2010年06月26日 (土) | Edit |
参院選が始まって争点が消費税増税になっているらしいですが、そのブレーンとされる小野善康先生を巡る議論も盛り上がっているようです。それはそれとして、山形さんの小野先生批判と官僚評を比較して拝見してみると、一部のリフレ派の方々との微妙な距離が見えてきておもしろいですね。

1. 小野善康の論理構造


 というわけでまず、小野善康の景気回復論は、二部構成になっています。
  1. 失業があるのは無駄。だからなにもしないよりは無駄でも公共投資をばんばんして、そいつらを使ってなんかしらさせよう。
  2. でも現在の俗流ケインズ的なばらまき公共投資は無駄だからダメ。だから需要をつくる役に立つ公共投資をしよう。
 まず (1)は、みんなの考えている景気対策ではありません。みんな、俗流ケインズ式公共投資がまともな景気対策だと考えることに、いつの間にかなれてしまっています。でも、そうではないのは小野さんも幾度も指摘なさっているとおりだし、クルーグマンが「十字の時:公共投資で日本は救えるか」でも述べているとおり。不自然な公共投資の前倒しなしでも、ちゃんと需給がマッチして完全雇用に近いものが達成されるにはどうしたらいいか、というのがみんなの考える景気対策ですね。したがって、(1) が景気対策として成立するには、(2) が必須です。

しかし一方では、(1) と (2) は、よく考えると矛盾しています。(1) では、失業者を遊ばせておくくらいなら、無駄でもいいから公共投資をしろと言う。しかし(2) では、無駄な公共投資はダメだという。どっちなんでしょうか。これについてはまた後で。
(略)


2. 「よい」公共投資とは言うけれど……


(略)
 つまりアイデアを出せというなら(役人に対してであれ民間に対してであれ)、アイデアを出しやすくする仕掛けというのが必須ですが、それについて小野善康はなにも述べていません。これについても特に案はないということでよろしいですね。

 もちろん、山形としても、どういうアイデアで景気が回復するのかはわかりません(が、ぼくの立場については後述)。ただここで大事なのは、民間が信用できようとできまいと、小野さんがぼくの揚げ足取りについてなにを言おうとも、小野さんとしては需要を創造する投資がどんなものであるかについてはまったく見当がついていないし、さらには、そういうアイデアを(民間側でも公共側でも)出やすくするためのインセンティブや方策づくりについても、まったく無策である、ということです。

 つまり上の (2) の議論は、政策的には実在しないのです。(2) は政策提案ではなく、「みんながんばろう」式のかけ声でしかありません。
(略)


3. なにもしないよりまし……?


(略)
 失業保険を出すのと、失業者を使ってゴミ処理場をつくるのとどっちがいいか? これも小野さんのよく使う論法です。小野さんはゴミ処理場が圧倒的に「明白に」いいとお考えのようですね。

 つまりこれは、(2) をやれ、というのを弱い形で言い換えただけです。携帯電話みたいな需要をばんばん作るものではないにしても、 (2) は明白にできるんだ、素人判断でもわかる無駄でない投資はたくさんあるぞ、という主張です。

 がぁ、これはコスト便益分析して考えてみないとはっきり言えないんじゃないでしょうか。ゴミ処理とかダイオキシン処理とか、いかにも聞こえのいいものをあげて、湾岸戦争支援とか悪そうなものをスケープゴートにすることで、公共にできる明らかによいことがいくらもある、という印象を小野さんは作り上げます。でも、本当にそうなんでしょうか。もしそうなら、なぜこれだけ公共工事が前倒しされる中で、そうしたものに手がつかないんでしょう。
(略)


