2011年02月27日 (日) | Edit |
だいぶ時間が経ってしまって恐縮ですが、何となく違和感がありながら放置していた前々回のエントリの誤りに気がつきましたので、訂正と補足です。

愛知県、名古屋市ともに今年度は交付団体(どちらも交付団体と不交付団体を行ったり来たりしていますが)となっていますから、ただでさえ借金して賄っている地方交付税を受け取りながら、自分のところの自主財源である地方税は減額しようとしているわけです。その地方分国負担分の債務を償還するのは愛知県民と名古屋市民だけではなく、将来世代を含む日本の全国民なんですけれども、まあ、それがチホーブンケン教によるチーキシュケン改革の実態なのでしょう。

体系の人(2011年02月07日 (月))


誤りというのは上記の引用部分の見え消し部分でして、実をいうと全くの誤りというわけではない(と思う)んですが、以下その理由を書いてみます。ただし、私自身もそれほど詳しくありませんし、さらなる誤りが含まれていないとも限りませんので、まあ参考程度と割り引いていただきたいと思います。

地方財政制度というのはとにかく複雑でややこしいんですが、国の財政と地方財政は、交付税及び譲与税配付金特別会計(交付税特会)を通じて交付される地方交付税を中心につながっています。国の政府予算原案を受けて策定される地方財政計画において、地方の基準財政需要額と基準財政収入額の差額として地方交付税が算定されるものの、ちょっと考えれば想像がつくとおり、交付税特会の入口(国税5税の一定割合)と出口(基準財政需要額と基準財政収入額の差額)がイコールになるはずがありません。以前はこの入口ベースと出口ベースの乖離を交付税特会の借入金で埋め合わせていましたが、平成13年度からはこの借入金をやめて、国と地方が折半することとなっています。

具体的には、国からは国税収入(一般会計歳入)→交付税繰り出し(一般会計歳出)→一般会計繰り入れ(交付税特会歳入)→地方交付税(交付税特会歳出)という流れを経てはじめて地方に対して交付されるわけですが、一般会計歳出の段階で、歳出額そのものを大きくする(特例加算)方法とそのための国債を発行する(臨時財政対策債発行)方法を組み合わせることによって、交付税特会の歳入を膨らませることになります。もちろん、これは国の財政上の歳出となりますので、その財源は将来世代を含む日本国民全体で負担することになるわけです。
国の予算と地方財政計画との関係(平成22年度)
国の予算と地方財政計画との関係(平成22年度当初)(PDF 59K)
一方、地方の側は、それぞれが地方債を発行することによって、原資の不足分を補っています。つまり、地方財政の不足分の半分は国民全体で負担しましょうということになっているわけで、上記で誤りを訂正したのはその点がむしろ逆の書き方になっていたということですね。大変失礼しました。

ただし、話はこれだけで終わらないのが地方財政のややこしいところで、交付税算定の一方の基礎となる基準財政収入額では、地方税の課税ベースの数量が算定基礎となる税目と課税実績が算定基礎となる税目が混在しています。したがって、たとえば愛知県や名古屋市が課税ベースの数量が算定基礎の税目を減税しても、基準財政収入額には響かないのですが、課税実績が算定基礎となる税目を減税すると、その分の基準財政収入額が減額されて、その留保財源分を除いた分の交付税が増えてしまうわけです。さらにいえば、基準財政需要額の中には公債費という地方債償還分の費用が算入されているので、地方債償還の原資の大部分も、国が繰り出す地方交付税=国の財政上の支出で賄われているわけで、自分のところの税収を減らしても交付税の配分を減らさず、地方債の償還も交付税で面倒を見てもらうということが理論上は可能ということになります。まあ、実務上それが可能かどうかは、実際にそうなってみないとわかりませんが。

スピルオーバーにフリーライドする、その名も「減税日本」の方々がどのような戦略をとってくるか不明ですが、チホーブンケンやらチーキシュケンを掲げて日本全国民にツケを回すというのは、この国のいびつなところと醒めた目で見るしかなさそうです。

