2010年09月20日 (月) | Edit |
よくわからない代表選で再度現政権党党首に再任された菅さんですが、新たな内閣が組閣されましたね。とりあえずチホーコームインとして気になる総務大臣には、片山前鳥取県知事が「民間」から起用されたとのこと。というか、同じ元カイカク派知事から総務大臣に起用された増田前岩手県知事のときもそうでしたが、地方自治の現場で事務をしたこともないキャリア官僚上がりの首長が「現場を知る」という理由でもてはやされるのも、相変わらずよくわかりません。

というわけで、拙ブログで片山新総務大臣を取り上げたエントリから引いてみるとこんな方のようです。

片山:
 私は鳥取県では原理主義を貫きまして、そういう違法な通達とか違法な関与については峻拒してきたのですけれども、いかんせん他の自治体の皆さんは従来どおりなのですね。(pp.8-9)

 夕張市がなぜあんなひどい状態になったかというと、肝心の住民がほとんど無関心であったり、議会が機能していなかったり、貸し手の金融機関にリスク感覚がなく脳天気だったりしたからです。つまり主権者やステークホールダーが本来の機能や責任を果たしていなかったということです。そこが私は一番のポイントだろうと思います。
(略)


「原理主義」宣言いただきました。
いまの地方自治制度だって、首長と議員をそれぞれ直接選挙で選ぶという「住民が主体意識を持たなければいけない」ほどに民意を反映する仕組みになっていますが、片山氏はそれでも夕張ショックが防げなかったとおっしゃるわけですよね。それでさらに「住民自治の強化」って、どんだけ住民に負担かければいいんでしょう。

(略)

確かにいろいろと問題があるかもしれませんが、かといって、「肝心の住民がほとんど無関心であったり、議会が機能していなかったり、貸し手の金融機関にリスク感覚がなく脳天気だった」なんてことが許されない社会が理想像だというなら、おちおち民間活動(?)もできないんじゃないでしょうか。さぞかし日常生活が窮屈で余裕のない「地方自治」になってしまうと思いますよ。
手段の目的化(前編)(2008年10月24日 (金))


このエントリには、「霞ヶ関叩きの勢いが余って自ら墓穴を掘る片山氏」など波乱の展開を取り上げた後編もありますが、もう一度強調しておくと、「原理主義」宣言を公言する方に国政を任せるのは悪い冗談だと思いたいです。そもそも昨年の政権交代自体が原理主義的だったともいえますが、いずれにせよ世の中が原理原則で動くなら誰も苦労しないわけで、原理主義を貫けばチーキシュケンを達成できると言われたところで、この人は現実を無視するつもりなのだろうなとしか思えません。

日曜日のNHK日曜討論に新閣僚が出演していた中で、いみじくも馬淵新国土交通相が「公共事業が所得再分配として機能している点を整理しながら、さらに削減しなければならない」という発言をしていましたが、拙ブログではしつこく繰り返しているとおり、地方に雇用を生み出すとか地方に所得を再分配するということときに考えなければならないのは、国家レベルでの所得再分配のあり方です。「地方が疲弊しているからチーキシュケンを進めなければならない」というような、政策意図と結論の間の論理が数十段抜け落ちたスローガンを唱える前に、これまで企業に依存してきた社会保障機能を政府が責任を持って引き受けるという議論が先にあるべきでしょう。

公共事業が所得再分配的に機能してきたのも、政府が所得や雇用を保障する仕組みが貧弱であったことの裏返しとして企業にその多くを依存してきたからであって、特に地方では産業構造上の制約もあって公共事業を請け負う建設業が事実上の社会保障機能を担ってきたわけです。という認識があれば、公共事業を減らし、社会保障費の原資となる特別会計(埋蔵金)を毎年のフロー予算に充て、公共サービスの担い手である公務員の人件費を減らして財政再建するとかいいながら、一括交付金でチーキシュケンを目指しますなんてことを主張できるはずもないと思うのですがね。

片山新総務大臣はこの点について、「地方ごとに産業構造が異なるので、それに応じた公共事業や産業振興が必要だ」という、それ自体をとれば全くもっともなことをおっしゃっておりましたが、現状の所得再分配機能をより貧弱にしてしまうチーキシュケンとやらでどうやってそれを克服するおつもりなのかには全く言及がありませんでした。産業構造そのものが既存の制度に依存して形成されているわけですから、産業構造を変えるというのであれば、公共事業を請け負う建設業を通じなくても社会保障が機能するように所得再分配政策を拡充しなければなりません。現政権党は「国民の生活が第一」というスローガンも掲げていますが、産業構造だの役所の補助金だのいう前に、それらがどういう雇用慣行を前提としているのか、その雇用慣行を見直す必要がないのかという点に議論が及ばないのであれば、机上の空論であって考慮に値しないというべきでしょう。

たとえば、片山氏がよく使う論法ですが、学校の修繕が必要なときに、修繕だけでは国の補助金がもらえないけど、建て替えれば補助金がもらえるから建て替えてしまうという例を挙げて、だから地方に財源があれば修繕だけで済むので予算を節減できるんだとこの日の日曜討論でも主張されていました。でもそれって、国全体の財政で見れば地方がその補助金をもらってまでして建て替えなければいいだけの話であって、そういった国全体の財政状況を顧みることなく、建て替えが必要だと言い募っては補助金をもらおうという地方の側に、必要かつ最小限のコストを見極めるという意味でのコスト意識があるのかは大変疑わしいですね。もちろん、「必要かつ最小限のコストを見極める」ためには「民意」とかいう漠然としたものでは役に立ちませんし。

ついでに、片山新総務大臣は、鳥取県知事時代に人事委員会勧告を深掘りして給与カットを実施したことを誇らしげに語っていましたが、労働権を制約されている公務員の人権代替措置を軽々と無視してしまうような方に、どれだけ労働者の立場に立った政策を考えるおつもりがあるのかは大変興味深いところです。一方で労働者をつるし上げておいて、一方で国民目線という「引き下げデモクラシー」を強調するのはこの国の政治家の作法でもありますから、片山新総務大臣のような原理主義の方がそのコードを覆すとは考えられませんし、まあ生暖かく見守っていくしかなさそうですね。

(注:9月20日加筆修正しました)

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