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2009年04月30日 (木) | Edit |
奥村宏氏って○系の方かと思ってたんですが、所属されている経済理論学会(Japan Society of Political Economy)の山田鋭夫氏とかの会員を見ていると、いわゆるネオマルキシズムの流れでとらえるべきなんでしょうか。

実は奥村氏を知ったのは野村正實氏のホームページで絶賛されていたからなんですが、野村氏のホームページで第4章が公開されている
日本的雇用慣行―全体像構築の試み (MINERVA人文・社会科学叢書)日本的雇用慣行―全体像構築の試み (MINERVA人文・社会科学叢書)
(2007/08)
野村 正實

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も、電産型賃金体系についての中労委裁定とかそれに端を発するベアと定昇の混同とか興味深い話がてんこ盛りです。

ただまあ、野村氏の話は何かと生々しいので、たまたま通りかかった露店の古本市で見つけた奥村氏の
法人資本主義―「会社本位」の体系 (朝日文庫)法人資本主義―「会社本位」の体系 (朝日文庫)
(1991/05)
奥村 宏

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を読んだ感想など書いてみます。

この本は1983年に出版された新書の文庫版として1991年に出版されたものなので、話が1980年代と1990年代を行ったり来たりして読みにくいものの、当時話題になった日米構造協議で批判された「系列」について、三越事件(Wikipedia)などの事例を交えつつまとめられていて、当時の状況や株式の相互持合などを実体験として知らない者としては大変勉強になりました。ただ、冒頭で

体系的という意味は同時に日本の会社を総体として、トータルにとらえようとしているという意味でもある。これまでの「日本的経営」論は会社と従業員との関係だけを論じたものだが、会社は従業員との関係だけで成り立っているものではない。会社の多くが株式会社である以上、会社と株主の関係が重要だが、「日本的経営」論は全くこれを問題にしない。一方、これまでの株式会社論は会社と株主の関係を問題にするだけで、そこでは従業員不在である。このほか会社と経営者との関係、さらに会社と会社との関係も当然問題になるが、これらをトータルにとらえ、そしてそれをひとつの原理から明らかにしようとしたのがこの本である。
奥村『法人資本主義―「会社本位」の体系 (朝日文庫)』p.6
※ 強調は引用者による。


と書いてある割に、本書では、労働組合の幹部を経験したようなサラリーマン経営者といえども選ぶのは経営者だから従業員代表ではないというだけの話に終始してしまっている点はもの足りません。そんなの当たり前であって、だからこそ労働者による経営参加というのは昔も今も日本では難しい問題となっているわけです。個人的にはこの辺の話をもっと詳しく読みたかったんで、ちょっと期待はずれでした。

それにしても、奥村氏は「会社本位」の元凶として「系列法人同士の株式の持ち合い」を批判しているわけですが、その理由として、系列法人が支配目的で株式を保有することで個人投資家が排除される「安定化工作」や、それによってもたらされる「高株価経営」、またはその株式の相互持合によって代表取締役が系列の社長会によって相互監視され、その結果、自然人ではない「法人」に対する忠誠が強化されるからという説明はなかなかに説得力があります。

とはいえ、奥村氏が批判した持ち株会社が解禁される一方で、奥村氏が積極的に進めるべきとしたベンチャー企業の勃興やTOBなどによる株式買収が実現してしまっていて、現実の方が奥村氏の主張を超えてしまっているわけです。実際に、ベンチャー企業がニッポン放送などの放送局にTOBを仕掛け、その仕掛けたベンチャー企業経営者が有罪判決を受けるという事態を目の当たりにしてみると、まあそれだけが「会社本位」の理由じゃなかったんだろうな、というか本当に「会社本位」だったのかな、という疑問が残るところです。奥村氏は「近代経済学は企業間関係を分析していない」として批判していますが、この点については、
組織の経済学組織の経済学
(1997/11)
ポール・ミルグロムジョン・ロバーツ

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で指摘されるようなの新古典派経済学の立場からの実証的な考察の方が、奥村本とほぼ同じ時期に出版されている(原著は1992年発行)にもかかわらず、リスクシェアリング、所有と通じたインセンティブとか経営者報酬など現在でも十分に通用する道具立てを提供しているように思います。

その一方で、企業間では商社を中心とした相対(あいたい)取引が通常の姿となっていて、下請会社を通じた外部化によって企業の系列化を進め、銀行ぐるみでその系列の株式を保有し合っていくという奥村氏による日本経済の描写は、現在ではどの程度あてはまるのかというのも興味深いところ。

ただし、奥村氏は佐高信氏との共著もあるくらいですから、「社畜」くらいのイメージで書いているような感じがしますが、そんな「社畜」といわれた当時の経済成長がもたらした労働者の処遇と今の状況を比較したとき、どちらが労働者にとって生きやすい世界だったかというのは判然としませんね。

左翼陣営が会社を攻撃するあまり労働者にとっても生きにくい世界になるというのは、日本の労働運動の宿痾のようなものなんでしょうけども、だからこそ左翼陣営は経営と労働者、さらには制度と労働者の関係について真剣に悩まなければならないわけです。ところが当事者の方々には特に制度については真剣に悩んだ形跡はないんですよねえ。
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