2011年07月03日 (日) | Edit |
だいぶ前の記事になってしまいましたが、dongfang99さんのエントリでなんとも形容しがたい記述がありまして、雇用とか労働をめぐる議論を象徴しているように思いましたので取り上げさせていただきます。

 要は自分は、貧困・過労・失業などの問題の解決に真剣に取り組んでくれる人であれば、手段が税だろうと金融だろうと何でも構わないのである。自分が増税にやや好意的なスタンスにあるとしたら、これらの問題に直接取り組む社会保障論者の多くがそういうスタンスであり、その説明の論理を説得力があるものとして共有しているから、という以上のものではない。自分は完全に「復興」の段階に入るまでは、税と社会保障の話は混乱を避けて先送りすべきだと考えるが*1、そこまで激怒すべき話かと言われると、やはり疑問である。

 今のデフレ不況・震災下で緊縮財政・規制緩和を言っている人たちは、増税派であれ反増税派であれ、その中に経済学的正論が含まれているかもしれないとしても、以上の問題に冷淡であると言わざるを得ないし、実際そういう無神経な発言を過去にしてきた人の顔が何人かいる。もともと「貧困の経済学」を考えていた人たちが、「反増税」という手段のみで、こういう人たちと躊躇なく手が組めるというのが正直理解できない。

(略)

 最後に、反増税派はより現実性・持続性のある財源論を提出することが、最低限の義務であるはずである。少なくとも、増税批判に興じてばかりいるのではなく、「財源がない」という圧力の下で暴力的に沈黙させられてきた、医療・介護・教育・労働の現場の人たちに、どのように財源が行き渡るのかを具体的に示してほしいと思う。

何でも構わない(2011-06-21)」(dongfang99の日記
※ 以下、強調は引用者による。注は省略しました。


一般的な語感としてもそうですし、雇用や労働をめぐる議論であっても、「労働者」という言葉が出てくると何となく遠い存在になってしまうのがとりもなおさず日本的雇用慣行の弊害なのかもしれないと思ったりすることが多いのですが、dongfang99さんのエントリで強調させていただいた箇所でも、「医療・介護・教育・労働の現場の人たち」という並びになっていて、うーむと頭を抱えてしまいます。いうまでもないことですが、医療・介護・教育に限らず、賃金を対価として得る作業をする人は「労働者」であって、「労働の現場の人たち」というなら、会社員から公務員(キャリア官僚から末端の役所の地方公務員、自衛隊員、警察官、公立病院の医師・看護婦、教師、学校の用務員等々)まで、およそ自営業者、経営者以外はそこに含まれるはずです。もちろん、農協や商工会議所のような団体職員、生協や政党職員、NPOで雇用関係にある職員も労働者です。

つまり、dongfang99さんが指摘されるような「労働の現場の人たち」についての議論は、大半の成人男性・女性が我がこととして考えなければならないのに、彼らの支持を得るのはコメンテーターやフリーアナウンサー、評論家のような自営業者の主張だという、なかなか理解しがたい状況があるように思います。また、本来は労働者のはずですが、学校の授業や学術研究をどれだけやっているのか不思議なほど多作で評論家と同じ行動をとる大学教員の中には、こちらに含めるべき方もいそうですね。

まあ、男性正社員が家計を支えているうちは社会保障なんぞ構う必要がないほど生活が保障されるというのが、日本型雇用慣行が有する世界的に特筆すべき優位性ではありますし、それが「男性正社員」と「労働者」を同一の概念でくくることを難しくしている側面はあるのでしょう。しかし、バブル崩壊後の景気動向の不透明さのために、企業がそうした生活保障的な雇用慣行を維持する対象を縮小していった結果が非正規労働者の増加やワーキングプアの増大だったわけで、その原因であったマクロ経済の停滞だけをやり玉に挙げたところで、生活保障的な雇用慣行が戻るとは限りません。さらにいえば、企業が生活を保障していたが故にサビ残やら過労死が当たり前になってしまったり、外部労働市場がパートやアルバイトのような家計補助労働者中心となったため、男性正社員の生活保障の見返りとして非正規労働者の雇用は保障されなかったわけで、生活保障的な雇用慣行に戻すべきかといえば、それも現実的に難しいでしょう。

