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2010年07月30日 (金) | Edit |
なかなか時間がとれなくて流れに乗れないのですが、前々回のエントリで取り上げたbewaadさんのところで動きがあったようですね。まあそれはそれとして、ちょっと気になったのがHALTANさんの政策割り当てについての議論です。

結局、前にも書いたように日本のリフレ派(ネットリフレ派)は「政策割り当て」を口実に上の「元信州大全共闘議長氏」「ダース・ベイダー脱藩官僚氏」のような人たちに利用されただけでしょうね(陰謀論的にどうこうではなく、様々な人脈やタイミングの偶然が重なって何となくそうなってしまった→id:HALTAN:20100606:p1

[無題]日本的先進国病→国家崩壊?(2010-06-12)」(HALTANの日記
※ 以下強調は引用者による。


そもそもいわゆる「リフレ派」は政策割り当てなんぞにはあまり興味がなかったのではないかと思います。「リフレ派」と呼ばれる方々の中には、チホーブンケン、ベーシック・インカムといった一刀両断的なカイカクでこと足れりとしてしまう大雑把な政策割り当て論が散見されますし、それが「リフレ派」自身が批判していた構造改革の中身そのものであることにもあまり頓着されていないように見受けます。ここはHALTANさんがご指摘のとおり、おそらくは「政策割り当て」という考え方があまりに都合良く「景気回復」と「構造改革」の共存を許容してしまった面は否めないと思います。

また、拙ブログのコメントを引用していただいたエントリでは、

■仮に万が一、「リフレ」とやらが実現したにせよ、「小さな政府・夜警国家」という「政策割り当て」と同居した政策など、信用できない。リフレの代償に現状の霞ヶ関攻撃→中央集権解体→小さな政府・夜警国家=日本国家破壊工作が進むというのは、ある意味「悪魔との契約」「究極の選択」に近いだろう。

[無題]リフレ派(ネットリフレ派)は死んだ! リフレも死んだ!(2010-07-23)」(HALTANの日記


とも指摘されていますが、こうしていわゆる「リフレ派」の方々の主張を並べてみると、制度や歴史的経緯についてはほとんど関心がないという点で「ヘタレ文系人間」の域をほとんど出ていないように思います。回りくどい言い方をやめれば、ただの世間知らずですね。もちろん私自身もヘタレ文系人間の端くれではありますが、そこにとどまることのないように、制度やその制度が形成された歴史的経緯については最大限の注意を払うよう意識しているつもりです。拙ブログでは関心の方向が地方財政と日本的雇用慣行に向いてしまっているので、それ以外の分野には疎いのも事実ですが、ではいわゆる「リフレ派」の方々が比較優位を持つであろう金融政策について、高橋是清以外の歴史が語られることはほとんどないように見受けます。

まあ、飯田先生は
歴史が教えるマネーの理論歴史が教えるマネーの理論
(2007/07/27)
飯田 泰之

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という著書もあるので、歴史上の金融政策についても造詣は深いものと存じますが、この著書で取り上げられている歴史上の事件のほとんどは、貨幣に注目して利ざやを稼いだりするという金儲けの事例となっています。労働についてはわずかにp.151で「このようなインフレによる刺激の例としては、労働が注目されることが多いようです」として数行取り上げられているに過ぎません。

しかし、ケインズがその歴史的著書の書名の冒頭に持ってきたのは「雇用」だったわけで、注目されることが多いどころの話ではありませんね。それが「ケインズ型福祉国家」という呼称のネタにもなっているところですが、ケインズは繰り返しその著書の目的を強調しています。

 それに比べると本書は、何よりもまず、全体としての産出量と雇用の規模を決定する書力に関する研究となっている。また、貨幣はその本質的かつ特有の属性をとどめたまま経済体系に組み入れられることになった反面で、貨幣にまつわる瑣末な技術的事項は背景に退いている。これから見ていくように、貨幣経済とは、本質的には、将来についての見解の変化が雇用の方向のみならずその量にも影響を及ぼす可能性持つ経済のことである。
p.xv序文


 教義それ自体は正統派経済学者から問題されることなくいまに至っているが、科学的予見という点では大失敗で、時が経つにつれて経済学者の威信はひどく損なわれていった。というのは、マルサス以後の職業経済学者たちは理論の帰結が観察された事実に合わなくてもいっこうに動じるふしはなかったけれど、世間の人々がこの齟齬を見逃すわけはなく、そのため彼らは、他の科学者集団――彼らにあっては、理論の真偽は観察を行い事実と照合することによって確証される――に払うほどの敬意を経済学者にはしだいに払わなくなってしまったからである。
pp.47-48


経済体系全体の動きを論じる場合、単位を貨幣と労働の二つの単位にしっかり限定すれば、多くの要らざる混乱を避けることができるというのは、私の信念である。
p.61


 第一篇の終わりあたりで、方法と定義にまつわるいくつかの一般的な問題を取り扱うために本題を離れたけれども、ようやく本題に立ち戻る地点にたどり着いた。われわれの分析の終局の目的は雇用量を決定する要因を見いだすことにある
p.125



雇用、利子および貨幣の一般理論〈上〉 (岩波文庫)雇用、利子および貨幣の一般理論〈上〉 (岩波文庫)
(2008/01/16)
ケインズ

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金融政策も規制緩和もそれぞれ必要な場面はあると思いますが、ケインズが論じたような「労働政策や所得再配分政策に関する論争が前面に出てくる」贅沢な時代が再来するのはいつの日になるのでしょうね。

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コメント
この記事へのコメント
HALTANさんに取り上げていただきました。
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20100731/p1

> ・・・machineryさんが余りにハッキリと断言されて仕舞われているので、正直に申し上げて私は驚きました。

断言しているのは、引用いただいた部分の直後で「もちろん私自身もヘタレ文系人間の端くれではあります」と書いたとおり、私が批判対象とする方々が自分自身のアナログであるからというのがその理由となります。

HALTANさんも何度か書かれていたかと存じますが、「自分自身がその議論に共感を覚える/以前はその議論をしていた」という部分がなければその議論を理解することができませんし、そもそも的確に批判することすらできないものと考えております。同じヘタレ文系人間の端くれとして、一部の「リフレ派」の方々と同じ轍を踏まないようにという自戒とご理解いただければと思います。

念のため、いわゆる「リフレ派」の方々が主張されるようにパイを増やすことがケインズに端を発するマクロ経済学の分析対象であることには、もちろん異論はありません。ただし、景気回復と構造改革は両立可能だと言い募るうちに、有効なマクロ経済政策が講じられることもないまま、地域主権改革や派遣法改正など、公共経済学や労働経済学などの応用ミクロ経済学の観点からすればおかしな政策が「政治主導」「脱官僚」と称して導入されています。こうした現実を一部の教条的な「リフレ派」の方々は直視する必要があるでしょう。

たとえば、みんなの党が主張しているような地域主権、公務員制度改革などは果たして「ティンバーゲンの定理」や「マンデルの定理」ではどのような政策課題に割り当てられるのか、さらにはそれがリフレーション政策との適切な割り当て政策として併存可能なのか、特にリフレーション政策を支持する立場にこだわることなく議論する必要があるのではないでしょうか。
2010/07/31(土) 19:01:47 | URL | マシナリ #-[ 編集]
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