2010年03月14日 (日) | Edit |
ここ最近のエントリをまとめてみようかと思いつつなかなか時間がとれなかったんですが、とりあえずのメモということで書いておきます。

チホーブンケンがナショナルミニマムの削減に直結するということはそちらこちらで認識され始めているように思いますが、先々週のナショナルミニマム研究会で湯浅誠氏がプレゼンをされたようで、(資料上の)4ページ目と5ページ目の対比がおもしろいですね。

住民により近い地方自治体のほうが、住民のニーズをきめ細かく把握している
・不要不急の規制が多すぎる
・規制は既得権益保持のための方便
・責任だけ押し付けられ、財源はついてこない
国(中央政府)は信頼できない ← 支持=不信感の裏返し

国(中央政府)よりも地方自治体(地方政府)のほうがマシという根拠はあるのか?
・必要な規制(ナショナルミニマム)と不必要な規制を選り分けるべき
・一定の規制は国民サービスを守るために必要
・国にだって、お金はない
国(中央政府)は人々のいのちと生活を守るために必要 ← どうせ痛い目に遭わないとわからない

ナショナルミニマムの“条件”~地方分権とナショナルミニマム~100304湯浅誠(注:PDFファイルです)」(ナショナルミニマム研究会(第6回)について
注:資料はベン図のような配置となっていますので、原典をご確認ください。以下、強調は引用者によります。


この会合があったのが3月4日で、その翌日に湯浅氏は内閣府参与を辞任されたわけですが、この辺のいろいろな経緯をうかがい知るのに興味深い番組がNHKで放送されていました。solidarnoscさんのまとめを引用させていただくと、

湯浅誠:(記者に対して)国ってもうちょっと力あると思ってました。国が旗振っても駄目なことってけっこうあるんだと。エネルギーの7割を自治体対策に使っている感じだよね。8割か。


何も知らないからこそ、思い切った活動ができる面もあるのでしょうが、想像以上に何も知らなかったようですね。生活保護にしろ、生活資金貸付にしろ、実施しているのは自治体です。実施だけでなく財源も負担しています。国が「もっとサービスを充実させましょう」と呼びかけたところで「何?国がお金くれますの?」「お金はないです! (キリッ」「そりゃ無理ですわ」で終わりです。湯浅さんは公務員のことを慈善事業者やボランティアだと勘違いをしてるのかもしれません。「困っている人がいたらいてもたってもいられない」みたいな。
湯浅誠 -権力の懐から飛び出した男-(2010-03-07)」(精一杯の○○○


まあ、湯浅氏が何も知らないのは周知の事実だろうとは思いますが、「民意」なるものが後押ししているうちはまだいいものの、「民意」のほとぼりが冷めたころに会計検査院とオンブズマンがマスコミを引き連れて「バラマキ」とか「税金の無駄遣い」としてやり玉に挙げにくることを我々コームインは経験上わかっていますから、おいそれと慈善事業的な業務なんかに手を出せないわけです。もう少し詳しくいえば、そういった緊急措置として業務を拡充するときは往々にして、不正を働く輩を排除する仕組みも整備できないうちに、むしろ何でもいいから事業化しろとのお達しが走り出してしまうので、事後的に見れば「不適正」とか「違法」とか指摘される余地が大きくなってしまうのですね。

結局のところ、「自分以外への資源配分はムダ」とする方々同士の利害調整にどう決着をつけるかといういつもの話に行き着くわけで、それが湯浅氏が知らなかった最も重要なことでもあります。この点については拙ブログでは単に「利害調整」という言葉でざっくりと表現していましたが、potato_gnocchiさんのこのご指摘のように企業における意志決定と比較してみると違いが鮮明になるものだなと思いました。比較については全文を参照していただきたいのですが、行政機関に特徴的な点として、

特に官庁の場合は、関係者が非常に多いです。どんな小さい施策でも、その影響を受ける人の数は桁違い。そして、ほかの事では非常にまともなことを言う有力者が、別のまともな施策では「そんなの止めちまえ」と叫ぶことも少なくないようです。関係者が多いとどうしてもそういう意見の散らばりが生じてしまう。そして全部を説得するには関係者が多すぎて時間と手間がかかりすぎるし、どうしても何を言われても絶対に反対、という人が偏差値70の彼方には存在する

(略)

