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2009年07月04日 (土) | Edit |
というわけで、フェファー・サットン『事実に基づいた経営』から前回エントリの続きです。引用が長くなってしまいましたが、あくまで独断と偏見でのレビューですので、ぜひお手にとって内容をご確認ください。それだけの価値があると思います。
事実に基づいた経営―なぜ「当たり前」ができないのか?事実に基づいた経営―なぜ「当たり前」ができないのか?
(2009/01)
ジェフリー フェファーロバート・I. サットン

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まずは「第6章 戦略がすべて?」から、

 この会長が言ったとおり、成功のカギで真似が難しいのは、何をするか(戦略の決定)ではなく、それを実行する能力なのだ。だからこそ、大変な成功を収めているウェルズ・ファーゴ銀行のCEO、リチャード・コバセヴィッチは戦略よりも効率的な運営(正しい実行)のできる企業文化と能力のほうが企業の成功には大切だと繰り返し説いているのである。何年も前に彼はこう言っている。「戦略の計画書を飛行機に忘れてきても、たいしたことはないだろう。誰もそれを実行できないからだ。われわれの成功の源は計画ではなく実行にあるのだ
フェファー・サットン『事実に基づいた経営』p.205
※ 以下強調は引用者による。


「地域経営戦略」でググると2,540,000件ほどヒットしますが、まあ運営をどうするかをほったらかしにしておいて戦略とか立てたって、何の実効性もないわけですね。拙ブログではチホーブンケン教を揶揄していますが、決して地方分権そのものを否定するつもりはありません。どう分権するか、というより分権した後にどう運営するかが問題なのに、「地方分権選挙」とかのワンフレーズで得体の知れない地方分権を叫ぶ方々が支持を集める状況を危惧しているのです。

 私たちのMBAの学生(そしてエクゼクティブプログラムの学生)がしたのと同じことを多くの企業でも行っている。戦略そのものが悪いわけではなく、実行が悪いのに、その戦略を駄目だと決めつけているのだ。戦略の問題と戦略実行の問題を混同するのは、小売、ホテル、レストラン、交通といったサービス業界で特に多いように思われる。大変優れたサービスを提供しようとし、うまくいかず、やはり戦略はコスト削減しかないと思ってしまうようなケースである。しかし、コストにせよ、価格にせよ、商品品質にせよ、イノベーションにせよ、競争のためにはきちんと実行がなされなくてはならない。
(略)
 私たちの簡単な提案は、実行の失敗をビジネスモデルの問題とか戦略そのものの問題だというような間違った見方をして、必要のない戦略変更をしないということだ。戦略の問題と言う前に、本当に現在のビジネスモデルがきちんと実行されているかどうかをよく見てみる必要があるのだ。
『同』pp.215-216


ここは読み方を注意しなければいけないところで、例えば「構造改革がうまくいかないからといって構造改革が悪いのではなく、その実行が悪いのだ」と解釈してしまってはメッセージを読み誤ることになると思います。構造改革とか地方分権は手段であって戦略ではありませんからね。

この部分のメッセージは、後述する部分にも関係しますが、「古いやり方が悪いから新しいやり方じゃなければダメだ」というとらえ方は間違うことが多いと解釈するべきでしょう。今流行の言い方では、「明治以来の中央集権は破綻したからこれからは地方分権だ」とか「既得権益に凝り固まった政権党ではなく、しがらみのない政党に政権交代すべきだ」とかというのがこれに該当します。本当に中央集権が破綻したのか、政権党に問題があったのかという点を実証的に検証するでもなく、戦略もはっきりさせないままに新しい政体こそがすべての問題を解決するという主張は、通常の感覚を持った方なら眉唾物であることは理解できるのではないかと。

 人々はコストを過小に見積もるだけではない。経営手法にしても、技術にしても、戦略にしても、他社がやっているというだけで、きっと良いものに違いないと思い込んでしまう。「隣の芝生は青い」症候群である。第三者として他社のやっていることを見ると、往々にして良い結果ばかりが目につき、その背景にある大変な努力、問題、ミス、失敗といったところに目が行かない。結果として、自社のノウハウやアイディアを無視してまで、他社のやっていることに飛びつくことになる。
『同』p.236


連邦制国家がどういった問題に苦しんでいるのかも検証せずに道州制とかいう方は、「隣の芝生は青い」症候群というべきですね。

 二つ目の関連したリーダーシップに関する神話は、優秀なリーダーは業界や会社にかかわらずうまくできるというものだ。こうした考えが、必要以上に後継者を外部から招いたり、その結果、その会社が置かれている状況をよく理解できず、問題が起きるという事態を招いたりしている。優秀な経営者になるには、その業界、会社、社員、仕事の中身に関する豊富な知識が欠かせない。多くの会社は救世主となるCEOを外部に求めるが、そこそこ成功している会社は内部からCEOを昇進させたほうがよいのだ。外部からCEOを招いたほうがよいのは、会社が大変な問題に陥っているか、経営層が盗みを働いたり、株主にうそをついたりして、会社が新しいスキルや価値観を必要としており、古い、駄目な奴らはいなくなって新しい優秀な経営陣が登場したというメッセージが必要なときだけである。
『同』p.299


