2010年08月14日 (土) | Edit |
すでに先月のエントリになってしまいましたが、山形さんの数多い名言の一つの「みんなでいいアイデアを出しましょう、というのは政策でもなんでもありません」というのが、その当時破竹の勢いで支持を伸ばしていた「みんなの党」に対するアイロニーであったことは、まあ今さらいう必要もないですね。そのエントリでも書いたとおり、「みんなでいいアイデアを出しましょう、というのは政策でもなんでもありません」の典型がチホーブンケンとかチーキシュケンなわけでして、そういった議論に特徴的なのが、インプットとアウトプットの中間プロセスがムダであるという認識です。というわけで、ちょっと長くなりますが以下で間接部門としての政府の役割を考えてみます。

これも繰り返しになりますが、政府の役割を経済学の言葉で説明すると、その領土、国民といった資源的な制約の中で、経済社会システムを運営していくために必要な財政の3機能(資源配分の効率化、所得再分配の公平化、経済の安定化)を適切に機能させることということができると思います。ただし、政府が提供すべき公共サービスそのものが、民主主義の精神に則って国民の合議によって決定されるという大原則があることから、その公共サービスの及ぶ範囲・水準・程度については、それを享受する側と財源を負担する側で利害が対立することが避けられません。具体的には、「保育所をもっと増やしてほしい」という子供を持つ家庭のニーズがあっても、すでに子育てが終わった家庭が「そのために税金が増えるのはかなわん」と拒否すれば、そこに利害の対立が生じるわけです。

ところが、ここでさらに大きな制約となるのがその財源です。保育所の例で言えば、税収が低ければそれだけ雇用できる人数が減ったりその賃金が低くなりますし、保育所の施設も簡易なものしか整備できません。このとき、「この地域は人数も少ないし、これといった産業もないから、保育士が足りなくても施設が粗末でもいいだろ」と、住民に割り切ることを迫るのがチーキシュケンです。チホーブンケン教の方々は「いや、子育てが終わった世代が税負担をしたり、ボランティアで子どもを世話すれば、地域の税収の中でもなんとかやっていける」と主張されるのでしょうが、それでも財源も人も足りない地域はもちろん存在します。

結局のところ、地域内での予算制約線では必要なニーズが満たされない場合、外部からの所得移転が必要となります。確かにその地域のニーズを把握することはその地域でなければできないのですが、それに必要な所得移転を仲介する仕組みが必要であり、それこそが政府の大きな役割なわけです。となると、クラブ財の一種である地域公共財の供給水準を決定するためには、地域住民のニーズに基づいて社会効用関数を決定することと、そのための財源を調達することをは別々の機能として整理する必要がありそうです。組織の経済学の議論によれば、規模の経済・範囲の経済を最大限に生かしながら、取引費用を最小化する形で政府組織を設計することがより効率的であって、実際に大多数の先進国では中央政府と地方政府にその機能を分担していますし。

もちろん、日本の公務員の中には現場で政策執行に当たる職員も多数いますが、それも上記のような所得移転が仲介された結果として可能になるものです。という点からすれば、第一義的な政府の役割は所得移転の仲介役であって、公共サービスはその結果に過ぎないということも可能ではないでしょうか。これを民間企業と対比してみると、民間企業ではモノ・サービスを提供して、その付加価値に対する対価として収益を上げ、これを要素ごとに配分する(人には賃金、それ以外の生産要素には投資)ことでゴーイングコンサーンを確保するのに対し、政府の場合は、モノ・サービスの提供(公共サービスの供給)はあくまで結果であって、その範囲・水準等を決定する所得移転についてのプロセスを確保することがその存在意義であるといえそうです。やや乱暴な議論ですが、保育所の例でいえば、保育所の数、人員、施設が貧弱であれば、それは保育所に対するニーズに対応するための利害調整という中間プロセスそのものを、「そんなプロセスはムダ」とすっとばした結果なのではないでしょうか。

これを強引に冒頭の中間プロセスの議論に引き寄せてしまえば、民間企業でいうモノ・サービスの提供ではなく、それを決定する中間プロセスそのものが政府の役割なのだろうと考えます。中央政府と地方政府の役割分担もこの中間プロセスの役割分担から考えることが必要ですし、その上であるべき所得移転や財源調達方法を議論する必要があります。ところが、今の世の中は、コストカットのために中間マージンを削減することが必要不可欠であるとされていますから、「中間マージンを搾取するやつはけしからん、中間プロセスを丸ごとなくしてしまえ」という議論がされがちです。その結果として、たとえば、


  • 流通コストが高いから高速道路を無料化する。

  • 派遣労働者の賃金が安いのは派遣業者がピンハネしているからなので派遣業者がムダ。派遣を禁止すればいい。

  • 中間管理職なんてムダだから、組織をフラット化して中高年労働者をクビにして、ワカモノを雇えばよい。

  • 労働組合は会社経営の敵だし労働条件も改善しないからムダ。労働者の組織化なんかしないで、自立した労働者になれば解雇規制も撤廃できる。

  • 特別会計なんてよくわからないからムダ。埋蔵金をはき出させてから廃止する。

  • 生活保護とか年金とか役人が自分で仕事を増やしているだけでムダ。ベーシック・インカムでよし。

  • 中央政府が中央集権で補助金を決めるのはムダだから、チホーブンケンして地域のことは地域が決める。

  • 中央集権している霞ヶ関自体が中間組織でムダだから、国家公務員数を削減して給料も下げる。

  • 地方公務員もお役所仕事で使えなくてムダだから、もっと減らして給料も下げる。

というような認識が国民に浸透していると理解すると、なんとなく腑に落ちます。

中間マージンの中には確かに搾取と呼べるようなものもあるかもしれませんが、モノ・サービスの信用確保やアクセス費用の削減のためにむしろ必要なものも含まれます。同様に、中間マージンを得ているからといってその中間プロセス自体が不要ということではありません。お役所仕事がお役所仕事であるのは、数々の利害関係者に対する説明のために、そうした中間プロセスこそが重要だからです。ところが、中間プロセスはムダと決めつけられてしまえば、たとえば現場に出ている公務員がスーパー公務員と持ち上げられる一方で、役所にこもって中間プロセスに専念している役人はムダだから給料減らせと叩かれるわけですが、ある程度の規模の組織に属されている方ならおわかりのとおり、後者の仕事のほうが政策や事業の正当性そのものにクリティカルに響くというのが実態ではないでしょうか。

もちろん、中間プロセスが重要だからといって、中間マージンが高くてもいいとか中間組織が大きくてもいいということではありません。小さすぎても大きすぎても問題はありますが、いずれにせよ適正な水準や規模を確保しなければ、その政策や事業そのものが正当性を失い、整合性のある政策展開が阻害されてしまい、必要な公共サービスの供給ができなくなってしまいます。こうした状況が国民の理解を得られないことが、最大の問題なのではないかと愚考するところです。

Inspired by:
「残業」は本来、やってはならないのだが…(2010/08/08)」(シジフォス
■データ的には「小さな政府」という謎(2010-08-09)」(dongfang99の日記
この30年間に及ぶ反政府のレトリックの論理的帰結(2010年8月12日 (木))」(EU労働法政策雑記帳

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