2009年05月24日 (日) | Edit |
今朝のクルーグマンvs与謝野の対談見逃した~!最後のところをチラッと見ただけでしたが、与謝野大臣が「クルーグマンの著書と自分のやっていることが合っているか常にチェックしている」というような発言をしているのを見て、「インタゲを「悪魔の政策」と決めつけてたくせにウソつけ!」と思ってしまいましたが、いやまあ本気ならまことに喜ばしい限りです。



(追記:
新報道2001 与謝野大臣とクルーグマン教授の対談(2009-05-24)」(Kittens flewby me)に全文が掲載されているようです。吉川先生も同席してたんですか。それにしても、与謝野大臣の発言は本気とも何ともいえない微妙な感じですねえ。)



そんなクルーグマン問題(?)についても宮崎・若田部・飯田対談で取り上げている『Voice』の6月号ですが、いろいろな立場の論者が目白押しで、ブログでもよく取り上げられていますね。
Voice (ボイス) 2009年 06月号 [雑誌]Voice (ボイス) 2009年 06月号 [雑誌]
(2009/05/09)
不明

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経済関連の記事についてはほかの経済系ブログにお任せするとして、拙ブログとしてはやはりチホーブンケン教の対談を取り上げるべきでしょう*1

国の直轄事業の地方負担金押し付けは許さない 霞が関の通達「開封は不要」
橋下徹〈対談〉江口克彦154p
http://www.php.co.jp/magazine/voice/(注:リンク先はトップページです)


もうほとんどカルトの域に達しているともいえるチホーブンケン教ですが、TV弁護士知事と道州制バ○によるこの対談もキレまくりですな。まずは大阪府知事が「無能な働き者」と「無能な怠け者」が呼応し合う場面*2を強調します。

橋下:
 ただ公務員とは不思議なもので、私が「支払わない」と方針を固めると、「これはやめましょう」と進言してくれる動きが出てきました。公務員自体は一組織の一担当者ですから、自分で大きな決断を下すことはできません。そこで私が知事として決断を下すと、あとはそれに向けていろいろアイデアを出してくれるのです。
 そもそも私には大物政治家との人脈もなければ、各界に対する政治力もありません。だから一般国民の感覚で不自然に感じたことは、どんどん問題提起してメディアに取り上げてもらうしかない。そうして国民が関心を持つもためのきっかけづくりをするのです。直轄事業の負担金にしても、今回のようにメディアで盛んに取り上げられるようになれば、あとは大先輩の知事さんが、どんどん中身のある議論をしてくださいます
『上記対談』p.155
※ 以下強調は引用者による。


前段については何も不思議なことはありませんよ。最強の人事権を持った知事が指示を出しているんですから、そりゃ権力関係で絶対的上位の方からの職務命令には従わざるを得ませんよね。一世代前の「改革派知事」がいた県庁の担当者と話したりすると「改革派知事」退任後の深刻な混乱ぶりが伝わってきますが、大阪府庁はその意味で90年代以降かなり痛めつけられているわけで、橋下知事が指摘するような動きはすでに処世術として確立しているのかもしれません。

後段については、まああからさまなポピュリズムであっても「一般国民の感覚」といえば許されてしまう政治状況を上手く利用していると評価すべきなんでしょう。

で、官僚がうぬぼれているとあげつらって優越感に浸る弁護士と企業戦士のお話が続きます。

橋下:
 私は行政の長を一年間努めるなかで、霞ヶ関が日本で突出して優秀な人々の集団とは、全く思いませんでした。民間や地方など、日本全国に散らばっている優秀な国民の叡智を結集させたほうが、よほどよいものができます。先に江口さんは「霞ヶ関官僚が地方を見下している」といわれましたが、霞ヶ関官僚は、そんな認識の誤りを認めるべきです。

