2009年11月21日 (土) | Edit |
あまり個人的なことは書かないようにしているつもりですが、アク解で見つけたリンク集稲葉先生とかまっつあんと並んで「社会学・政治学など」カテゴリに入れていただいたのを発見して、ちょっとドキッとしてしまいました。

というのも実は、学生時代には法学部にもかかわらず社会学の本ばかり読んでいたり、コームインになってからも社会学を生かした仕事の仕方ができないかなどと考えたりするような社会学の門前小僧だったからです。もちろん、単に社会学関係の本を読んでいただけでしたので何も実践的なことはできませんでしたし、そもそも社会学を生かした政策というのもいまだによくわかりませんが。

そんなことを考えながら役所の仕事の半分はパフォーマンスでできてるんだななどと諦観しかけていた折、ふとHot Wiredのサイトで拝見した稲葉先生のリフレ論議*1に触発されて経済学を勉強し直し、まっつあんの軽妙なデータマイニングに感化されてブログを始めた者としては、諸先輩方と同じカテゴリだというだけでテンションもあがろうというもの。

というわけで、稲葉先生の新著も発売直後に拝読しておりましたが、なんというかその当時の悶々とした思いがよみがえるようでブログでは取り上げておりませんでした。でもまあ、備忘録としてそういう思いを書いておこうかなと思います。
社会学入門―“多元化する時代”をどう捉えるか (NHKブックス)社会学入門―“多元化する時代”をどう捉えるか (NHKブックス)
(2009/06)
稲葉 振一郎

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「社会学入門」という名のとおり、前半の方法論的全体主義についての議論を読めただけでも有意義でしたが、個人的には後半以降の社会科学の歴史的系譜のまとめ方がツボでした。

特に第12講でのこの記述はこみ上げるものがありますね。

パーソンズの出した「答え」は結局受け入れられず、パーソンズ理論それ自体の直接的な継承発展はほとんど行われなかった。結局パーソンズ理論も個人的な名人芸の域を出られなかったけれども、パーソンズの立てた「問い」-「社会的に共有される形式と、その変容可能性についての一般理論を作りたいのだが、どうすればよいのか」-の方はそのまま残り続けていて、さまざまな理論家たちがそれぞれの仕方で取り組んでいる、といったところでしょうか。

稲葉『同』p,214-215
※ 以下強調は引用者による。


社会学を勉強したいと思った理由というのは、まさにこの「統一理論」的なパースペクティブ(この言葉を使ったのも久しぶりだな)を与える思考の枠組みとして、社会学が果たす役割が重要なのではないかと個人的に考えていたからですが、まあそんなものがあるとして自分のような落ちこぼれに理解できるはずもないよなあと門前で悶々としていたというわけです。

そしておそらく、Hot Wiredでの稲葉先生の議論でのメッセージは最終講のこの言葉に集約されているのではないかと思います。

たとえばわれわれは二〇〇九年現在、かつての一九三〇年代の世界不況以来の-ひょっとしたらそれ以上にたちが悪いかもしれない-世界的な大不況に翻弄されています。たしかに今日までの経済学的な知見を総合すると、この大不況は大変な問題で、適切な対応がなければ多くの人々を不幸にし、戦争の引き金さえ引いてしまいかねない大惨事ではあるのですが、ある意味ではまったく「危機」ではない。つまり、一〇〇年に一度や二度は起きても不思議のない、十分にありうる現象なのです。にもかかわらず一部では-その中には社会学者も混じっているのですが-「資本主義の危機」「時代の転換期」といって騒ぎ立てている人たちがいます。はっきり申し上げますが、そういう人たちはただ単に不勉強なだけ、経済学を知らず、歴史に学ばないだけの無知な輩です

稲葉『同』p.235


Hot Wiredでの連載もITバブル後の不況期(2003年ころ)でしたが、この問題意識は残念ながら数年程度のサイクルでは全く解消されないようです。

それはともかく、稲葉先生のこの問題意識に触れることを通じて、自分の中の社会学に対する「統一理論の枠組み」という思い込みを取り払うこととなり、心置きなく経済学やら法律の勉強に意識を集中することができるようになりました。社会学を主なフィールドワークとする稲葉先生の連載を読んで社会学への思いを断ち切ることになったというのは、ある意味で皮肉なものです。

まあ、断ち切るという言葉はあまり適切じゃないかもしれなくて、研究者でもなんでもない実務屋でしかない自分には、社会学的な思索よりも経済学や法律のスキルを身につけた方が当面の仕事上の実益になると観念したということです。社会学的な思索については、もう一歩引いたところで専門家の議論を聞いておけば十分だろうと考えております。

というようなわけで、これからも拙ブログで社会学的なことに直接言及することはないでしょうけど、稲葉先生などの「無知な輩」ではない社会学者の方々の議論をフォローしていければと思います。




*1 のちに『経済学という教養』として発刊されていますね。
経済学という教養 (ちくま文庫)経済学という教養 (ちくま文庫)
(2008/07/09)
稲葉 振一郎

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コメント
この記事へのコメント
hamachan先生が他意のない独り言をされていましたが、なかなか身につまされる内容です。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-bbeb.html

> 必要なのは、まずはリアル世界をリアルに認識すること。
>
> 広く言えば社会学、労働問題について狭く言えば労使関係論とか労務管理論といった、現実にベタに張り付き、あんまり抽象理論的じゃない学問の存在理由ってのは、たぶん、そのへんにある。
>
> だから、社会学「理論」なんてのはそもそも矛盾してんだよね。

現実にベタに張り付くことのなかった学生時分の私の関心が「「統一理論」的なパースペクティブ」なるものに惹かれていったのは、有り体に言えば世の道理を理解していなかったからだろうと思います。仕事を通じて現実と否応なく正面から向き合うことになり、そのときはむしろ現実に飲み込まれまいとして、現実べったりな社会学ではなく、経済学やら法学に活路を求めたというところでしょうか。仕事で向き合った現実を理論に基づいて理解しようというつもりですが、その辺のバランスが上手くとれているのかというと甚だ心許ないですね。
2009/11/25(水) 00:33:14 | URL | マシナリ #-[ 編集]
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