行政機関ではそうは行きません。民主主義だからです。民主主義の下では、ストックホルダーとステークスホルダーは常に同じです。そういう中で、秘密主義を維持することは本来容易ではなく、常にオープン化の圧力がかかっています。昭和の時代においては、官僚だとか政治家というインナーサークルに対する信頼がある程度存在したがゆえに、委任された範囲で秘密裏に決めればよかったのでしょうが、ここのところ、「俺たちも一枚噛ませろ」という参画意識と、その裏腹のインナーサークルへの批判の高まりのため、秘密主義は批判されるべきものになっています。

■[行政][経営]意思決定における秘密主義の由来と、秘密主義を補完するもの(2010-03-06)」(常夏島日記


という点が何をするにしても大きな制約となるのです。これを先ほどの会計検査院とオンブズマンの話に引きつけてみれば、「偏差値70の彼方に存在する」見識を疑うような批判があった場合、内閣の指揮権の及ばない会計検査院によるものであれば、我々コームインは否応なしにそれに従い、かつ処分を受けるという、「民意至上主義」的な観点からは矛盾に満ちた制度があります。さらに、これと正反対の回路を通じるものとして、「民意」そのものとして振る舞うオンブズマンの方による批判であれば、マスコミの方々はその指摘を絶対善として取り上げて援護射撃をしてくれますので、会計検査院の指摘と同様に従わざるを得ません。

つまりは、利害調整を怠ったりそれが不調でも構わず見切り発車したりすれば、会計検査院とオンブズマンの皆様が納得しないという理由で処分を受けるかもしれないリスクを負うことになるわけです。霞ヶ関の官僚の場合は、これにさらに「政治任用」という形で、時の政権に不利なことをすれば人事上の不利益取扱いが認められようとしているわけですが、いずれにしても多くの公務員が「役人の仕事なんて所詮調整だけだ」とか自虐的にいうのも、そこを踏み外せば取り返しのつかないことになるということが身にしみているからです。そういった役人の政策形成が、受益と負担を明示的に乖離させるというアクロバティックでリスキーな所得再分配を指向しなくなるのも自然なことだろうと思います。

まあこういった現状を踏まえて見てみれば、湯浅氏が会計検査院とオンブズマンとマスコミの方々が作り上げた世界にどっぷり漬かっていたとしても驚くには値しません。むしろより絶望的なのは、それを知った湯浅氏が「政権内野党」として行動するでもなくそこから立ち去ってしまったことです。つまるところ、彼が自認する「活動家」というのは、そういった複雑な利害関係の渦中に飛び込んで、自らそれを調整してより効果的な施策を作り上げるということではなく、ただ単に目の前の悲惨な事態への対処に専念して、たまにデモをしたりして外から批判することでしかなかったということなのでしょう。

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コメント
この記事へのコメント
はてブで気になるコメントをいただきました。
http://b.hatena.ne.jp/entry/sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-379.html

> solidarnosc 社会保障 「役人の政策形成が、受益と負担を明示的に乖離させるというアクロバティックでリスキーな所得再分配を指向しなくなるのも自然なことだろうと思います」←たしかに、責任の取れない役人に期待しても無理でしょうね。 2010/03/15


「責任の取れない役人」というのが、もし国賠法による「公務員バリア(チームJ『日本をダメにした10の裁判』http://www.amazon.co.jp/dp/4532260043/)」を指しているのであれば、それは不法行為に対する賠償責任についての議論であって、本エントリでお示ししたような「リスキーな所得再分配政策」の立案とはちょっと違うように思います。

「俺が払った血税で役人とか外郭団代職員の給料なんか払えるか」
とか
「都市住民から巻き上げた税金で田舎の役にも立たない公共事業なんかさせるか」
とか
「うちの息子が就職できなくて困っているのに、えり好みしなければ働けるヤツを厚遇するのはけしからん」

という批判が目に見えている現状においては、

「受益者が応分の負担をすることによって民間でも担えるビジネスモデルになりますよ」
とか、
「どんな事業でも自ら採算を黒字化することが条件なので、補助対象は最低賃金までです」
という政策を考えた方が、議会からも住民からもウケがいいのでラクだということです。

まあ、責任を回避しているという点では大差ないかもしれませんが、不法行為に対する責任は司法の判断に委ねられるのに対して、所得再分配的な政策は、それを最も嫌う「民意」によって裁かれる点が大きな違いというところでしょうか。
2010/03/20(土) 11:14:59 | URL | マシナリ #-[ 編集]
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