2010年12月26日 (日) | Edit |
昨日12月25日の「日本の、これから」のテーマは「就職難をぶっとばせ」でしたが、拙ブログでいつも取り上げさせていただいている海老原さんはさすがの存在感でした。やはり動いている海老原さんは文面から伝わる迫力以上のものがあります。海老原さんのプレゼンでは「切れば血が出るような現実」を実例を挙げて紹介されていたので、会場にいた誰も反論できない雰囲気でしたからね。

海老原さんが番組の中で主張されていた「ねらえ!中小・中堅企業」ということ自体は、『「若者はかわいそう」論のウソ』などの著書で示されていたことなので、著書を拝読している者からすれば目新しいことではないのですが、これに対して文部科学副大臣が経済産業省のホームページを紹介していたことにいい知れない違和感を感じました。就職難という問題を討論する場に文部科学省が出てくるからには、就職難の責任の一端は教育にあるという認識があるんでしょうが、出演している文部科学副大臣が紹介したのが経産省の事業だったわけで、結局のところ文部科学省としては主体的にこの問題に取り組むつもりはないとしか見えなかったのです。

番組の中でも、「大学はアカデミズムの場であって就職予備校ではない」という大学教員の声があるとの発言が石渡氏からありましたが、それが本田由紀先生が「職業的レリバンスの欠如」と指摘する問題なわけです。番組の中で宮本みち子先生が主張されていましたが、若年者雇用を考えるときに「若者に職業教育を!」というヨーロッパでは当然に取り組まれていることをことさら強調しなければならないのも、現行の「学校教育」に問題があるからですね。その「学校教育」の行政を司る文部科学省から、経産省の事業を紹介して「政府として取り組んでいます(キリッ」といわれてもねえという気がします。何より、番組の後半で「小学校にOBの社会人を呼んで話を聞かせることを義務化しろ」という勝間氏のムチャぶりに象徴されるように、社会に接続するシステムとしての「教育システム」の議論をすっ飛ばすと、単に社会人の話を聞くというイベントに議論が矮小化されてしまいます。社会に接続しない「教育」の存在意義ってものが問われているんですけどね。

とまあ、意図的かどうかはわかりませんが、海老原さんが徹頭徹尾プラグマティックに議論されていたことが、文部科学省が所管する「学校教育」の機能不全をあぶり出して、後の宮本みち子先生の「若者に職業教育を!」という主張にうまく連携されていたように思いました。ロバート・キャンベル教授とか勝間和代氏がいくら「資格じゃなくて人間力だ*1」「仮説検定する能力だ」なんて騒いでみたところで、実務に耐えうるそんな能力を今の大学教育で身につけられるのは、一流大学に入学できるような優秀な学生に限られます。就職が困難になるのは、何の目的もなく、高校を卒業してなんとなく大学に入った学生であって、一昔前なら高卒で就職していたような層です。勉強や能力で劣るんだからその境遇を受け入れろという新自由主義的社会ダーウィニズムに凝り固まった勝間氏のようなエリートの方に、そうした層の境遇を慮る視点を求めるのは酷というものでしょう。いやまあ、勝間氏に求めてはいけないものが多すぎて大変です。

念のため議論を整理しておくと、就職難という問題を考えるためには二つの側面を考える必要があって、一つは高校・大学レベルの教育機関のうち、特に実業系以外の普通科や人文系学部が職業に接続していないことと、二つ目は、高校・大学という高等教育に進学する割合が高くなったために、卒後の進路がいわゆる高度なホワイトカラーや研究者以外に、ブルーワーカーや単純労務にまで広まっていることです。この二つを混同すると、キャンベル教授や勝間氏のように、大学で勉強すればそれが社会に出ても役に立つという、普段ご自身が相手にしている超エリートにしか通用しない議論をしてしまうのだろうと思います。宮本みち子先生や海老原さんが主張されていたのは、そういうアカデミックなトレーニングすら十分にこなせない若年者が高校や大学を卒業しても、社会に出て通用する武器を何ら身につけることができないという現実だったはずです。その武器になり得るものとして、宮本みち子先生は職業教育の、海老原さんは「営業大学」の必要性を主張していたのですから。

