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2009年03月20日 (金) | Edit |
しつこいんですが、湯浅氏の大仏次郎論壇賞受賞作をネタに社会保障について書いてみます。これで最後です。
<これまでの関連エントリ>
活動する財源は誰が負担するのか (03/08)
誰を叩きたいのか (03/15)
反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)
(2008/04)
湯浅 誠

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再々ですがお断りしておくと、個人的には湯浅氏の行動は一定の評価は可能だと考えておりますので、今回はその評価が可能だと思う部分を中心に。

失業した方々への援助をするにあたって、湯浅氏の団体ではちょっとした工夫をします。それは、失業した方々に対して一定の負担を求めるというもので、ここでは「たすけあい金」と呼ばれています。

そのとき、「支払っていたんだから受け取っていい」という心理的機制の働くことは、アクセスに当たってのハードルを大きく下げる。「たすけあい金」は、自分が支払い続けてきたことの結果として受給の資格を得る。その仕組みは、「自助努力の過剰」に押しつぶされずに給付や相談のサービスにアクセスすることを可能にする。生活保護申請には多くの人が抵抗感を持っても、失業給付を受け取るのに躊躇するという話は聞いたことがない。だとすれば、本来は妥当ではない「自助努力の過剰」を逆手にとるようなサポートの仕組みを考えればいい。そこで、互助制度と情報提供を通じて、接点を増やし、心理的なハードルを下げることを企図した。
湯浅『同上』p.163
※ 強調は引用者による。


こうしてみると斬新なアイディアに見えるかもしれませんが、自らが払うことで給付が受けられるというのは普通の保険の考え方です。多数の人々がリスクをプールし合うことによって、局所的に生じたリスクに対して給付するというのが保険の仕組みなわけで、これを逆にいえば保険を支払わない人にはリスクに対する給付が支給されません。

制度としての社会保険が必要とされるのはまさに後者の理屈によるもので、民間の保険ではクリームスキミングによってリスクの高い人が保険者によって排除されてしまうという問題が生じるために、現代の福祉国家では強制加入の社会保険が導入されています。ただし、歴史的背景や国情によっては、その強制加入の範囲が限定されているところも多く、ドイツではギルド的な職域を単位とした社会保険制度となっていますし、極端なところでは個人加入のアメリカのような国もあるわけで、強制加入の制度があるからといって必ずしも国民皆保険となっているわけではありません。

ということで、日本の国民皆保険は、自営業が対象の国民保険、企業従業員が対象の健康保険、公務員が対象の共済組合という形で、職域ごとの強制加入制度がすべての職域をカバーすることによって成り立つという、世界的に見ても整備された制度となっています。職域ごとに保険制度が変わっているのは、理論的にはリスクをプールする保険制度である以上、職域ごとに異なるリスクに対応する必要があるからというのがその理由になりますが、歴史的な経緯からすると、日本が参考にしたドイツが職域ごとに分かれていたからというのが実態に近いようです。

というような歴史的経緯などを踏まえて考えてみれば、社会保険を通じた所得再分配政策というのは国民の労働形態を前提に設計されなければならないわけで、現状のように、職を失った人が自営業が対象の国民保険に流れ込んでしまうというのは、当初想定されていない事態が生じているといえます。しかも、その国民保険は市町村が保険者となっているために、十分な規模の被保険者を有しない(人口の少ない)市町村では十分なリスクプーリングや保険者機能を発揮することもできず、いったん高度のリスク(高額医療や重篤疾病の頻発など)が発生すれば保険料にダイレクトに跳ね返るという仕組みになっています。1999年の地方分権一括法により、この傾向はさらに顕著になっており、市町村単位で決められる国保税(国民保険料)では5~6倍の格差が生じています。