というわけで、hamachan先生のこのエントリには釣られなければなりませんね。

かなり率直に事態を批判しているのでしょうが、敢えて言えば、「地方分権」というなら、いやむしろ「地域主権」というなら、「なぜ自分たちが稼いだものをよそへ回さなければならないのか」という考え方は必ずしも「いびつ」ではなく、むしろまっとうなのではないでしょうか。怠け者のギリシャ人に俺たちが稼いだものを・・・というドイツ人の感情は、「EU中央集権」に対するナショナルな「ドイツ主権」の感情であって、90年代以来の大前研一氏らの議論の底流を流れているグローバルに稼いでいると自認するトーキョー人たちの金食い虫の「かっぺ」に対する感情と実はパラレルなのではないでしょうか。それは、価値判断としては「いびつ」だと私も感じますが、論理的には「地域主権」からもたらされる自然な帰結のように思われます。もしそれが「いびつ」であるとしたら、それは「地域主権」自体が「いびつ」だからなのでしょう。

チホー分権の反省(2011年2月26日 (土))」(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
※ 強調は引用者による。


チホーブンケン教の方々は結構早い段階から馬脚を露わしていたと思うのですが、拙ブログでいえば(若干不穏当な書きぶりも混じっていますが)このエントリとか。

浅野史郎という方は厚生省で障害者福祉に携わっているうちに脳内が左派思想に染まってしまったらしく、弱者が救われればその他がどうなっても知ったこっちゃないということを正義のオブラートで包んで発言してしまう。この場合の弱者は地方で、弱者以外の強者は東京とかの大都市なんだけど、
「宮城県の住民が払った税金は宮城県のために使うというのが民主主義の基本であり、地方分権は民主主義の先進国家になるための絶対条件だ」
って本気ですか? 民主主義の基本とまでおっしゃるなら東京都の住民がそれを主張してもいいんですな。大都市の財源を地方に配分する仕組みである地方交付税の根幹を否定されるとはなかなか大胆なご提案です。

地方分権劇場(2008年04月20日 (日))


地方分権でより効果的な政策効果を実現できるような個別の分野とか事業があることは否定しませんが、地方分権そのものが目的化してしまうと、上記のように価値判断としてはいびつでありながら地方分権の帰結としてはまことに自然な状態がもたらされてしまいます。誰も反論できない地方分権という正論が、まさに地域に密着した議論ではその虚実を捉えきれない理由がここにあるわけで、合理的無知につけ込んだ政権交代選挙の際に錦の御旗とされたマニフェストが、その見直しもやむなしと政権与党内で議論されているにもかかわらず、チホーブンケンとかチーキシュケンだけは無傷でいられるのも、そうした理由によるものと思われます。しかも、タイミングの悪いことに、統一地方選がそのマジックワードにさらに力を与えてしまっているようにもみえるわけで、この状況は打開できそうにありませんねえ。。。

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コメント
この記事へのコメント
レスが遅くて恐縮ですが、どらめもんさんに訂正と補足もフォローしていただきました。

http://www.h5.dion.ne.jp/~bond7743/doramemon1103.html#110303

どらめもんさんの記事で大変参考になるのは、中原伸之氏のこの発言ですね。

> そういえば中原伸之元審議委員って金融緩和と同時に財政赤字縮小に対して強烈に主張していて(みんなの党の予算案みたいな無茶は言いませんけれども)だいぶ前のどこぞの講演会(というかセミナー)で「本来的に言えば財政均衡(PB均衡ではない)を目指して財政改革を行い、それまでの期間は金融緩和(当時聞いた時は「量的緩和政策の継続」でありました)を日銀は継続すべきだ」という趣旨の発言をしておられたのって、市場関係者であの時のセミナー見に行った方ご記憶にありますよね、ね、ね(さすがにもう書いて良いと思うから書く)。

拙ブログのエントリはどうでもいいんですが(いやマジで)、リフレーション政策を支持する方がミクロにどのような政策を支持するかは、やはり見きわめる必要がありそうですね。

ついでに、どらめもんさんの記事で引用されているみんなの党関連のエントリが、拙ブログで直近のエントリで取り上げたものとだいぶダブっておりました。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-443.html
いやまあ、同じ方向を向いている方がいるのは心強いものです。
2011/03/06(日) 12:58:17 | URL | マシナリ #-[ 編集]
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