2009年08月24日 (月) | Edit |
以前のエントリの延長なんですが、「説得されたい」というカイカク派のメンタリティがなんとなく理解できてきました。要は「説明責任」なんですよね。

アカウンタビリティって言葉が強調されるようになったのはいつからかよくわかりませんが、日本語では「説明責任」と言われるこの言葉が今の政治状況に与えた役割は大きいと思います。この言葉によって、「政府の説明が足りない」とさえ言えば政府側は無過失責任的に説明責任を負うことになってしまったのではないかと。政府にはそれだけの責任があるというのがその根拠なのでしょうが、ところが「納得のいく説明」なんてのは極めて主観的なものであって、特に建設的じゃない野党が「納得できない」と言い張れば、いつまででも政府に対して説明責任を求めることが可能になるわけです。

これがいかに異常な状態かを現行法規との対比で考えてみると、たとえば毎度の集団的労使関係法制で恐縮ですが、労働組合との団交に臨む使用者には、労組法第7条第2項によって誠実団交義務が課せられていて、財務諸表などを示して詳細な経営状態を説明したりしながら団交に当たることが求められています。

もし、使用者が誠実に団交していないと労働組合側が主張する場合には、労組法上の不当労働行為の審査を申し立てることにより、使用者側の説明の態様や姿勢について公益・労働者・使用者の三者構成の労働委員会がその当否を審査することになります。

というように、日本の労組法においては、団体交渉における使用者側の「説明責任」といったものが客観的に審査されるシステムがある一方で、労働組合による不当労働行為を規定していません。言い方を変えれば、使用者側に対して誠実団交についての「説明責任」を一方的に課している形になっているともいえます。つまりは、誠実かどうか、説明責任を果たしているかどうかを客観的に判断する仕組みを設定した上で、そういった使用者に対する一方的な挙証責任を規定しているわけです。

さて、熱戦が続く政権交代祭りで各党が金科玉条の如くよりどころにしているマニフェストですが、これも確か北川前三重県知事辺りのカイカク派知事がアカウンタビリティとセットで広めたものだったように記憶しています。で、そのマニフェストについての説明責任とやらは誰が判断するのでしょうね。

ここで、民主至上主義の方々は「選挙で国民が判断するのだ!」と息巻くのでしょうが、合理的無知というか、ご自身の仕事やら家庭やらで大忙しの国民の方々がその合間を縫って片手間で判断するべきだというのであれば、求められるアカウンタビリティのクオリティは必然的に低下せざるを得ませんよね。ということは、政策そのもののクオリティも低下せざるを得ないわけでして、まともなマニフェストが出されず、小難しい理論やら法律論を振りかざす役人どもは無用の長物でしかなくなるのも宜なるかな。

ところで、次期政権党と目される民主党では

原則1 官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ

民主党の政権政策Manifesto2009(注:pdfファイルです)2ページ目
※ 以下、強調は引用者による。


とおっしゃりながら、

4.公務員制度の抜本改革の実施
【政策目的】
公務員に対する信頼を回復する。
○行政コストを適正化する。
○労働者としての公務員の権利を認め、優秀な人材を確保する

「同」9ページ目


だそうですが、役人が要るのか要らないのかはっきりしていただきたいところですね。
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