2006年08月27日 (日) | Edit |
前回の続きなんだけど、高野連とか新聞社が高校球児を酷使しまくるのは何でだろうということを考えてみると、結論としてはアマチュア球界とプロ野球界が断絶しているために、お互いの利益を最大化する行動をとることができないということになるんだろう。

これを経済学的なタームを使って説明するという生兵法をやってみようというわけなんだけど、ちょっと迷うのがタイトルにも書いたように、選手個人のライフサイクルを考えると異時点間でどのように消費を配分するかというライフサイクル仮説になるんだけど、その財をアマ球界とプロ野球界で配分するということになると寡占市場における生産量の決定理論としてみることもできる気がする。

つまり、選手の側から見れば、高校野球に出場することで自らの実力や素質をアピールしてプロ野球のドラフトで指名されるようになることと、実際にプロ野球に入ってから万全の状態で実力を発揮して成績を残すということはトレードオフの関係になるのである。しかも、実際にプロ野球界で実績を残すとができるかどうかはわからないという不確実性が存在するわけで、一部の超高校級と呼ばれるような逸材を除いては、むしろリスク志向的な選択となることのほうが多いだろう。

そうすると、いま「佑ちゃんフィーバー」とかいわれている彼の場合は、プロ(NPBでもMLBでも)で実績を残すことがかなりの確率で期待できる以上、ここで肩を酷使してアピールする必要はないだろう。さらに、今月末にはアメリカに行ってどこの馬の骨ともわからない現地の高校生と野球をやることは、将来の実績とのトレードオフの関係で考えるなら弊害の方が大きい。

ところが、これは供給側の事情であり、受容する側、すなわち高野連とか学生野球連盟とかいう側からすると、せっかくの金づるを放っておくことはできない。実際に供給可能な量を超えて供給することが求められることになるわけで、こう考えると労働市場において不況時にサービス残業が増えたような感じだろうか。うーん、これは習ってないので経済学的にどうこういえないけど、労働市場の場合は供給過多による供給側の疲弊を防ぐ手段として労基法や労働組合ってのを設置しているので、これに見合った制度なり組織がないと、高校生が酷使しまくられるという状況は変わらないという結論になるのかも知れない。

一方、寡占市場としてどう理解できるかという問題については、人間というのが子供から成長して大人になる以上、野球を職業とする前に学生として野球をすることは避けられないため、クールノー的な寡占市場(この場合は簡単化のため高野連とプロ野球の複占とする)が形成されているものと思われる。つまり、人間の成長過程の初期状態である高校生の野球について高野連側が先に生産量を決めることができるのに対し、プロ野球側はその生産量を所与のものとして自身の生産量を決定することしかできないのである。

クールノー的寡占市場であっても、高野連を含むアマ球界とプロ野球が結託して両者の利潤を最大化する生産量を決めることができれば、アマ球界とプロ野球側のみならず選手側にとっても望ましいはずなのだが、プロ野球側が青田刈りを強行した経緯もあって、アマ球界とプロ野球界が断絶している現状ではそれは望むべくもない。理論上は割引率が高くなれば結託は成立するかも知れないが、現実的には両者にとって結託破り以外に戦略的に採りうる選択肢はなくなってしまい、酷使されることを予想した合理的な若い選手はプロ野球を目指さないという不利益を両者ともに被ることになる。
ゲーム論でいえばまさに囚人のジレンマということになるだろう。しかし、アマ球界とプロ野球界の問題はワンショットではないので、繰り返しで考えなければならないと思うんだが、いかんせん習ってません。

さらに、プロ野球側からすると、高校野球の段階で疲弊した選手を前評判だけで高額で獲得するということになりかねないわけで、逆選択の問題も生じるかも知れない。どの選手がどれだけ疲弊しているか、プロになってからどれだけ実績を残すかということは客観的にはわからないので情報の非対称性が生じているとも考えられるんだけど、実際には選手側がそこまで自分のコンディションをわかっているかどうかというのも怪しいところなので、逆選択は現実問題にはならないかも知れない。

ま、なんでもいいけどプロアマ仲良くやってくれ。
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