実は、そういう現実を認識していない企業の人事担当者というのも相当数います。となると話がややこしくなるわけでして、番組でも企業の人事担当者から、「会社が求めている能力は、会社の中で実務を通じて身につけられるものだ」という、これまた新卒ですんなり採用される高校・大学生の優等生のキャリアコースを前提とした発言がなされていましたね。これには宮本みち子先生もさすがに、「それは矛盾した言い方だ。会社の中で能力を身につける機会すらない学卒無業者が400万人いる中では、職業教育しなければ彼らは職業能力を身につけることはできない」と即座に反論されていましたし、さらに宮本先生は、討論の終盤で、「私がいう職業教育は、必ずしも資格や技能を身につけるためのものではなく、たとえば車体を整備することで実社会とつながることを学ぶことであり、それを職業能力として社会が認めることが重要だ」と付け加えられていました。「人間力」とか熱く語る暇があったら、こういう職業能力が認められない社会的な認識が何に由来しているのかというところを深掘りした方が、実りの多い議論になったのではないかと思います。

もう一点、番組で気になったことですが、勝間氏が提案した解雇規制緩和の議論の際に、キャンベル教授が「解雇という言葉が悪いので、転職とか、自主的に会社を出て行く制度を考えるべき」という、いかにも現実を見ない大学教育者らしい発言をされていました。これも整理しておきますと、少なくとも法実務上は使用者側から雇用契約を解約するのが「解雇」で、労働者側から雇用契約を解約するのが「退職」ということになりますので、キャンベル教授の用語法に基づいて「解雇規制」を言い換えるなら「退職規制」となってしまいます。労働者側からの発意に基づく退職が規制されてしまうと、私なんかは強制労働を連想してしまって悪い冗談かとも思ってしまうのですが、それを聞いてうんうんと強く頷く勝間氏の姿が映し出されていて、ああこの人は雇用問題を語る割に労務管理の実務を何にも勉強していないんだなあと改めて認識いたしました。

ちなみに、明治時代の工業化の過程で、地方在住の若い女性を人身売買さながらの雇用契約で女工として就労させていた実態を規制するために、現在の労基法の前身である工場法が制定されたわけですが、その名残が労基法16条の賠償予定の禁止とか17条の前借金相殺の禁止とか18条の強制貯金に対する厳格な規制です。つまり、「お前は○年間働くためにうちの工場に住み込みさせてやるんだから、その○年間の前に辞めたら一族郎党から×円の違約金を取り立てるぞ」とか「前金を払ってやるからそれの分働くまで辞めさせないぞ」とか「会社でお前の給料を貯金してやるから、○年間働くまでその貯金は会社で預からせてもらう」いう形で、労働者側が辞めたいと思っても辞められない状況に追い込むのが当時の労務管理であって、その弊害で憔悴しきるまで働き詰めて機械に巻き込まれて死んでしまうとか、病気で死んでしまうという事態が社会問題化していたわけです。そういう歴史を踏まえてみれば、「退職規制」なんてことが許容されるわけないですし、キャンベル教授もそこまで考えて発言されたつもりではないでしょうけども、雇用契約の出口局面だけ考えて、その出口につながる雇用契約の入口を見ない議論の典型ではあります。

ただまあ確かに、雇用保険の実務上、同じ「退職」でありながらも、「自己都合退職」とか「事業主(会社)都合退職」という用語を使っているのも混乱の原因ではあるでしょう。雇用保険では「離職理由」によって給付制限がかけられたりする(自己都合退職なら最長3か月経過するまで失業等給付が支給されないとか)ので、「自己都合」か「事業主(会社)都合」かというのが問題になるわけですが、ここでいわゆる「事業主(会社)都合」というのは、倒産や解雇などによって離職した「特定受給資格者」や希望退職などによって離職した「特定理由離職者」を指すので、必ずしも「退職」ではありません。

