2010年12月12日 (日) | Edit |
横やりを入れてしまうようで恐縮ではありますが、hamachan先生のところでなかなかに示唆的なやりとりがありましたので、これを題材にして地方分権のまとめをしてみたいと思います。

まずは、hamachan先生が朝日新聞の政治部的(匂いのぷんぷんする)社説を取り上げて、せっかく各論ではまともなことを書いていた社説が台無しになっていることを指摘されています。

http://www.asahi.com/paper/editorial20101210.html#Edit1(地域主権改革―大風呂敷をたたむな)

カイカク真理教、チホーブンケン真理教、シワケ真理教・・・、看板はいろいろですが、要するに政策の中身はまったく知らず、知ろうとせず、知ることを拒否し、ただただ「真理教」のお題目だけを唱え続ける、政治部記者の“躍如としてめ面目ない社説”ですな。

>民主党内の議論も解せない。自治体が強く求めるハローワークの移管を当初は容認しようとしながら、最後は国に残す方針に転換した。根っこには、まだ自治体には覚悟も能力も足りないという判断もあるのだろう。

つまり、政治部記者には、「労働政策の観点から」ものを考えるという脳みそが、ひとかけらもないということのようです。政治面を見ていくだけで、傘下に自治労があり、全労働はない連合が、組織的利害ではなく労働者の利益という立場からチホーブンケンに批判的であることはわかるはずですが、脳みそにそれを受信する部位が存在しなければ、何が書かれていても入らないのでしょう。

(略)

なんにせよ、政策的思考のかけらもない政治部記者の「大風呂敷」につきあわされる国民が最大の被害者かも知れません。

政治部記者の空っぽな大風呂敷(2010年12月10日 (金))」(EU労働法政策雑記帳
※ 以下、強調は引用者による。


これに対して、コメント欄で哲学の味方さんからhamachan先生の地方分権に対する認識についての疑問が呈されます。

ただ、私の考えは違います。地方分権ないし地域主権の問題について、私が一番信頼しているのは、片山善博総務大臣の考え方です。
簡単に言って、二点が大切だと思います。一点は、国と地方のバランスと分担/協力のあり方の問題だということ、もう一点は、地方自治というのは自治体の権利の問題というよりも、最終的には住民としての国民の権利の問題だということ。
で、この二点が、きちん理解されていません。この朝日新聞の社説ももちろん、地方自治体の首長さん達にも、一般にも、理解されていないと思います。

投稿: 哲学の味方 | 2010年12月12日 (日) 05時51分
「政治部記者の空っぽな大風呂敷(2010年12月10日 (金)」コメント欄


このあと哲学の味方さんは、原理主義者である片山善博総務相の会見からの発言を引用されるのですが、ここで哲学の味方さんや片山総務相が語る地方分権の理念そのものはおそらくだれも反論のできない正論だとは思います。ただし、現実の制度をその思惑どおり帰着させるためには、制度の設計、立案、施行、執行の各段階で綿密なオペレーションが必要であって、そのような高邁な正論や原理原則論だけでいくら議論したところで、そのフィージビリティはいかほども保障されないという大問題があるのです。

たとえば、哲学の味方さんが引用されている片山総務相の会見では「霞が関に権限があるよりは、身近な自治体に権限があった方が、住民の皆さんのハンドリングが利く、住民の皆さんの影響が及びやすい。」というような発言がありますが、確かにそれだけを聞けば、住民のハンドリングが利いた方が「望ましい自治」がもたらされるだろうと思ってしまうのもムリはありません。しかし、ここで忘れてはならないのは、どんな制度でもその効果にはメリットとデメリットがあるということです。

地方分権ももちろんその例外ではないわけで、当然のことながら地方分権を進めることによってメリットだけではなくてデメリットももたらされますので、それらをきちんと比較衡量する議論がまず必要です。たとえば、応用ミクロ経済学の一分野である公共経済学の議論によれば、そもそも公共財は受益と負担の比較で過小供給される(自分の受ける便益よりも低い負担しかしない住民が大多数である)ということが指摘されています。また、正の外部性のある地方公共財(ある地域内に便益が限られる公共財)は、それを供給する地方政府が受けることのできる便益に見合う(割に合う)分だけしかその地方政府は費用を負担しませんので、全国レベルで見たときには過小供給になってしまいます。さらには、最近あちらこちらの自治体で制定されている「市民憲章」とか「自治基本条例」といった条例が、日本国民を規定している日本国憲法との関連において、地方自治体という行政区に便宜的に住民票を持つに過ぎない日本国民を、法令を飛び越えてその自治体の中でどう位置づけているのかという治外法権的な問題もあったりします。

