2009年06月14日 (日) | Edit |
Google リーダー使って自分のブログも登録してみたんですけど、労働ネタについて書くとイチオシに共産党や社民党の代議士さんのサイトが表示されるんですね。小島寛之先生によればGoogleはベイズ推定でサイトを関連づけるそうですが、「労働」というだけで党派性があるように判断されてしまうところが象徴的です。

改めて書くまでもなく拙ブログは左派思想には懐疑的な立場ですので、共産党や社民党、さらにそれらと共闘する民主党の政策に賛同するようなことはほとんど書いてないんですよね。かといって自民党に肩入れするようなことも書いてませんけど、「労働」という言葉が(特定の)党派制を帯びてしまうというのではおちおちエントリもアップできませんな。

そんなこともあってか拙ブログでも反応の薄い集団的労使関係ですが、党派性にとらわれずに考えてみようとするなら、端的に言えば「労働組合は誰の利益を代表しているんだろう?」と考えてみるとわかりやすいのではないかなと思います。そこから、例えば「いま派遣切りが問題となっている企業の労働組合や地域ユニオンなどを保護することによって、どんな労働者が救われるんだろうか?」と論を進めてみれば、日本の集団的労使関係が本来の機能を失っていることには異論がないでしょう。

そうすると次に、「集団的労使関係の担い手である労働組合の交渉力が低下しているのは、思想集団と化した労働組合の自業自得なんだろうか?」という問いが立てられると思います。この問いについて考えるためには、戦時体制で企業別に組織された産業報国会を活用する形で戦後占領下のGHQが労働組合結成を促した経緯(このため、日本の伝統的な労働組合は当時「ポツダム組合」と呼ばれました)や、労働組合法が昭和25年、27年と改正されたときにどのような不当労働行為法理が盛り込まれたかをきちんと押さえておく必要があります。

といいつつ細かい経緯は省略しますが、このとき、アメリカのワグナー・タフトハートレー法と同様に行政委員会(労働委員会)による不当労働行為審査や労働関係調整のシステムを導入しながら、その一方で、単一の組合にのみ交渉権を認める排他的交渉権や労働組合の不当労働行為(使用者との交渉を正当な理由なく拒否する等)は導入されませんでした。このため、日本の集団的労使関係においては単一の使用者に対して複数の労働組合が交渉権を有することとなり、その結果として、団結して交渉力を高めるはずの労働組合が少数組合に分断されてしまったわけです。

というわけで、労働組合を保護するはずの労働組合法や労働委員会が、労働組合を分断化させてしまってその交渉力を弱体化させているというのが、日本の集団的労使関係の特徴となります。本来であれば、弱体化された労働組合の側からそのような制度を改正するよう求めるべきですが、労働組合側はそうしませんでした。なぜなら、そのような分断化された労働組合を認めなければ、現存している少数組合が存在できなくなるからです。そのような交渉力の弱体化と引き替えに、自らの組織を維持することを正当化する労働組合側の論理が、「交渉権の人権的把握」だったわけです。

「交渉権の人権的把握」というと難しい言い方に思われるかもしれませんが、簡単に言えば、すべての労働組合(労働者)には団結する「人権」があるはずだとして、団結による交渉力をかえって低下させようがお構いなく少数組合を認めるべきだということですね。憲法第28条の労働三権の一つである交渉権は、その趣旨からすれば労働者の利益を代表しなければ意味がないのに、憲法第21条第1項の結社の自由とはき違えられてしまっているわけです。例えば、2008年2月に品川プリンスホテルでの日教組が大会開催を拒否されたとき、日教組側が「結社の自由」を根拠に抗議していたのが象徴的です。

結局のところ、日本の集団的労使関係における労働組合は、労使関係の一方の対に労働者の利益をまとめるのではなく特定の企業内の身分保障にその機能を特化してしまっているわけです。つまり、企業内の身分保障が正規雇用にのみ及ぶものである以上、必然的に労働組合は正規雇用の利益しか代表できなくなってしまうからです。そして、複数の労働組合に交渉権を認めた労組法と、労働委員会が一部の労働者の利益しか代表しない少数組合をも不当労働行為で保護することによって、そのような労働組合のあり方がお墨付きを与えられたということになります。

というわけで、「交渉権の人権的把握」によって少数組合の存在を正当化したのは確かに労働組合であって、その意味では自業自得ではありますが、それを認めてきたのは労組法だったり労働委員会という行政委員会制度でした。そしてそれは、「少数組合を保護せよ!」という日本の左派陣営特有の主張によってもたらされた帰結でもあったわけで、労働組合だけの自業自得というよりは、戦後の日本の労働史観とでもいうものがあまりに労使対立路線と個別の組合保護に偏重していたことの結果だったように思います。

このような現状認識からスタートすれば、現在の集団的労使関係における喫緊の問題というのは、少数組合が存在するために生じる交渉権の輻輳化や、複数組合間での労労対立だということがご理解できるのではないかと思います。株主と使用者と労働者という三者の関係において、労働者だけがその利害を統一することができないために自らの利益を守ることができずにいます。にもかかわらず、ここ数年来偽装請負だのワーキングプアだのという問題が叫ばれることはあっても、労働者の利益保護システムとしての集団的労使関係が華麗にスルーされるというのは、やはり党派性の問題が大きいんでしょうかね。

今回はイチオシにどの党の代議士さんが表示されるんだろうなぁ。
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コメント
この記事へのコメント
 労働組合側「意思統一」、経営側「意思決定」に偏りすぎていることが、双方の「交渉力」を低下させる一因のように思えるんですがどうでしょうか? 問題解決のためではなく、「思考停止」「余計なことを考えるな」「意思に従え」に終始してそこから何も進まない。
 構造改革、地方分権、についても同様ではないでしょうか?
2009/06/15(月) 07:11:45 | URL | gruza03 #DgdRcaA.[ 編集]
> gruza03さん