さらに実務上厄介なのは、パワハラとか変更解約告知で自己都合退職に追い込む場合とか、懲戒権を逸脱して些細な問題を従業員の責任に帰して解雇してしまう場合のような、労働契約法第16条に規定する「解雇権の濫用にあたる解雇」が、特に中小・零細企業ではごく普通に行われているという実態があることです。雇用契約の終了というのは、雇用契約の当事者である使用者と労働者の間での解約理由のせめぎ合いを必然的に伴うものであって、勝間氏やキャンベル教授が思い描くような解雇権の濫用に当たらない(可能性のある)整理解雇というのは、そのうちで使用者側の解約理由に客観的合理性と社会的妥当性が認められる(余地のある)一事例に過ぎないわけです。勝間氏がモデルとして取り上げたデンマークでも、労使の合意により整理解雇が認められているに過ぎないのであって、「解雇権の濫用に当たる解雇」まで認めているわけではありません。

この辺の区別ができていない勝間氏が浅薄な正義感から「解雇規制の緩和を」とか主張してしまって、それがマスメディアの電波に乗ってしまうわけですから、この国の素人崇拝も筋金入りですね。ただし、同時に宮本みち子先生と海老原さんにもプレゼンの機会が与えられたことで、議論の後半になるにつれて勝間氏の存在感が薄れていったのを拝見するに、まともな議論を示す機会があればまともな議論が可能だという淡い期待は持てそうです。

ついでに、博士号なりの学位を取るようなトレーニングを積んでいないとう意味でマクロ経済学の素人である勝間氏が、リフレーション政策による景気回復で労働需要を増やすべきという主張をされなかったのは、おそらくそうしたマクロの議論が番組サイドから封じられたからではないかと察するところですが、私自身は雇用労働政策を通じた資源配分の効率化と所得再分配の公平性という重要な政策を論じるためには、やむを得ない切り分けだったと考えております。この点については、一部のリフレ派が「マクロ経済政策としての金融政策を論じないヤツはアフォ」と勝間氏を見限るのか、「マクロ経済を取り上げないNHKはアフォ」と雇用労働政策に議論を集中させたNHKをdisるのか、どう反応されるのか興味深いところでもあります。




*1 資格なんて要らないといっていた勝間氏ご自身は、大学在学中に公認会計士試験に合格されていますけどね。

このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーサイト


コメント
この記事へのコメント
就活とは、〝おじさん面接官が部下にしたい若者を短時間でぱっと選ぶこと〟です。見た目印象が極めて重要です。学歴よりも大事かもしれません。面接官はワンシーズンで何百人も学生に会い、その中から数人のみを選びます。人が人を選ぶ基準というのはあいまいで主観的、好き嫌いです。入社後、業務がぴたりとはまり大活躍できるかどうかなんて、計量化不可能です。この学生を部下にしたいか?おれが顧客でこの子が営業マンなら好感をもてるか?などといったあいまいな「印象」が重要です。学生は身だしなみに気をつけ、さわやかな印象、話し方、応答内容を考えなくてはいけません。「私は粘り強く決してあきらめません」などと面接官が毎年100回以上きいてることをいう子に面接官はキレかけています。「見た目」については、男子学生の色白、オタクめがね、髪伸び放題、耳にピアスの跡、女子学生のあか抜けない、又はケバケバシイ子、とんでもないブス、百貫デブ…これらは全部落とします。石川遼くんや相武さきさんみたいな聡明そうで感じいい若者がいいのです。面接は=お見合いです。見た目、第一印象でだめな人は東大生だろうとどこでも落ちるのです
2010/12/26(日) 20:22:01 | URL | やまだ #-[ 編集]
> やまださん

おっしゃることはそのとおりだと思います。それが現実というものであって、若年者の就職活動を考えるためにはまずその現実を見つめることが必要ですね。

一方で、その現実を所与のものとせずに、どこかに原因があってそれにどう対処すれば若年者が円滑に労働市場に入っていけるかを考えることは継続しなければなりません。その一つの議論が昨日の番組だったのだろうと思いますが、その際に議論の妨げになるのが、現実ばかりを見てしまってその先の処方箋に思いが及ばない議論や、逆に現実を自分の論説に沿って解釈して理想論をぶってしまう議論です。本エントリではこの後者の論説の代表としてキャンベル教授と勝間氏の議論を取り上げましたが、本来討論すべきは宮本みち子先生や海老原さんの現実を踏まえた議論だったのに惜しかったなあというのが私の思いです。
2010/12/26(日) 21:45:36 | URL | マシナリ #-[ 編集]
HALTANさんに取り上げていただきました。
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20101229/p1

