2009年03月08日 (日) | Edit |
この年度末は、元々が「2009年問題」と呼ばれる派遣労働者の雇用問題が控えていた時期にリーマンショックが重なってしまい、さらに春闘の時期とも重なっていろいろと労働行政に動きがありそうです。

で、昨年末の「年越し派遣村」騒動以降トリックスターとして君臨されている湯浅誠氏が今回も「シェルター拡充を!」という動きを見せようとしているようですが、氏の著作にして、大仏次郎論壇賞受賞作品を改めて読んでみました。

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)
(2008/04)
湯浅 誠

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初めにお断りしておくと、個人的には湯浅氏の行動は一定の評価は可能だと考えております。ただし、その方向性や方法論には同調できない部分が多々あるために、読み方が批判的になっていることは否定できませんので、その点を割り引いてお読みください。

この本は第一部と第二部に分かれていて、第一部はデータや他の文献からの引用を交えながら貧困の「現状」を訴える内容となっています。引用するデータや文献の扱いに恣意的な意図を感じましたが、ここは湯浅氏の認識ということでそのまま読みました。

で、第二部から湯浅氏の「提言」が述べられていくわけですが、まずは「年越し派遣村」騒動につながっていったであろう湯浅氏の考える戦略が述べられます。

十分な資力を持たない一市民が政治に働きかけていくためには、社会や世論を媒介させる必要がある。個々の小さな活動も、マスメディアを始めとしたさまざまな媒介項(メディア)を通じて伝えられ、多くの人の目に止まって現状や認識が共有され、社会化され、「世論」となるこで、無視できない「力」となる。
もちろん、一つ一つの活動や取組みが真に必要で意義を有するものであれば、マスメディアに取り上げられず、正解に認知されていなくても、他者の共感を呼び、社会的に伝播していくだろう。
読者の中には、これから述べることが、いわゆる「政策提言」の形に練り上がっていないことに不満を感じる人がいるかもしれない。個々の活動とは「小さい」話であり、政策とは「大きい」話である。小さい話をしても仕方なく、大きなところでどうするかを考えなければならない、と。しかし、大きな話を引き寄せるのは、個々の小さな活動である。そして、そこからしか見えてこないものもある。制度をどう変えるかという視点も、現存制度の中でぎりぎり格闘するところから出てくる場合も少なくない。
「市民(citizen)」という言葉もすっかり人気がなくなった。市民という言葉には、国の動向とは別に、社会の一員としての立場から社会的に必要と感じられることを自主的に行う人々、という意味合いが込められていたように思う。それは、「国民」とも「会社員」とも「労働組合員」とも、「家族の一員」とも「地域の一員」とも違う、「社会」に対して責任を持とうとする存在のはずだった。
「反貧困」を担う活動が、1人でも多くの「市民」によって担われ、「社会」に働きかけ、政治を変え、日本社会総体において貧困問題がスタートラインに立つことを、私は願っている。
『同上』pp.109-110


これは、以前HALTANさんに言及いただいたときに途中で終わってしまっていた部分でしたが、改めて読んでみるとHALTANさんがおっしゃることがほぼそのまま書かれていたようですね。

状況が変化したきっかけは、二〇〇六年七月のNHKスペシャル『ワーキングプア』である。日本の貧困層を「プア(貧困)」というタイトルの下、正面から取り組んだこの番組が注目を集めたことにより、貧困問題におけるマスコミ内部での関心が高まり、〈もやい〉にも取材が殺到するようになる。そして、朝日新聞の山内深紗子記者が「現住所 ネットカフェ」を書き(二〇〇六年一一月二日付夕刊)、彼/彼女らの存在が初めて社会的に知られた。
二〇〇七年一月二八日には、日本テレビの水島宏明解説委員が『NNNドキュメント〇七 ネットカフェ難民』を制作・放映。映像に映し出された「ネットカフェ難民」の実態は、多くの人に衝撃を与え、以後同様の報道が相次いだ

(略)

ネットカフェで寝起きする人たちから相談を受け始めて四年余、最初の報道が出てから一年半、このプロセスの渦中にいて感じたのは、ひとたび貧困問題として社会的に共有されれば、待ったなしで政策的対応を呼び起こすという事実だった。この問題では、政策的に対応されるまでの一連のプロセス(個々の相談・対応→報道による社会化→国会質疑→省庁による調査→対策)が矢継ぎ早に踏まれていった。貧困の実態を突きつけられれば、厚生労働大臣としても「好きでやっているんだろうから、放っておけばいい」とは言えない。それが、自己責任論の及ばない貧困問題のもつ「力(訴える力、説得する力)」だった。
『同上』pp.114-116


