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2009年08月01日 (土) | Edit |
世の中はマニフェスト祭りで大盛り上がりですが、とりあえずは見識のあるブロガーの皆様のエントリを拝見しているところです。拙ブログでもそのうちチホーブンケンくらいについては書いてみるかもしれません。

ということで、いま小池先生の『仕事の経済学』とhamachan先生の『新しい労働社会』を並行して読んでいるわけですが、
仕事の経済学仕事の経済学
(2005/02)
小池 和男

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新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書)新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書)
(2009/07)
濱口 桂一郎

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で以前のエントリでの事実誤認を発見してしまいました。

ブルーカラーが年功を積んで生産性を上げて熟練工として高賃金になるのは全く構わない(し、現にそうなっている)としても、文系学部卒の大半を占めるホワイトカラーが年功で生産性に見合わない高賃金を得ていることが問題とされているんでは? そしてその解決を難しくしているのは、前回エントリに書いたとおり、そのホワイトカラーの高賃金が「得べかりし利益」となって債権化していることにあるんだろうと俺は考えます。
団塊の世代と団塊ジュニア(2008/04/29(火))


という部分で、この引用部でいう「前回エントリ」とは、

そもそも、リストラが吹き荒れた時期には中高年のリストラも社会問題になってたし、田原総一郎も指摘したとおり日本の雇用慣行では定年間際にならないと元が取れない給与体系だったわけで、それをやめてしまえというのは難しいだろう。とはいっても、確かに今現在生産性に見合わない給料を得ている定年間際の給与を減らす以外に原資を確保する手段がないのであれば、積極的に議論してよかったのではないかと思う。でもまあ、それを実行したりすると裁判所が「若年期に生産性を下回る給与で働いた労働者の債権を不当に減額することは許されない」とかいうんだろうなあ。解釈論でしか考えない裁判所が経済活動を不当に制限することは許されるんだろうかね。
他力本願と数字(2008/04/27(日))
※ いずれも強調は引用時。


とうなります。これらのエントリでは、「ブルーカラーでは技能の熟練に応じて年功で賃金が上がっていくことは当然だ」ということを書いてしまいましたが、それは日本以外では全く当然ではなかったというのが正しいそうです。小池先生とhamachan先生の言葉を組み合わせて言えば、「決め方と上がり方によって処遇が決まる日本型賃金体系が、ブルーカラーにも適用されていて、結局ホワイトカラーと同様の出世競争にブルーカラーも巻き込まれてしまっている」ということになるわけですね。

言い訳になってしまいますが、そもそも「ブルーカラーこそが年功賃金だ」というのは、とある人事コンサルの講演会で聞いた話でした。その人事コンサルの方の講演の趣旨は、

「今まで成果主義賃金がうまくいかなかったのは職務を明確にしなかったことに原因があるので、職務明細書を作成して賃金バンドごとに職務を割り当てる『職務給』を取り入れればよい」


というもので、実は講演を聴いた当時から、「職務給とかって、過去に日本型雇用慣行に合わない制度だと判明したものを今さら何で持ち出してきたんだろ?」という印象ではありましたが、それ以外にも地雷があったとは・・・。

そのコンサルの方によると、職務給を実際に取り入れる際の具体的な手法として、職務明細書によって事務系と技能系で明確に職務を分けることになるので、その職務明細書によって自ずと技能の蓄積が明確になる技能系のブルーカラーは年功型になるとのこと。一方で、職務明細書によっても職務に幅のある事務系のホワイトカラーは、年功型ではなく厳密な査定による成果主義が相応しいとおっしゃっていました。それを基に書いたのが冒頭のエントリだったというわけです。

やっぱり人事コンサルの話は話半分で聞く必要がありそうですね。

歴史を素直な目で顧みれば、細井『女工哀史』で描かれるように、ブルーカラーの現場に成果主義を持ち込むことは悲惨な労働環境をもたらしてしまうわけですが、それは同時に、明治期を通じて高度に発達した経営管理における労務管理の頂点でもありました。労働に関する政策を考えるのであれば、そういった経営原理に従った労務管理に対する反省や、戦時統制下における動員体制といった歴史的な事実の中で、現在の労働法制や雇用慣行が形成された経緯について、最低限検証する必要があります。

そして、hamachan先生が指摘されるように、そういった経験を通じた日本では年功序列型の賃金制度が大企業を中心に普及しましたが、それはあくまでも、査定に基づく昇進や配転が行われるある種の成果主義(職能資格給)です。それが正社員に対する過酷な労働条件と雇用の保障を可能にする一方で、非正規労働者は不安定でスキルの蓄積されない境遇に据え置かれているわけで、人事コンサルや政治家のような方々がそれに直感的に反応した政策(製造業への派遣禁止、日雇い派遣の禁止、公務員に対する成果主義なる評価制度の導入、職務給の導入など)を唱えてみても有効な処方箋は示されるはずがありません。

いずれにせよ日本的雇用慣行というのは、そういった歴史を踏まえて形成された諸制度に対して合理的に対応したものにほかなりません。そういった歴史的事実に対応しなければならないという事情そのものは(その事情の中身はそれぞれであるとしても)各国に共通なものであって、その結果だけを見て日本が特殊だと断定することは議論として浅すぎるということです。

北欧とかアメリカとは違うという理由だけで、「勤勉で家族主義的な日本の特殊性だ」とかいっても何の意味もないことは、小池先生もhamachan先生も強調されているところですね。ところが、そういった雇用慣行に理解のない人ほど「日本はガラパゴスだ」とか「役所はつぶれないからトコロテン主義だ」とかいいたがって、マニフェストでもその方が受けがいいのが現実ではありますが。
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2009/11/03(火) 12:58:39 | 「天羽優子先生」ファンクラブ通信
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