江口:
 現役の霞ヶ関官僚は明らかに自惚れています。ただ官僚のOBのなかには、今の霞ヶ関を非常に冷めた目で見ている人もいる。ある官僚OBなど「今の霞ヶ関の若い官僚は、正直いって残りカスなんです」といっていました。かつてキャリアの応募には二万五〇〇〇人が集まりましたが、現在は一万五〇〇〇人ほどに減っている。東大でいえばトップクラスは外資系企業に行ったりして、キャリアに応募してくるのは二番目クラスの人たちだといいます。
 官僚の質が非常に落ちているにもかかわらず、自分たちこそが日本を動かす最も優秀な集団だと自惚れすぎている。そんな人々の価値観が、日本の閉塞感につながっているのです。
『上記対談』p.157


弁護士先生からすればキャリア官僚もチホーコームインも代わり映えのしない凡才揃いに見えるかもしれませんが、チホーの末端にいる身としてはbewaadさんやhamachan先生が自分のような下っ端チホーコームインと同じ凡才とは到底思えません。確かに「日本全国に散らばっている優秀な国民の叡智を結集」できればいいんですが、皆さん民間や地方でご自身のお仕事や家事に専念されているわけで、そんなことできますかね。こういう方々のいうチホーブンケンって、ボランティアでも何でも地域のために個人の時間を割けという趣旨のことをさらっと強制してしまうので、個人的には非常に怖いものを感じます。

後段の江口氏の発言は論旨が矛盾しまくりで何が言いたいのかよく分かりませんが、とりあえず、個人的に霞ヶ関と接している限りでは「明らかに自惚れています」なんてことはありませんよ。そりゃまあ、受け取り方にも接し方にも個人差はあるだろうし、個人的にいけ好かない奴だってもちろんいますけど、個人差があるということは「明かに自惚れている」ということにはなりませんよね。

そのあとの官僚の質が低下しているという指摘はそのとおりですが、少子化によって東大そのもののレベル低下が指摘されているわけで、そこを基準にするならとりわけキャリア官僚だけが劣化しているわけではないでしょう。一部のエリートに対する批判を加えている江口氏が、「トップクラスは外資系企業に行ったり」するとかいうのは何かの冗談でしょうか。

というより、入口ではそれなりに努力を要する試験を課しておきながら、民間では効果が疑問視されている成果主義によってキャリアの昇進システムを制限し、さらに出口でも天下りを規制しようとしているんだから、官僚の質が低下するのは当たり前ですな。

その前にそもそも、連邦国家ではない単一国家である日本では国がすべてを決めることになっているわけですから、「優秀」の意味を「実行力を持つ政策を立案する権能を持つ」という意味で解釈すれば、霞ヶ関の官僚組織が「日本を動かす最も優秀な集団」であることは厳然たる事実ですね。逆に政策形成を事実上担う官僚組織が「優秀」でないととても困ったことになるんですけど。どうやら大阪府知事は官僚組織にリソースを充てること自体がお嫌いのようですが、そのツケというのは広く国民に行き渡るわけで、確かに東京都や大阪府のような巨大な自治体なら霞ヶ関の機能をある程度代替できるかもしれませんが、うちのような弱小自治体にまでそれを強要されたら大変なことになります。それなんて「強者の論理」?

このあとは「全国一律施策の不合理さ」という小見出しで、「熊しか通らない道路」とか批判のやり玉に挙げてますけど、こういう発言を聞いているとさすがにマスコミしか信用しない「一般国民の感覚」を体現されているのだなと、その点では一貫した姿勢を評価しておきます。

その次は「税金は「官僚のお金」ではない」という小見出しで財源問題に話が及んでいきますが、笑ったのはこの一節。

橋下:
しかしそもそも税金とは、住民が自分たちのお金の一部を一時的に公に預けているものではないでしょうか。それならば、そのお金はできるかぎり住民の近くに置いておいたほうがいい。たとえば私の家では、お年玉を母親に預けると、母親が全部使い切ってしまいました。だからお年玉は自分の枕元に置いておかないと、不安で仕方なかった(笑)。同じように税金も、なるべく住民の近く、つまり地方自治体に置いておくべきものなのです
『上記対談』p.161


小学生かよ!

