2009年03月15日 (日) | Edit |
新聞記事をチラ見したときは人選が書いてなかったんでスルーしてましたが、人選が記載してあるネットの記事を見てびっくりしました。

「麻生首相:有識者83人の意見聞く 経済危機克服へ--5日間で」(毎日新聞 2009年3月14日 東京朝刊)

 政府は13日、麻生太郎首相が有識者から経済財政政策について意見を聞く「経済危機克服のための有識者会合」の開催を正式発表した。5日間にわたり、知事や経営者ら各界の有識者計83人を首相官邸に招く。首相自身が幅広い意見に直接、耳を傾け、経済対策に生かそうとの発想だが、有名人を多く入れ、景気対策に取り組む姿勢を国民にアピールするためのパフォーマンスの色彩も濃い
(略)
 有識者会合の主なメンバーは次の通り。

 ▽中谷巌・一橋大名誉教授▽リチャード・クー・野村総合研究所主席研究員▽安西祐一郎・慶応義塾塾長▽野依良治・理化学研究所理事長▽勝間和代・経済評論家▽橋下徹・大阪府知事▽東国原英夫・宮崎県知事▽日野原重明・聖路加国際病院理事長▽湯浅誠・反貧困ネットワーク事務局長▽松井道夫・松井証券社長▽小宮山宏・東京大学長▽御手洗冨士夫・日本経団連会長


・・・中谷氏、R・クー氏、勝間氏、橋下氏、東国原氏、湯浅氏という人選は「国民にアピールするためのパフォーマンス」と指摘されても仕方ないでしょうなあ。

ただし、官邸のホームページで全体の名簿をみてみるとそれほど偏った感じはしません。とはいっても、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのこれらの方々がもっとも大きな発言力を持つことは想像に難くないわけで、むしろ、与党側からはもっと露骨な人選要求が出ていただろうに、このくらいの人選でとどめた官邸のスタッフの方々の踏ん張りを多としなければならないのかもしれません。それにしても、小泉劇場とかポピュリズムとかは新自由主義で日本を破壊したとかいって皆さんコリゴリなはずなんですけど、こうやって形を変えればまだまだポピュリズムもイケてるということなんでしょうか。

というわけで、R・クー氏と勝間氏についてはこれまであまり取り上げたことがなかった気がするので、今回は通り一辺倒の道州制を提案されている勝間氏のご見解を確認してみましょう(HALTANさんのところで「州都を中心に現場に近いところで意思決定がスムーズに行えるようになるとかいう話? それ自体が「神話」だと思う、という話をマシナリさん(machineryの日々http://sonicbrew.blog55.fc2.com/)や拙ブログは延々としているのですけどね。」と言及いただいたので、というわけではないんですが)。

 今回は、日本にも道州制を導入し、地方の活性化と競争力強化を図ろうという提案です。
 日本の行政が中央集権的になっているのは、明治維新を契機として、一挙に欧米に追いつくべく、効率を重視して地方分権をあえて制限したという理由があると考えています。ところが、すでにキャッチアップした今でも、中央集権的な行政体制は変わっておらず、予算編成や法制度の新設、改定などの際の非効率な部分が目立っています。
勝間和代のクロストーク:みんなの経済会議/11 道州制の導入を」(勝間和代のクロストーク


巷の週刊誌や啓蒙書にはいまだにこういう枕が使われるんですが、それをきちんと実証した文献なんてのはないんですね。実際に江戸時代から明治時代にかけての統治機構の整備の歴史をひもといてみれば、地方分権的なイメージで語られる江戸時代の藩だって江戸幕府の強大な権力の下にあったわけで、それを天皇制で再編したのが明治政府なわけです。江戸城に皇居が構えられたのはその象徴ですね。

おそらく現在は中央集権だという認識からスタートして、官僚制ができたのが明治時代だからその前は地方分権だったに違いないという短絡的な想像で書いているんでしょうし、行政学の教科書なんかでも江戸時代の地方統治が明治維新で断絶してしまっているような記述のものが多いんですが、それこそ想像力が欠如しているように思います。現代のような情報化社会ならともかく、大政奉還があったからといって、江戸時代の特に地方の人々の生活が一変するはずもなく、ゆっくりと旧体制から新体制へと移行していったと考えるのが自然でしょう。