ここも読み方が難しいところですが、例えばわれわれチホーコームインの組織のトップというのは、直接選挙によって選ばれた方が就くこととなっています。ところが、その直接選挙は往々にして人気投票に堕するもので、誹謗中傷合戦に勝ち残った方が勝者となることも少なくありません。誹謗中傷合戦の勝者は、「古い、駄目な奴らはいなくなって新しい優秀な経営陣が登場したというメッセージが必要」と主張して支持を得ているわけですから、支持した方にとっては外部の方がトップに就くのが当たり前となってしまいます。

とはいっても、それで「その会社が置かれている状況をよく理解できず、問題が起きるという事態を招いたり」する危険性が減じられるわけではないことに注意が必要です。本書のこの部分は、そういった危険性を犯してでも「新しい経営陣というメッセージ」が必要な場合があると解釈すべきであって、そのメッセージが必要かどうかの判断は慎重であるべきだろうと思います。少なくとも、役所の組織のトップに外部の方が就いて「民間感覚」とか「庶民の目線」とかいったところで、その運営がうまくいく保障はないということは銘記すべきでしょう。

 新しく来たCEOは、会社に自分の足跡を残そうとする。過去の最良の戦略を学び、それをさらに発展させていくのではなく、新しい経営者は、自分の違いを目立たせ、独自の足跡を残すために、たとえ効果があるアイディアや手法であっても過去を完全に否定する。さらにCEOは、だいたい自分の過去の経験や自分の信念などから生まれたお気に入りのセオリーがある。したがって、どういう理由でCEOに就いたかは全く関係なく、新しいCEOは自信と権力を持ち、自分を際立たせることに取りつかれており、古いやり方のほうが事実にかなっているときも、古いやり方を捨てて新しいやり方を取り入れるのだ
『同』p.317


古い「中央集権」や「年功序列」はすべて否定して、新しい「地方分権」や「成果主義」を主張する総理大臣や首長が後を絶たないのもこういう心理が働くからなんでしょうね。というより、拙ブログでは何度か取り上げているとおり「地方分権」も「成果主義」も全然新しくないどころか、歴史的には「中央集権」とか「年功序列」のほうが洗練された新しい手法なんですけども。

一企業の経営者であれば間違いを犯したところで市場の中で淘汰されていくのでしょうけど、これが公的機関で起きると悲惨なことになります。

 何年か前、サットンは二つの大きな学区のトップと話すことがあった。二人とも、社会的進級を廃止しようとしているさなかであった(両学区とも、過去に同じようなことを行って失敗している)。サットンは、自分たちが行おうとしていることが間違っている、という多くの証拠があることを知っているかを尋ねてみた。二人の答えはほぼ同じ「イエス」であった。彼らは過去の研究のことをよく知っており、政治家にも直談判した。しかし、あまりにも多くの有権者が賛成していることで、社会的進級廃止を変えさせることはできなかった。二人ともやるしかないところまで追い込まれた。しかし、彼らはできる限りゆっくりと、また部分的に実行を始めた。実際、彼らは半分自己弁護的、半分怒りの混じったトーンで、政治的圧力のない完璧な世界ならば、こんなことはしなくてもよいのだが、ダメージを最小化するには、こうするしかないのだと説明した。彼らのメッセージは、彼らがこうしなかったら、解雇されて、廃止論者がやってきてもっと大きなダメージを与えるだろうということだった。つまり、抵抗や遅れはいつもマイナスとは限らない。時には、事実に基づいた命令拒否が個人にとっても、組織にとっても良いときはある。
『同』p.326


官僚叩きに精を出している方々が、実は自分の首をしめていると気がつくことはないでしょうから、この点は絶望的ではあります。業務に精通しデータを重視する霞ヶ関ではいまのところ官僚の方々が奮闘されていますが、無能な働き者であるチホーコームインはむしろ嬉々として改革バカに荷担してしまっていますしねえ・・・orz

というわけで、このまま改革バカが支持を集めていったとき、

 実際に、組織は常に変革を進めている。リーダーたちが、「変革への抵抗」を話すとき、部下(あるいは取締役会のメンバー、株主、メディアということもある)が自分の求めたことをしないということだ。本章で見たように、そうした抵抗は、きちんとした理由があったり意味があったりして、実際には会社が馬鹿なことをするのを防ぐ役割を果たすこともある。良いと思われる変革であっても、変化には必ずゴタゴタや不確定なことが伴うので、大きなリスクがある。よくいわれる「変革するか死ぬか(change or die)」というのは、事実に基づけば「変革して死ぬ(change and die)」といったほうが正しい
『同』p.259


という事実に世の方々が気付くことがあるんだろうかと遠い目になってしまいますね。
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