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2009年06月28日 (日) | Edit |
すなふきんさんからいただいたトラバでちょっと気になった点がありまして、

ところが基本理念としてそのような「強い」明治国家を理想とする右派の人たちまで地方分権を唱える昨今の状況というのはどうにも理解できないところが多い。国家としての統一性を確保するためにはある程度上からの「押し付け」が必要なのだが、それを否定してしまいかねない地方分権*1を右派思想の持ち主である両知事が喧伝する不思議さがある。
(略)
分権教の本家とも言えそうな左派リベラルの人たちと橋下氏のような保守派ではいずれ軋轢が生まれるのは火を見るより明らかではないだろうか。たとえ新たな政治集団を作ってそれが政党化するようなことになっても、自民党や民主党を寄り合い所帯などと批判できないような醜態をさらすことになりかねないんじゃないかと思う。はじめからねじれがあるんだから。

■[政治]同床異夢の改革派集団(2009-06-26)」(すなふきんの雑感日記
※ 以下強調は引用者による。


という部分ですが、以前ご教示いただいたhamachan先生のエントリによると、日本ではヨーロッパとは一回りか二回りねじれた現象が常態化していると捉える必要があるかもしれません。

ヨーロッパの文脈で言う限り、補完性原理をかざして地方分権を主張し、中央集権に否定的なのはキリスト教的保守勢力の側で、労働組合や社会民主党といった陣営はおおむね中央集権派です。地方なんかに任せたら地方のボスが勝手なことをするから、ちゃんと国がコントロールしなくちゃという発想。

補完性の原理についてごく簡単に(2008年5月20日 (火))」(EU労働法政策雑記帳


地方のボスに勝手なことをさせた方が、憲法なんかでがんじがらめになるよりももっと自由に権力を行使できると考えるのが、ヨーロッパ流の保守なんでしょう。そして、それに歯止めをかけなければとんでもないことになると考えているのが、言葉の定義からしてもソーシャルな方々ということになるのではないかと。

いや、実を言えば俺自身もhamachan先生にご教示いただくまでその辺が整理できてませんでしたが、団結による交渉上の地歩の向上が至上命題のはずの労働組合が、反霞ヶ関とか反永田町というだけで分権を主張する不自然さについては、言われてみてはじめて納得した次第です。その辺をまとめてみたのが「団結=中央集権(2009/06/08(月))」というエントリだったりします。

とはいっても、今の日本を見ていると何が保守で何が左派(革新?)か分かりませんし、ことチホーブンケンはあらゆる勢力がスローガンとして掲げているのに、その内実はほとんど整理されていないわけで、hamachan先生の言葉をお借りすれば「毎度毎度ではありますが、日本の政治の世界の文脈の狂いようはなかなか絶望的なところがありますね。」としか言いようがありません。

繰り返すこのポピュリズム(2009/04/09(木))」でも書きましたが、小泉内閣が誕生した時点ですでに1回転くらいねじれていたのに、民主党党首に小沢氏が就任してからさらにそのねじれが政局絡みで加速していって、ついには右も左も誰もがみんなカイカク派になってしまったという感じでしょうか。

それをメシの種にしているマスコミだって国民のニーズを満たしているだけという認識でしょうし、もちろんそれを望んだのは国民なんですよね。『スパイダーマン』があれだけ観客を動員しているなら、J・ジョナ・ジェイムソン(Wikipedia:J. Jonah Jameson)みたいなメディアの恣意的な思惑によって、いかに事実がねじ曲げられるか多くの人が見ているはずですが、それでも辛坊某とかみの某とか福沢某とか古舘某とか、テレビに出たことのあるそのまんま某とか橋下某のいうことの方が信用されるのも、日本という国の狂いようはなかなか絶望的なところがありますね。
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コメント
この記事へのコメント
すなふきんさんにトラバいただきました。
http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20090630/1246317882

> 少し不思議なのは、分権化が「ボス」の治外法権的な好き勝手さにつながりやすいことを意識しないで、「地域の主権」を尊重すれば即住民の幸福につながると考えがちな日本の左派の考え方でしょうね。

江戸時代への回帰を含め、左派にはこれまで構築した体制を壊しさえすれば既得権益を打破できるという感覚しかないのではないかと思います。その後のことはその後考えればいいという程度の認識なのでしょうが、それを考えることこそが政治や政府の役割なのであって。

既得権益をどう調整するかという政治や政府の役割は、既存の体制を壊そうがその後にどんな政体が実現されようが消えることはないのですから、そのような左派の思想が無責任極まりないことはこれまでも指摘させていただいているところです。

まあ、その点に責任も負わず思いも至らないからこそのチホーブンケン教なのですし、改革バカたるゆえんでもありますが。
2009/07/02(木) 07:25:18 | URL | マシナリ #-[ 編集]
HALTANさんに言及いただきました。
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20090630/p2

長いエントリですが、この点がポイントなのかなと。
> 恐らくはアメリカが(保護主義を批判されつつも)早急に緊急経済対策を打てるのも、まさに今の日本が葬ったような下から積み上げていく政治という構造のお陰なわけ。支持団体から激しく突き上げが来る以上、とりあえず景気対策でも何でもして雇用を維持しなくちゃ仕方がない。「民意」(とかいう正体のない曖昧な何か)が景気対策するとバラマキやインフレになると反対するから出来ません、なんて言ってられない。

> 今の日本は全く逆。景気対策をやりたくても、「バラマキはけしからん」「インフレになる」と何も動くに動けない。日銀もこの程度のことしかやってない→日銀、資金繰り支援策決定 企業融資促進へ3兆円 日経 (02日 21:01)http://www.nikkei.co.jp/news/main/20081202AT2C0201X02122008.html

> 「民意」という奇妙な何かの意向に振り回された結果、何も出来ないままに実体経済だけが悪くなり、「民意」からは「政治は何とかしろ」という要求だけが飛んできて支持率も下がる。だから政権も長続きしない(小泉さんが長持ちしたのは、彼はこの「民意」が喜びそうなことしかしなかったからだ) 「識者」のみなさんやTVに出ている人たちも(恐らくは自分が「民意」に嫌われたくないがために)「アメリカ型新自由主義がいかん」「霞ヶ関がいかん」「国の無駄遣いがいかん」と仮想敵や偽の敵を探して叩くことしかしない。

> ・・・そして重ね重ね、その「民意」には正体がない。

例示されているアメリカでは圧力団体(ロビイスト)が前面に出てそれぞれの利害を主張するからこそ、玉石混淆であってもそれぞれの立場が外部からでも判別できるというのが重要なのでしょう。

それに対して、日本では圧力団体が前面に出ることは忌み嫌われますから、政治は政局に明け暮れ、メディアでは誰の得にもならない理想論ばかりがもてはやされる一方で、利害調整の矢面に立たされる政府(官僚)は、表に出てこない圧力を制度化していることのみをもって「既得権益だ」という見当外れの批判を受けてしまうのではないかと。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-301.html

ところが、チホーブンケン教という圧力団体が前面に出てくることについては世の中的には寛容なんですよね。ひょっとすると世間的には圧力団体だと思われていないのかもしれません。
2009/07/02(木) 08:19:00 | URL | マシナリ #-[ 編集]
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http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-316.html 以前ご教示いただいたhamachan先生のエントリによると、日本ではヨーロッパとは一回りか二回りねじれた現象が常態化していると捉える必要があるかもしれません。 ヨーロッパの文脈で言う限り、補完性原理をかざして地
2009/06/30(火) 08:29:33 | すなふきんの雑感日記
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