>  労働組合側「意思統一」、経営側「意思決定」に偏りすぎていることが、双方の「交渉力」を低下させる一因のように思えるんですがどうでしょうか? 問題解決のためではなく、「思考停止」「余計なことを考えるな」「意思に従え」に終始してそこから何も進まない。

労働組合についてはまさにおっしゃるとおりですね(経営者の「意志決定」は状況によると思うので、一概には言えないように思います)。

実は少数組合を認めてしまったがゆえに、労働組合は自らの組織維持を図るために「意思統一」しなければならなくなっているわけです。少数組合に「人権」としての交渉権を認めてしまった以上、その「人権」の衝突を調整するシステムがなければ労労対立は必然的に生じてしまいます。労労対立を考え始めたら大変なことになるので、組織維持のために「思考停止」するしかないのではないかと。

判例でも労働組合内の統制権を認めているわけですが、そのことが組合員の「思考停止」を求めてしまうというパラドクシカルな状況を生んでいるといえるでしょう。
http://www.jil.go.jp/kikaku-qa/kumiai/K02.html

>  構造改革、地方分権、についても同様ではないでしょうか?

交渉力向上の手段である団結(組織維持)が目的となってしまって思考停止しているという意味では、カイカクが目的になって厚生の向上が後回しになっているコーゾーカイカクとかチホーブンケンも同じかもしれませんね。
2009/06/16(火) 00:36:01 | URL | マシナリ #-[ 編集]
公共サービス基本法(2009.5.13 成立)
(公共サービスを委託した場合の役割分担と責任の明確化)
第八条 国及び地方公共団体は、公共サービスの実施に関する業務を委託した場合には、当該公共サービスの実施に関し、当該委託を受けた者との間で、それぞれの役割の分担及び責任の所在を明確化するものとする。

(公共サービスの実施に従事する者の労働環境の整備)
第十一条 国及び地方公共団体は、安全かつ良質な公共サービスが適正かつ確実に実施されるようにするため、公共サービスの実施に従事する者の適正な労働条件の確保その他の労働環境の整備に関し必要な施策を講ずるよう努めるものとする。

 ご返事どうもありがとうございます。
 地方分権において、民主党、自治労が随分と入れ込んでいて、共産党以外は賛成して成立した法案ですが、釈然としないものを感じているもので、成立して本当に公務員としての立場が
>公共サービスの実施に従事する者の適正な労働条件の確保その他の労働環境の整備に関し必要な施策を講ずるよう努めるものとする。
守られると単純に信じているようにしか思えません。
 むしろ「地方公務員法」が廃止への道筋の端緒になったのではないだろうかという疑念の方が強いのです。

 もともと2008民主党マニフェストでは、
 国民のニーズに合った公共サービスの提供、国・自治体・企業・NPO等の適切な役割分担の実現という課題を解決するため、「公共サービス基本法」の制定を目指します。

 法案の内容は、①国民が「良質な公共サービスを享受する権利」等を有していること②国・自治体は国民の意見を踏まえて自らの公共サービスを不断に見直すこと③国民のニーズに対応するため、行政・企業・NPO等のベストミックスによって行政運営を行う「新しい公共」を作り上げていくこと――などです。

 ここで言う、「新しい公共」が「市民(住民)的公共性」による、「ユートピア」「ミレニアム」の構築(ニューエイジ的公共圏+ユニテリアン主義(三位一体の否定(国・都道府県・基礎自治体的な感覚)))を目指すため、また「希望学」などで言う「ローカル・アイデンティティ(地域主義)の確立」、「対話による意思統一」、「ネットワークの構築(総務省:定住自立圏構想、国交省:広域地方計画、農水省:多自然居住地域の創造(デカップリング))といったものと親和性が高くなっていく中で、「地方公務員(都道府県)」という存在を消滅させる流れを作っているよう見えてしまいます。
 HALTANさんの20090608 学者・識者たちと「市場原理」の微妙な関係 でも「ムダと一緒に捨てたもの」で登場する「問屋」を「都道府県」を置き換えるだけでも、自ら「セーフティーネット」を消失させることになるであろうことに賛同できるのでしょう。
2009/06/21(日) 05:30:40 | URL | gruza03 #.AP4vxmU[ 編集]
> gruza03さん

> 公共サービス基本法(2009.5.13 成立)

うわぁ・・・正直この法案はノーマークでした。今後実現するかもしれない民主党政権の布石と考えると、本気で日本という国の統治機構が解体される危険性を感じますね。

いやまあ、もちろん現在の統治機構に何も問題がないとか、この統治機構を換えるべきではないということではありませんが、明治維新後長い歳月と多大な犠牲を払って構築した機構をいとも簡単に壊してしまおうという感性がどうも理解できないわけです。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-116.html
ポツダム組合として、与えられた労働環境を所与のものと考えてしまう自治労とかの官公労には特に、先人たちがそうやって構築した制度であっても占領軍の押しつけ程度にしか考えられないんでしょうね。個人的にいえば「今こそ明治維新や戦後の改革を見習え」とかいう人にたきつけられて、あの明治期や戦後のような混沌とした時代にもどるのは勘弁してほしいです。

自治労の思惑については民間の労働組合について論じた本エントリの範囲を超えてしまうので、ちょっとお時間をいただいて別途考えてみたいと思います。
2009/06/21(日) 13:00:56 | URL | マシナリ #-[ 編集]
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