ところが、所得再分配を求める活動をしている湯浅氏にしてこの認識。

労働分野と生活(福祉)分野の連携が、社会保険のセーフティネットを焦点化するに至ったことには、必然性があったのだと思われる。私たち自身、企画当初は意識していなかったが、社会保険のセーフティネットは、日雇雇用保険が日雇い派遣労働者の生活安定に不可欠であるように、労働問題に密接に組み込まれつつ、同時に生活保護への防波堤的・予防的役割を果たしている。福祉国家とは、三層のセーフティネットが相互に補い合い、接合し合うことを通じて人々の貧困かを防ぐ国家である。労働と生活(福祉)の視点を重ね合わせて貧困を見たときに、その相互補完の欠如・未接合の中核に社会保険のセーフティネットの問題が意識されてくることは、当然といえば当然だった。
湯浅『同上』pp.166-167
※ 強調は引用者による。


収入の糧がないということと仕事がないということは表裏の関係であって、社会保障とは仕事のない/できない状態に対応するための仕組みなわけですから、「企画当初は意識していなかった」という時点で、湯浅氏が何を目的としてこの活動をしているのか判然としません。まあ活動家だからということで片付けてしまえばそれで済むのかもしれませんが、問題なのは一般的な認識も湯浅氏のそれと大差ないだろうということです。

目の前の失業者をかわいそうだと思うこと、救おうとすることは人間として大切な感情ですが、それを制度として策定して運用するためには、単に「シェルターを作れ」では済まないわけです。必要な財源を確保しながら、労働のインセンティブを削らず、さらに湯浅氏のいう「自助努力の過剰」を防ぐために雇用保険という制度があるのであって、それを埋蔵金と呼んでほかに使えというのがいかに暴論かは明らかでしょう。

毎度のhamachan先生経由ですが、

 もう1つは、労働保険特会である。先に指摘したとおり、雇用保険料が高すぎるのか、0.8兆円もカネが余っている。にもかかわらず、一般会計から毎年0.2兆円が投入されている
 すき焼き三昧の離れに、粥をすすっている母屋から仕送りをする必要はなく、すぐ停止すべきだ。「骨太2006」では、社会保障費の自然増分を年に 2200億円ずつ抑制するとされ、それは難しいと厚生労働省は文句をいっている。だが、自分たちがもっている労働保険特会の埋蔵金だけで解決できる。さらに、労働保険はストックベースでも4兆円以上余っているので、それらを取り崩しながら、長期的に維持可能な社会保障システムを考えたらいいだろう。
 こうしたお金をうまく使わなければ、無駄なお金といわれてしまうだろう。
埋蔵金6兆円で好景気に」(Voice+
※ 強調は引用者による。


というのをみるにつけ、高橋洋一氏がこういうことを強調するたびにリフレ派にはどうしても与する気がしなくなるわけで、個人的に湯浅氏を評価したくなるのはこういった社会保障や再分配政策はもちろん、マクロの経済政策に国民が関心を持つきっかけになりうるのではないかという淡い期待があるからです。

そうはいっても、

民営化(私企業化。privatization)と規制緩和によって、さまざまな市場外領域を市場化していくことは、自由な競争による効率化のために必要だと言われてきた。「護送船団方式」が象徴的なターゲットになった。
(略)
しかし、「効率的なもの」が勝利する社会は、必ずしも自由な競争を実現しない。その「効率」は少なからぬ場合、資本投下によって生み出されているからだ。多くの資本を投下されたものが、望ましい効率性を身にまとい、市場で生き残り、そこで蓄積された富が次の効率性を生産する。企業は国からさまざまな優遇措置を受けて、子は親から高い教育費をかけてもらって、初めて市場的な優位を獲得している。
湯浅『同上』pp.210-211
※ 強調は引用者による。


こういう意味不明な効率性批判を展開する始末。効率と資本投下の関係がよくわかりませんし、まさにその資本投下の対象を変えるのが所得再分配政策ですから、それを否定してしまったらご自身で自分の主張を否定していることになりませんかねぇ。

まあ結局湯浅氏に期待するのはムリポなわけですが・・・
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