橋下家のお年玉と公共サービスの原資を同等に論じるというのは、高校生でもしなさそうな論理展開ですが、一般国民の皆さんは、こういう小学生レベルの感覚を「一般国民の感覚」と言い張る政治家知事に対してもっと怒っていいと思います。

さらに、この発言の前後ではこういうこともおっしゃっていて、

橋下:
 通達に関してもう一ついうと、私が大阪府の予算をどんどん削っていたとき、厚生労働省から直接、知事である私宛てに「エイズ検査について予算面での配慮をするように」という文書が来たことがあります。小坂府の厳しい予算の現状では難しいので断ったら、「こんなことは大阪府政の歴史始まって以来だ」と担当部局は驚いていました。

(略)

 今回、大阪府の予算を組むにあたり、一時、商工会議所のある予算を削ったのですが、途中で修正して復活させることにしました。これに対し、商工会議所関係の方々がお礼に来られたのですが、私としては困りました。そもそも予算の原資には、各企業から大阪府に預けていただいていた税金が入っています。その一部を、議論を交わす過程で必要という判断に至り、復活しただけなのです。お礼をいわれる筋合いではありません。
 いままでのぎょうせいでは、担当者は予算を自分のお金と思っていたから、「お礼をいわれて当たり前」という感覚だったのでしょう。これではいけないのです。
『上記対談』pp.161-162


新型インフルエンザのときもそうでしたが、検査体制の不備などによるウィルスの蔓延といった典型的な「外部不経済の垂れ流し」と「負担と受益についての公共財の過小供給」には無頓着ぶりを発揮する一方で、お金を出した人にはその分だけサービスを提供して「所得再分配」を否定していることにも気がついていないご様子(5/25修正しました)。そういった「市場の失敗」を是正すべき政府部門が、むしろそれを助長するのがチホーブンケンなんですね、わかります。

この点については以前も引用した記事ですが、

 中央省庁の支配から逃れ、地方独自の裁量が広がる、これが「地方分権」改革の掛け声ではなかったか。しかし、現実に地方自治体が手にしたものは何であったか。ある自治体の財政担当者は「私たちが分権改革によって得たのは、教育や福祉への歳出を削るという”裁量”だった」と述べている。義務教育国庫負担金といったこれまでは削減できないとされてきた経費が、「地方分権」改革の結果「地方の裁量」で削減可能になったのである。
「談論風発 : 地方分権への懐疑 国の責任放棄見逃すな」(山陰中央新報'08/09/22)


「教育や福祉への歳出を削るという”裁量”」を振り回していい気になっている知事さんが日本中にあふれたら・・・と思うと冗談でなく寒気を感じていまいます。

最後はおなじみの道州制論議に話が移っていくわけですが、拙ブログではさんざん批判している(「道州制のどこがいいの?(2008/06/03(火))」とか)ので、面倒ですし繰り返しません。対談は江口氏のこの発言で締められます。

江口:
 幕末に岩瀬忠震という幕臣がいました。かれは、西洋列強に開国を迫られる状況において、向こうに押しきられるかたちで国を開くのではなく、日本を守るためにどうすべきかを考え抜いた。そして、アメリカの望む大坂開港を突っぱねて横浜港を押し通し、日米修好通商条約の締結に結びつけたのです。
 その幕臣の彼が、交渉に臨む姿勢をこんな言葉で残しています。「国が滅ぶことを避けられるなら、幕府は滅んでもかまわない」と。このような気概を、現在の政治家、霞ヶ関官僚にも抱いてほしいと思います
『上記対談』p.163


日米修好通商条約の締結が歴史的にどう評価されるのかよく分かりませんが、江口氏が岩瀬忠震の言葉を引用しているのを見ると思わず、

「地方が滅ぶことを避けられるなら、国は滅んでもかまわない」と。このような危害を、現在の政治家、知事をはじめとするチホーブンケン教は加えてほしくないと思います。

と言いたくなりますなあ。




*1 労働関係のエントリはあまりニーズがないようですし。それはそれで労働教育的な問題がありそうですが。
*2 リンク先のエントリは用語の使い方が混乱していましたので若干補足させていただくと、「無能な働き者」がトップに立つ組織では「無能な働き者」が重用される傾向があるために、上からは意味のない政策が指示される一方で、下では意味のない作業が進められるという、まことに「分権的」な状況が生み出されるということです。
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