2009年12月28日 (月) | Edit |
hamachan先生に取り上げていただきました。そもそも拙エントリが言葉足らずなもので恐縮なんですが、私のいわんとするところを「認識不全メカニズム」というタームで論理的に言語化していただき大変感謝しております。特にこの部分で指摘されているような、

ちょっと反省すればそれが自分をますます奴隷化する負のスパイラルであることはわかりそうなものですが、そうならせないための認識不全メカニズムとして活用されたのが、身分的な転換可能性がない(と感じられる)公共部門だったのでしょうね。コームインを叩いている限りは、自分が叩かれる側になったら・・・という反省が生ずる可能性はないので、安心して叩ける。しかし、社会システム全体としては、その「叩き」は公的サービスだけではなく、民間サービスすべてに及ぶわけですが。

(追記)
(略)
ただ、認識は不全であっても、このような言動が正義であるという社会意識は客観的には民間企業の労働者諸氏にも十分に反映されますので、たとえば阿久根市に所在する民間企業の社長さんが、

>コームインですらああなんだから、ましていわんやお前ら民間労働者は・・・

という風に行動することになり、その帰結が阿久根市の民間労働者のみなさんに影響することになったとしても、それはいうまでもなく阿久根市民のみなさんの民主主義のたまものであるわけです。

他人の職業や待遇について「経営者目線」で批判することは回り回って労働者であるご自身に跳ね返ってくるというカラクリ(2009年12月27日 (日))」(EU労働法政策雑記帳
※ 以下、強調は引用者による。


という、叩いている側と叩かれている側が実は相互に影響し合うという現実を認識できるかが非常に重要だと思います。

私のようなチホーコームインに身近な例でいえば、数年前になりますが、市営バスの運転手とか公立学校の給食のおばちゃんとか公立保育園の保母さんの年収が1,000万円近くになるのはけしからんというバッシングの嵐が吹き荒れたことがあります。私も直接電話でクレームを受けたことがありますが、批判する方曰く、「民間はもっと切り詰めてやっているのに、公務員だからといって年功序列で給料が上がるとは何様のつもりだ!そんな特権階級は首にしろ!」とのことでした。

そういった批判を丹念に整理してみると、実は公務員であることを問題としているのではなく、給与体系が年功序列的に上昇していくことを批判していることに気がつきます。ところがここに注意が必要なわけで、給与体系が年功序列だという点に批判が集中してしまうと、不特定多数が利用する交通機関や、育ち盛りの子供たちの昼食や、親が面倒をみられない幼児の世話という高度な注意義務が要求される業務であっても、それに携わる方々については、民間だろうと公務員だろうと年功序列で処遇することはもってのほかということになってしまいます。そして、これらの業務を民間委託するなどして、年功序列ではないより低賃金の労働者に担わせるべきだという「経営者目線」の論理に「民意」が根拠を与えてしまうのですね。その「民意」の後ろ盾さえ確保できれば、まずは「民意」が究極のボスとなる役所から、人件費の削減が拍手喝采を浴びて実行されるというのが現在の流れといえるでしょう。

暗愚な経営者からすればこんなに楽なことはありませんね。「民意」が低賃金の労働者を増やすことを要求しているわけですから、七面倒な労使交渉で賃金を決定するまでもなく、「アウトソーシングしてコストカットするぞ」とでも「正社員はコストが高すぎるから、おまえは明日からパートで働いてもらう。いやなら辞めていいんだぞ*1」とでもなんとでもいえてしまいます。もし「そんな横暴は許されません!」なんて空気を読まない労働者がいても、「○○知事をみろ。景気低迷の中でコームインを減らしたり公共工事を削減して財政再建に取り組んだことが評価されて、圧倒的多数で再選されているんだぞ。おまえのわがままなんか聞いてられるか!」と一喝することも可能です。または、役所から低価格で委託された事業のために低賃金の臨時雇用が増えてしまっても、そのために生活が苦しくなった労働者に対して「税金なんだから財政再建のために我慢しろ!」といえばオールオッケーです。

最近、現政権が野党時代に繰り広げていた与党攻撃のブーメランぶりが話題となっておりますが、財源の裏付けすらないマニフェストで「まず、政権交代」と主張したブーメラン野党を選んだ国民の側にもブーメランが帰ってきているわけで、そんなブーメラン政権の姿は、果たしてそれを笑うことができるのかと国民一人一人が自問するための手本なのかもしれません。それがせめてもの「政権交代の意義」だと思いたいところです。




*1 こういった「down or out」的な解雇については、日本でも変更解約告知を認めた判例が一部にあります(スカンジナビア航空事件等)が、労使交渉が形骸化している現状では、ドイツなどで変更解約告知とセットとなっている解雇の留保の実効性を確保することは難しいでしょうから、整理解雇事案として扱うしかないと思われます。

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コメント
この記事へのコメント
年末に忙殺されているうちに年を越してしまいましたが、hamachan先生に再び言及いただきました。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-db83.html

> スカンジナビア航空事件で認められかけたけれども、その後は正面から認められていない現時点ではまだまだ観念的な言葉という風に感じられているのでしょう。
>
> でも、それは日本の労働社会の現実の姿ではないのです。労働局の個別労働紛争あっせん事案の中には、当事者たちはそれを「へんこうかいやくこくち」なんて言葉では全然認識していないけれども、その構造はまさしく変更解約告知以外の何者でもないような事案が結構あるのです。

実務の現場で「へんこうかいやくこくちというのありまして・・・」なんていっても当事者には全然通じませんでしたが、実態はまさに「変更解約告知でいっぱい」なんですよね。これを法理として考えるか制度として考えるかによっても違うかもしれませんが、その実効性を確保するのが日本では困難という面もあり、労働条件の不利益変更の形態として認識されにくいのではないかと思います。

特に現場で問題になるのは、「へんこうかいやくこくち」に従って退職した場合に、事業主都合ではなく自己都合扱いとなって退職金や失業等給付を受けられないというようなケースなわけですが、かといって、使用者側が示した選択肢の合理性とか相当性を解雇権濫用の法理に基づいて現場レベルで判断するのが難しいこともあり、なかなか議論が進まないように思います。

突き詰めて考えていくと雇用の流動化とも絡めて経済学方面からいろいろとツッコミがありそうですし、議論の行方には注視していきたいところです。
2010/01/01(金) 11:51:42 | URL | マシナリ #-[ 編集]
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