--年--月--日 (--) | Edit |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


2009年05月04日 (月) | Edit |
非常に個人的な感想なんですが、hamachan先生がこうおっしゃるのをみてすごく納得。

正直いうと、経営法曹の皆さんの議論がいちばん肌になじむというか、労働問題の現場の感覚をもちながら、会社を経営する側の感覚をきちんと論理化していこうとするその姿勢が、私には好ましく思えます。
ワークシェアリングの光と闇(2009年5月 2日 (土))」(EU労働法政策雑記帳


拙ブログでは経営者目線のカイカク派についてはさんざん批判してきたところなんですが、経営法曹会議の方々というのは、その経営者目線の労務管理といった実務をきちんと法律論に落とし込むのが仕事なわけです。それが訴訟まで持ち込まれた問題であればそれに対して裁判所の判断が示されるので、経営法曹としては実務の面で妥協することはできないわけですね。

拙ブログで批判しているのは実務面を無視した経営者目線であって、実務での裏付けがあれば経営者目線であろうとなかろうと問題はありません。特に労働問題については、当事者である労働組合や日本労働弁護団といった左派陣営が会社に対して無理筋なことばかり主張するので、それがかえって労働者自身をも苦しめているという前回エントリの状況からすると、経営法曹の主張の方が妥当に見えるのも当然なんでしょう。

経営のリスクを負うのは経営者なわけで、だからこそ一番本気で経営と労働者のことを考えているのも経営者ではありますが、それに対抗するというだけの理由で労働者の味方を自認する方々がそのことを考えていないというのは、むしろ重大な背任だろうと思うわけです。

拙ブログが経済学を中心に考えているのは、そういう実務に裏づけされた経営者の責務を理解するために必須の道具立てだと考えるからです。ちょっと長くなりますが、経済学の教師と英文学の教師の恋を描いた物語から、この点を説明した部分を引用してみます。

ここは、英文学の教師(ローラ)が見ていたドラマでの経営者の横暴(工場の海外移転による街の衰退、新薬開発の結果の改ざんなど)の描かれ方が偏見にとらわれているということを、経済学の教師(サム)が説明している部分です。

「一〇〇年前の話だけど」とサムは続けた。「アメリカの労働力の四〇%以上が農業に従事していた。それが今や三%以下だ。子供たちは、世紀の変わり目に農業の生産性を改善するテクノロジーのせいで農場から追い出された。そんなお涙頂戴のドラマが想像できるかい? 当時の子供たちや、さらにその子孫は、僕たちがそういう状況が起きるままにしておいたことを喜んでいるんじゃないだろうか。『同情』ゆえに、農業の改革をストップさせるという決断を下していたら、僕たちの生活はどんなに貧しくなっていただろう。同じことが、この五〇年間、製造業界の雇用についても起きている。製造業の雇用は削られ、そのかわりに、コンピューターや情報テクノロジー、電気通信、その他アメリカが得意とするたくさんの産業で、新たな機会が生まれている。一九五〇年代以降、製造部門のすべての雇用を守ることにこだわって、工場の閉鎖を認めなかったとしたら、僕たちはどれだけ貧しくなっていただろう。今の子供たちに、雇用機会のほとんどは工場での仕事だよといったら、彼らはどう感じるだろう。もし現状を維持するような法律を作っていたら、製造業以外の分野で誕生した雇用やチャンスは、全く実現しなかっただろうね。

「でも、進歩の名のもとに、マタロン(引用者注:ドラマで工場が撤退した街)のような街を崩壊させるだけの意味があるのかしら?」

「進歩の名のもとに、じゃないよ。次世代の子供たちに、彼らのスキルを最大限生かすチャンスを与えるためだ。彼らを豊かにすることが目的だというわけでもない。実際には豊かになるだろうけどね。そうではなく、子供たちが、自分自身の選択によって、どのような種類の人生でも創りあげていけるようなチャンスを与えるのが目的なんだ。マタロンとか、それ以外の小さな街が崩壊するというのは、物語の酷い部分しか語っていない。こういう街が貧しくなっていく理由の一つは、解雇された労働者の子供たちが、もっと別の、より良い機会を求めて街を出て行くからだ。工場閉鎖が街にどんな影響を与えたのか、完全に評価したいと思ったら、こういう子供たちを全員集めて、彼らが開拓しようと思った新しい機会に満ちた世界で、彼らがどれくらい幸福になっているかを調べないといけないだろう。
(略)
「ただ僕は、勝ち組・負け組っていう二分法を認めていないだけなんだ。世界は平等な場所ではない。才能に恵まれている人もいれば、そうでない人もいる。もしかしたら僕は、才能に恵まれた人に資本主義が反映のチャンスを与えるってことをロマンチックに考えすぎているのかもしれない。でも、才能のある連中だって、あまり才能のない人を犠牲にして成功しているわけではない。資本主義は、才能に恵まれた人が、その才能を他の人たちとわかち合うように仕向けるんだ。
pp.227-228

インビジブルハート―恋におちた経済学者インビジブルハート―恋におちた経済学者
(2003/04)
ラッセル ロバーツ

商品詳細を見る

※ 強調は引用者による。



まあ、解雇自由の国での議論ですからその点は割り引いて考える必要がありますが、一つの企業や一つの産業に固執することのリスクやコストへの対処は経営者の胸先三寸で変わってくるわけで、そういった経営のリスクを最終的に負っているのは経営者ですから、経営者にはこういうことを真剣に考える責務があります。

もちろん、真剣に考えない経営者がいる場合がありますが、そのような経営者は淘汰されなければなりません。そのような経営者から債権者を守るために会社法や労働法規が存在するのであって、その関係を逆に考えてしまうから現在の左派陣営はあさっての方向の議論しかできなくなるのではないかと思います。

結局のところ、貧困、非正規労働者、地方などの弱者とされる方に対して「我こそが味方だ」という陣営にとっては、自分たちが「搾取している!」と糾弾している陣営もその方々のことを真剣に考えているということを認めたくないんでしょうね。
スポンサーサイト


コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。