることになったと思います。そこでサービスを受ける求人企業や求職者からフィードバックがあれば、よりよい制度が作られていくのではないかと期待するところです。その意味でも、本書で指摘されている論点はもっと議論されるべきだと思います。

なお、本エントリでは引用していませんでしたが、本書p.254の「新しい労働社会のかたち」がhamachan先生の『新しい労働社会』へのオマージュとなっているということですね。hamachan先生の主張に対応する具体的な日本型雇用慣行の未来形として、私も興味深く拝見しました。「10年後に振り返ると、「ああ、また日本にしてやられた」と世界中、そして日本に住む私たち自身でさえ、あきれ顔半分、簡単半分でそう苦笑いしているような気がしてならない」(p.256)という言葉に力づけられますね。
2011/09/27(火) 23:02:58 | URL | マシナリ #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック