2009年07月03日 (金) | Edit |
なんとか今年前半で読んでおこうということで、前回予告した
事実に基づいた経営―なぜ「当たり前」ができないのか?事実に基づいた経営―なぜ「当たり前」ができないのか?
(2009/01)
ジェフリー フェファーロバート・I. サットン

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をなんとか先月で読了。が、気がついてみたら腐るほど付箋つけてしまってどうまとめたらいいか分かりません。

なので、だらだらと引用しながら、拙ブログを対比してみます。

確かに古いアイディアはつまらないものとしても、悪い経営手法を拒否し、よい手法をさらに良くしようとするなら、古いアイディアの価値をよく認識(場合によっては激賞)しなくてはならないはずだ。結局、古くてつまらなくても成功するほうが、刺激的で、新しく失敗するよりはるかによいからだ。
(略)
社員は新しいアイディアを出せば、上司に褒めてもらえる。コンサルタントは新しいサービスを顧客企業に売ることができる。グルは次の新しいことを匂わすことで、魅力的な出版契約や講演料を得ることができる。ジャーナリストだって、最新のスクープで新聞や雑誌を売ったりする。
 こうした結果が、奇妙な集団健忘症を引き起こす。同じことが何度も何度も新しい名前で登場する。時間と労力の無駄だ
フェファー・サットン『前掲書』pp.61-62

有名な組織研究者の一人であるスタンフォード大学のジェームス・マーチはこんなことをいっている。「『新しいアイディアだ』と言うのは、『私は無知だ』と言うようなものだし、『これまでにないような効果がある』と言うのは、『私は思い上がっている』と言っているようなものだ
『同』p.63
※ 以下、強調は引用者による。


拙ブログがほこりを被ったような集団的労使関係を再三取り上げているのも、「労働組合とか集団的労使関係なんて時代遅れだ。いまや時代は個別的労働関係なんだから」という風潮に疑問があるからです。古くても正しい問題認識は必要だと思います。ついでに、「これからは地方の時代だ」とかいって、「地方分権すればこれまでになく日本がよくなる」という方がいれば「私は思い上がっている」と言っているようなものなんですね。

グロイスバーグは、スターがトップパフォーマーであり続けても、あるいは元に戻っても、移った先の会社への長い目で見た貢献はほとんどないという。「なぜなら、ライバルからとんでもない額で引き抜いたのに、そうしたスターは長くはその組織にいないからだ」
 こうした事実は、W,エドワーズ・デミングや品質管理で、もう何年も指摘されていることと同じで、システムの重要さを示している。それなのに、なぜ多くの会社は優れた人材を採用することばかりに力を入れ、優れたシステムを作ることを軽視しているのだろうか? 一つの大きな理由は、アメリカのような西洋諸国では個人主義が崇拝に近く強調され、本質を見誤っていることだろう。歴史、組織のゴール、報酬、体制といったものが個人にも組織にも大きな影響を与えるということを忘れている。うまくいったときには個人的なヒーローを褒め称え、駄目だったときは個人的なスケープゴートを責めるということをやりすぎている。こうした誤った見方が、「才能過剰重視」の見方を生み、ビジネス誌、社史、グルやコンサルタントのアドバイスなどで、繰り返し取り上げられるのである。
『同』pp.138-139

しかし、誤解しないでほしい。腐ったリンゴは再教育されるか、異動されるか、それでも駄目なら解雇されなくてはならない。しかし「駄目な人間の法則」は、「半分だけ正しい」にすぎない。その代わりに「駄目なシステムの法則」を提案したい。駄目なシステムは駄目な人間よりはるかに危険で、おまけに優秀な人も駄目にしてしまう。「あいつは駄目だ」という前に、システムや仕事内容を再検討してみたらどうだろう。優れているはずの人を採用し続けているのに、使えないとすれば、個人ではなくシステムの問題を考えることで、頭空っぽから抜け出せるのだ。
『同』p.144


グロイスバーグの指摘は
いかに「問題社員」を管理するか (HBRアンソロジーシリーズ)いかに「問題社員」を管理するか (HBRアンソロジーシリーズ)
(2005/01)
DIAMONDハーバードビジネスレビュー編集部

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にも掲載されていますが、特に前段は、日本のマスコミがやっていることは結局人気者と悪役の対比だけだということと通底するものがあります。

 人は、職場の人間関係が大切なのだ。報酬に格差をつければ、職場の仲間がばらばらになったり、「勝ち組」「まあまあ」「負け組」に分かれてしまうということにもなる。結果として嫉妬やいさかいが起き、職場の人間関係は壊れ、信頼や連帯感もなくなってしまう。実際には、インセンティブシステムによって、金銭的にすごいと言えるほどの報酬を出しているところはほとんどない。ならば、なぜ会社はわざわざ人間関係を壊し、社員は報酬の少しの差でいがみあい、管理職は部下のランキングに膨大な時間を使わなくてはならないのだろうか? 報酬コンサルタントや人事のお偉いさんはそうは言わないが、こんな大変な副作用はこりごりで、もし選べるのなら、同じ給料でもよいと思っている人は多いのではないだろうか。
『同』pp.180-181


実力主義といわれるアメリカで書かれた本書が高橋『虚妄の成果主義』と同じことを言っているわけで、それでも未だに成果主義とか言っている方が多いというのが頭の痛いところですね。

この点で忘れてはならないのは、
女工哀史 (岩波文庫 青 135-1)女工哀史 (岩波文庫 青 135-1)
(1980/01)
細井 和喜蔵

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の「第五 労働条件」や「第六 工場に於ける女工の虐使」で描写される賃金体系がものの見事な「成果給」となっていたことでしょう。目標に届かなかった場合は罰金的に給与を差し引き、それ以上の場合は非連続な歩合制に従って給料が増給されるほか、皆勤した場合の手当を大きくして病気でも休まないようにし*1、こういう光景を生み出したわけです。

 彼女達の中には必ずや二十パーセントくらひ、脚気でだぶだぶに膨れた、板一枚の接ぎ目にも躓くやうな足をひつさげて、はつはつと喘ぎ乍ら泣きの涙で働いてゐる者がある。そして遂には堪へきれずして機械の間へ、どたと病馬の如く気絶して卒倒する痛ましさは見る人をして顔を背けしめる。
細井『女工哀史』p.137


現在までにはもちろん、このような賃金体系は、1911年(明治44年)に施工された工場法を前身とする労働基準法によって禁止されているわけですし、ホワイトカラーの比率が大きくなっている現在でこのようなことが起きることはあまり考えられませんが、しかし成果主義というのはこういう光景を生むものだということは歴史上の事実として記憶しておかなければなりません。

全然まとめきれず長くなりましたので、そのうちまた続編を。



*1 ある工場では、宝くじのように夏場に皆勤した労働者に抽選で一等500円、二等300円、三等100円、四等50円それぞれ1人、五等30円を30人、六等10円を100人と極端に傾斜した皆勤手当を支給したそうです。単純な期待値では21円26銭ですが、合計で134人に対してしか支給されませんので、実際の期待値はもっと低いでしょう。
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