2009年07月28日 (火) | Edit |
先日hamachan先生経由で解雇規制撤廃の負の外部性について取り上げておりましたが、その元ネタとなった「解雇規制で会社にセイフティネットを押しつけるなという主張をする方」のブログを拝見していたら、ふと気になったエントリがありました。

この質問に対して、中川秀直氏は以下のように回答している(抜粋)。
(略)
<私はここ数年、正規雇用と非正規雇用の差をなくして、全員が職務給をもとに働くべきだと思っています。この制度への最大の抵抗は「自分は若いときに安月給で働いたのだから、仕事以上の給料をもらう権利が私にはある」と思っている中高年齢の男性正規社員の一部のみなさんです。しかし、それが青年たちの雇用を脅かし、日本社会全体を弱体化していることに思いを寄せていただきたいと思います。一家の家計は、家族全員で分かち合いをしていくべきではないでしょうか>。
(略)
『官僚国家の崩壊』を読むと、中川氏は「わかっている」人でありながら、その人柄から、これまで裏方にまわりがちだったらしいことがわかる。私もこれまで、中川氏の真価をわかっていなかったわけだが、この本を読んでみて、中川氏は「ポスト小泉」として構造改革路線のリーダーになれる人だろうと確信しつつある
(略)
小泉元首相は、決して国民を甘やかさず、むしろ「痛み」を受け入れることを求めたが、それでも人気があった。「国民を甘やかす」政治家ではなく、「国民を説得できる」政治家を、国民のほうもきっと求めている。国民は「説得されたい」のだ

中川秀直「非正規雇用の方を切り捨てて守ろうとしているのは、経営者の利益だけではなく、実は正規雇用の方の雇用であり賃金です」(2009.07.20)」(Zopeジャンキー日記
※ 以下、強調は引用者による。


こんな短い文章で中川氏が矛盾していることを言っているということが、コーゾーカイカクのリーダーを待望するこの方にはおわかりにならないようです。

実は似たようなことを以前拙ブログでも書いたことはありますが、結論はこの方と180度違っていますので、どうしてこういう結論になるのかは正直なところ理解できません。

債権化したホワイトカラーの年功者の高賃金は、単にそれ自体が若年期の低賃金労働に対する報酬としての債権となっているだけではなくて、その債権を担保に住宅ローンやら子供の教育費が現実に支払われているわけで、俺が裁判所の判断を危惧するのもそれに対する「期待利得」を無碍にはできないだろうと考えるから。労基法上は本人の同意なしで行いうる賃金の減額は、懲戒のための減給ですら1/10を越えることができないし。

さらにいえば、就職氷河期に正規雇用されず未だに非正規雇用でワーキングプアとかいわれている団塊ジュニアは、その団塊の世代の「期待利得」によって教育を受けたり親の建てた住宅に住めた部分も大きいわけで、団塊の世代が「俺が食わせてやって学校にも行かせたのに、働かないなんてけしからん」といいたくなるのも無理はない(それが自己責任であるかはともかく)。まあ、団塊の世代のような自分の僥倖を顧みない自己責任論好きが有権者の多数派を占めるから「改革バカ」がのさばっていることには間違いないだろうけど。

団塊の世代と団塊ジュニア(2008/04/29(火))


マクロで見れば「中高年齢の男性正規社員の一部のみなさん」が「青年たちの雇用を脅かしている」ように見えるかもしれませんが、ミクロに見れば、その青年たちは中高年齢の男性正規社員のご子息でもあるわけです。その中高年齢の男性社員の雇用を削減したりすれば、雇用を脅かされながらもなんとか親御さんの支援で生活している青年たちは、壊滅的な打撃を受けてしまうでしょう。

中高年齢の賃金構造は成果主義の導入という賃金削減策によってすでに大きく毀損されていて、それが子供の世代の階層の固定化とか教育の機会喪失という深刻な事態を生んでいるわけで、それをさらに進めることは、「日本全体を弱体化している」現状をさらに深化させることにしかならないんですよね。

それにしても、この方のコーゾーカイカクのリーダーを待望するメンタリティがよく現れているのが、引用部最後の「国民は「説得されたい」のだ」というところなわけで、僭越ながら前回エントリはいいところを突いたなと思う次第。
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コメント
この記事へのコメント
すなふきんさんからトラバいただきました。

> 個別の企業単位で従業員の生活保障を賄うのと、(誰かが負担した)税財源で行政が肩代わりするのと、結局は同じことだと言われればそれもそうでしょうが、前者は企業間の担保能力の格差がありすぎるわけで、「ユニバーサルサービス」としての観点からは著しく不公平を生み出しやすいとも言えるでしょう。いわゆる二重構造と俗に言われてきた問題ですね。法的な規制(対企業)に主に頼っていてもこうした企業間の格差に十分に対応できないのではないでしょうか。それにそもそも論として企業は本来生活保障の義務者ではありません。以上気になった点です。

拙ブログでは、すなふきんさんも「(誰かが負担した)税財源で行政が肩代わりするのと、結局は同じことだと言われればそれもそうでしょう」とおっしゃるとおり、その「誰か」というのをどう分担するかをいかに制度設計するべきかという点に関心があります。端的に言えば、経営悪化によるやむを得ない解雇のリスクは、マクロ政策として雇用保険においてリスクプーリングするとしても、ミクロの企業レベルでは、使用者の安易な解雇に対するディスインセンティブは必要ではないでしょうか。

実は「そもそも論として企業は本来生活保障の義務者ではありません」という原則論の次にくるのがこういったリスク配分やインセンティブ設計といった制度設計の議論です。たしかに企業という法人格の総体をとればそもそも論は当てはまりますが、その中の個々の企業におけるコスト分担を考えたときに、ブラック企業は社員を解雇し放題で、その社会的コストを行政と他の健全な企業が負担することが望ましい社会なのかという実態論に進まなければならないと思います。

「法的な規制(対企業)に主に頼っていてもこうした企業間の格差に十分に対応できない」というのもおっしゃるとおりです。それについては、十分に労使で交渉して対応するべきだというのが埃をかぶってしまった集団的労使関係で、それをもう一度労働問題の中心に据えて議論することが必要だろうと個人的には考えております。
2009/07/30(木) 08:18:27 | URL | マシナリ #-[ 編集]
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2009/07/28(火) 08:44:22 | すなふきんの雑感日記