歴史的経緯を確認してみると、明治2年の版籍奉還、明治4年の廃藩置県で一気に中央集権を進めようとして失敗し、明治11年に「三新法(Wikipedia)」(群区町村編成法、府県会規則、地方税規則)が制定されるという第一の地方分権の揺り戻しがあります。その後さらに、地方自治を強化しようとした山県有朋によって、明治21年に市制町村制、明治23年に府県制と群制が制定されるわけで、明治の当初から地方分権と中央集権のせめぎ合いは続いていたわけです。

もっとさかのぼるなら、江戸時代の参勤交代制に象徴される中央集権体制に不満を抱いていたのが薩長土肥の倒幕勢力として結実し、彼ら地方の志士によって進められたのが明治維新の中央集権だったわけで、中央集権なるのものが突然発生したのでも何でもなく、江戸幕府の中央集権体制を倒した地方の志士がその遺産をより強化したのが明治政府だったともいえます。それに対して、戊辰戦争で幕府側についた地方が官軍によって徹底的に痛めつけられ、その反動として地方分権を指向する勢力が各地にくすぶっていたからこそ、山県有朋による地方自治の強化が進められたり、その後の大正デモクラシーにおける「両税委譲運動(Wikipedia)」という動きが生じることになります。

現在でも「中央はもっと地方の声を聴け」なんてことが主張されているわけですが、そうした地方の志士が自分の思うように中央政府を動かそうとしたのが明治政府以来の中央集権体制であったという史実を、もう少し謙虚に考えてみるべきでしょう。そうした視点から見ると、上記の有識者の中に今をときめく大阪府知事や宮崎県知事が入っていることに既視感を覚えてしまいます。

というわけで、勝間氏の道州制論は枕の部分でアウトですから、これを元に議論されているらしいクロストークなるものが建設的な議論になるとは到底思えません。実際に寄せられたコメントを見てみると、道州制に賛成だろうが反対だろうが「中央集権はもはや制度疲労を起こしていて、地方分権しなければ日本はダメになる」という点では共通しているようです。そういう対立の問題ではないというところにたたき台を設定して初めて建設的な議論が可能になるんですが、勝間氏にその役を求めるのは酷というものでしょう。

ところが、勝間氏はこのクロストークでの議論を積極的に政策提言されていくおつもりのようです。

 これらの論点については、これまでと同じく、関係省庁や閣僚、議員や有識者の方々と議論のたたき台とさせていただく所存です。 今後の経過や結果についてはこれまで通り、またクロストーク上で報告をさせてください。
最低賃金 1000円に増額(2009年1月09日)」(勝間和代のクロストーク


この最低賃金についての議論もそうですが、たたき台になると思っているのは、勝間氏がその分野についての素人だからであって、特に左右も貧富も関係なくそのような議論が寄せられている関係省庁からすれば「やっとその程度の議論か」というところでしょう。しかも、そのたたき台なるものが上記のような事実誤認に基づくものであるなら、たたき台どころか、議論はいつまでたっても前に進まないことになるんですけど。

それにしてもこの記事も、

「経済対策有識者会合、霞が関主導に限界 “即効薬”を期待 (3/3ページ)」(MSN産経ニュース2009.3.13 23:08)
 政府側が有識者会合に期待しているのは、即効性のある対策だ。政府内では羽田空港の再拡張をはじめとする公共事業の拡充や地球温暖化対策を景気浮揚に結び付ける日本版「グリーン・ニューディール」構想の具体化が検討されている。だが、「いずれも将来の財産にはなるが、完成には数年かかり、即効性に問題がある」(政府関係者)という。裏返せば霞が関主導の対策が限界に来たため、外部の英知に頼らないと経済危機を克服できない危機感の表れでもある。


外部の英知ですか・・・
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2009/03/18(水) 08:16:17 | by jp & Blog-Headline