4. じゃあ山形、おまえはどうなのよ。


 さて、じゃあえらそうなこと言ってる山形はどうなのよ、ということなんですが、はい、ぼくは実はどっちでもいいのです。公共に金やるからアイデア出してよ、という話になったら、そのアイデアの弾出しの仕事がかなりぼくの勤め先に落ちてきます。減税だと、まあちったぁ金が戻ってくるでしょう(それに、リストラの噂も多少は軽減されるかも……)というわけで、どっちに転んでもあんまり実害はないんです。

 がぁ、どっちかと言われれば後者のほうがいいなぁ、とは思います。いまだって役人は、ない知恵しぼってるんだし、われわれだってその下請けでかなりしぼられているのです。もっと良い案考えろということは、すでに過労の役人を、さらに苦境に追いやるだけです。そしてそのしわよせは、かなりぼくんとこにも波及したりするのです。たとえば、アイデアを出すだけでなく、役人の考えた、あまりよいとは思えないばらまき公共投資のアイデアをよく見せるために、いろいろ余計な検討をさせられたり。
 ああそうだ、ちなみに「需要創造型の公共投資」というせりふは、どうたたいても需要見込みや波及効果が出てこないようなだめなプロジェクトを是が非でも正当化しなくてはならないときの、コンサルどもの最後の必殺奥義です。徹夜のあげくに、最後の瞬間に良心のうずきを眠気で押さえ込みつつ、この一言を報告書に涙を流しつつ書いたことが多々ありました。苦い涙と敗北感の切ない味わいを持つ一言なのです。ぼくが小野さんの議論に反発したくなるのは、それが根底にあるのかもしれませんね。が、閑話休題。
(略)


5. そもそも経済政策とはどんなものか。


(略)
 インフレ期待をつくりましょう、というのは、政策提案です。増税アナウンスしましょう、というのも政策です。PFIのようなスキームで、民間のアイデアをインフラ投資に活用しましょう、というのも政策です。減税しましょう、というのも政策です。国民に消費ノルマを課して、ためこんでるヤツをお互いに密告しあってラオガイ送りにするシステムをつくろう、というのも政策です。

 でも、みんなでいいアイデアを出しましょう、というのは政策でもなんでもありません。「それじゃダメだと言っている」でもダメなのです。なにがいいのか、だれが、なにをするべきかを、おおまかな枠組みでもいいから提示しないと。

小野善康さん、それってちょっと……」(YAMAGATA Hiroo: The Official Page
※ 以下、強調は引用者による。


山形さんの小野先生批判のポイントは、「いいアイディアがあれば、ムダな公共投資をしなくても、そちらに政府支出を集中することで景気回復が可能だ」という誠に当たり前の議論でありながら、だからこそ具体的な政策になっていないという点にあるのだと思います。以前取り上げた海老原さんの著書で、玄田先生の「中高年の多い企業では新採用は少なくなる」とう当たり前の議論では意味がないという現場感覚に根ざした批判がありましたが、小野先生の議論も同じように現場の具体的な政策を無視した失態を犯しているわけです。そして、そういった具体的な政策に落とし込まれない正論というのは結局、役人(とその下請けのコンサル)が徹夜しながら具体化していかなければならないわけですね。一部のリフレ派の方々が山形さんのこの記事を援用して小野先生を批判されていますが、山形さんはリフレーション政策とは別の論点から小野先生を批判されているように思います。

つまりは、役人のやっていることはムダな公共投資だといいながら、それを解決する処方箋はと問われると役人が何とかしろといっているに過ぎないわけでして、小野先生に対する山形さんの批判は結局、それを押しつけられて何とかしても、最後にはやり玉に挙げられてしまう役人(とその下請けのコンサル)の立場からの反論でもあるのだろうと思います。そしてそれは、チーキシュケンとかいわれながらも、その事務方にいて税金泥棒と日々罵倒されるチホーコームインとして大いに共感するところでもあります。

