2009年06月28日 (日) | Edit |
この週末は今読んでる本をまとめておこうと考えていたんですが、例のそのまんま東氏の件ですっかり予定が狂ってしまいました。積ん読がたまっていく・・・

というわけで、拙ブログで「経営者目線の改革」にはさんざん疑問を呈しているわけですが、その理由を明快に書いてくれているのがたとえばこの本。
虚妄の成果主義―日本型年功制復活のススメ虚妄の成果主義―日本型年功制復活のススメ
(2004/01)
高橋 伸夫

商品詳細を見る

大御所にこき下ろされた行(pp.64-68)などは著者の私怨がかなり感じられますが、それも一貫性のない日本の経営学の一エピソードに過ぎないという点では、著者の言い分に軍配を上げるべきでしょう。

まずは、日本的経営が伝統とか文化なんかに基づくものではないとの指摘は重要ですね。例えば、アベグレンが『日本の経営』と『日本の経営から何を学ぶか』で日本的経営に対する評価を180度変えた経緯について、

 他方、アベグレンの2冊の著書『日本の経営』『日本の経営から何を学ぶか』の翻訳者でもある占部都美は『日本的経営を考える』(1978)において、終身雇用、年功昇進、年功賃金といった制度は、いずれも日本的経営の不変の要素というわけではなく、その根源に、経済合理的、適応的な側面があるのであって、低成長経済の下では、終身雇用には雇用調整、年功昇進には能力主義、年功賃金に対しては職務給という変化が現れてきているとした。
 もうお気づきだろうか、この時の日本的経営のブームの最中にあってさえ、1973~1974年のオイルショックで日本経営の高度成長期が完全に終焉を迎えると、その途端に、占部が指摘しているように、当の日本企業の間で、終身雇用には雇用調整、年功昇進には能力主義、年功賃金に対しては職務給という変化が出現してきていたのである。20世紀末の光景とダブって見える。まさに歴史は愚直なまでに繰り返しているのである。
高橋『前掲書』p.90
※以下 強調は引用者による。


正直なところ、年功序列には懐疑的な思いもあるにはありますが、それはそれとして、経営として考えたときに組織のパフォーマンスを最大限に引き出すインセンティブシステムとして、年功序列型賃金体系の有用性は否定できないでしょう。

と思って読み進めると、拙ブログと同じような論調が登場します。

なぜこれまでの科学的な蓄積を学ばずに、巷に成果主義がはびこるのか、私には(ママ)理解に苦しむ。経営学自身も、科学的手続や歴史的事実を無視する現状を打破しなければ、いずれは滅びてしまうという危機感を私はもっている。あえて強調したい。経営学はサイエンスなのだ。どんなに好きな学説でも仮説でも、データが否定しているものは間違いなのである。そうやって正しいことと間違っていることを整理して腑分けしておかないと、人類と学問の進歩はありえない
高橋『前掲書』p.119

この部分の「成果主義」を「地方分権」に置き換えれば、拙ブログでいつも書いてることとほぼ同じです。いやホントに、チホーブンケン教が手段を目的化している様は理解に苦しみますね。

このあと本書では、ブルームの「期待理論」について、行為を行うことによる「1次の効果」としての成果が確率的に決まり、その「1次の効果」に従って「2次の効果」である報酬が確率的に決まるという一般的な理解は実証されていないと指摘します。仕事を報酬で評価した途端にインセンティブが変わってしまうという話は、『予想どおりに不合理』での指摘とも整合しますね。

さらに、ハーズバーグの「動機づけ衛生理論」からデシの「内発的動機づけの理論」へと論を進め、経営者が未来への見通しを示すことが重要だとの主張が述べられます。つまり、その見通しを与えてきたものこそが日本的経営における年功序列型の賃金体系だったというわけです。アクセルロッドの繰り返しゲームで協調戦略が生き残るとか割引率が見通しを軽視する原因だとか、経済学的にも刺激的な指摘が続きますが、最後にこう締めくくられます。

 ところで、賢明な読者の方々はすでにお気づきのように、本書では「成果主義」とは何なのかを定義しないままで、ここまできてしまった。それには二つの理由がある。
(略)
 もう一つの理由はより重要である。成果主義がうまくいかないと会社側が悲鳴を上げると、「それは本当の成果主義ではない」と言い逃れをする輩が必ず登場するが、その言い訳を封じ込めたかったからである。ここまでお読みいただいた読者であれば、次の定義を的確に理解してもらえると信じている。すなわち、本書が批判している「成果主義」とは、(1)できるだけ客観的にこれまでの成果を測ろうと努め、(2)成果のようなものに連動した賃金体系で動機づけを図ろうとするすべての考え方、なのである。しかも(1)と(2)はandではない。orである。(1)と(2)の両方を満たせば成果主義なのではなく、どちらか一つでも満たせば、本書が批判している成果主義なのである。本書で繰り返し指摘してきたように、この成果主義の下では必ずやシステムに起因した弊害が発生する。それは学問的に予測可能なお話なのである
 これくらい広く定義すれば、巷で「成果主義的」と賞されるすべてのシステムが批判の対象となっていることはおわかりいただけるであろう。もはや「それは本当の成果主義ではない」などという言い逃れは通用しない。要するに「成果主義」はみなダメなのである。
高橋『前掲書』pp.230-231
※ 丸付き数字を括弧付き数字にしました。


ここまで断言されるとさすがにちょっと言い過ぎじゃないかという気もしますが、ここでも「成果主義」を「構造改革」とか「地方分権」に置き換えてみても見事にあてはまりますね。ここで注目すべきは、成果主義の要件として上げられている(1)と(2)を見てお分かりのとおり、誰も否定できない実に正しい命題だということです。ところが、それをシステムにした途端機能しなくなることもある、というか機能しないことの方が多いのですよ。

コームインに成果主義を導入すべし!」、「ムダをなくせ!」、「地域のことは地域で決めさせろ!」、「構造改革が足りない」・・・すべてそれ自体をとればみなそれなりに正しいわけですが、それを企図したシステムがその目的を達成するなんてことは奇跡に近いわけです。改革というのは漸進的にしか進まないのであって、「抜本的カイカク」とかいう輩のいうことには眉唾しなければなりません。

まあ、成果主義に限らずさまざまな間違いを犯してきているのが経営者の皆さんなわけで、「役所の論理」が信用ならないというのなら、「民間感覚」とか「経営者の視点」とかどこまで信用できるのか教えていただきたいものですね。

というわけで、いかに経営者の方がが間違った判断をしているかについては、
事実に基づいた経営―なぜ「当たり前」ができないのか?事実に基づいた経営―なぜ「当たり前」ができないのか?
(2009/01)
ジェフリー フェファーロバート・I. サットン

商品詳細を見る

を並行して読んでいるところなので、そのうち取り上げたいと思います。
スポンサーサイト


コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック