2010年03月07日 (日) | Edit |
すなふきんさんからトラバいただきまして(レスが遅くなりましてすみません)、公務員叩きが加速するのは不況下ではよくあることなのでそんなものだろうと思いますが、それよりすなふきんさんも指摘されているとおり、

一番まずい展開は、このままマクロ経済的に妥当な政策が採られないでずるずると悪循環にはまっていくケースだろう。地方分権や地域主権で個別ミクロ的な経済活性化や景気回復を目論んでもうまくいかず、むしろ中央に比較優位な再分配政策をスポイルする形で社会的混乱を招くだけという成り行きになりかねない。

■[経済][政治]政策の機能不全に気付かない人々(2010-02-28)」(すなふきんの雑感日記
※ 以下、強調は引用者による。


という事態がもっとも懸念されます。金融政策が適切に行われて景気が回復した場合であっても、その再分配の仕組みがうまく回らなくなってしまっていれば、結局のところ流動性制約が大きくて生活に困窮している層はその恩恵にあずかることはできません。ごく大雑把にまとめてしまえば、マクロでは日銀の金融政策が機能しなくなり、ミクロでは財政均衡主義とチホーブンケンにより所得再分配が機能しなくなる一方で、ただミクロの市場を通じた資源配分機能のみが強化されているのが、バブル崩壊後の構造改革政治の政策方針といえるのではないかと思います。そして、それを熱狂的に支持し続けているのが民意なわけですね。

この点は、すなふきんさんが今日のエントリで指摘されていることとも関連しますが、

経済についての世間知的な誤解は人間の直感が根拠になっている以上なかなか修正できないところがある。大学で経済学や金融の基礎をしっかり勉強しても、社会に出ればあんなものは机上の空論と思いがちだ。それよりも自分の生活実感の方が優先されてしまう。世論を賢明と考える原理的民主主義モデルだけに依拠していては多分まともな経済政策は機能しないと思う。世論は誤解の塊なのだから。それを修正していくことも大事だが、それ以上に重要なのは結果責任を負わせた専門家による統治の機能なのだろう。

■[政治][経済]専門家の機能と結果責任について雑感(2010-03-06)」(すなふきんの雑感日記


というように「再分配政策をスポイルする形で社会的混乱を招」いているのが民意至上主義であって、会計検査院とオンブズマンによるすばらしき世界も同様に、民意至上主義によってその影響力を強めたように思います。拙ブログでは「敬うべきモデル」という言葉を引用しましたが、どんなに間違っていても民意に忠実であることを求められるのが、我々コームインとその直接の指揮命令者である政治家ですから、政治家はその民意に反しているとして役人をつるし上げ、それを回避する優秀なコームインは日夜中央集権を解体しながら予算を削減し、1円でも多く経費を削るために競争入札での低価格入札と膨大な資料提出を民間企業に課すことになるわけです。

もちろん、当の優秀なコームインが必ずしもそのことを認識しているわけではありませんので、前回エントリに中年さんからいただいたコメントのように、

コスト意識と再分配政策

コスト意識の高い地方公務員がなぜ所得再分配政策立案能力が低くなるのかついていけませんでした。何かの政策を実現するために無駄なコストを削ることと、その政策の内容自体は、特に関係がないのではないでしょうか?

2010/03/01(月) 00:32:00 | URL | 中年 #pV44ABmc[ 編集]


と思う割合は、特にチホーコームインでは圧倒的多数ではないかと思います。それが、優秀なコームインによる所得再分配政策が期待できない理由となります(なお、この場合の「優秀」とは、首長や民意のファンタジーをかなえるという意味での有能さを指しています)。

経済学では資源配分と所得再分配は一応区別して分析されますが、実態として両者を切り分けることはほとんど不可能であって、典型的なのが公共事業ですね。経済学の概念で公共事業が無駄かどうかを評価するためには、本来なら社会的インフラ整備をどのように配分すればパレート効率性が達成できるかが問題となるはずですが、実態を見ればインフラ整備の進んだ都市部からインフラ整備の遅れている地方への所得再分配の機能も有しているわけで、単純に効率性基準のみではなく(仮説的補償原理でいえばカルドア基準とかヒックス基準とかに基づいて)所得再分配後の状態まで評価する必要があります。

これに対して、現政権が「コンクリートから人へ」というように、公共事業に対置するものとして介護や生活保護を考えてみれば、労働力人口が多くて経済規模の大きな都市部から、高齢化率が高くて経済規模の小さな地方への所得再分配として機能しているということは理解しやすいかもしれません。それは端的に言えばナショナルミニマムなわけですが、そのような所得再分配機能までもがチホーブンケンという効率化によって削減されているのが現状です。ことほどさように「無駄なコストを削る」というときの「無駄なコスト」は、得てして再分配機能を有していることが多いわけです。

さらにいえば、より直接的に所得を決定する企業内での労働分配率についてさえ、それを交渉する労働組合が「既得権益を守る抵抗勢力」として批判されています。まあ、この点は拙ブログでも延々と指摘しているように、労働組合自体にそういう歪な行動をとるインセンティブが与えられていることにも原因はありますが、いずれにしても、こういった複雑に絡み合った問題をワンフレーズポリティクスで民意に委ねるのは大変危険だろうということは、常々感じるところですね。

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