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2009年05月19日 (火) | Edit |
というわけで、前回エントリの続きですが、その前にkuma_assetさんにコメントいただきました。というか、要領を得ないトラバを送ってしまい恐縮です。

『会社が法人(構築物)であることと「市場における均衡概念に基礎をおく経済学」の考え方は必ずしもシンクロしない』との指摘があります。この「シンクロ」の意味するところはよくわかりませんが、わたしのエントリーでは、あくまで比喩的としてこの注記を書いたのであり、頑健な論理性を持つ理論としての「・・・経済学」を、事業の定礎にある制度としての会社に対照させてみたまでです。『労使関係が生々しい』ものであることとは何ら関係はありませんし、それを否定する理由もありません。なお、比喩として不適切という指摘であれば、それに十分な理由がある限り、受け入れる余地はあります。
生きる理論と持続可能な理論(2009-05-14)追記」(ラスカルの備忘録


ご指摘のとおり「シンクロ」はちょっと不適切な言葉でした。kuma_assetさんがおっしゃる「生きる論理」というものに、「制度としての会社」と「・・・経済学」が並列して対置されていたように読んでしまいましたが、kuma_assetさんのエントリでは「制度としての会社」も「・・・経済学」と対照されていました。失礼しました。

私のエントリの趣旨は、私的契約である労使関係が原則的には当事者間の交渉によって規定されるものである以上、制度によって規制を受ける労使関係はごく一部であって、その本質的な部分は生々しい労使当事者のやりとりそのものだろうということです。複数の労働者が働く会社にあっては、一対多の集団的労使関係の成果である(労組法上の)労働協約がその最上位に位置しますが、そこまで行かなくても、日常の指揮命令に基づく一対一のやりとり自体が労使関係そのものであるという意味で「労使関係が生々しいもの」という言い方となったことをご理解いただければと思います。

また、拙ブログでは経済学的見地からの考察を重視しているつもりですので、「労働経済学が「主人のような顔をする」ことについて批判」する意図はありません。「労使関係や労働政策に携わる人間がそれを便利な道具として活用するようになったことが最初にあり、その結果として母屋を取られた、というのが実態」というのも大いに首肯するところです。

ただし、労働法についても同様なんですが、上記のような日常のやりとりから集団的労使関係までを含む労使関係については、ある特定の理論体系だけでは十分に説明しきれないように思います。その意味で、まずは労使関係そのものを対象とした理論体系によって分析し、それを補強する便利な道具として労働法や労働経済学を活用すればいいというのが、本来の労使関係論ではなかったかと思います。

この点を考えるときに示唆に富むのが整理解雇の4要件(Wikipedia:整理解雇)と呼ばれる判例法理なんですが、ちょうどhamachan先生のところで議論が進められています。

いわゆる先制的な「選択と集中」によるリストラを認めるか否かも、基本的にはそれで労使合意するのであれば、あえて否定する必要はないと考えています。ただ、経営状況がそれほど厳しくないのに、あえてそうするというのであれば、それで退職する労働者には相当額の補償がなされることになるでしょう。そういう集団的合意がないのに強行すれば、当然解雇に正当性はないということになるでしょう。
問題が発生するのは、集団的合意は成立して、大部分の労働者はそれで高額の補償金を受け取って辞めていって、一部の労働者がそれに反対して、不当解雇だと主張しているというケースです。実は、日本の紛争の多くはそういうパターンが多いんですね。
わたしは、整理解雇は集団的現象である以上、それ自体の合理性は集団的合意の有無で判断されるべきで、個別労働者がいやだといっていることを過度に取り上げるべきではないと考えています。

投稿: hamachan | 2009年5月16日 (土) 09時20分
3法則氏が、遂に解雇権濫用法理と整理解雇4要件の違いに目覚めた!(2009年5月15日 (金))コメント欄」(EU労働法政策雑記帳
※ 強調は引用者による。


ここで注意しなければいけないのは、整理解雇が集団的現象であるから集団的労使関係が重要なのではなく、集団的労使関係において十分に説明を尽くすことが整理解雇を正当なものとして認める要素となっているということです。