湯浅氏のおっしゃる「社会的に共有される」ということの帰結が「待ったなしで政策的対応を呼び起こす」ということであるなら、それはあまりに短絡的に過ぎるように思います。もちろん、このような活動によって食うや食わずの生活から一時的にせよ脱することができた方がいたということは「事実」でしょうが、それに対する「政策的対応」が本当にその人を救っているのかはまた別問題でしょう。湯浅氏ご自身が「大きな話を引き寄せるのは、個々の小さな活動である」とおっしゃるように、その「小さな活動」によっ引き寄せられた「大きな話」について、それが人々の制度に対応する行動をどのように変えたかという功罪を検証することが不可欠です。

ところが、どうも湯浅氏にはそんな認識はないようで、「3月までにシェルター拡充を」と国会で要求していることについて、HALTANさんもこのような懸念を示されます。

「『派遣村』を全国に拡大する」・・・これ、とんでもないことだ。もしこの「シェルター」の設置に成功すれば、労せずして数万~数十万単位の「動員」が可能になる。この「シェルター」の存在自体がそのまま、貧困者を人質に、生存権を盾に取った国家転覆デモと化す。生存権を盾に取られれば誰も何も言えなくなることをこのノンセクト活動家はよく知っている。生保も大盤振る舞いされるのだろうか。失業者が一足飛びに生保とは、hamachan先生などがいちばん恐れていたシナリオだろう。もちろん、この湯浅氏の提案が公に大々的に実行されなくても構わない。このままだと3月危機は現実化するだろうから、そこで第二の「派遣村」を独自にまた立ち上げればよいのだ。そしてそこでこう言えばよい「政治が、社会が、この人たちを見捨てたんだ!」と
[床屋政談・ニュース速報]1991年以降の不毛な18年間が生んだ「湯浅誠」という怪物がいよいよ本性を現した。・・・そして日本は地獄となる。(2009-02-17)」(HALTANの日記


下っ端のチホーコームインの見立てでもこれはかなり現実味のある話のように思われます。このような議論に常に欠けているのは「誰が負担するのか」という議論なわけですが、特別会計の埋蔵金を使ったり、大企業の内部留保とか高所得者層への累進課税さえすれば財源がわいてくると考えている方々からすれば、そういう財源に手をつけようとしない(ように見える)行政やコームインに対する要求が苛烈になることは容易に予想できますからね。

それと、この本を通底している活動家視点というのが個人的には非常に気になりました。

・・・御存知の通り、自分自身はあの辺の人に対してはもっと単純に考えています。ああいう人には元々が本気で貧困者を救う気など初めからなかった、それだけのことなのでは? あの人たちは運動の快楽に取り憑かれてそこから抜け出せなくなっているだけなのですよ。湯浅さんもピース・チェイン・リアクションhttp://youth-forum.soc.or.jp/members/PeaceChainReaction.html から野宿者運動にシフトしてきた人みたいですし、ノンセクト界隈をウロウロしているうちに貧困支援運動に辿り着いた人、以上のものは自分は何も感じないんですね。
[床屋政談]いや、まああの人たちは初めから貧乏人を本当に救いたいわけじゃないんだろうし・・・。(2009-02-07)」(HALTANの日記


HALTANさんがおっしゃるこの点についても、この本の中で明確に述べられています。

さらに、表2には反映させられていないが、それぞれの活動を中心的に担う人々は、活動家・法律家・研究者などさまざまである。またそれぞれの活動は同時に、セーフティネットの欠落部分に着目し、そこからこぼれ落ちる人たちを食い物にして貧困を固定化することで利潤を得る「貧困ビジネス」(第五章参照)と対峙する関係に立ってもいる。
『同上』p.125


法律家や研究者の前に一番に出てくるのが「活動家」なんですね・・・
そして、この本の最後の最後で、その活動家に対する報酬が少ないという本音が炸裂します。

私の知っている活動家たちは、そのほとんどがワーキング・プアである。〈もやい〉ででどれだけ膨大な相談件数をこなしていても、一銭の儲けにもならない。〈もやい〉は、月額わずか六〇万円の人件費を四人、五人で分けている有様だ。先駆的な活動をしている労働組合の人たちも同じだ。多くの人たちを虐げて莫大な利潤を上げる人たちがいる一方で、彼/彼女たちの活動が、この日本社会の生きづらさを、それでもこの程度に押し留めている。本当に必要なことをしているのは、政治家や官僚たちではない。この社会がその活動に報いられないのだとしたら、何のための社会なのかと、本気で疑う
『同上』p.223


やっぱり先立つものがないと活動できないということはご自身が一番よくおわかりのようで、かといって役所に頼るのは癪だから誰かきちんと報いてくれとのことのようですが、誰に報いてほしいんでしょうか? ご自身が「「貧困ビジネス」と対峙する関係」とおっしゃる以上、まさか救済した貧困に苦しむ方から報いてほしいということはないでしょうから、ほかの誰かなんでしょうか? もしそれが大企業や高所得者からの再分配であるなら、それを権力によって実効あるものにしている行政というソリッドな組織のマンパワーこそが重要なんですが、「本当に必要なことをしているのは、政治家や官僚たちではない」とおっしゃるなら、それもご自身でやるという覚悟があるとでも?