ここで、「地域主権が徹底すれば、住民が自ら参加して決定するので、役人に任せる必要はない」という反論が聞こえてきそうですが、私もその可能性がある分野があるだろうことは否定しません。回りくどい言い方ですが、下っ端公務員の経験上の個人的な観測ではありますが、それはごく一部の成功例を残す以外はほとんどうまくいかないだろうと考えています。端的に言えば、「自ら参加できる住民」といっても、退職後の高齢者か自営業か子育ての終わった専業主婦に限られてしまって(実際に地方議会議員はほとんどこの方々で占められています)、その方々が住民全体の利益を代表できるとは到底考えられないというのがその理由です。拙ブログでしつこく集団的労使関係の再構築と労働組合の本来の役割強化の必要性を指摘しているのは、大多数の現役で働く労働者の利害集約のチャンネルはそれしか存在しないと考えるからですが、まあその話は繰り返しません。

ついでに、拙ブログでも映画『県庁さん』になぞらえて天下りの効用を指摘したことがありますが、山形さんが指摘する天下りの効用も必読です。

 ですからちゃんと料金上げましょうね、というのが当然の答えではあるんだが……これに対して必ず出てくるのが「いや料金を上げたら人々の生活が圧迫される、けしからん」という話だ。貧しい人々はそんな金は払えない、絶対反対、電力会社が負担しろ、という話になる。そして救われないことに、政府や政治家たちが(特に選挙前になると)まさにそういうことを言い出して人気取りをしようとする。さらにはちょっとした汚職や業務上のまちがいを見つけて鬼の首をとったように騒ぎ、電力料金を上げるよりも電力会社が無駄をなくせばいいのだ、なんて議論が得意げに展開される。日本でもよく聞かれる議論だ。

 もちろん汚職も無駄もあるにはある。でも全体から見れば微々たるもの。発電コストの八割を燃料費が占め、それ以外も設備投資の占める部分が多い事業では、多少の「無駄」をなくしたところで、費用が半減したりするわけじゃない。そして電力会社はそれをちゃんと主張して料金引き上げを実現しないと先がないんだが……
(略)
 さてぼくは、以前に官僚の天下りも悪いことばかりじゃないという話をしている。それは官僚のやる気を出させるインセンティブとして、それなりに有効なんじゃないか。と。だが途上国の電力業界の状況を見ると、天下りには別のメリットがあることがわかる。もし電力会社がエネルギー省の天下り先になっていたら? エネルギー省の現職の役人たちは、天下り先OBたちに対してそんなに強いことは言えない。またOBたちのほうも、官僚たちに対してはっきり意見も言いやすくなる。現役の官僚たちも、天下り先がまるっきり経営のなりたたない赤字付け企業になって、解体とか民営化とかいう話が取りざたされるようになっては困るはずだ(もちろん旧国鉄のような例はあるので鉄壁ではないけれど)。安定した天下り先は確保したいと思うだろう。するとそんなに無茶はいわなくなるはずだ。必要な料金引き上げを認めるのも、今よりはやりやすくなるはずだ。

 それを見て国民はもちろん文句を言うだろう。佐高信みたいなやつが出てきて、官僚と天下り先が癒着して国民の生活を圧迫しているとかなんとか、ケチをつけることだろう。でも、いったい社会全体のためによいのはどっちなのかな

山形道場 第 103 段 今月の断想:天下りの別の効用 (『CYZO』2008 年 01 月)」(YAMAGATA Hiroo: The Official Page


法治国家である以上、民間企業であっても一定程度は政府の規制下にあるわけで、役所対策が必要な場面は必ず出てきます。そのときに役所の中で役所の仕事をしてきた役人が力を発揮することは自然の理であって、その比重が大きくなるのが、天下り先として批判の矢面に立たされる公益法人や社会的インフラを提供する企業(電力、銀行など)なわけです。カイカク好きな方々が主張されるような「天下りを根絶」してその効用をそぎ落とすのもまた民意でしょうけど、社会全体がその効用を失う可能性についても参院選の争点になればいいですね。(棒読み)

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