2010年02月11日 (木) | Edit |
相変わらず更新が停滞気味ですが、第2話から「エンゼルバンク」見てみましたよ。Narinari.comで「厳しい船出の「エンゼルバンク」、長谷川京子の復帰作PRも効果なく。」とかいわれてしまったとおり視聴率的にはかなり厳しい状況が続いているようですが、個人的にはドラマとしてみるよりちょっとした教養番組的な見方をした方がしっくりくるように思います。ちょうどNHKでやっていた「出社が楽しい経済学」のようなノリもありますしね。

で、先週2月4日の第4話は、コミックでは7~8巻くらいで前田人事部長が語る年功序列がテーマの一つでした。このあたりからドラマ独自の設定が生かされたストーリーとなっているようでしたが、

 そんなとき、真々子はリストラ勧告されたばかりの53歳エンジニア・江村良男(北見敏之)と面談することに。良男は30年間貢献してきた会社に裏切られたショックを引きずりながらも、転職先を探そうとしていた。ところが、良男は面談室にコーヒーを運んできた夏生を見て愕然となる。なんと、夏生と良男は親子だったのだ! しかも、2人の仲は険悪な様子…。どうやら夏生は仕事人間だった父親のことをよく思ってないらしい。
(略)
 さらに、海老沢は真々子に「年功序列制度の意味とは何か?」と問いかける。真々子は「年齢の順に出世していくこと」と答えるが、海老沢は「それは、よくない思い込みだ」と一蹴。海老沢が説く50代転職者の3パターン、そして年功序列制度の真の意味とは…!?

おさらい 第4話予告ストーリー」(テレビ朝日|エンゼルバンク~転職代理人


この辺は職能給と職務給の違いを理解していないとなかなか腑に落ちないところだと思います。コミックの方でも新卒一括採用との関係で年功序列が語られていましたし、年功序列を理解するためには、仕事の「入口と出口」に当たる採用から退職までのプロセスにおける人間形成という視点が不可欠だろうと思います。

仕事で人間形成なんて大げさなと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、少なくとも自分自身の人生を考えたとき、社会的常識なんてあやふやなものではなく、人間がどういうときに感情を揺さぶられ、どういうときに決断を下し、どういうときに判断を誤るのかという切れば鮮血が流れるような現実への対処方法は、仕事を通じた人間関係の中で初めて体得できたものでした。もちろん、それらの行動は長年培われた慣行や法規範に基づく合理的かつ合目的的なものであって、相手の行動を理解するためにはそういった社会的規範に対する理解が必要不可欠だということも、仕事の現場で体得したと考えています。

と考えたときに、いわゆる社会人というのは実社会の中で相互に干渉しあう中で形成されるものであって、8割以上が何らかの雇用関係にある現代の日本社会での人間形成の場は、とりもなおさずその労働者が属する職場となるはずです。このことを裏返せば、ちょうど社会的福祉政策を企業の福利厚生が肩代わりしていたように、学校教育が教養やら学問やらに傾倒している空白を補っていたのが企業における人材育成だったということもできます。そして、年功序列という雇用慣行は、そうした社会人としての育成プロセスへの積極的な参画を長期にわたって従業員に動機付ける仕組みとして、戦後日本において欧米よりも厳格な査定とともに高度に発達することになったのでしょう。