諸般の事情により期間限定のエントリとなるそうですので引用は控えますが、本エントリで

> 一部のリフレ派が「マクロ経済政策としての金融政策を論じないヤツはアフォ」と勝間氏を見限るのか、「マクロ経済を取り上げないNHKはアフォ」と雇用労働政策に議論を集中させたNHKをdisるのか、どう反応されるのか興味深いところでもあります。

とした部分をサルベージしていただき感謝いたします。その結果は後者だったようで、まあ、ある意味予想どおりではあります。勝間氏という強力な情報発信源を失うより、テレビ局の姿勢を批判した方が一部のリフレ派の方々にとっては痛手が少ないと判断されたのでしょう。

私のように緩やかにリフレーション政策を支持する者からすれば、そうしたマスコミへの攻撃は、マスコミの偏向を所与のものとしてしまっている時点で、どうしたらそのような偏向を修正することができるのかという議論へ向かう契機を削いでしまって、結局のところ現状は何も変わらないという結果を招いているようにも思います。

一部のリフレ派の方々は、「いや、マスコミの中でもリフレ派の考え方が浸透してきている」とか「リフレ派もテレビに出るようになった」とかいうのかもしれませんが、それが現実の政策として実現していないという事実の前には無力な抗弁ではないかと思います。私の理解するリフレーション政策の目的は、マスコミの偏向の修正や、ヘタレ人文系の意識を啓蒙することに留まるものではなく、現実に厳しい生活を余儀なくされている方々に対する流動性の供給にあるはずですから。

この点、本エントリでは明記しませんでしたが、マンデルの定理やティンバーゲンの定理によれば、社会全体の流動性選好を修正して、特に流動性制約の厳しい家計に流動性を供給する効果が期待されるリフレーション政策は、その目的にのみ割り当てられるものであるはずです。したがって、本エントリで取り上げたような若年者の労働市場への円滑な参入という個別の政策課題については、それに応じたミクロな個別の制度設計が必要となります。

確かに若年者雇用は景気の波をもろに受けるものではありますが、では過去の好況のときは新卒の売り手市場で日本的雇用慣行が万全のものであったかというと、必ずしもそうではなかったわけです。男性正規労働者が家計を支え、妻や子はパートやアルバイトで家計を補助するというモデル的な家族が前提となっているからこそ、正規労働者の雇用が保護されているのであって、その裏返しとして、大企業正規雇用者以外の中小・零細企業の正規労働者や非正規労働者はクビを切られても変更解約告知を受けても文句もいえません。そもそも、モデル的な家族構成を構築できない個人はまともに生活することすらできないという日本の小さすぎる再分配政策と併せて、それを補完してきた日本的雇用慣行についても、労働市場への入口から出口までをトータルに見据えながら不断に修正していく必要があります。

ところが、一部のドマクロで市場効率化最優先なリフレ派にとってみれば、「そんな七面倒くさいことしなくたって、解雇規制を撤廃すれば労働市場が流動化して最適な均衡点がもたらされるし、リフレして景気が回復すればいくらでも就職する口はあるよ」とおっしゃるのでしょうし、そこで上記のような話をすると、「雇用を規制したり公的職業教育を推進するなんて、官僚の既得権益に取り込まれたアフォなヤツ」と、「リフレ派を批判するなんてデフレを賞賛する基地外め」と、口を極めて罵られるので、個人的にはどうしても「リフレ派」と呼ばれる方々とおいそれと与するわけにはいかないと考えてしまうのです。
2010/12/30(木) 09:24:01 | URL | マシナリ #-[ 編集]
はてブでちょっと気になるコメントがあったので補足いたします。
http://b.hatena.ne.jp/entry/sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-433.html

