2011年09月07日 (水) | Edit |
匿名ブログなもので自分の身の回りで起きたことをダイレクトに書くことができないという制約がありまして、つい先日もそんなことがあったばかりですが、そういった事情をご理解いただければ幸いです。でまあ、探せばどこかに私と同じことを感じている方がいらっしゃるもので、こういうときにネットの威力というものを感じます。だいぶ前の記事になってしまいましたが、私とhahnela03さんが書いたのかと見まごうようなエントリがありました。いじめ・メンタルヘルス労働者支援センターという団体があるとのことで、全体のトーンとして私の見解とは相容れない部分もありそうですが、そちらの活動報告ブログに「お盆が過ぎて」というエントリがアップされています。

8月23日(火)

 夏休みは、被災地を開通した電車と自転車と徒歩で回りました。

 政府は当初、お盆までには避難所に入った被災者全員を仮設住宅に入居させると言っていましたが間に合いませんでした。政府の怠慢ということだけでなく、用地が確保できませんでした。
 1つには、各地方自治体に用地確保に優先して専念できるような体制・人的余裕がありませんでした。1人何役もこなす中での用地確保業務です。繰り返しますが「小さな政府」の犠牲です。8月8日の『産経新聞』によると、被災地に派遣されたある自治体職員の男性は、多忙な業務に追われ、鬱病を発症した末に自殺しました。
 2つ目には、土地があっても長い間過疎化が進んでいて、親族でも疎遠になっているなかで土地所有者の確認と承諾は困難を極めます。なおかつ電気、上下水道を設置できる条件のところは限られます。
 3つ目は、民間の空地は、地元以外の建設業者等がすでに賃貸契約を結んで使用しています。
 何とか建設した仮設住宅の中には、田圃の中にあって買い物ができる最短の店が1キロ離れていたりしているところもあります。お年寄りが生活をしていくには不便としか言いようがありません。だから空室も目立ちます。
 しかし洗濯物が干してある光景をみると、生活に少しは落ち着きができたかとほっとします。
 一方、被災者が避難所から仮設住宅に移ると、被災地域から本当に人影が亡くなります。ここをどう復興させるのだろうかと考えると正直気が遠くなります

お盆が過ぎて(2011/08/23(Tue))」(いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター活動報告
※ 以下、強調は引用者による。

「繰り返しますが「小さな政府」の犠牲です」というのは、拙ブログでいうと「緊急避難的な状況を脱した被災地で生じている現実は、震災前から進められていた「小さな政府」路線の帰結でもあります」という辺りと同じ認識のように見受けます。まあ、現地の役場に入って職員数の少なさを目の当たりにし、その中で震災以後間断なく寄せられる外部からの支援と地元住民からの苦情に翻弄される疲労感とか、目の前の被災者への救援策に手が回らない焦燥感に職員がさいなまれる様子を肌で感じても、なお「もっと小さな政府にすべきだ」とおっしゃる方がいれば、現地の役場職員と一緒にじっくりとお話を聞いてみたいものです。「ここをどう復興させるのだろうかと考えると正直気が遠くなります」というのも、現地に行くたびに「「復興」ってなに?」と考えてしまう私の認識と一緒のようです。

リンク先のエントリでは、この後hahnela03さんが指摘されるように、復興事業は実は大手企業が受注していて、その還流先は首都圏だったりすることが指摘されています。この辺も「小さな政府万歳」「民間でできることは民間に」路線の帰結ですが、それを「地方が独自に決めた自主的な復興計画」とか言ってしまう霞ヶ関の方もいらっしゃるところが頭の痛いところです。

再び冒頭のリンク先エントリに戻って、それが被災地でどのような現実を引き起こしているかというと、

 仮設住宅問題からは現在の政府の住宅政策も見えてきます。
 住宅建設のスピードは、阪神淡路大震災の時よりも原爆にあった広島、長崎の方が早かったです。現在と比べて資材の調達など困難さは比べものにならない状況でしたがそうでした。
 住宅を生活必需ととらえるか商品・ビジネスと捉えるかの違いです。住宅・建設業界にとって、被災者に「自己責任」で商品獲得に向かわせるには政府の過保護は迷惑なのです。

 かつて自民党政権時代に「小さな政府」を目指して行政改革が叫ばれて担当大臣に就任した石原伸晃は、具体的に何から始めるのかとの記者からの質問に「たとえば住宅金融公庫や雇用能力開発機構とか」と答えました。いずれも労働者の生活に影響を及ぼす部署。これらの部署の一部分が抱えていた問題点をクローズアップさせる裏で、労働者の住宅問題や職業訓練の問題の切り捨てが促進されていきました。同時期に論議を開始されたのが、かつて炭鉱閉鎖で大量に失業者が出た時に住居の保証のために建てられた雇用促進住宅の廃止問題でした。住宅問題を厚生労働省管轄から完全に切り離し、産業と位置付けて国土交通省の管轄に一本化しようとしました。
 しかし雇用促進住宅は“派遣村”がその必要性をあらためて問題にしました。
 労働者の衣食住の確保は「自己責任」でなければならないのでしょうか。だとしたら政府はいりません。
 住宅金融公庫は労働者が住宅を入手しようとする時、便宜を図るものでした。廃止後は、労働者が住宅を入手するには建設・不動産業界と金融業界に相当の金額を支払うことを強制されます。

お盆が過ぎて(2011/08/23(Tue))」(いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター活動報告

「天下り」を目の敵にすることで、その「天下り」先が実施していた事業までも否定するという「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」論法が、必要な社会的支援を削減する方便となり、そこに「民間でできることは民間で」と利権獲得行動が引き起こされていくわけです。多少の「天下り」があったとしても必要な社会的支援が行き届く社会と、「天下り」を根絶するためにそうした社会的支援を削減する社会のどちらが望ましい社会なのか、このご時世では私にはよくわかりません。もちろん、私は公務員組織の人事労務管理上だけではなく、山形さんご指摘のように国策としても「天下り」の効用は大きいと考えておりますので、後者の社会を支持する理由が見あたらないというだけのことのですが。

そう考えるのも、被災地の間近にいるためにこの国の状況が端的に見えてしまうからではないかと思うところでして、大都市にいて「東北とか北関東はカワイソウダナー」とか「がんばれニッポン」とかおっしゃいながら、増税などで自分の負担が増えそうになると途端に「震災不況が来るぞ」などと危機を煽る方々には見えないのかもしれないななどと思ったりしています。
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