この点については湯浅氏にかなりの事実誤認があるように見受けられますが、長くなったので続きはまたの機会に書いてみようと思います。
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コメント
この記事へのコメント
 「シェルター設置」にいては、「ゼロ予算事業」により職員・NPO・市民・市民との協働による、公共財の利用を実施するのではないかと、考えておりました。
 野党第一党系の方たちは、町内会という自治組織そのものは、消滅させる気ですからね。指定管理者制度が施設の維持運営を超えるのも時間の問題だろう。
2009/03/09(月) 07:29:54 | URL | gruza03 #DgdRcaA.[ 編集]
> gruza03さん

>  「シェルター設置」にいては、「ゼロ予算事業」により職員・NPO・市民・市民との協働による、公共財の利用を実施するのではないかと、考えておりました。

「ゼロ予算」とかって、「アイディアさえあれば何とかなる」的ないかにもチホーコームインが好きそうな発想ですね。チホーコームインの時給って「ゼロ」なんていうほど低くはないんですが、「ゼロ予算事業」なるものに割かれたリソースのしわ寄せは、結局住民が負うわけですからそれもまた民意。

>  野党第一党系の方たちは、町内会という自治組織そのものは、消滅させる気ですからね。指定管理者制度が施設の維持運営を超えるのも時間の問題だろう。

野党第一党の考えていることはよく分からないんですが、「小さな政府」が放棄したものを「地域」とか「連帯」に担わせようというコンセンサスは、与野党ともに共通してそうですね。
2009/03/09(月) 23:28:06 | URL | マシナリ #-[ 編集]
 現在の町内会を廃止し「地域会議」なるアソシェーションを作り上げ、市町村議員との紐帯を喪失せしめ、市町村(基礎自治体)に対する要望等を削減させるため、事務局に市町村職員・OBやNPOに委ねつつ年間60万程度の運営費を拠出することで、足りない分は自ら負担をするようですね。
 議員削減と地盤を消失させる意図もあるかもしれないといことで、地域の声がますます届かなくなるということで、結構もめているそうです。
2009/03/10(火) 06:39:11 | URL | gruza03 #DgdRcaA.[ 編集]
> gruza03さん

>  議員削減と地盤を消失させる意図もあるかもしれないといことで、地域の声がますます届かなくなるということで、結構もめているそうです。

地域会議なるものについては、「自治基本条例」について書いたときと同様に(http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-109.html)、現行制度との整合性が理解できませんね。

地方自治法上は絶大な権限をもつ知事に対抗しうるのは議会ないので、そこがしっかりしないと首長も議員も共倒れになりかねないんですが、まあ正直なところ、現行制度で選ばれている議員さん方が有能かといえばかなりの疑問が残るわけでして、「地域の声がますます届かなくなる」というご懸念が当たるかは微妙な感じがします。
2009/03/10(火) 23:11:07 | URL | マシナリ #-[ 編集]
>地域会議なるものについては、「自治基本条例」について書いたときと同様に(http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-109.html)、現行制度との整合性が理解できませんね。

 「コミュニティー・ソリューション」についての何らかの関連は読み取れるのですが、「地域会議」を設置する野党第一党系の首長が、進めていることへの不安・不満がでているのだけかもしれません。
 このようなのを「ボランタリー経済」と呼ぶのだそうで、「貨幣の交換」ではなく「贈与」や「純粋贈与」に重点をおくらしい。

>地方自治法上は絶大な権限をもつ知事に対抗しうるのは議会ないので、そこがしっかりしないと首長も議員も共倒れになりかねないんですが、まあ正直なところ、現行制度で選ばれている議員さん方が有能かといえばかなりの疑問が残るわけでして、「地域の声がますます届かなくなる」というご懸念が当たるかは微妙な感じがします。

 議会の権限削減と主張権限の増大化としての、マニフェスト選挙というのが、以前から疑念をもっていたところでして。以前、北川元三重県知事と根本前矢祭町長が、みのもんたの朝ズバで地方自治の決定権で対立したことがあります。みのもんたや北川元三重県知事が決定権をマニフェストを掲げた首長であるのに対し根本前矢祭町長が議会であるとして、頑として拒否したことが印象に残っていました。
 その印象の強さにもよるのかもしれません。
2009/03/11(水) 06:32:30 | URL | gruza03 #DgdRcaA.[ 編集]
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