過小供給は一般的な公共財すべてに該当しますが、外部性の問題に該当するのが教育や労働などの対人サービス(現物給付)に関わる行政分野です。教育の分野でいえば、ある地方自治体がいくら優秀な学生を育てても、その学生が首都圏に就職してしまえば、その学生に投資した経費は少なくともその地域にとっては割の合わないものとなります。また労働の分野でいえば、ある地方が労働基準法を要件緩和することによって、より低廉で長時間働かせられる労働者を供給することが可能になり、企業を誘致することも考えられます。現状を見れば明らかなとおり、労働法規を遵守することは企業の競争力が下がることにつながりますので、「地域主権改革によって地域間競争を促進してムダを排除する」というスローガンの裏側では、そのような労働条件の切り下げが行われる可能性が高いと考えられます。

実をいえば、地方分権によって労働条件が切り下げられる現象そのものは、総務省が経済財政諮問会議の命を受けて策定した「地方公共団体における行政改革の推進のための新たな指針」に基づいて、各自治体が「集中改革プラン」を策定することとされており、これを実行する中ですでに現実のものとなっています。全国知事会が誇らしげに語る「国を上回る地方の行革努力」(「地方財政の確立と地方交付税の復元・増額に関する提言」(PDF)p.19)という人減らしのために、地方公務員の世界では正職員を非正規職員へ置き換える動きが進んでおり、これがいわゆる「官製ワーキングプア」を生み出しているわけで、今後さらに「地域主権改革」なるものが進んでいけば、それが民間にも波及することは避けられないものと思われます。

というように、教育と労働の分野だけでも、このような現実に基づいた各論の比較衡量を踏まえて議論することが必要であるのに、どの分野でどのような形で地方分権を進めるべきかという各論をすっ飛ばして、総論のみで「地域主権改革は一丁目一番地*1」などという手段を目的化したスローガンが堂々と語られることにそもそもの問題があります。hamachan先生が懸念されているのはおそらく、そのような議論が総論からだけ語られている結果として、「まず地方分権ありき」で現実を見ないカイカク派がのさばっていることについてではないかと思います。hamachan先生も地方分権が必要な分野があるとの認識は以前示されていたと記憶しておりますし、私自身も公共事業の箇所付けといった資源分配的な行政分野については地方分権する余地はあると考えています。

ただし、それもあくまで制度移行や執行に要するコストと、それによってもたらされる便益との比較衡量において判断されるものであって、「地方分権を検討したけど、現実問題としてコストが大きすぎるのでやっぱりムリです」という場合もあり得ます。というか、それがないということは結論ありきだったということにしかならないので、議論としてそもそも不適切でしょう。ハローワークの地方移管の問題はこの典型と考えるべきで、「ILO勧告との関係とか、雇用保険と職業紹介のリンケージとか、労働の移動の自由を保障する観点からするとやっぱりムリ」という判断を他でもない民意が選んだ民主党が判断したわけですし、労働政策審議会から再三反対声明が発せられていることからしても、民主党には珍しく(?)妥当な判断だろうと思います。

もう一点付け加えておけば、哲学の味方さんが重要だと考えられている二点からは、財政の問題が抜け落ちていると思います。上述したとおり対人サービス(現物給付)は正の外部性を持ちますので、その地域だけでは便益を回収しきれないため、容易に経費を削減されてしまいます。医療費や住宅費に補助がある自治体には貧困層が集中しますし、かといって現金給付である生活保護を拡充すると、むしろ充実していればいるほど生活保護率が上昇してしまうという現象は大阪市などで指摘されているところです。結局のところ、現物給付である行政サービスはその地域でないと供給できないのに、その水準が地域ごとにバラバラになってしまうと、本来必要なサービス水準に要する財源をその地域だけでは賄いきれません。それを全国レベルで確保する財政政策上の手段が補助金だったり法律による義務づけだったわけで、この点でも地方分権を進めることのコスト(所得再分配が公平性を欠くために生じる経済・社会生活上の諸々のコスト)は現在よりも大きくなることが考えられるのです。

労働とか社会保障といった現実と照らし合わせる必要のある各論については、まずは現在の制度が人々の行動にどのような影響を与えているのか、その制度が辿ってきた歴史的経緯やコスト負担の仕組みはどうなっているのか、という点を踏まえた議論が必要です。しかし、まず結論としてチホーブンケンだとかチーキシュケンだとかいってしまうと、その時点で「総論だけで議論しているカイカク派とそれが好きな政治部記者」の言説にいとも簡単に取り込まれてしまいます。今回のハローワークの地方移管はギリギリのところで踏みとどまることができましたが、マスコミが政治部記者的な報道に偏重している現状では、またぞろ政治部記者のような方々がカイカク派を持ち上げて総論だけの議論を盛り上げるということは繰り返されるのでしょう。いやまあ、「過去何度も繰り返された失敗の原因を検証することにこそ、日本再生のヒントがある」とは、つくづく名言ですねえ。




*1 民主党の「一丁目一番地」には、ムダの削減とか公務員制度改革とか年金改革とか後期高齢者医療制度の廃止とかいろいろひしめいているので、どれが本当の「一丁目一番地」かわかりませんけど。まあ、そのうち「一丁目一番地一号」とか整理するんでしょうか。

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