こうした問題意識を持つ者としては、医療や介護などの現場での現物支給を中心とした社会保障制度を拡充することによって、直接的には現物支給を担う雇用を創出し、間接的には企業の負担を減らして*1企業の雇用を増やすという方策を検討することはあながち無意味ではないと思うのですが、一部のリフレ派の「金融緩和一筋・再分配はインフレ税で」な方々には、こうした方策は特に「無駄が多くてけしからん」政府を経由する分だけ邪道に映るようです。

まあこういう感覚は、東電が憎いから電気なんかなくても生活できるという幻想を振りまいて、エアコンがないと熱中症で死亡するかもしれない高齢者や、暗い夜道やエレベーターが止まったビルで移動が困難になっている障がい者などの方々に、特に大きな負担を強いてしまうのと同じものなのかもしれません。

この点については、黒川さんも

●何度も書いたが、消費税増税が庶民いじめというのは、会社が完全に従業員を抱え込み、その従業員が女房子どもを食べさせることができた時代の感覚である。その感覚からすれば、消費税を払うのは主に女房子どもであり、自分がよもや政府のお世話になっているなんて感覚がないからである。

社会保障と税の一体改革に抵抗して何になるんだ(2011.07.01)」(きょうも歩く


と指摘されていますが、この国の「労働者」の中で最も多数派で最も雇用を保障されている「男性正社員」が社会保障について議論しても、増税で確保された財源がなければ所得再分配を受けることができない(と思われる)ほどには低所得でない方々からすれば、そりゃ確かに増税は景気後退だと思えるでしょうから、自らの境遇を顧みない方々がこの点に気がつくことには望みが薄そうだなと思わざるをえませんね。。。




*1 念のため、生活保障的な賃金体系では、労働者に支払う名目賃金にその労働者の生活に要する費用を含めなければなりませんので、労働者1人を追加的に雇用するときの限界的賃金は高くなります。このとき、政府が生活に要する費用を現物支給し、その財源を企業が雇用人数に中立な税や社会保険料で支払うとすると、企業が労働者を追加的に雇用するときの限界的賃金は、現物支給の分だけ低下させることができます(もちろん労使の合意を要しますが)。なお、政府の現物支給と税や社会保険料の負担額が同額であれば企業の負担は中立となりますが、この場合税や社会保険料はサンクコストですので、合理的な企業であれば上記の行動に影響を与えないものと考えられます。
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コメント
この記事へのコメント
http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/f293eb31ff483d00e0d213aa3425aa09

これ(長い)の「気分はエグゼクティブ」「逆マルクス主義」を思い出しました。

実際には逆マル派(過激!)よりマシナリ氏の言われるようなレベルの人が多いのでしょうね

「極めて階級闘争的でありつつ、資本家の立場から労働者――とりわけ正社員なり労働組合なり――を打倒すべき階級敵と見なすわけです。現に労組を敵視した不当労働行為や労組加入者を標的とした不当解雇の事例には事欠きませんし、経済系の論者は(そして気分はエグゼクティヴな賛同者も)挙って雇用の問題は雇用主ではなく労働側に責任があるかのごとく語り、正社員や労組が既得権益を手放さないから悪いのだ、学生が選り好みするか悪いのだと説いてきました。この逆転した似非マルクス主義こそ日本の経済言論における支配的なイデオロギーであり、謂わば「逆マル派」とでも呼ぶべき人々によって牛耳られていると言えそうです。」
2011/07/04(月) 10:10:07 | URL | VVVVF #-[ 編集]
> VVVVFさん

非国民通信さんのおっしゃる「気分はエクゼクティブ」な意識というのは、拙ブログで以前「経営者目線」(後に「株主目線」という言い方の方が適切ではないかというご指摘を受けましたがhttp://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-403.html)として取り上げていた意識に近いものと思います。

問題は、そうした経営者・株主側の論理が、本来労働者の権利を主張するはずのマルクス主義的な主張と親和性が高いことであって、「逆転した似非マルクス主義」というのは言い得て妙ではありますね。
2011/07/10(日) 09:27:18 | URL | マシナリ #-[ 編集]
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