この点を整理解雇の4要件説のリーディングケースとなった東洋酸素事件(東京高裁昭和五十四年十月二十九日判決)の判決文で確認してみます。

 しかして、解雇が右就業規則にいう「やむを得ない事業の都合による」ものに該当するといえるか否かは、畢竟企業側及び労働者側の具体的実情を総合して解雇に至るのもやむをえない客観的、合理的理由が存するか否かに帰するものであり、この見地に立つて考察すると、特定の事業部門の閉鎖に伴い右事業部門に勤務する従業員を解雇するについて、それが「やむを得ない事業の都合」によるものと言い得るためには、第一に、右事業部門を閉鎖することが企業の合理的運営上やむをえない必要に基づくものと認められる場合であること、第二に、右事業部門に勤務する従業員を同一又は遠隔でない他の事業場における他の事業部門の同一又は類似職種に充当する余地がない場合、あるいは右配置転換を行つてもなお全企業的に見て剰員の発生が避けられない場合であつて、解雇が特定事業部門の閉鎖を理由に使用者の恣意によつてなされるものでないこと、第三に、具体的な解雇対象者の選定が客観的、合理的な基準に基づくものであること、以上の三個の要件を充足することを要し、特段の事情のない限り、それをもつて足りるものと解するのが相当である。
(略)
 なお、解雇につき労働協約又は就業規則上いわゆる人事同意約款又は協議約款が存在するにもかかわらず労働組合の同意を得ず又はこれと協議を尽くさなかつたとき、あるいは解雇がその手続上信義則に反し、解雇権の濫用にわたると認められるとき等においては、いずれも解雇の効力が否定されるべきであるけれども、これらは、解雇の効力の発生を妨げる事由であつて、その事由の有無は、就業規則所定の解雇事由の存在が肯定されたうえで検討されるべきものであり、解雇事由の有無の判断に当たり考慮すべき要素とはならないものというべきである。
昭和51(ネ)1028 東洋酸素整理解雇 昭和54年10月29日 東京高等裁判所(注:pdファイルです)」(判例検索システム
※ 強調は引用者による。


前半で第一から第三までしかないので、あれ?と思った方がいらっしゃるのではないでしょうか。実は東洋酸素事件で示された判断は、「4要件説」といわれながらも、実質的には「3要素+1要件」とでもいうべき枠組みとなっています。つまりこの判決によれば、合理的であること、解雇回避義務を尽くしていること、人選が合理的であることという三つの要素について、集団的労使関係における交渉によって協議を尽くさなければその解雇の効力が否定されてしまうのです。

このように、整理解雇の4要件説というのはある意味で集団的労使関係を前提とした不当労働行為的な解雇規制となっています。このような事情を踏まえてみると、hamachan先生のこのコメントは至極ごもっともなものであることが理解できるのではないかと。

実務家からみて「現実には整理解雇と普通解雇の区別は余り重要ではない」というのは、とりわけ中小企業における認識論としてはその通りだと思われますが、それなるがゆえに、情報を開示させ、協議をやらせるための手段として「使い勝手がいい」ということなのですから、まさに私が上のコメントで述べたように集団的労使関係上の武器として有効だということなのでしょう。

ただ、そういうどぶ板レベルの感覚とは別に、特に経済学者がこの問題を論じる際には、日本の解雇規制というと、整理解雇4要件、とりわけ中小零細企業ではあまりそんな余地は少ないけれど大企業ほど余地のある解雇回避努力義務というのが非常にクローズアップされて、解雇せずに雇用を維持できる余地が少しでもあるうちは解雇できないのが日本の法制だというふうに理解されてしまっている嫌いがあり、それが日本の実態という風に思われている傾向がありますので、そういう思いこみを解きほぐすためには、まずは一般則たる解雇権濫用法理と特則たる整理解雇法理の区別から始める必要があるのです。

投稿: hamachan | 2009年5月18日 (月) 07時48分
3法則氏が、遂に解雇権濫用法理と整理解雇4要件の違いに目覚めた!(2009年5月15日 (金))コメント欄」(EU労働法政策雑記帳
※ 強調は引用者による。


集団的労使関係によって分権的な市場原理を労使関係に持ち込むためにこそ、労使の当事者同士が協議を尽くす(できればそれによって合意に達する)ことが重要なのであって、一律に解雇を規制したり、逆に一律に解雇規制を撤廃すればいいというわけではないということは、そのような労使関係を踏まえない限り経済学的見地からは導かれないように思います。

しつこいようですが念のため、私は経済学的見地から労使関係を考えること自体は一切否定していませんし、むしろ積極的に活用すべきだと考えております。ただし、集団的労使関係を前提としたモデルによって分析は可能だとしても、その集団的労使関係が労働法規によってどのように規定されているのか、そして、そもそも労使関係が集団的側面と個別的側面を持つことは労使関係論によってはじめて明らかになることだろうということです。
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