> Nihonjin 「素人の浅薄な正義感」は困ったものかもしれないが、文章がまずい。「解雇」の話も、核心ではなく言葉の些細な違いをネチネチと攻撃しても無意味。自分の土俵で戦うのはありだが、これはいやらしいだけと思った。 2010/12/30

労働問題が自分の土俵かといわれると正直どうかなと思わないではありませんが、まあ「労働」カテゴリを置いているくらいですから、拙ブログの主要な関心領域ではあります。しかし、その「土俵」に素人丸出しで上がってきたのは勝間氏やキャンベル教授の方であって、その主張を実務上の用語法に当てはめるとこんな変なことになりますよと示してみたのが本エントリの後半の趣旨です。

確かにいやらしいやり方かもしれませんが、天使とか悪魔は細部に宿るそうなので、細かいところをネチネチと突っついてみたという事情をご理解いただけると幸いです。
2010/12/30(木) 10:07:50 | URL | マシナリ #-[ 編集]
はてブでいただいていたコメントですが、こちらも補足させていただきます(もっと早くリプライしようとしておりましたが、ラスカルさんのブログの「マクロ経済の変調と雇用問題に関する覚書http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/21000101/1292120379」を拝読しているうちに遅くなってしまいました。大変高度な内容なのでついて行けるかどうか・・・)

> kuma_asset ティンバーゲン定理云々に一言いうべきを控えるにしても、そもそも実態のない「リフレ派」なるもの相手に語りたくなる心理とは何ぞ。 2011/01/06

ラスカルさんにすれば、「そもそも実態のないリフレ派」という表現には何の矛盾もないのだろうと思いますし、逆にいえば「デフレ派」とか「反リフレ派」というのも実態はないのだろうと思います。たとえば、私自身もリフレーション政策を緩やかに支持する立場なので、「一部のリフレ派の方々」を批判していることをもって「デフレ派」とか「反リフレ派」と言われてしまえば、それはそれで心外です。ただ、「リフレ派」のあっち側こっち側と二分法でレッテル貼りすれば、制度を知る必要もなく経済政策について議論ができてしまうので、つい使いたくなってしまう方も多いように思います。

(以下はラスカルさんへのリプライではないので、あらかじめご了承ください)実はこの「制度を知る必要がない」という点で、「リフレ派」を自任する方々の議論に大きな特徴があるように思います。リフレーション政策による金融政策というのは、日銀の政策についての純粋な経済理論による批判が可能な分野に限定されているため、制度に対する理解が必ずしも要求されません。bewaadさんの日銀法改正についての指摘に象徴的ですが、経済理論に基づいてリフレーション政策を主張することはある程度経済学に素養があれば可能としても、それを現実の立法府の中で実現するためには、少なくとも立法の制度を知る必要があります。この段階で「一部のリフレ派」が馬脚を現したのは、その意味で当然の結果だったのだろうと思います。

そしてこのことは、「リフレ派」を自任する方々の論調自体にも影響を与えているのではないかと思います。上記の日銀法改正案の例のほかに、拙ブログでは「労働」エントリで雇用・労働政策に対する「一部のリフレ派」の無理解も指摘していますが、「埋蔵金」の議論もそうですね。拠出による権利性が一般の税収よりも強いのが社会保険料であって、それを財源とする特別会計に剰余金が生じれば、その拠出にまつわる権利を損ねないように法律に基づいて処理しなければなりません。これを「埋蔵金」と呼んで何にでも使ってしまえというのは、私有財産しか有しない民間感覚のなせる技ではありますが、それでは理屈が通らないというものです。会計検査院やらオンブズマンが黙ってはいないでしょう。http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-376.html

雇用・労働政策に通じているラスカルさんのように、それぞれの制度に精通された上でリフレーション政策を支持されている方からすれば、「一部のリフレ派」に対する上記のような指摘は的外れに思われることと承知してはおります。その上で、制度を知らずにリフレーション政策ばかりを主張し、結果として制度を歪めてしまうような論調があって、それが「リフレ派」特有の制度を知らない議論に由来するものであれば、「リフレ派」の議論には慎重に対処せざるを得ないと考える次第です。http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-292.html
2011/01/25(火) 00:36:03 | URL | マシナリ #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック