2009年06月08日 (月) | Edit |
kumakuma1967さんとのやりとりの中でこちらの考えがちょっとまとまってきたような気がしますので、とりあえずの今の考えについてメモ書きをしておきます。

というのも、普段は「チホーブンケン教が連帯だの家族だのいうのは胡散臭い」とか「民意至上主義はロクなことにならない」とか書いている割に、集団的労使関係の担い手である労働組合には過度に期待しているんじゃないかとか思われそうだし、自分自身も頭の整理のためにまとめておいたほうがいいように思ったもので。

まあ、ざっと結論から書いていけば、利益集団としての労働組合であれば連帯することも可能だよねということなわけですが、拙ブログでさんざん書いたとおり、労働組合が思想集団に化してしまった現在では、その意味での連帯は難しいだろうとは思います。しかも、民主的に運営されることが要求されるという労働組合の性格上、労働組合の思想集団化を阻止することは困難だと思います。

具体的には、労組法第5条第2項第3号で、

連合団体である労働組合以外の労働組合(以下「単位労働組合」という。)の組合員は、その労働組合のすべての問題に参与する権利及び均等の取扱を受ける権利を有すること。


と規定されているために、まさに「民意」なるものが直接に単位労働組合の意志決定を規定してしまうわけです。往々にして間違う「民意」によって運営される単位労働組合が、利益集団として自らの利益をきちんと把握できるとは到底考えられないわけで、いったん間違ってしまうとその軌道修正は恐ろしく難しいものとなり、それを糊塗するために思想的な理由付けに走ってしまうように思います。

そういった意味では、単位労働組合が企業が倒産しかねない程度に賃上げを要求したり、労働者保護のためには逆効果となるような要求をしてしまうことは不可避かもしれません。しかし、だからといってすぐに公権力が労使自治の現場に介入すべきとするのは早計です。単位組合では適切な要求水準に関する判断を行う人的リソースや情報に乏しいとしても、それが産業別、職業別に組織されていけばそのリソースを集積することが可能になります。

したがって、単位労働組合の暴走を防ぐ機能は第一義的に単位組合で構成されるナショナルセンターが有するべきだと考えます。今回のGMの経営破綻でも、労側の交渉当事者はUAW(Wikipedia:全米自動車労働組合)だったわけで、アメリカでは単位組合が闇雲な要求をするのを産業別組合が統制していたのではないかと思います。

ということで、kumakuma1967さんが、

労が勝てば際限なき資本の食いつぶしが起き、使が勝てば際限なきブラック企業化が進む、といった未来にはあまり夢がないですよね。
一方にバランスが崩れた時に、一層バランスが崩れる方にいっちゃいそうです。
2009/06/07(日) 20:38:07 | URL | kumakuma1967 #Zki5p3.2 [ 編集 ]
株主と経営者と労働者(2009/06/05(金))」コメント欄


とおっしゃる点については、個人的には、ナショナルセンターや産別組合が全体的な労働者を代表する立場から企業と交渉に当たることで、ある程度は回避できるように思います。確認は取れてませんが下記の藤原氏のレポートによれば、割引現在価値でマイナスにもなるような労働債権を設定した当時の経営者と交渉に当たっていたのは、GMの単位組合ではなかったかと思います。経営破綻が不可避という事態になって本格的にUAWが乗り込み、今回の破綻スキームをとりまとめたのでしょう。

 Leadership unions は、賃金、ベネフィット、労働条件等について、membership unions の利益を代表して企業経営側と団体交渉を行うが、賃金等について全社横並びを維持するだけの力はもはやない。たとえば、航空パイロットは、Airline Pilots Association International というleadershipunions を結成しているが、彼らの実際の賃金は、各航空会社毎の労使交渉で決まっていく。労使交渉の前面に立ち、プレゼンスを強調して社会に向かってアピールするのはAPAI ではあるが、交渉結果は、航空会社ごとに異なっているのである。
 このようにしてみると、産業横断的、職業横断的なleadership unions は、あくまでも緩い結合体であり、個別労組であるmembership unions を支援はするものの、それら個別労組の労使交渉の内容まで統一することはできない。むしろ、実質的には、それぞれのmembership unions の労使交渉を側面からサポートしているといった方が適切と思われる。
EBRI Fellow 藤原清明「アメリカの労働組合の現状(未定稿)(2002年12月12日、注:pdfファイルです)」p.12"Website管理人 EBRI Fellow 藤原清明"のページ


もちろん、ナショナルセンターや産別組合が必ずしも適正な利益配分やリスク負担を実現できる保障はありませんので、労使当事者の対立が深刻化したときには公権力が介入する必要があります。日本でいえば、労働関係調整法で規定するあっせん・調停・仲裁によって公権力が労使自治の現場に介入することが可能です。これらの手続きは原則として申請主義ですが、強制力のないあっせん・調停に関しては、当事者申請がなくても労働委員会の職権や総理大臣や知事の要請によって調整活動を開始することが可能となっています。強制力がないから介入できるというパラドクシカルな規定こそが、労使自治を尊重しているわけですね。

というわけで当エントリの当初の目的に戻ると、集団的労使関係において適切な利益配分を実現するためには、労使双方においてその判断が可能な人材と情報を集約することが必要であり、それは間違っても単位組合に分権することではないと思います。「集団的労使関係こそが公権力の介入を押しとどめて分権的な市場原理を労使関係にもちこむ基本原理となっている」わけですが、その担い手までもが分権される必要はありません。担い手が集権的であっても結果的に分権的な意志決定がもたらされることもあるというのは、オーツの分権化定理が示すことでもありますし、労働組合というのは団結することで交渉力を高めるものですから。

ただまあいつもの繰り返しになりますが、労働組合が支持する野党連中はおろか、当の労働組合までもが「チホーブンケン!」とか叫んでいて、頭を抱えてしまうんですよね。
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