2009年02月24日 (火) | Edit |
とあるエントリで取り上げさせていただいたかた方から直接ご連絡いただきました。貴重なコメントありがとうございました。試行錯誤の中で現在の文化が育ってきたことはおっしゃるとおりだと思います。拙エントリは行政の側にはまだその意識が浸透していないのではという趣旨でしたが、こちらの記載にお気に障る部分があればお詫び申し上げます。

拙ブログでは巷間の建前とかキレイゴトを現場の目線で批判しようとしておりますが、いくら現場といっても所詮は役人の職業倫理に支配されているのかもしれないということを改めて自覚いたしました。仕事を離れれば一人の国民であり都道府県民であり市町村である身ではあっても、ひとたび仕事の話になれば、民間の方との間には一線が引かれてしまうのでしょう。そこを自由に行き来できるくらいの意思疎通ができるように精進したいと思う次第です。

さて、そんな役人の職業倫理と民間の間の一線について考えさせられたのが、前回エントリのコメントでちょっとパクってみた『予想どおりに不合理』です。
予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」
(2008/11/21)
ダン アリエリーDan Ariely

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行動経済学のさまざまな実験を通じて、人が不合理に行動することを前提に何をすべきかを具体的に考えようという一見無謀な試みが、この本では自然に展開されていきます。きわめておおざっぱに要約すれば、伝統的な経済学から導かれる結論が合理的であるとしても、それを基準にすれば人間は不合理な判断をするということであって、人間が不合理であることから出発して、それに対する合理的な対処法を考えればいいのではないかということが淡々とした筆致で述べられているといえるのではないかと。

個人的に大きくうなずいたのは4章の「社会規範のコスト」ですが、多少ネタバレになりつつ引用してみると、託児所への迎えに遅刻する親に対して罰金を科してもほとんど効果がないどころか、むしろ遅刻が増えてしまったという事例が紹介されています。

 しかし、ほんとうの話はここからはじまる。もっとも興味深いのは、数週間後に託児所が罰金制度を廃止してどうなったかだ。託児所は社会規範にもどった。だが、親たちも社会規範にもどっただろうか。はたして親たちの罪悪感は復活したのか。いやいや。罰金はなくなったのに、親たちの行動は変わらず、迎えの時間に遅れつづけた。むしろ、罰金がなくなってから、子供の迎えに遅刻する回数がわずかだが増えてしまった(社会規範も罰金もなくなったのだから無理もない)。
 この実験は悲しい事実を物語っている。社会規範が市場規範と衝突すると、社会規範が長いあいだどこかへ消えてしまうのだ。社会的な人間関係はそう簡単には修復できない。バラの花も一度ピークが過ぎてしまうともうもどせないように、社会規範は一度でも市場規範に負けると、まずもどってこない。
pp.116-117
※ 強調は引用者による。


ジェイン・ジェイコブス『市場の倫理 統治の倫理』に近い話ですが、ここからは話は企業と従業員の間の社会規範の役割へと展開していきます。
(参考)
市場の倫理 統治の倫理 (日経ビジネス人文庫)市場の倫理 統治の倫理 (日経ビジネス人文庫)
(2003/06)
ジェイン ジェイコブズ

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 従業員とのあいだに社会規範をつくりだして成功している企業もあるが、最近では短期利益や外部委託や厳しい経費削減に執着するあまり、すべてが崩壊の危機にさらされている。社会的交換においては、何かまずいことが起きても、相手方がそばにいて、自分を守り助けてくれると人々は信じている。契約書に明記されているわけではないが、必要なときにはお互いに面倒を見たり手を貸したりするのが一般的な義務だ。
 この場合も企業はふた股をかけることはできない。とくにわたしが心配しているのは、近年の福利厚生の削減――育児手当、年金、フレックスタイム制、トレーニング室、社員食堂、家族のための野外パーティーなどの縮小――によって社会的交換が犠牲になっている可能性が高く、従業員の生産性に影響が出るのではないかということだ。とくに、国民健康保険制度のないアメリカでは、医療給付の削減や変更によって、雇い主と従業員の社会的関係の大半が市場的関係に一変するのではないかと危惧している
pp.122-123
※ 強調は引用者による。


国民健康保険制度の話が出てこなければ日本の話かと思うほどに、実はアメリカの雇用関係が市場主義的になったのはここ最近のことのようです。そしてそのアメリカでも社会規範の有用性が説かれているわけで、同じような状況(アメリカは世界で唯一、原則解雇自由という特殊性はありますが)でさらなる雇用の流動化が称揚される日本の状況は相変わらず絶望的です。

さらに公務員の給料にも話が広がっていきます。

 たとえば、給料だけでは命をかける動機にはならない。警察官、消防士、兵士は、給料に殉じるわけではない。命や体を張るのは、社会規範――職業への誇りや義務感――のためだ。マイアミにいるわたしの友人は、以前、近海パトロールにいく米国税関員に同行したそうだ。税関はアサルト・ライフルを携行していて、逃げようとする麻薬密輸船の船体にまちがいなく穴をあけられそうだ。だが、実際に穴をあけたことがあるかという問いに、税関員はまさかと答えた。いま政府からもらっている給料のために命を投げ出すつもりはないという。
(略)
どうすればこの状況を変えられるだろう。まず、税関員が命がけで働く気になるくらい、連邦の給料をよくするという手がある。しかし、それはいくらだろう。典型的な麻薬密輸業者がバハマからマイアミまで船を疾走させて手に入れるのと同額の報酬だろうか。べつの手は、社会規範を高めて、税関員の任務は基本給以上の価値があり、社会機構を安定させるだけでなく、子どもたちをあらゆる種類の危険から救う職業として人々に敬われている(警察官や消防士が敬われるように)と本人たちが感じられるようにすることだ。もちろん、これには人を鼓舞する指導者が必要だが、達成は可能だ。
pp.125-126
※ 強調は引用者による。


「人を鼓舞する指導者が必要だが、達成は可能だ」・・・与党も野党も「天下り撤廃」と叫び、公務員の人件費をカットすることが財政再建の条件だとする「民意」なるものが支配する日本では、達成不可能ということですねわかります。結局、賃上げによる内需拡大を主張する労働組合が支持母体となっている民主党が、公的部門の人件費カットを主張しているというねじれまくった状態では、公務員の人件費や生産性はおろか、外部委託だって財政健全化のための調整弁としてしか見なされないのです。

昨日の「サキヨミ」でも、かんぽの宿が民間に譲渡されてから経営が黒字化しているという話が出てましたが、よくよく見てみると「かんぽの宿時代には60人いた従業員を15人にカットしました」ということが「民間経営の効率性」と称して颯爽と紹介されていました。そのカットされた従業員が次の就職先を見つけられなければ失業するわけですし、もし正社員からパートに切り替えたというのであれば、それこそが湯浅氏などが批判する非正規雇用の増加や雇用の不安定化を促進しているということですよね? かんぽの宿は大抵都市部から離れたところにあるので、そういった地域の雇用情勢はさらに厳しくなるはずで、いったい「民意」というのはどちらを指向しているのやら、と最後にはまた嘆き節になってしまいました。
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突然、失礼しました。
Smfn0eSb
2009/05/22(金) 10:10:12 | URL | hikaku #cJuqLt0I[ 編集]
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