これについては、エンゼルバンクのモデルでもある海老原さんの近著では、多少引用が長くなりますがこう指摘されています。

 あなたは学生時代に、誰かに付きっ切りで、親身に手取り足取り教えたことがあるか?
 この両方の経験を持つのは、たとえばサークルで部長クラスだったとか、バイトでチーフを任されていた、といったほんの少数の人たちになるだろう。
 一生懸命競い合い、一生懸命誰かを教える。
 この苦しくも楽しい行為は、学生時代は一部特権階級の人にしか許されない。
 ところが、会社に入ると、両方ともほぼ全員が体感できることになる。
(略)
「社畜として尻を叩かれ続けるシステム」という言い方も正しいのかもしれない。
 が、そういう前に、平々凡々、表彰やレースとは無縁に生きてきた多くの学生にとって「やる気を刺激される仕組み」と前向きに受け止め、そして、誰でもかなりの確率で日が当たる人生の晴れ舞台、と考えてみてはどうだろう。
 日本型新卒一括採用を続ける多くの企業であれば、あなたが2年目になったときには、必ず後輩が自分の下に入ってくることになる。
 たった1年とはいえ、学生と社会人のレベル差は大きく、あなたはその後輩に対して、1年前の自分が苦しんだ姿を投影しながら、手取り足取り教えていく。
 20代前半の若年期から、日本型企業というのはこんな形で初歩のマネジメントを学び出す。
 こうした後輩教育・育成というものを、日常管理を通して行うスタイルを十数年続けて、多くの人は係長に昇進を果たす。
 その過程で、部下には怒りすぎると逆効果になる、とか、信頼と愛情があるなら下の人間は多少の無理も聞いてくれる、とか、私生活でも悩み事があれば相談に乗ることが組織衛生には必要なことだ、とか、教科書では教えてくれないマネジメントの主要素をいつの間にか体得していく。
「日本の企業」は、人間に不可欠な楽しみや張り合いや対人折衝力などをけっこう丁寧に教えてくれる。

学歴の耐えられない軽さ やばくないか、その大学、その会社、その常識学歴の耐えられない軽さ やばくないか、その大学、その会社、その常識
(2009/12/18)
海老原 嗣生

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pp.149-150


学校教育の尻ぬぐいといった面があるにせよ、かつての日本ではこうした「日本型雇用慣行」によって多くの国民に対してこのような人間形成の場が与えられ、それが経済成長を実現させる技術力やサービスの向上を可能にしたというのは、新卒一括採用、年功序列という雇用慣行を考えるときに忘れてはならないポイントだと思います。まあ、それは小池先生が示した「小池理論」にほかならないわけですが、いずれにしても、何の取り柄もない学生を新卒一括採用でいっぱしの社会人に鍛え上げる日本企業の懐の深さを認識するためには、海老原さんのこのご指摘をきちんと理解しておく必要があると思います。

もちろん、そのメリットのみを過大評価することも適切ではないでしょう(海老原さんが「けっこう丁寧に」と控えめに評価しているのもその辺を意識されているのかもしません)。このような雇用慣行が持続可能であったのは労働人口の増加と経済成長がその前提にあったからなわけで、バブル崩壊後は、長期的に人材育成に対する投資を回収するモデルが成果主義賃金体系などによって崩壊させられたのと軌を一にして、企業が担っていた人間形成の場としての機能を捨て去ろうとする流れが出てくることになります。

端的には、経営法曹会議会員でもある丸尾弁護士のこのご指摘がその流れを物語っているように思います。

 能力不足を理由とする解雇は難しいとされてきました。「能力」の定義は曖昧(あいまい)で、定義もできないものの「不足」を主張・立証することが困難なためです。日常の職場の中で特定の労働者の能力不足を上司や同僚が痛感しても、これを言語で表記することは容易ではありません。

 これまで、能力開発はOJT(On the Job Training)によるとされてきました。このため、OJTの失敗は企業の仕事の与え方が悪かった、あるいは上司の付け方が悪かったことを意味するとされました。つまり企業の人事権が強すぎる反面、人事権行使の結果として能力不足の労働者が生じても、それは企業の責任であると考えられてきました。
(略)
 しかし、長期雇用が変容し中途採用が増加してくると、状況は変わってきます。また、技術革新に伴う能力の陳腐化が急激に生じる状況で、その「バージョン・アップ」や、全く異なる能力の教育までをも企業の全責任であるとは言えなくなってきます。そもそも、そのような外部環境の著しい変化を労働契約の締結時に予定していたかが、改めて検討されなければならないでしょう。

第82回「ミスマッチの解消と教育訓練」(2010/02/03)その1


いやもちろん、企業が人間形成にすべての責任を負うべきというつもりもありませんし、これまでの人間形成の経路が企業に負いすぎていた嫌いもあるだろうと思います。しかし、その機能を企業が担わなくなった(担う余裕がなくなった)とき、住宅などのセーフティネットが整備されていない日本の社会保障制度と同様、誰がそれを提供して誰がその費用を負担するのかという再分配問題がここでも顔を出すように思われるのです。

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2010/02/11(木) 23:15:38 | 本読みの記録